15・訓練と農作業
翌早朝、俺も訓練に参加することにした。
あいつ──セバスチャンの腕が気になる。
といえば聞こえはいいが、いわゆるストレス発散というやつだ。
聞いたところ、ただの護衛騎士ではなく、サーフィニア嬢の専属護衛騎士兼従者ということだった。
従者なら影のように付き従っているのも理解はできるが、納得するのは難しい。
昨日初めて会ったばかりで、彼女自身のことなど殆ど何も知らないというのに──いや、知らないからこそ知りたいと思うのか……。
とにかくこんな感情は初めてで、自分でも戸惑っている。
それでも、ただ一つはっきりしているのは、誰よりも彼女の一番近くにいたいと強く思っていること。そして、そうはできない現実がストレスになっている。
ストレスもあいつだけが原因じゃない。
米をいたく気に入った騎士の数人が『病気や怪我で騎士を続けられなくなったりしたら、ここに移住したい』と話しているのを聞いた。
そうできたらどんなにいいだろう。王族じゃなかったら、せめて普通の貴族だったら……。考えてもどうにもならないことが頭から離れない。
ハァ……。だめだ。貴重な訓練に参加させてもらえるというのに、他のことに気を取られていたら怪我をしてしまう。
深呼吸をして気持ちを切り替えると、パンッと頬を叩いて気合を入れてから部屋を出た。
訓練場に着くと、セバスチャンを筆頭にプラント家の護衛騎士五十名ほどがずらりと整列して待っていた。
護衛騎士の数が思っていたよりも随分と多いことに驚く。
あとから聞いた話によると、プラント邸に常時詰めているのは十名ほどで、残りの者はプラント男爵が直接管理している田んぼや畑で働いているらしい。
それを聞いたクルスは「う〜ん……」と唸っている。
「こう言っちゃなんだけどさぁ、プラントの護衛騎士さんたちが王宮騎士相手に訓練するのは、ちょっときついんじゃないかな。半数以上の人はほぼ農民でしょう? でも、だからといって、十七対五十で集団模擬戦っていうのは逆にこっちが厳しくなりそうだけど……」
クルスはそう言うが、エルトナと俺の読みは違う。
ほぼ農民とはいえ、服の上からでも鍛え抜かれているのがよく分かる。農作業をやっているだけでは、ここまでバランスよく筋肉をつけることはできないはずだ。それに農作業は力仕事が多いから、侮っていては痛い目をみることになるだろう。
再度、気合を入れ直して挑んだ結果は──惨敗。
相手は大人だからって? いや違う。手加減をされても一本も取れなかった。
騎士見習いの中ではトップの腕前を持つエルトナでさえ、だ。
でもまあ、俺たちはまだ──都合がいいときだけ──子供だからこの結果は仕方がない。きっと、ザード達が敵を取ってくれるはず。そう思っていたのだが……。
プラントの護衛騎士たちはツワモノ揃いで、皆なかなか一本を取ることができない。
中でもセバスチャンは、軍神さえも腰を抜かすんじゃないかと思うほどの圧倒的な強さを誇り、一本を取れた者は誰一人としていなかった。一人もだぞ?
ザードは第三騎士団の団長だというのに、それでも敵わないなんて。
もしかして……。いやまさか。しかし……。いやいや、それはないない。
脳内に浮かぶ嫌な考えを必死で打ち消していたのに、当の息子によってそれはあっさりと肯定されてしまった。
「うちのおやじでも厳しいかもな」
やめてくれ。王宮騎士団団長よりも強い者が地方にいるなんて、おかしいだろ!?
その王宮騎士団員としてのプライドはズタズタ。さぞかし落ち込んでいるだろうと思っていたら──ザードは目をキラキラと輝かせて、熱心にセバスチャンを勧誘していた。王宮騎士団に入らないかと。
あっさり断られると「ここに滞在している間は勿論、まとまった休みが取れた時には必ず武者修行に来ますので、よろしくお願いします!」とグイグイ迫り、迷惑そうな顔をしたセバスチャンに模擬剣で押し返されていた。
それにしても、みな鍛え抜かれた体をしているな、とは思っていたが、あまりにも強すぎたので更によくよく聞いてみると《常時詰めている十名》は固定ではなくローテーションで、誰と組んでも連携できるように常にランダムに入れ替わっているとのこと。
つまりは、五十名全員が《完璧な護衛騎士》というわけで……。
なんとなく、詐欺にあったような気がするのは俺だけか?
そう思いながらエルトナをチラッと見たら、肩をすくめただけで何も言わなかった。
兎にも角にも、俺たちは男爵一家と朝食をとるために訓練場をあとにすることにしたが、背を向けた途端「さて。まさかとは思いますが、取り落とした者はいないでしょうね?」と、セバスチャンが護衛騎士たちに問う声が聞こえてきた。
訓練時には常に大声で団員たちに活を入れまくっているザードとは大違いの、落ち着いた丁寧な物言いなのに、何故か背筋がゾクゾクして振り返ることができない。
それでも怖いもの見たさで、少し歩いてからこっそり振り返ると、真っ青な顔をしてブルブルと震える手を挙げる数名の騎士と──氷片が舞い散る中、彼らをとても、とてもいい笑顔で見据えているセバスチャンが目に入った。
……なるほど、こういうことだったのか。普通の訓練にしては鬼気迫る勢いが半端ないと思っていたが、こんな恐ろしげなブリザードが待っていると知っていたら、誰でも必死になるだろう。
エルトナ、続きが気になるなら一人でな。
俺は風邪を引きたくないからもう行くぞ。
◇◇◇
結局、ストレス発散になるどころか、危うく風邪を引くところだった。
部屋に戻ると、暖かいシャワーで軽く汗を流してからダイニングに向かう。
サーフィニア嬢に会えると思うと自然と足取りも軽くなり、ストレスなどあっという間にどこかへ飛んでいってしまったが、そこに彼女の姿はなかった。
「殿下。おはようございます。よく眠れましたか」
プラント男爵からそう聞かれたけれど、色々気になってなかなか寝付けなかったし眠りも浅かったが、そんなことを正直に言うわけにもいかず「はい、ありがとうございます」とだけ返した。それよりも──。
「サーフィニア嬢の具合はどうですか?」聞きたいことを聞く。
「はい、体調はよいのですが声がまだ少し掠れておりすので、大事を取って部屋で休ませております。ご挨拶もできずに申し訳ありません」
挨拶なんてどうでもいいけれど、頭を下げる男爵を見ていたら、心配な気持ちとモヤッとした気持ちが沸き起こってきた。
喉の調子がよくないのは心配だが、それくらいで休ませておくなんて、いくらなんでも大袈裟というか──やはり、過保護すぎるのではないか?
と思っても、これも言うわけにはいかない。
「そうですか……。心配なので、少しだけでも顔を見せてもらうわけにはいきませんか」
「申し訳ありませんが、殿下にお会いすればお嬢様は話をしたくなるでしょう。今無理をすれば治りが遅くなります。完治するまで、ご遠慮いただきたく存じます」
目の前の男爵ではなく、後ろから断りの声が聞こえてきた。
セバスチャン……。どうしてここに?
訓練場で、居残り指導という名のしごきをしていたのではなかったのか?
男爵ならもう少し押せば何とかなったかも知れないが、こいつには勝てる気がしない。ハァ……。
「分かりました。早く元気になるといいですね」
「ありがとうございます。私達もそれを願っています」
それだけ言ってダイニングを出て行くセバスチャンの背中を見送る。
恐らく、断りを入れるためだけに来たのだろう。男爵だと押し流されるかも知れないと危惧して。
サーフィニア嬢がいないと分かると、一気に食欲もなくなった。
のは気持ちだけだったようで、体を動かしたあとの胃袋は気持ちを無視してなき叫んでいて、それを黙らせるためだけにかき込んだ朝食は何の味もしなかった。
◇◇◇
視察二日目の今日は、午前中に脱穀と籾すりの体験をさせてもらう事になっている。
作業小屋に案内されると、すでにノリスが来ていた。
「殿下、おはようございます」
「おはよう」
昨夜、訓練は遠慮すると言っていたが、ここにいたのか。
そういえば、朝食の席にもいなかったな。サーフィニア嬢のことに気を取られていて、どこにいるのかなんて考えもしなかったが。
平和過ぎるこの地で気が緩みっぱなしになっている自覚はあるけれど、それを言ったらネチネチと説教を食らいそうなので黙っておく。
言わなくてもバレているのは分かっているからなおさらだ。
さて、脱穀はどのように行うのかというと──歯がギザギザになっている大きな鉄の櫛のような物に、刈り取ったあと乾燥させた稲穂を引っ掛けて、手前に引き抜く──簡単に言えばこれだけ。
仕掛けも、黄金の粒が落ちる先に大きな布を敷いた木箱が置かれているだけの簡素なもの。
作業も仕掛けも単純で楽そうに思えるが、とにかく稲穂の量が膨大で……あれを視界に入れていたらやる気がガリガリ削られそうだ。
脱穀が終わったら次は籾すり──と思っていたら、その前に、黄金の粒と一緒に落ちた藁屑などを取り除く作業があるらしいのだが「これが意外と大変なので、クルスにやらせましょう」と、ノリスが耳元でこっそりと囁いた。
兼農騎士に手ほどきを受け、いよいよ初脱穀の段になると、
「それでは、殿下、エルトナ、クルス、頑張ってくださいね」と、あんなことを囁いておきながらノリスは作業小屋を出ていこうとしている。
「えっ? ノリス、お前は?」
二人も、はぁ!? お前ふざけるなよ! という顔でノリスを見ているが……。
「私は殿下たちが訓練を受けている間に十分体験させてもらいました。ですので、今から外の木陰で朝食用のおにぎりをいただくのですよ」
なにぃぃーーっ!? 俺たちの朝食に、おにぎりはなかったぞ!
文句を言うために口を開こうとしたら、
(何です? 私は朝食の席にいましたか? いませんよね? えっ? まさか気づいていなかったとか言いませんよね? 働いていたのに朝食抜きなんですか)
と、無言の笑顔でグイグイ攻めてくる。
(……そんなこと言ってないだろう! けどな、お前ズルくないか? 俺たちだって遊んでいた訳じゃないのに、一人だけおにぎりとかズルいぞ!)
こちらも無言で、静かな攻防を繰り広げていると、
「そうなんですよぉ。朝早くからノリス様が手伝いに来てくだすって、わしらは大助かりだったんですよぉ」
「手際も良くてのぉ。さすがは殿下の側近様じゃあ言うて。なぁ?」
まわりにいた者たちも「そうじゃそうじゃ、助かった」と嬉しそうに頷いているところを見ると、今日は近くに住む農民たちが手伝いに来てくれていると言ったところで、全員参加の合同訓練で抜けている護衛騎士たちの手には到底及ばないということなのだろう。
けれども! お前は一体なんの点数を稼いでいるんだよ……。
プラント家の使用人や農民たちを味方につけたノリスには勝てないと悟った俺は《さすがは第三王子》の仮面をかぶる。
「そうでしたか。ノリス、頑張ったな。朝食は大事だから、しっかり食べるんだぞ」《爽やかな殿下の笑顔》も、おまけに付けた。
「ありがとうございます。では、失礼します」
軽く頭を下げて外に出て行くノリスを、エルトナとクルスも笑顔で見送っているが、ジト目が不満を隠しきれていない。
……ハァ、仕方がない。役に立ったのはノリスだけだった、なんて噂が天使の耳に入ったら大変だ。訓練で結構疲れたけれど頑張るか。
それにしても……旨そうだなオイ! ここから丸見えじゃないか!
おにぎりを見せびらかしながら食べるノリスにカリカリしていたのが思わぬパワーになり、そんな俺とノリスを交互に見ていた騎士たちも──俺が爆発しないように──頑張ってくれたので、昼を半刻ほど過ぎたころには、あれほどあった稲穂の山はきれいになくなっていた。
◇◇◇
「あ〜あ、つまんない。お茶くらいなら殿下と一緒に飲めるのに……」
「そうですねぇ。でも、今はしっかり体調を整えて、お楽しみは明日以降に取っておいた方がよくないですか」
「んー、そうかも知れないけど、もったいないよ。殿下は、たった一週間しかいないんだよね?」
なんて、マリアベルに愚痴を言っても仕方がないのは分かっている。
私がひとつ咳をしただけで、お父様とお母様とセバスチャンが──ううん、邸のみんなが顔色を変えて、そうなる理由も十分すぎるほど分かっているけれど……。
「殿下はとても心配されていて、お嬢様に一目会わせてもらえないかと旦那様に頼まれたみたいですけど……セバスチャンが断ったそうです」
「ええっ! どうして!? 私も会い、ケホッ……たっ、か、ゲホッゴホッ」
「ほら、そのような姿をお見せしたら、ますます心配されるでしょう? ボサボサの髪と、咳き込んでお茶を吹き出すさまを、殿下に見てもらいたいのですか」
ヒドい……お茶を吹き出すのはたまになのに。
「いやだ……。これ以上、変なとこ見られたくない」
「これ以上?」
「昨日、樹から落ちたでしょう!」
「あっ、ああ、あれは──フッフフフッ」
「ああぁ! ヒドい! だってあれは……コホッ、ゴホッゴホッ」
マリアベルが背中を優しく叩いてくれる。
「はい、お喋りはもうおしまい。昨夜作っておいた、はちみつ大根を持ってきますから、大人しく横になっていてくださいね」
「ん。……ねぇ?」
「なんですか」
「男爵令嬢でも、殿下とお友達にはなれるよね? なってもいいよね?」
「当たり前です。さぁほら、早く横になってください」
不安気に瞳を揺らしながらも、今度こそ大人しくブランケットに潜り込んだサーフィニアの頭を一つ撫でると、マリアベルは部屋を出た。
お嬢様のあれはたぶん、もう仄かな恋心と言ってもいいでしょうね……。
本人は気づいていないようだけど、できればこのまま気づかずにいてほしい。
第三王子と男爵令嬢。身分の差だけでも高い壁なのに──。
第三王子の一行がこの地を去るまで何も起こらずに過ぎて欲しい。
マリアベルは心から願い祈った。




