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19・男爵の話 ①

「ノリスは寝てないだろうな」とエルトナと話しながら部屋に戻る。


 思ったとおり──起きていたノリスは「お疲れ様でした」と軽く頭を下げた後「よく眠れるようにカモミールのハーブティーを淹れますね」と言って、こちらの返事も聞かずにキッチンに行ってしまった。



 今更だが……この離れの造りは変わっていて、一階には二人部屋が十室と大浴場、二階の両端にも二人部屋が一つずつ、そしてその間に主賓の部屋があるのだが、特にこの主賓の部屋は、見たことのないおもしろい造りになっていた。


 手前には広い応接室と少人数で会議ができそうな執務室、それから今ノリスのいる小さなキッチンがある。壁に窓がないかわりに、天井には大きなあかり取りの窓がいくつかついていて、観葉植物が至るところに置かれていた。


 そして奥の壁には寝室に通じる大きな両開きの扉があり、そこを開けると今度は五つの扉が現れる。

真ん中が主寝室で、その両側に、これまた二人部屋が二つずつあるのだ。


 主寝室は勿論だが、驚くべきことに各部屋には少し手狭ではあるものの、浴室もトイレも備わっていて「これなら一人一部屋使えるからいいな」と喜んでいたのに、クルスが「一人では淋しい」──怖いの間違いではないかと思うが──と泣きを入れ、エルトナが巻き込まれていた。


 話がそれてしまったが、カモミールのハーブティーは寝室で飲むことにした。

エルトナはサッサと引っ込んで行ったし、俺がいつまでもここにいるとノリスも休むことができないからだ。


 寝室の一人がけのソファに座り、ゆっくりとハーブティーを飲んでいたが……眠りは訪れてくれそうにない。それはベッドに入り目を閉じても同じことで。

頭の中は考えても仕方のないことがグルグルグルグル──


『セバスチャン! 息が! 急いで!』


 マリアベル殿の悲鳴のような叫び声が甦り、ガバッと身を起こす。


 ダメだ……眠れない。

もう何度目になるか分からないため息を吐き、ベッドから抜け出した。

カーテンを開けると、本邸の方から漏れる灯りが、ぼんやりと離れの庭を照らしている。


 今夜中にあの灯りは消えるのだろうか? 今、サーフィニア嬢はどんな容態なのだろうか? また熱が上がったりしていないだろうか?


 サーフィニア嬢のことだけを考えながら、見るともなしに見ていた星たちが、その姿を薄闇に溶かし始めた頃、


 カサリ──


 と微かな音が聞こえたような気がして、辺りを見回してみたけれど……。

しんと静まり返った部屋の中で、何も見つけることはできなかった。



 あと数刻もすれば皆が起きてくるだろう。

その前に水でも飲もうと、そっと扉を二つ開けて応接室に入る。

キッチンに向かおうとしたところで、部屋の扉の前に薄っすらと光るものが落ちていることに気がついた。


 ……何だろう? 

近づいてみると、それは二つに折りたたまれた掌の半分ほどの紙。

急いで拾って広げると、


『峠は越えました』


 たった一言。それだけが、流れるように綺麗な文字で書かれていた。

胸に抱きしめ、膝から崩れ落ちる。


 よかった! 本当によかった!

目頭が熱くなるのをグッと堪え、何度も何度も、たったの七文字を読み返す。

やや暫くそうしていたが、寝室に戻りその手紙を胸に抱きしめたままベッドに倒れ込む。

嬉しい知らせを届けてくれた小さな紙は、ほんのりと発光し続けて──いつしかその光に吸い込まれるように、意識は静かに沈んでいった。



 ◇◇◇



「……おい。おいクルス、起きろ!」

「うっ、う〜ん……。ブローチが欲しい人はぁ……ちゃんと並んでぇ……」

「セバスチャンに見つかったーの、だーれだ?」

「うわっ! うわわわわー! なんっ、なんて起こし方するんだよ! やめてよぉー、トラウマになるぅぅ」


 ……もうなってるだろうが。


「早く起きろ。つっても、もうすぐ昼だけどな」

「フワァァワァ〜、もうお昼? どうりでお腹が──あっ、そうだ! サーフィニアちゃんは? サーフィニアちゃんは大丈夫!?」

「ああ、明け方に漸く峠を越えたらしい」


 ハァァっと安堵の息を吐きながら涙目になり、よかった、よかった! と喜ぶクルスに苦笑する。


「だからほら、サッサと顔を洗って着替えろ。ブランチのあと男爵から話が聞けるそうだ」


 慌てて浴室に駆け込んでいくクルスの背中を見ながら──男爵の話はどんな内容なのか、それを聞いてアズナイルは何を思うのか。ノリスは、どうとらえるのか──と考えたエルトナだったが、今考えても仕方のない事だと、頭を振って追い出す。


 聞いてみないことには始まらない。始まらないが、できれば……。

ため息を一つ吐いて寝室を後にした。



 ◇◇◇



 手紙を読んだあとに、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

あの時は既に夜明け前だったから眠っていたのはほんの数刻のはずなのに、よほど深い眠りだったのか頭はスッキリと冴えている。

手紙から光は消えていたが、サーフィニア嬢の無事を変わらず伝えてくれていることに安堵した。


 時計の針は、まだブランチと呼べるのだろうか? という時間をさしていたが、ダイニングに行くとアクトゥール殿が一人で待っていてくれた。

因みに、騎士たちはいつもどおりに起きて、訓練と手伝いに行ったらしい。



「殿下、側近の皆様、昨夜はご心配とご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした。殿下とマンダレー殿には氷まで用立てて頂いて……なんとお礼を申し上げればよいのか、何を持ってお返しをすればいいのか分かりませんが、本当にありがとうございました」


 昨夜の圧の強さなどは微塵も感じさせずに、アクトゥール殿が深く頭を下げる。


「迷惑など……サーフィニア嬢の熱が下がり峠も越えたと聞いて、私たちも安心しました。今は、どんな様子ですか」

「症状がおさまったお陰で薬を飲むことができましたので、今はぐっすりと眠っています。……恐らく夕方頃までは眠ったままでしょう」


 夕方……。夜になれば、少しだけでも顔を見ることはできるだろうか? 聞いてみようと口を開きかけた時、


「熱が下がって本当によかったです。ですが油断は禁物。私たちがお会いするのは、しばらく遠慮した方がよろしいでしょうね?」

「はい、申し訳ありませんが数日は起き上がれないと思いますので、お見送りをさせて頂くのも難しいと思います。本当に申し訳ないのですが……」


 ノリスの問に返ってきた言葉を聞いて、動揺を隠せない。

そんな……今回はこのままもう会えないのか!? せめて俺だけでも!

声に出せない心の叫びは誰にも気づかれることなく──アクトゥール殿の話は続く。


「それでその……こちらも申し訳ないのですが、両親はブランチの席に着くことができません。母は今しがた眠ったばかりでして、父もこのあと皆さんにお話をさせて頂くまでの間、少し休ませたいと考えています。ホストの立場で、ましてや殿下方に対して無礼にもほどがあるのは重々──」

「いいえ、もともと今の時期は『できれば外してほしい』と上書が届いていたのに、都合を押しつけたのは我々の方です。こちらこそ、申し訳ありませんでした」

「とんでもございません。ありがとうございます」


 ノリスの言葉で、そういえばそうだったと思い出す。

理由は確か──稲刈りの時期で忙しいから、十分なおもてなしができない──だったか。

米についてはその稲刈りも含めての視察なのだが、本当の理由はサーフィニア嬢の体調にあったんだと今なら分かるけど……。

季節の変わり目には体調を崩す者も少なくないと知っていたのに、病弱だと言われていたサーフィニア嬢とそれを結びつけて考える事ができなかった。

そのことが、ただただ悔やまれる。


 当然ながらこんな状況で会話など弾むはずもなく……静かに淡々と、ブランチの時間は過ぎていった。



 ◇◇◇



 部屋に戻って一息ついた頃、約束どおりに男爵は来てくれたが……またも申し訳ないと何度も頭を下げようとする男爵を宥め、ソファに座ってもらう。

対面に腰を下ろしながら様子を窺うと、顔色はあまり良くないが、不思議なことに疲れは取れているように見えた。



 そのサンデールは、ノリスが淹れてくれたお茶を飲みながら──王子殿下を相手に本当にこんな内輪話をしてもいいのだろうか? と今更ながら考えている。

アズナイルがあまりにも心配していたことと、巻き込まないようにと離れに案内したのに、結局巻き込んでしまったことを申し訳なく思って自分から言いだしたことだったが……。


 本当に今更だな。腹を決めたサンデールは静かに語り始めた。


「ニアが──娘があの様な熱を出すようになったのは、三歳の誕生日を迎えた頃からです。最初は軽いものでした。高熱が出ても翌日には何事もなかったように元気になっていたのですが、年齢が上がるにつれてどんどん酷くなっていったのです。そのうち嘔吐まで繰り返すようになり、今回は特に酷くて……」


 三歳の頃からって……もう七年も!? 衝撃の事実に、一瞬頭がグラッと揺れた。

サーフィニア嬢のこととなると、言葉がなかなか出なくなる俺に代わってノリスが尋ねる。


「なんという病気なのですか? 原因は分かっているのですか?」

「いいえ、原因も、何の病気なのかも分からないのです。これまでたくさんの医者や魔術師に診てもらいましたが、誰一人……答えをくださった方はいません。嘔吐を繰り返している間は薬も飲めませんので、我々にはセバスだけが頼りなのです」


 話はまだ始まったばかりだというのに、既にショックが大き過ぎて……。

セバスチャン、あいつは人間なのか? と今はどうでもいいことが頭をよぎる。

しかしすぐに、王子という立場を使うのはこういう時だと思い出す。


「医者や魔術師を呼ぶのではなく、元気なときに王都に来て診てもらった方がよいのではないですか? 王都には優秀な医者も魔術師もたくさんいます。なんなら、王宮お抱えの──」

「娘は、この地を離れることができません」


 はっ? 何を言っている? まさかとは思うが……親の都合じゃあるまいな?

それとも、サーフィニア嬢がこの地を離れると何かまずいことでもあるのか?

話を遮られたことよりも、意味の分からない言葉に疑問しか湧いてこない。


「それはどういう意味でしょう? サーフィニア嬢がここを離れられない特別な理由でもあるのですか?」

「申し訳ありません。言い方を間違えました。離れることができないのではなく、出ることができないのです」

「「「「…………」」」」


 よかった……意味が分からないのは俺だけではないらしい。いや、よくはないが。


「あの、仰る意味が……離れるも、出るも同じような意味ではないですか」

「そうですね、なんと言えばいいのか……私たちや本人がどんなに望んでも《迷いの森より先には一歩も進めない》のです。アクトゥールもそうでした」


 離れる、出る、進む……本気で、違いがよく分からない。でも、男爵がおかしなことを言っていることだけは分かる。


「おかしいですね? 男爵夫妻は領地外に出ることもあると聞いています。それに……アクトゥール殿は、王都の王立学院に通っているではありませんか!」


 男爵が何かを誤魔化そうとしているのではないかと疑って、最後には思わず大きな声が出てしまった。

しかし、そんな俺の態度にも動じず、男爵は静かな声で話を続ける。


「息子の三歳の誕生日に、隣のドイル領にプレゼントを買いに行くことになりました。御存知のとおり、ドイル子爵が営む商会では珍しい物を手に入れることができるでしょう? それで、せっかくだから自分で選ばせようと、家族三人で馬車に乗って出かけたのですが……ドイル領を目の前にして、馬が脚を止めてしまったのです。馭者が何度も進むように促しましたが、まるでそこには見えない壁でもあるかのように、足踏みをするばかりで……。仕方なく馬車をおり、ドイル領で辻馬車を拾うことにして、私が息子を抱いて……」


 その時のことを思い出したのか、きつく目を閉じ言葉に詰まる男爵に代わり──恐らくこう続くのであろう言葉を──ノリスが引き継ぐ。


「アクトゥール殿を抱いた男爵は、領界を超えることができなかったのですね? 夫人は?」

「妻はドイル領に入れましたので、息子を託そうとしたのですが……。訳が分かりませんでした。いろいろ試しても、どうやっても息子だけが超えられず……」


 今でも心の傷になっているのだろう。現在進行系でサーフィニア嬢が同じ目にあっているのだから。誤魔化そうとしている、なんて疑ったことを申し訳なく思った。


「理由は分かりませんが、事情は分かりました。しかし今すぐには無理でも、あと二年してサーフィニア嬢も王立学園に通える歳になったら、一度王宮の──」


 またも話の途中で、今度は力なく首を振る男爵。


「私たちは娘に、プラント領から出ることは叶わないかもしれないと言い聞かせています」


 なっ、んで……そんな……。


「息子も娘も、私たちの愛する子供であることに変わりはありません。しかし、当たり前のことですが同じ人間ではないのです。息子に、ニアのような症状が出たことは一度もありません」

「同じ人間ではない。だから、サーフィニア嬢がここから出られる確証はどこにもないと?」

「はい。いつか出られるはずだと希望を持たせ、それが叶わないと分かった時、一番傷つくのはあの子ですから」


 その気持ちは分かる。俺だってサーフィニア嬢を傷つけたくない。

けど……それでも、


「それでもいつか──もしも王都に来ることができたなら、必ず王宮に連れて来てくださると、約束してください」


 可能性を諦めたくない!


「ありがとうございます」



 微かに震える声を出す男爵を励ますように、今まで黙っていたクルスが明るい声を出す。

 しかしそれが、更に俺を叩きのめすことになるとは思ってもいなかった。



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