112・エルシド、疲れ果てる
口から心臓が飛び出てきそうだわ!
どうしても段取りを思い出すことができなかったサーフィニアは──
《階段の下で待つ》ほうを選んだ。
だって、王子様は迎えに来てくれるものでしょう?
レオンならきっとそうしてくれるわ!
クラリス的思考で、神頼みならぬ王子頼みにかけたのである。
体を乗っ取られたときや、心身ともに退行していたときの分は──いずれも転移魔法によるものだったため──別として、正式に正面から王宮を訪れたのは、たったの一度だけ。というサーフィニアはまだ十三歳。
学園に入学するまで領地から出られなかった彼女は、こんなに大勢の人が集まっているところも見たことはない。そんな中、視線という視線を一身に浴びながら一人で歩く。それだけで、もういっぱいいっぱいだったのだ。
一方、階段の上では──
だんだんと近づいてくるサーフィニアを、ハラハラドキドキしながら──段取りどおりに──見守り待つアズナイル。
一見しっかりと歩いているように見えたけれども、かわいらしい笑顔は貼り付けられたものであることに気づくと、心配で心配で、足先がさらに前へとせり出す。
それでなくても、『階段の縁ギリギリに立ちすぎです!』とノリスから小声で注意されたばかりなのに。
誰だ!『王族なのだから、階段の上で堂々と待っていればよい』
などと言ったやつは!
それはもちろん、懲りない男こと国王レオナルド。だけである。
もう段取りなど無視して迎えに降りようか……と考えていたアズナイルと、真正面の真下まで来ていたサーフィニアの視線が絡む。
その瞬間、仮面の笑顔は弾け散り、花のように微笑んでから視線を落としたサーフィニアは、背筋はまっすぐに伸ばしたまま、深く、深く、身を沈めた。
薄紫色のドレスが、サーフィニアの細腰から下を包み込むように膨らみ広がるにつれ、裾に銀糸で刺繍された桜の花びらが波打つように舞い踊る。
所作も含め、すべてが完璧で美しい生きた芸術品に誰もが釘付けとなり、アズナイルにいたっては、とろけて階段から流れ落ちてくるほどの勢いで見惚れていた。
静寂に包まれる中、十分に時間を置いてからゆっくりと立ち上がろうとしたサーフィニアの──かわいらしい微笑みが引きつる。
履きなれない高いヒールにバランスを崩し、体がぐらりと傾いでしまったのだ。
思ったより時間を置きすぎてしまったのも原因のひとつかもしれない。
しまった! ここで失敗したら、レオンに迷惑をかけてしまうわ!
そう考え、どうにかこらえようとしたのが逆にまずかったようで、ドレスの中で足首を捻ってしまう。
あっ……おわった、かも……
頭の中も顔色も真っ白になったサーフィニアを救ったのは、セバスでもアズナイルでもなく、このときもっとも近くに控えていた忠臣エルシド。
普段は第一王子であるレグルスの護衛についているのだが、彼とアズナイルの命により、この日はサーフィニアの警護にあたっていたことは周知のとおり。
『御子様を無事にアズナイル殿下のもとへ送り届けるまでは、絶対に気を抜くな』
上司であるラングレンからもそう言われていたエルシドは、素早く駆け寄り、ゆっくりと倒れゆく放心状態の彼女を支えた──
「御子様、大丈夫ですか」
「あっ、は、はい。ご迷惑を──えっ!?」
──はず、だった。
「よくやった。あとは俺がやる。下がれ」
二人が我に返ったときには、サーフィニアはアズナイルに横抱きにされ、特別任務を忠実にまっとうしようとしていたエルシドは、お褒めの言葉とは裏腹の、突き刺すような視線を浴びていた。
えっ、『俺』? というか、いつの間にサーフィニア嬢を?
アズナイル殿下は階段の上にいたはず──いやそんなことよりも、ものすごい目で睨まれている気がするのは……
そう考えていたときにはもうアズナイルは階段を半分ほど上がっていて、サーフィニアを支えたときのままの格好で固まっていたエルシドは、駆け下りてくる途中で指示を受けたらしいエルトナにより──その場から連れ去られた。
◇◇◇
「おい、どこへ連れて行く気だ。俺はまだ特別任務の途中なんだぞ」
「その任務をいいつけた本人から、新たな指示が出たんだよ」
「新たな指示? ここ──騎士団宿舎内で何をしろと?」
式典にはなんの関係もないこの場所で。
「風呂入って着替えろってさ」
「御子様が転ぶ前に助けたから別に汚れてないぞ」
「汚れじゃなくて、助けたから、だな」
「……意味がわからん」
「だから、サーフィニア嬢のぬくもりをとっとと水で洗い流して消し去り、香りのついた服をほかの男が着てることなど許せないから、さっさと着替えろ! って言ってるのさ、あいつは」
はっ? ぬくもりと香り……って……つく暇なんてあったか!?
「というか、お前の話は本当だったということだな。聞いたときには、まさかあのアズナイル殿下に限って──と思っていたが」
「だろ? まあ、ことが衆人環視のなかで起こってよかったよ」
「……冗談だろ? いくらなんでも──」
「きゃあぁぁ♡ エルシド様ぁ〜♡」
「なっ!? ここは女人禁制──って、お前か!」
ビッダーーン!!
「ぎゃあ! イタタタタ……いきなり投げ飛ばすなんて酷いよぉ、シドにぃ〜」
「いきなり抱きついてくるお前が悪い」
「しょうがないじゃないですか! 僕だって男になんか抱きつきたくないけど、それが任務だと言われたんだから!」
「任務……今度はなんだ?」
「サーフィニアちゃんの感触を──」
「もういい。風呂入って着替えればいいんだな? お前はそこで監視しておくのか」
「まさか、俺は戻るよ。クルスをよろしく〜」
「エヘッ♪ シドにぃ、よろし──」
ガラガラ ピシャン!
ザッパーン ザッパーン
長男に生まれてよかったなどと思ったことはないが、三男に生まれなくて本当によかった。あんな…………髪も洗っとくか。二度手間になったらかなわんからな。
ワッシャ ワッシャ
「シドにぃ、酷いよぉ。僕をおいていくなんて〜」
……ワッシャワッシャワッシャワッシャ ワッシャッシャ!
「僕だって急いでるんですよ? 早く戻ってベルビアンナちゃんのドレス姿を見たいから。クラリスちゃんたちと同じドレスなんだって♪ かっわいいだろうな〜」
ザバザバ バッシャン ザバザバ バッシャン!
「でもね、さっき怒らせちゃって……だけど、どうしてあんなに怒ったのかわからないんですよぉ。どうしてだと思います?」
ゴッシゴッシゴッシゴッシ ゴッシッシッ!
「むむむむ胸がどうとか言ってたけど──」
ザバン ザバン ザザザザザッパーーン!
「じゃ、お先」
「えっ!? ままま待って──ウギャッ! あわわわわが、目に、目にぃ〜〜!」
ハァ……これから特別式典だというのに、すでに精神的疲労が半端な──
「……お前は、戻ったんじゃなかったのか」
「戻ったさ。で、兄貴を連れてこいってよ」
「勘弁してくれ……体はもちろん頭まで抜かりなく洗ったし、隊服も新しいのに着替えたぞ。見ればわかるだろ?」
「俺はね。でもあいつの確認はまだだ」
「…………俺は今、心底三男に生まれなくてよかったと思ってるぞ。で『あいつ』じゃなくて、アズナイル殿下、な。いい加減、口の利き方には気をつけろ」
「へいへい。あれっ、クルスは?」
「しらん!」
本当にゴリゴリと精神を削られていたエルシドは、入念に確認をしようとするアズナイルから早く逃れるため、
「アズナイル殿下の御子様を想うお気持ちには、イタク感動いたしました」
などと、生まれて初めてかもしれない愛想を言ったら……
とたんにご機嫌になったアズナイルから、お惚気砲連発サービス付きで髪を乾かされ、余計に疲れる羽目となったのだった。
◇◇◇
捻挫の手当てはしっかりと施されたものの『歩くのは危険だからやめてほしい!』
と、アズナイルとヴィクトリアから泣きつかれたサーフィニアは、提案を受け入れるしかなかった。
受け入れたが最後、恥ずかしい格好で人前に出なければならなくなる。
そうわかりきっていたとしても。
悪いことをしたわけではないのだが、アズナイルに恥をかかせないようにと頑張った結果、足を痛めてしまったのは事実。
ここで押し問答を繰り広げ、これ以上式典を遅らせてはいけない。
と思ったからだ。
もうひと目だけでも御子様のお姿を! と王宮前の広場で待ち構えていた国民たちは、第三王子に抱きかかえられてバルコニーから姿を現したサーフィニアに驚く。
王宮の階段下で起こったことなど知る由もない大半の国民にとっては、まさに青天の霹靂。
わけがわからずぽか〜んとしていたが、響き渡った彼らの声で目を覚まし、その意味を知る。
「アズナイル殿下、バンザーイ! サーフィニア様、バンザーイ!」
「アズナイル殿下、おめでとうございます! 御子様、おめでとうございます!」
まさかそのような声が上がるなど、思ってもみなかったアズナイルは驚くが、これをチャンスだととらえ、手を振れないかわりに満面の笑みで何度も頷きを返した。
こちらもまさか、頷きが返ってくるとは思ってもいなかったスゴォークやチェルシーも驚いていたが……次の瞬間──
静まり返っていた広場が、ドォオオ! っと揺れて飛び上がる。
広場を揺らしたのは、国中に響き渡るような祝福の大歓声と、割れんばかりの拍手喝采。
ルシファード王国第三王子アズナイル・レオンリット・ルシファードは、光の御子様ことサーフィニア・プラント男爵令嬢を──心から愛する、唯一無二の婚約者として選んだに違いないと。
大多数の国民からそう認識された瞬間だった。
もちろん、王侯貴族間の婚約・婚姻は、恋愛ではなく政略によるものがほとんどだということは知っている。
それでも、この二人の間には確かに愛が存在するのだと。
アズナイルのうれしくてたまらないといった輝く笑顔と、恥ずかしそうに頬を染め微笑んでいるサーフィニアの姿は、それが真実であることを物語っていた。




