閑話 〜 ここからここまで 〜 後編
あれからかれこれ一時間。まだたったの一時間だ。それなのに……。
ショーケースの中はあと一歩ですっからかんになる。
すっからかんとは──からっぽで中身がまったくない、 何一つ残っていないさま──という意味なのだけど、正しくその通りになりそうで怖い。
ケーキが何一つ残っていない。というのとは訳が違う。あるべき物がないのだ。
さすがにドイル家のお嬢様も、こちら側には入って来なかったけど、
『手間をかけさせては悪いから、トレイごと頂ける?』と言って、本当にそのまま席に持っていってしまった……。
まあ、この場合の『トレイごと頂ける?』というのは《家に持って帰るから》という意味ではないと思うけど……。ですよね?
しかも──『お手伝いしましょうか?』なんて言っておきながら、侍女の皆様も今ではしっかりちゃっかりお茶しちゃってるんです!
えぇえぇ、断ったのは私ですよ。そうですとも。文句は言いません。言えません。
こんな状況でも、妻とデイジーは笑顔を一瞬たりとも崩さないのですから。
本当に、すごい! と思ってよくよく見たら、固まったまま元に戻らなくなっただけのようだったけれど。
そしてとうとう──たったの六人で──ケーキにシュークリーム、プリンにゼリー……とにかく《要冷蔵のもの》は全て食べ尽くしてしまわれた。
それでもまだその口を緩める気はないらしい。
今度は《焼き菓子》を所望されたのだ。
お持ち帰り用の焼き菓子を袋に詰めながら、久しぶりにずらりと並んでいた自慢のケーキたちを思い出す。
たくさん売れ残れば赤字は必至だったけど、他には誰もお客さんが来なかったから赤字どころの騒ぎではない。
挙句の果てに、福の神のふりをしてやって来たドロボー様ご一行に言われるまま、手土産まで持たせようとしているなんて──自分たちこそ神様だ。だからもう、
美味しい! 美味しい! みんながそう言って、笑顔で食べてくれた。
よかったじゃないか! 最高じゃないか!
──そう思うしかなかった。
◇◇◇
「それにしても、クラリス〜。ここからここまでぇって、昔のセレブがブティックとかでやるやつでしょう? それをカフェでするとかぁ、聞いたことないわ〜」
私は神様、私は神様……と自分に言い聞かせながら袋詰めをしていると、フッ、と何かがよぎった。
ん? クラリス? どこかで聞いた気が……。
「うるさいわねぇ。昔のセレブより今の侯爵令嬢よ! とにかく私は《懐かしのチーズケーキ》が食べられただけで満足だわ」
「えぇー!? だけ……って。あれだけ食べておいてぇ、よく言うわね〜」
懐かしの──チーズケーキ?──侯爵令嬢──クラリ──あっ!!
「あ、あの! もしかしてあなた様は……《ローゼンシュタイン侯爵家のクラリスお嬢様》……ですか!?」
「ええ、そうよ。それが何か」
ああ、おばあちゃん……来てくれたよ。クラリスお嬢様が……来てくれたよ!
──「おばあちゃん、チーズケーキをどこにやったの? あれは、おばあちゃんたちに食べてもらおうと思って作ったのに……」
「あれはね、お前が一人前のパティシエになってお店を持った時に『一番のお得意様になってあげる!』って言ってくれた人にあげたんだよ」
「……お得意様って……見習いの作ったケーキなんかを食べたって、誰も本気でそんなこと言ったりしないよ」
「ふふふ。いいから、覚えておくんだよ? お前の一番のお得意様は《ローゼンシュタイン家のクラリスお嬢様》だからね?」──
嬉しそうに笑うおばあちゃんを見て、しょうがないなぁと僕も笑った。
あとから調べたら、ローゼンシュタイン家は侯爵家で、クラリスお嬢様は──
まだたったの五歳だった。
それを知った僕たち家族は大笑いした。だけどそのあと、
『おばあちゃんのお陰で、侯爵家の小さなお姫様がお前の作ったケーキを食べて、美味しいと笑ってたっていうじゃないか。よかったな』と、父さんが言って──
なんだかあったかい気持ちになったのに、今の今まで忘れていた。
「あ、あの……チーズケーキ……」
「やっぱり──あなたが《自慢の》お孫さん、なのね?」
自慢の……そんなふうに言ってくれたの? おばあちゃん……。
「おばあさんとは五年前の教会のバザーで偶然会ったの。初めてのバザーではしゃぎすぎて疲れて、早く帰りたいって駄々をこねていたら急に目の前にチーズケーキを差し出してきてね『自慢の孫が作ったチーズケーキ、とっても美味しいよ』って」
あのチーズケーキの味はずっと忘れられなかった。
有名なお店のものより見た目も味も素朴だったけれど、とっても温かくて……。
「食べてみたら本当に美味しくて、また食べたいって言ったの。そうしたら、来年も持ってきてくれるって言うから楽しみにしていたのだけれど……。おばあさんにも、もう一度会いたかったわ」
じわりと涙が滲む。その年の暮れにおじいちゃんが病に倒れ、看病疲れからか……おばあちゃんも体調を崩しがちになっていったんだ。
『もう一度会いたかった』ということは、おばあちゃんが亡くなったことも知っているんだろう。
それでも、おばあちゃんとの約束を忘れずに、ここに来てくれたってことは──
おばあちゃんが蒔いてくれた《縁の種》のお陰だね。
おばあちゃん……ありがとう。
「祖母のことを覚えていてくださって、ありがとうございます。王都には《オレーノ・クラフティー》をはじめたくさんのカフェがありますが、またのお越しを心よりお待ちしております」
とは言ったものの……。
オレーノ・クラフティーは先輩の店だ。立地以外はうちだって負けていないと思っているけれど、高位貴族のお嬢様たちはモダンな造りの先輩の店の方がいいに決まっている。もう来てくれることはないだろう。と思っていたら……
「オレーノ・クラフティー……ねぇ。あそこはダメよ(ライラが)出禁を食らったから。あなたはそんなことしないでしょう? わたくしは一番のお得意様ですもの。ふふ、また来るわね」
「ごちそうさまでしたぁ。これからも期待しています〜」
「貸し切りにしていただいて、ありがとうございました」
また来ると、ありがとうと、お礼を言って。
更にはきちんと代金を《貸切料込みで》支払って──嵐は去って行った。
妻が──「五年前に五歳ってことは、まだ十歳でしょう! あれで!? 信じられない! なに? あの貫禄!!」だの、
デイジーはデイジーで──「イナゴの大群もびっくりだわ! 茶葉しか残ってないじゃない!! ていうか、いつの間に貸し切りになってたの!? 聞いてないんだけど!」
などと騒いでいるけれど、それらは全て耳のふちを軽くすべっていくだけで。
あそこはダメ──デキンヲクラッタ──あなたはそんなことしないでしょ──期待しています──。
これらの言葉が頭の中をグルグルと回っていた。
なんだろう? デキン──でき、できない? あなたは──期待しています──
なにを?
クラッカー?──あそこはダメ──できない──期待──
あっ、そういうことか!
「ちょっとあなた、聞いてるの? 明日はどうするのよ!」
「勿論聞いていたさ! 私はやるよ。やってみせるさ! クラリスお嬢様の期待に応える為にも、縁を繋いでくれたおばあちゃんの為にも! やるぞ! おー!」
…………。
「なんかよく分からないけど……心配だから明日も来るわね?」
「えぇ……お願いね、デイジー」
◇◇◇
── 半年後 ──
「お嬢様、《アマーイ・ア・マーイ》のスゴォークさんから、お手紙と新作のケーキが届きましたよ」
「新作のケーキ? 何かしら? あの人、お店に行くたびにデザインが決まったとか、生地がどうとか──まるで進捗状況の報告でもするかのように話しかけてきてたけど……」
──クラリスお嬢様からの課題を、ようやく作り上げることができました。時間はかかりましたが、きっとお気に召して頂けることと思います──
「と、手紙にありますが……なにか課題を出されていたのですか」
「……まったく記憶にないわ」
人違いじゃないのかしら?
「自信作のケーキは──《できたぞ! 金のクラッカー》というそうですよ。心当たりは?」
「……さっぱり分からないわ」
何なの? そのネーミングは……。《できたぞ!》って、いるかしら?
人違いではないのかと思いつつも住所に間違いはなかったので、恐る恐る箱を開けてみると──その名の通り、確かにクラッカーの形をしたケーキが入っていた。
タルト生地をミルクチョコレートでコーティングして、金粉をまぶしてある。
ご丁寧に凧糸のような紐までついていて、引っ張るとチョコの蓋が割れ、桃のダイスを混ぜたカスタードクリームが甘い香りとともにトロ〜リと溢れ出す。
味も見た目も、自信作というだけあって素晴らしい出来だわ! 私の分まで用意してくださるなんて……侍女仲間にも教えて宣伝してあげないと!
「今日は特別よ」と言われて、クラリスと一緒にお茶を飲んでいたエーデルは〈そろそろお茶のおかわりを〉と思って顔を上げ──ピシリと固まりそうになるところを何とか耐えた。
「……お、お嬢様? 何をなさっているのです?」
「クゥリィムがにぇ(クリームがね)、ひぼにぼひみこんれて(紐にも染み込んでいて)、おいひいにょひょ(美味しいのよ)」
…………口の端から……凧糸を垂らす……侯爵令嬢、なんて……。
新しい勤め先をさがした方がいいかしら?
わりと本気で悩むエーデルであった。
◇◇◇
王都の華やかなメインストリートの一番端っこ。から、一本入った路地裏にある
カフェ《アマーイ・ア・マーイ》小さくはないが、大きくもない。
このカフェの店長でありパティシエでもあるスゴォークは、今日も晴れやかな笑みを浮かべていた。
高い人気を誇る素朴なチーズケーキから、今や一番人気となった《できたぞ! 金のクラッカー》まで、色もデザインも様々な、たくさんのケーキの甘い香り漂う店内には──
幸せに満ちた、たくさんの笑顔が溢れているから。




