11・ファーストコンタクト
走る勢いに、なびく男の髪を見て思う。
白金の髪……。天使と同じ色だ。上から落ちてくる瞬間、確かに天使の髪はあの色だった。
俺が見間違うはずがない。そう思って、もう一度視線を戻しても、腕の中で固まっている小さな天使の髪は《黒》なのだが──そんなことよりも、こちらを瞬きもせずに見つめている、吸い込まれそうなほどに大きく透き通ったアメジストの瞳から目が離せなくなった。
ものすごく可愛らしいのに、アメジストの瞳はもちろん、パステルピンクの小さな唇も、陶器のように白い肌も艷やかな黒髪も、全てが芸術的な美しさで、大人になれば──
「お嬢様!」
いつの間にかすぐ側まで来ていた男に再度呼びかけられ、芸術鑑賞の時間は終わりを告げる。
落ちたショックで固まっていた天使も、近くで聞こえた声に漸くその細い首を動かして、小さな声で男の名を呼んだ。
「……セバスチャン」
ハァァ、と大きな息を吐いた男が「失礼します」と言って、俺の腕から天使を奪い取ろうとしたので無意識に力を込めてしまったが、大人の男には敵わなかった。
「大変失礼致しました。こんな格好で申し訳ありません。私はプラント男爵家の護衛騎士、セバスと申します。アズナイル・ルシファード第三王子殿下ご一行様ですね? お待ちしておりました」
男が天使を抱きかかえたまま頭を下げる。
天使を返してほしいが……その前に、とりあえず挨拶をかえす。
「はい、アズナイル・ルシファードです。予定より少し早く着いてしまいましたが、今日から五日ほどよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。それから、お嬢様を助けてくださり、ありがとうございます。殿下にお怪我はございませんでしたか?」
「大丈夫です」
それよりも天使を返してほしいと言いかけたところに、また別の声が割って入る。
「セェーバァァース!!」
今度は《今》の天使と同じ色を持つ、父上くらいの年齢の男だ。
「旦那様、アズナイル・ルシファード王子殿下がお見えになられました」
「な、なに!? も──ウォッホン。これは、大変お見苦しいところをお見せいたしました。サンデール・プラントです。遠いところをようこそおいでくださいました」
「……いえ、楽しみにしていました」
気のせいかな?〈もう来たのか!?〉って、心の声が聞こえたのは。
それと、初めての視察なので細かいことはよくわからないが、王子を出迎える場面として、これはいかがなものだろう?
主が来てもなお、当たり前のように天使を横抱きにかかえたまま澄ました顔で立っている護衛騎士に、俺の後ろからは微妙な空気が流れてくる。
「あっ、あの、殿下。少し、失礼いたします」
それに気づいたサンデールは、アズナイルに断りを入れてから小声でセバスをたしなめる。
(殿下の御前で、なぜこの子を抱えたままでいるのだ? そろそろ降ろしなさい。不敬だと怒られるぞ!)
いや、《俺は》怒ったりはしませんけど……って、丸聞こえですよ?
「怒られても構いません。お嬢様は殿下方を《真っ先にお出迎え》しようと走り出たさいに転んでしまったのですよ? 殿下は親切に助け起こしてくださったのですが、その時にお嬢様は足を捻ってしまったようでして。顔も泥だらけになっているところを見ますと、他にも怪我をしているかもしれません。それなのに、旦那様は降ろせとおっしゃるのですか? この国の第三王子は怪我をしているかも知れない令嬢を、一人で立たせろ! と言うような非情な方なのでしょうか」
……こいつ、主に対して堂々と流れるように嘘をついたばかりでなく、俺まで巻き込んだな!?
呆気にとられて、どこから突っ込んでいいのか分からないアズナイルだったが、天使に非情な男だと思われたくない。構わない、と口を開きかけたところで、それまで気配を消していた天使が小さな悲鳴を上げた。
「嘘!? 顔に泥がついてるの!?」
えっ? そこ?
再び顔色の悪くなった天使は慌てて顔中を擦り回し、手に移った泥? をじーっと見つめていたが──それを、ペロッと舐めた。
ええぇっ!? なっ、舐め……。アズナイルは驚いたが──
「そっ、そうそう! これは泥なの! ね、猫ちゃんを助けようと思って木に登って──わ、私じゃなくて猫ちゃんがね? それで、えーっと、猫ちゃんが木の上で転んで落ちて……んーと、えっと、つまり! 転んだところに王子様が来て、猫ちゃんと私を助けてくれたの! だから、」
王子の前で、《泥》と言っているものを舐めた娘に驚愕していたサンデールも、立ったまま気を失いそうになっていた。しかし、真っ赤な顔をした娘が、支離滅裂な話をなおも続けようとしていることに気づいて、慌てて止めに入る。
「こ、これっ! 分かったから、落ち着きなさい! あ、あの、娘が大変なご迷惑をおかけ致しましたようで、申し訳ございません! なんとお詫びを申し上げればよいのやら……誠に申し訳ございません!」
地面に付きそうなくらいに頭を下げられても、アズナイル側はさきほどから事実と違い過ぎる話に誰もが困惑していたし、そもそも、それは本当に泥ですか? と突っ込みも入れたかったのだが……男爵が気の毒すぎて何も言えない。
そろそろ話を変えないと、男爵は勿論、天使が可哀想だと思ったアズナイルは、真っ赤な顔のまま涙目になっている天使をチラリと見て──かわい──「んんっ」
声には出していなかったと思うけど、念のため誤魔化しながらサンデールに向き直る。
「ところで、プラント男爵殿。予定よりも早く着いてしまったので、昼食がまだなのですが、何か軽い物でも用意してもらうことは可能でしょうか」
「勿論でございます! すぐに用意させますので、まずは旅の疲れを癒して下さい。この者が離れにご案内いたします」
「離れ?」ノリスが、眉間に皺を寄せて訝しげな声を出したが《この者》は、それを意にも介さず慇懃無礼に腰を折った。
「ようこそいらっしゃいました。執事のスヴァイルと申します。大変恐縮なのですが、本邸の方は只今改装工事をしておりますので、離れの方にお部屋をご用意させていただきました。離れといいましても、迎賓用のダイニングをはさんで本邸とは続きになっておりますし、こちらは五年前に新築したばかりで設備も最新式となっておりますゆえ、本邸よりも快適にお過ごし頂けると存じ上げます」
丁寧な説明を受けても、まだ何か言いたげなノリスを目で制す。
「分かりました。では、案内を頼みます」
「かしこまりました」
男爵たちと別れて離れに向かう途中、もう一度、天使を見ておこうと振り返ったが、すでにあのセバスとかいう男が大事そうに抱えたまま、邸の中に消えていくところだった。
◇◇◇
案内された離れは確かに快適で、なかなかのものだったが──
「男爵は私達を子供だと思って侮っているのでしょうか? 王族の滞在先が離れだなんて、信じられません!」
普段は冷静なノリスだけど、離れに案内されたのがよほど不服らしい。
「工事中だから仕方ないだろう? 新しくていいじゃないか。俺は気に入ったぜ」
「新しければいいという問題ではありません!」
「もぉ〜、部屋なんてどこでもいいじゃない。それよりさぁ〜、プククククッ、あっあれ、どう見てもチョコレートだったよね?」
「あれな! 俺はもう少しで吹き出すところだったぞ」
そう、天使の顔についていたのは、誰がどう見ても泥ではなかった。
自分でも分かっていたから──舐めた、のだろう。
「ところでさぁ、木の上であの子と一緒にチョコレートを食べていた猫ちゃんはどこに行ったんだろうね?」
「お前なぁ、猫なんて最初からいなかったんだよ。あの子の作り話さ。チョコを食べてたのは間違いないけどな」
「フフッ、それにしても、木の上って……。お転婆にもほどがあるでしょう」
あの顔を思い出しておかしくなったのか、ノリスの機嫌もなおってきたようだ。
やはりクルスは場の雰囲気を変える天才だな。と思ったところでクルスが言っていたことを思い出した。
サーフィニア嬢──『プラント男爵家の秘された花』『体が弱い』『一歩も外に出たことがない』『見かけたら幸運が訪れる』
最初と最後のことは本当かもしれない。あの天使がサーフィニア嬢なら。
だけど……。
「ノリス、サーフィニア嬢に妹はいたか?」
「いいえ、七歳上の兄がいるだけですが──ああ、確かに。先程のご令嬢がサーフィニア嬢だというには、噂から考えると結び付きにくいですね」
「そうだ。まぁ、噂は当てにならないが、サーフィニア嬢は十歳だろう? あのご令嬢は、それにしては小さ過ぎる。どう見ても五、六歳がいいところだ。それに、誰も彼女の名前を呼ばなかったのも気になる」
それは意図してのことなのか、そうではないのか。
「娘と言っていましたから、男爵の娘に間違いはないでしょうけど、サーフィニア嬢ではないと思っているのですね? しかし、実の妹はいないとなると……」
「あれだろ? 最近、養女をとったんじゃないか」
「いや、聞いてないな」
まぁ、サーフィニア嬢ではないにしても、あの子が天使であることに違いはない。それにしても──
「落ちてくる時は白かったのに、腕の中で黒くなったのは何故だろう?」
「何の話です?」
「天使の話に決まっているだろう?」
「え〜っとぉ、一応聞くけど……天使って、あの子のこと?」
「他に誰がいる?」
対象となる人物が他にいないのは分かっているけど、婚約者候補たちにも冷めた態度のアズナイルから『天使』という言葉が出ること事態、考えられなくて、ノリスとクルスは驚きに顔を見合わせる。
「で? 白とか黒とか何の──まさか!? お前、ドレスの中を見」「アホかぁー!! 髪の色だ! 髪の色!!」
「殿下、最初から黒でしたよ。やはりあの時、目でも打ったのではありませんか」
「大変だぁー!! ノリス、医者、医者を呼ばなきゃ!」
クルスが大騒ぎしたので、ザード達まで飛んできて結構な騒ぎになったが、結局、光の加減で白く見えたのだろうということに落ち着いた。というか落ち着かせた。
だが俺は、本当は白──白金だと確信している。
なぜ途中で黒に変わったのかは分からないが、なにか訳があって黒くしているのだと思う。あの男も同じ色だというのが気に入らないけどな。
騒ぎのあとで、すっかり離れのハの字も気にならなくなったようなノリスだが、こちらの方はまだ気になっていたらしい。
「晩餐の席に、サーフィニア嬢は現れるでしょうか」
「どうだろうな。しかし、視察の目的はサーフィニア嬢ではなくて《米》だからな? そこを間違えるなよ」
なんて言ってはみたものの、実はかなりどうでもいい。サーフィニア嬢も米も。
もう一度、天使に会いたい。と思っている俺が一番間違えていることは内緒だ。
「ところで、殿下。私たちの前と男爵の前で、言葉遣いが違うのは何故でしょう?身分だけで言えば、我々より下になる者ですよ?」
「……身分は下でも目上の方だからな。丁寧な言葉を使うのは当然のことだ」
「当然のこと? 俺は、お前が王宮でそんな言葉を使うの聞いたことないがな」
「あ〜、分かった! 天使の前だからいいカッコしたんでしょう〜?」
「…………」
「おいおい、図星かよ」
うるさい! どうだっていいだろそんなこと! と不貞腐れるアズナイルを三人でからかって遊んでいると、執事が軽食の用意ができましたと呼びに来た。
そして──いろいろと推測していたサーフィニア嬢の正体を知ったのは、案内されて迎賓用のダイニングに着いたときだった。
◇◇◇
「ねぇねぇ、マリアベル。見た? アズナイル殿下。すっごくカッコよかったよね? あのシアンの瞳から目が離せなかったの。本物の王子様みたい!」
「お嬢様、殿下は本物の王子様ですよ」
「あっ、そっか。エヘヘ〜、女の子が一人もいないから、ちょっとつまんないな〜って思ってたけど。フフフ、よかった。あっ、マリアベルはねぇ、あの銀髪で、ちょっとツリ目の子が好みでしょう?」
「彼らは私よりもず〜っと年下ではありませんか。興味はありませんよ」
(でも……あの銀髪だけは、ちょーっとだけ《あの方》に似ていますね。勿論、あの方の足元には到底およびませんけれども──な〜んちゃって!)
「キャァァァー♡」
「ど、どうしたのマリアベル!? 急に、びっくりするじゃない!」
「コホン……失礼いたしました。さ、出来ましたよ。参りましょうか」
「はぁ〜い」
(……フゥ。お嬢様は自分のことには鈍感なのに、変なところで鋭いのよね。気をつけなくっちゃ!)




