19・男爵の話 ②
「サーフィニアちゃんが王都に来られない間は、僕たちがまた遊びに来ますよ! 寒い時期は風邪を引きやすいから……今度は春にでも!」
クルスの提案に、男爵の顔がより一層暗くなった。
その顔を見て、一瞬上向きかけた俺の気持ちも急降下する。まさか……。
ここまで話の邪魔をしないように壁際に静かに控えていたスヴァイルだったが、クルスの言葉を受けてますます顔色を悪くした主を見かねて口を出すことにした。
セバスのお陰でサンデールの疲れや寝不足は取れているが、心労だけはどうすることもできない。
「お嬢様は毎年春と秋の二回、体調を崩されます」
あぁ、やっぱり……。
よもやそんな流れになるとは思ってもいなかったクルスは目を見開き、真っ青な顔をしたまま固まってしまって、フォローしなければと思うのだが、嫌な予感が当たってしまった俺自身にも余裕がない。
重たい空気に押しつぶされそうな俺の隣で、
「……毎年、二回も……」
眉間に皺を寄せたノリスが小さく呟く。そして、
「失礼なことをお聞きします。サーフィニア嬢は年齢の割には小柄な方だと思うのですが、もしかして……この事が原因なのですか」
俺も考えていた事を男爵に問う。
十歳くらいだと男女間の身長差はそれ程ない、というか、男よりも背の高い女の子も少なくはないのにも関わらず、敢えて女の子だからという理由をつけたとしても──僅かに高いが──十二歳の平均身長である俺の頭一つ分よりも低い。
他の家族は平均的な身長よりも少し高めに見えるのに、サーフィニア嬢だけが小柄な理由は……。
「そうだと思います。ご存知の通り、あの子はあの小さな体で騎士並みによく食べますが、身につかないのです。少しふっくらしてきたと思っても、体調を崩せば元通り──ならまだいいのですが……」
最後の言葉は小さすぎてよく聞こえなかったが……騎士並みに、か。
だからあの時『たくさん食べる女の子は嫌いですよね』と。
そして俺が「健康的」と言ったことに対して、一瞬悲しそうな顔をしたのも……
クッ! 頭を思いっきり掻きむしりたい衝動に駆られる。
知っていたら絶対に言わなかった! と思ったところで時は戻らないし、言ってしまった言葉を取り消せないのも分かってはいるが、戻れるものならば、今すぐ自分を殴り飛ばしに行きたい。
「普段はあれだけ食べていますので、食べられない日が何日か続いても、なんとか持ち堪えてくれるのだと思っています。今回も──」
俺が自責の念に駆られていることなど知る由もなく、話を続けていた男爵はそこで一旦言葉を切り、ふと、何かを思い出したように苦しそうな表情を少し緩めた。
「娘は今回、殿下方が来られるのを本当に楽しみにしていたのです。『私は王都に行けないけれど、そこから来る人たちにプラント領の素晴らしいところを沢山知ってもらいたい。自慢のお米料理もたくさん食べてもらって、美味しかった、楽しかった、また来たいねって言ってもらえるように頑張る!』と、朝から晩まで邸中の者を巻き込んで──あんなに楽しそうな娘を見たのは初めてです」
緩めた顔を更に緩め、小さくフッと笑ってから少し申し訳なさそうな顔になる。
「ただ……『どうして男の子ばかりで、女の子が一人もいないの!』と、そこだけは申し訳ありませんが、少しだけ不満だったようです。うちにも勿論侍女はいますが、小さな頃から遊び相手といえば、アクトゥールとセバスだけだったものですから『女の子の友達も来てほしかった』と言って──あっ、重ね重ね申し訳ありません。殿下方を友達などと気安く……」
「そんなこと気になさらないでください。私たちもサーフィニア嬢のことは、もう既に友達だと思っていますから」
そう返しながら思い出す。
男爵の言う通り、男ばかりという件については、この視察が決まった時にこちらでも問題点の一つにあがっていた。
『体が弱く、領地から出たことがないご令嬢』との噂──実際は噂ではなくて事実だったけれど──があるのに、視察のメンバーが男だけでいいのかと。
しかし、俺たち幼馴染み四人組には揃いも揃って男兄弟しかいない。
だからといって「では、どこかのご令嬢を連れて」となると、この視察は第三王子である俺が代表なので色々と憶測を呼び、面倒な事になりかねない──というか、絶対になる。よって、護衛騎士も含め、むさ苦しい一団になってしまった。
そうやって問題は回避してきたはずなのに……。
ここにきて、俺にとっては面倒な事になりかねない声を上げた奴がいる。
そんな事をするのは勿論──面倒事量産体質のあいつだ!
「あっ、そうだ! 今度──えっと、春でも秋でもないときに来る時は、殿下の婚約者候補のご令嬢たちを連れてきます! 四人もいるから……あれ? 五人だったかな? とにかく! たくさんいるから、サーフィニア嬢もきっと喜ぶよ──と思います!」
ヤメロー! 何が悲しくて気になっている子のところに婚約者候補たちを連れて来なくちゃいけないんだ! サーフィニア嬢に嫌われたらどうしてくれる!!
男爵も引いてるじゃないか!
あぁ、違うんです。俺は候補者たちには全然興味がないんです。
などと言えるはずもなく……。頭を抱えて蹲りそうになる俺とは逆に、男爵の引きつった苦笑いを不安な表情ととらえたらしいクルスはエンジン全開で走り始める。
「心配しなくても大丈夫ですよ! みんないい子です! あっ、一人だけちょっとヤバそうな──」
お前が一番ヤバいわ! と思った俺が合図を出す前に、キレ気味のエルトナが首に手刀をくらわせてくれたので、暴走していたクルスはやっと静かになった。
気を失ったともいう。
先ほどまでの重苦しい空気はどこへやら……。
サンデールは何が起こったのか分からなかったようで、目を瞬いている。
微妙な空気が流れ始めた部屋で頼りになるのは──スヴァイルしかいなかった。
「殿下、申し訳ありませんが、旦那様は昨夜から殆ど休んでおりません。今日はこの辺でお許しくださいませ」
「許すも何も……こちらこそ、疲れているところに辛い話をさせてしまい、申し訳ありませんでした。プライベートな事を聞かせていただき、ありがとうございます。この事は、決して他言しないとお約束します」
「ありがとうございます」
深く頭を下げてから、男爵とスヴァイル殿は本邸へと戻って行った。
その後を追うように、エルトナとノリスも出て行く。
恐らく、ディナーのことでも相談に行ったのだろう。
◇◇◇
一人になった部屋で──伸びたクルスはいるが──ハァァっと重いため息を吐く。
男爵の話は気分を沈めるのに十分すぎて、何から考えればよいのかも分からない。
だけどそれよりも、このままサーフィニア嬢に一目会うこともできずにこの地を去ることになるかも知れないことの方が、俺にとってはダメージが大きかった。
ソファにだらしなく座ったままぼんやりしていると、先に戻ってきたエルトナがちらりとこちらを見たが、何も言わずにクルスを担ぎ上げ、寝室に消えて行った。
そのうちノリスも戻ってきたけど、こちらも何も言わずにお茶の用意をしている。
カチャッ カチャッ コポポポポ カチャリ コポポ
静かな部屋に響いていた耳に心地よい音は聞こえなくなり、代わりにふわりと柔らかな香りを纏ったラベンダーのハーブティーがテーブルに並んだ頃、エルトナも寝室から出てきた。
「今日のディナーはここで食べられるようにスヴァイル殿に頼んできました。騎士たちの分は、いつも通りダイニングに用意だけしてもらえれば、あとは放っておいてもらって構いませんと言っておきましたよ」
「ザードさんにも、今日のディナーは騎士だけで勝手にやってくださいって言っておいたぞ」
「あぁ、どちらもそうしてもらえるなら助かる」
ディナーで気を遣わずに済むことにホッとして、リラックス効果のあるラベンダーの香りをゆっくりと吸い込みながら目を閉じる。
昨日の今頃は一緒にお茶を飲んでいた。楽しそうに笑っていたのに……。
瞼の裏に浮かぶのは、サーフィニア嬢の笑顔ばかりで。
一人感傷に浸っていると、何でもないことのようにノリスが言った。
「殿下。お米のデータも十分に集まりました。あとはまとめるだけです。それはここでなくてもできるので、予定を早めて明日の午後にはここを立ちませんか? そうすればその分早く陛下に」「嫌だ」
「殿下?」
「あっ、いや……まだ精米の体験をしていないし……」
「それなら明日の午前中にできないか頼んでみましょう。では、精米体験が終わり次第出発ということでよろしいですね?」
なんで急に、そんな──いや、ノリスの考えていそうな事は大体分かる。
俺が本気にならないうちに、引き返せるうちに遠ざけようとしているのだろう。
その手を取るには、障壁の多いサーフィニア嬢から。
俺のことを思って言ってくれているのは勿論分かっているけれど……こればかりは譲れないし、もうとっくに手遅れだ。
「……俺は、予定いっぱいまで残る。お前たちは先に帰るといい」
「そんな事ができるわけないでしょう?……サーフィニア嬢も見送りには来れないと言っていましたし、予定いっぱいまでここにいたって」「来れないとは言っていない。難しいかも知れないと言っただけだ」
「ですが!」
ですがも何もない! アクトゥール殿は絶対に来れないとは言わなかった。
だったら俺は!
「まあまあ、二人とも落ち着け。ノリスの言いたいことも分かるけどな? 男爵が言っていただろう? サーフィニア嬢は俺たちが来るのを楽しみにしていたと。頑張って病気と戦ったのに、目が覚めたらまだいるはずだった俺たちが帰ってしまっていた……なんて、可哀想じゃないか。それに俺も、もう少しクラウド殿に稽古をつけてもらいたいしな」
男爵の話を聞いた後、恐らくこんなことになるだろうと思っていたが……。
ノリスが折れてくれないと、アズナイルがキレるのも時間の問題だぞ。まあ、稽古をつけてもらいたいってのは本音だけどな。だからサッサと折れてくれ。
「私だって……別に無理やり帰ろうとは思っていませんよ。お米のことだってもう少し詳しい話を聞ければ、よりよい報告書を上げられますしね。──で? いつまでそこにいるつもりですか? 起きたのなら出てきて、あなたも何とか言ったらどうです?」
えっ?……気付かなかった。扉の隙間から、こちらの様子を窺っているクルスのターコイズブルーの瞳だけが見える。……ちょっと怖い。
ノリスに指摘され「ヒャッ!」と肩をすくめて飛び出してきたまではいいとして。
「ぼっ、僕は!……僕は?……えーっと、えっと、そうだ! アクトゥール殿に頼んで、ブローチの材料を用意してもらおうかな? そうしたらすぐに使ってもらえるもんね! あっ──フッフッフッ、いいこと考えたぁ。セバスチャンにももう一つ作ってあーげよっと! 願いを込めてね〜」
実に怪しい笑顔だな……。爽やかさの欠片もないぞ。
「どんな願いを込めてやるんだ?」
「そんなの決まってるでしょう?《あなたは僕を見つけられなくな〜る》っていう願いだよ〜。フフフ、忙しくなるぞぉ。僕ちょっとアクトゥール殿のところに行ってくるね!」
スキップをしながら部屋を出ていくクルスに、部屋にいたピリピリ虫もくっついて出ていくのが見えた。……ような気がする。というか、
「なあ、あれは願いじゃなくて《呪い》じゃないのか」
「まったく……人に呪いをかける暇があるのなら《僕はしっかり者になる》という自己暗示をかけた方がよさそうな気がしますけどね」
「いやいや、もうクビにしろよ。呪いをかけるとか、犯罪だぞ?」
「おやっ? いいのですか? 大好きなクルスがいなくなっても?」「誰があんなやつ! お前こそ──」
仲良くじゃれ合い始めた二人は放っておいて。
本当に願いが叶うのなら──
サーフィニア嬢が早く元気になりますように。
ここを離れるまでに、ひと目だけでも会えますように。
──ブローチを握りしめて、そっと祈った。




