18・眠れぬ夜 ②
コトリと音が聞こえた。と同時に、ぼんやりとした視界に色が付き始める。
ゆっくりとあたりを見回すと、見覚えのある部屋だということに気づいたが、いつ、どうやって戻って来たのかは覚えていない。
「俺は……」
「ここに戻ってから、まだ然程時間は経っていませんよ」
聞きたかった答えをノリスがくれる。
『然程時間は経っていない』──そう聞いて、ほんの少し安堵した。
あのまま倒れて、何日か経っていたりしたら。もしも、その間に……。
グッと拳を握りしめ、まだかなり熱いお茶を一気に流し込む。
誰も何も言わないけれど、心配しているのは分かっている。普段なら「大丈夫だ、心配するな」というところだが、今はとても言えない。
重苦しい空気に支配されていた部屋の沈黙は、扉を叩く音で破かれたが……。
嫌な考えばかりが頭をめぐり、たった今飲んだお茶が喉元まで戻ってくる。
「殿下、クラウド殿がみえました」
ハァァァァ。来訪者の名を聞いて、詰めていた息を深く吐き出した。
サーフィニア嬢になにかあったのなら、それを伝えに来るのはクラウド殿ではないだろうと思ったからだ。
了承の意を示すと、入室してきたクラウド殿はすぐさま「殿下、先程は失礼致しました」と深く腰をおる。
「いや、私の方こそ無理を言った」
「とんでもございません」
そう言ってなお、頭を下げたままのクラウド殿に《ない》と思ったことが、まさか違ったのだろうかと不安になる。
「……サーフィニア嬢の具合は?」
「申し訳ありません。それはまだ何とも……」
「そうですか……」
〈じゃあ、何だ! 用件を早く言え!〉と、心配のあまりキレそうになっているアズナイルの胸の内など知る由もなく、もう一度「申し訳ありません」と更に深く頭を下げた後、漸くクラウドは顔を上げた。
「旦那様より言伝を預かって参りました」
ハァァもう、心臓に悪い! と思いつつ、視線で続きを促す。
「状況が落ち着きましたら、説明に参りたいとの事にございます。しかし、あまりにも時間が遅くなるようでしたら明日、」
「構わない! どんなに遅くなっても構わない。だから……落ち着いたら必ず、必ず来てほしいと」
「……分かりました。そのようにお伝え致します」
「お願いします」
クラウド殿が退室したあと、ソファの背にドサリと体を預けた。
無駄に疲れた感は否めないが、今は、何故この様な状況に陥っているのかを聞かせてもらえると分かっただけでもホッとして。
何もできず何も分からないままでは、気がどうにかなりそうだったんだ。
「殿下、私たちが交代で起きていますから、今のうちに仮眠を取ってください。男爵が見えたら必ず起こしますので」
ノリスの言葉に首を横に振る。
「お前たちは、ゆっくり休んでくれ。俺は、とても眠れそうにない」
「おいおい、お前が起きているのに俺たちが眠れるわけないだろう?」
「そ、それなら! 二人ずつ交代にしたらどうかな? 最初はエルトナと僕で、一時間経ったら殿下とノリスに交代。そしたらみんな眠れるよ?」
ほんの少しだけ気が落ち着いたのか、自分中心のクルスの言いように、フッと笑いそうになる
「お前なぁ、普通逆だろ? 今ならまだ時間に余裕があるだろうけど、一時間もしたら男爵が来るかもしれないんだぞ? 寝たかと思ったら起きなきゃいけなくなるようなことを、こんな状態のアズナイルにさせる気か」
「で、でもぉ、殿下はまだ眠くないみたいだし……」
「時間がもったいないです。あなたたちが先に寝てください!」
ノリスに怒られて、エルトナは渋々、クルスは嬉々として寝室に消えて行った。
「お茶のおかわりは?」
「いや、いい」
そう言ってから廊下に出ると、ノリスもついてきた。
廊下の窓からは本邸が半分ほど見える。
サーフィニア嬢の部屋は見えないが、一階と二階には灯りがついたままで、侍女や使用人がパタパタと動き回っているのが目視できた。
「こうなることが予測できていたから、我々は離れに通されたのですね」
「……これは、初めてのことじゃないと?」
「殿下も気づいていたでしょう? 初めてにしては段取りがよすぎます」
「…………」
気づいてはいたが、認めたくなかった。こんな事が何度もサーフィニア嬢の身に起こっているなんて。
十歳にしては小さすぎる体も……これが原因だと──
ガラガラガッシャーン!!
階下で、何かをひっくり返したようなけたたましい音があがった。
ノリスとアイコンタクトを取り急いで階段を駆け降りると、ダイニングの前には立ち竦む一人の侍女。その足元には両手を床について座り込んでいるもう一人の侍女と、ぶちまけられた氷が転がっている。
遅い時間だ。それでも何事かと数人の騎士が部屋から顔を出し、なかには出て来ようとしていた者もいたが、大丈夫だと手を上げて制した。
「怪我はないか!」
二人の侍女は駆け寄る俺たちを認めると、青くなっていた顔をますます青くして震えだす。
「でっ、殿下っ! もっ、申し訳ありません!」
「謝る必要はない。この状況は?」
座り込んでいる侍女の横に膝を付き、落ち着かせる為に意識してゆっくりと話しかけたが……。
「あっ、あの……熱が、こ氷が不足して、あの、お、お手伝いの人が来られなくなって、セバス様だけでは足りなくて。いつもは足りるので、お手伝いの人も念の為なんです。けど! でも今日は来られなくて、下がらなくて。今日に限って、氷が──こ、氷っ!? あああ、どうしましょう! 私が……あぁ、お嬢様!!」
すっかりパニックを起こしてしまった侍女の話は要領を得ない。
けれど、いちばん大事なことは最初に話してくれていた。
氷だ! なぜ今まで気づかなかった!? あの時気づいていれば!──いや、まだ間に合う!
「サーフィニア嬢の熱を下げるのに、氷が足りないんだな?」
蹲ってしまった侍女ではなく、立ったまま固まっている侍女に確認すると、青い顔をぎこちなく上下に振る。
それに一つ頷き返すと、今度は状況を把握して気が急き始めた自分を落ち着かせる為に、ゆっくりと口を開く。
「俺は氷を作れる。だが、本邸に行ってまた場を乱すようなことはしたくない。だから、これから本邸に戻って、二階の階段前にある窓を開けておいてくれないか」
「わっ、分かりました!」
それから侍女は一度大きく深呼吸をすると、スッと背筋を伸ばして──
「申し訳ありませんでした。他に準備しておくことはございますか」
と、落ち着きを取り戻した声で聞いてきた。
「氷を入れるものがあれば貸してほしい」
「承知いたしました。こちらへ」
もう一人の侍女はノリスに任せ、ダイニングに入る。
適当なボウルや鍋を一通り揃えると、侍女は「お願いいたします」と深く頭を下げてから、ノリスのお陰でなんとか立ち直った仲間を支えて本邸に戻って行った。
ダイニング前の廊下に並べた容器に、生成した氷を片っ端から入れていく。
「殿下、窓が開きました。……私はエルトナを呼んできます」
「いや、寝かせておけ」
「しかし……」
「やれるところまでは俺がやる。大丈夫だ」
「……分かりました。ですが、私は取り敢えず一旦部屋に戻ります」
「ああ、お前も今のうちに休んでおけ」
ノリスは、一心不乱に氷を生成し続けるアズナイルを残して階段をあがり、あがりきったところで深いため息をつく。
(あなたがサーフィニア嬢を心配するように、私達もあなたが心配なんですよ?)
部屋の前でもう一度、重い息を吐き出してからそっと扉を開けると、エルトナが立っていた。
「また何かあったのか? アズナイルは?」
「……寝ていなかったのですか」
「あいつを寝かせつけただけだ。ああ見えて、精神的にかなりやられてるからな。だが、眠れば忘れるだろう? あいつの特技だ」
「優しいんですね」意外と。
「弱ってる奴をいじめる趣味はないからな。それで?」
……いじめている自覚はあるのですね?
「下で、サーフィニア嬢の熱を下げるのに必要な氷を作っています」
「ばっ! おっ前、そういう事は早く言え!」
慌てて出て行く背中を見送り、ソファにドサリと腰を落とした。
◇◇◇
氷で一杯になった鍋やボウルを風で本邸の二階まで飛ばし、空になった容器を引き取る。
二巡目の氷を生成しようと手を翳しただけで──
ガコガコガコン!
と、氷の山ができた……。続いて後ろから声がかかる。
「氷は俺が作る。お前は飛ばし担当だ」
「エルトナ……大丈夫だ。まだやれ、」「大事な誰かを助けたいならな、自分のことも大事にしろ」
「………」
俺の返事を待たずに、ガコンガコンと氷を生成していくエルトナの後ろで、言われた言葉を反芻する。
『自分のことも大事に』──そうだな。ここで無理をして倒れたら、プラント家の者たちにも迷惑をかけることになる。
口は悪いが頼れる背中に「すまん。助かる」と声を掛けると「ボサッとしてないで、さっさと飛ばせ!」と活を入れられた。
エルトナが作り、俺が飛ばす。どれくらいそうしていただろうか……。
本邸に続く扉がガチャリと音を立てて開くと、男爵とセバスチャンが現れた。
「殿下、マンダレー殿、ありがとうございます。たくさんの氷のお陰で、ニアの熱も下がり始めました。なんとお礼を申せばよいのか……本当にありがとうございます」
男爵が深く深く頭を下げた。
……熱が、下がり始めた?……あぁ、良かった!
安堵のあまり、言葉が出ない俺に代わってエルトナが応える。
「少しでもお役に立てたのならよかったです。それでは、今から話を聞かせてもらえるのですか」
「はい。そう思っていたのですが、もうこんな時間ですし……今日はもうお疲れでしょうから、明日に致しましょうか」
明日まで待てない、今すぐ聞きたい!
けれど……男爵も憔悴しきっていて、ディナーから数時間しか経っていないのに、随分と歳をとったように見える。
これ以上、自分のわがままで無理をさせてはいけない……と思った。
「……わかりました。では明日、話を聞かせてください」
「はい、必ず。それでは申し訳ありませんが、これにて失礼させて頂きます。ゆっくりお休みください。本当にありがとうございました」
再び深く頭を下げてから男爵は背を向けて歩き始めたが、セバスチャンはジッとこっちを見たままだ。
……何か、まだ言いたいことがあるのだろうか?
こちらから聞いてみるべきか迷っていると、彼がついてきていないことに気づいた男爵が振り返る。
「セバス?」
「申し訳ありません、旦那様。私は殿下が氷魔法を使えるとは知りませんでした。その情報を知っていれば、もっと早くに……」
「セバスのせいではない……私も風魔法のことしか知らなかった」
あぁ、そのことか。
まだ貴族年鑑には記載されていないのだから、知らなくて当然だ。
「おっしゃるとおり、私はこれまで風魔法しか使えませんでした。しかし、半年程前から急に氷魔法も使えるようになったのです。と言っても、使いこなせるようになったのは最近なので、あの時はとっさに思いつきませんでした。申し訳ありません」
そう……風しか使えなかった俺が、半年前から急に使えるようになったのだ。
訓練で、氷の矢をヒュンヒュンと飛ばすエルトナが格好良くて──俺にもできたらいいのに、と思った。
格好だけ真似して、ため息をついて終わるはずが……。
手の先からいきなりヒュンと飛んだそれは、数メートル先の地面に落ちて砕け散ったのだ。エルトナをはじめ、周りにいた者達は驚いた顔をしていたが、一番驚いたのは勿論俺。
その時のことを思い返していると、
「半年前から……急に?」
難しい顔になったセバスチャンが、顎に手を当てて何かを考えている。
なにが気になっているのだろう?……あっ、そういえば……半年前と言ったら、
「先程は知らなかったこととはいえ、無礼が過ぎました。お許しください」
いきなり頭を下げるセバスチャンに、思考が中断する。
「いえ、こちらも思慮が足りませんでした」
俺の言葉にもう一度頭を下げると、今度こそセバスチャンは踵を返し、男爵と一緒に本邸へと戻って行った。
「アズナイル、俺たちも戻ろうぜ」
「そうだな。遅くまで付き合わせてすまない」
そう言うと、エルトナは肩をすくめて「お前じゃなくて、サーフィニア嬢のためだよ」と小さく笑った。




