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91・まるで昔話のような

「あとの話は私達でまとめておくから」と、ニアと俺はリビングから追い出されたが、エルトナとローゼンシュタイン嬢は残されたところを見ると──仕方のないことだけど──当分の間ニアと俺との婚約については公にできないから、ローゼンシュタイン嬢を正式な婚約者として話を進めるという打ち合わせをしておかなければならないからだろう。


 ニアを守るためでもあるし、対外的にも必要なことだと頭では分かっているが、知らないところで勝手に話を進められることに納得はしていない。

しかし、それよりも何よりも、こんな話をニアに聞かせたくないという気持ちは俺も同じだ。


 政治の絡んだ話を三歳のニアが理解するのは難しいだろう。

間違いなく期限付きなのだとしても、俺には自分の他にも婚約者がいるのだということを知れば、また小さな胸を痛めるに違いないのだからわざわざ聞かせる必要はない。可愛いやきもちを焼いてくれるのは嬉しいけれど。


 それにまあ話を進めると言っても、それこそ公になることはないと思う。

母上のことだ。王宮にいる囀ることしかできない古株たちの追求は、のらりくらりと躱していくに違いない。ニアが元の姿に戻るまでは。



 ところで……ニアはいつ抱かせてもらえますか? って──あっ、だ、だから、ち違いますよ! そういう意味なわけないでしょう!! 抱っこですよ、抱っこ!

もういい加減、勘弁してください!



 残って話を聞いておいた方がいいと引き止められたのに、後でネイサンに聞くから問題はないと言い張って強引に退出したセバスが、がっちりとサーフィニアを抱きかかえ、彼の両隣に控えたマリアベルとエレンは、後ろを付いてくるアズナイルに絶え間なく鋭い視線を飛ばして牽制している。



 ハァァ。自業自得とはいえ、なにも結界まで張らなくても……。

だけど、仕方ないじゃないか! あの時は十三歳のニアが見えたから──

なんてのは、火に油を注ぐようなものだから黙っておくけどな。



 ◇◇◇



「一体どこまで行きますのぉ。早くランチにしましょうよ〜」

「ごめんねぇ、でももうちょっとだけ待って! この山の上にすっごく景色の良いところがあってね? そこで食べたらこの美味しいサンドイッチはもっともっと美味しくなると思うんだぁ。だから、ねっ?」 


 申し訳なさそうにしながらも〈ベルビアンナちゃんにも見せてあげたい。絶対、絶対気に入ってくれると思うから!〉と、一生懸命に語りかけてくる子犬のような瞳が何だか可愛くて、ずっと拗ねたふりをしていたベルビアンナもだんだん楽しくなってきていたのだが。

山を登るにつれ、心が少しずつざわめき始めた。


 何かしらぁ? な〜んかちょっとぉ……。


「もう少し行くと見えてくると思うんだけど、すっごくきれいな湖があってね」

「ちょっと、止めてくださる?」

「うん? どうしたの?」

「え、え〜っとぉ……」 


 どうしましょう〜。とっても行きたくなくなってきたんだけどぉ……。


「ベルビアンナちゃん?」

「あっ、えっとぉ──あっ、ほら、あのお花。可愛いでしょう? 摘んでくるから待っててもらってもいいかしらぁ?」

「なぁ〜んだ、びっくりした。気分でも悪くなったのかと思ったよ〜。それだったら僕が摘んでくるから待っててね!」


 二人乗りしていた馬の背から滑り下り「クオンも、大人しく待っててね? ベルビアンナちゃんを怖がらせちゃだめだよ?」と愛馬に言い聞かせると、道の端に咲いている色とりどりの可憐な小花を摘みはじめるノリス。

思った通りの展開に、落ちないように軽く握っていた手綱を静かにグルグルと拳に巻き付けはじめるベルビアンナ。


「もう少し先の方に咲いているお花もお願いしますわぁ」

〈それからぁ……ごめんなさ〜い!〉


 ドカッ! と聞こえた音に驚いて立ち上がったノリスが見たものは、走り去っていくベルビアンナと愛馬の後ろ姿。


「えっ!? ちょっ、クオン! ベルビアンナちゃんをどこに連れていくつもりだ!こら、戻って来い! クオォォーン!!」


 まさかベルビアンナが手綱を操っているとは思いもせずに、慌てて後を追う。


「クオンの奴ぅ──ベルビアンナちゃんに何かあったら、許さないからな!」



 そのクオンはというと。

ご主人様が彼女のことを大好きなことも、その彼女は何かに怯えているということも、敏感に察知していた。

そして、ご主人様はそのことに全く気づいていないということも。


 となれば……一刻も早く彼女の安心できる所まで運んであげるのは、ご主人様よりも断然足の速い自分の務め。

それにいくら女装が似合うといってもご主人様は男。たまには本物の可愛い女の子だけを乗せて走りたい!


 と思っているわけではない。当然のことながら二人一緒に運ぶよりも、一人だけ運ぶ方がより速く走れる。と思ってのことだ。


 多分……。



 賢いクオンのお陰で、望み通りの場所──プラント男爵邸──まで連れて帰ってもらえたベルビアンナはクオンへのお礼もそこそこに、軍馬に乗って一人で戻ってきた彼女に驚いている出迎えの侍女を急かしてクラリスのいる部屋まで案内してもらうと、侍女が入室の許可を得る前にリビングへと駆け込んだ。



 ◇◇◇



「お嬢様! クラリス!」


 部屋の外の微かなざわめきを感じとった男たちは素早く立ち上がって構えていたが、いつもの、のほほ〜ん、ほわわ〜んとした雰囲気は感じられなかったけれど、それが間違いなくベルビアンナだと分かると緊張を解いた。


「シラー嬢。落ち着いてください。サーフィニア嬢もクラリスもここにいますよ」


 エルトナは、二人共プラント邸内にいるという意味で『ここに』と言ったのだが、サッと部屋を見回したベルビアンナは、エルトナの隣に立つクラリスの姿は認めたものの、サーフィニアがいないことに気づくと慌てて部屋を飛び出そうとしてアマリリスに捕まった。


「ベルビアンナちゃん、落ち着いて。ボルトナー様は? 一緒じゃなかったの?」


 強めの力で手首を掴まれたベルビアンナは「離してください」と言おうとして顔を上げたら──アマリリスの厳しい視線をまともに受けて、少し冷静になる。


「申し訳ございません。ボルトナー様は……」

「ボルトナー様は?」

「ボルトナー様は、み、湖を──あ、あの! お嬢様はどこ」「セバス!!」


 アマリリスが鋭く大きく叫んだ次の瞬間にはサーフィニアを抱いたセバスが部屋に現れて──ベルビアンナはホッと胸を押さえると、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。



 セバスからサーフィニアを奪い取るように受け取り、しっかりと抱きしめたアマリリスの隣ではサンデールが彼女の肩を抱き、アクトゥールはサーフィニアの小さな手を取り握りしめている。


 家族の足元には、安堵の表情を浮かべるベルビアンナと、駆け寄ってきて彼女に寄り添い不安そうにしているクラリス。



 ……これは、一体……。



 セバスがこの状況を説明してもらおうとしているところへ、心配のあまり真っ青な顔で、しかし怒りに髪を赤く染めた、何かのキャラクターのようなアズナイルが飛び込んできた。


「セバスチャン! 突然消えるとは何事だ! ニアを返せ!!」


 そんな、見たこともない息子の姿に、さすがのヴィクトリアも目が点だ。

他の者達も、その姿と火を吹くような怒りに言葉をなくす。


 サーフィニアに異変はないかをザッと確認したアズナイルの顔色は元に戻ったが、燃えるような赤い髪は怒りが収まっていないことを示している。

剣も抜きかねないほどのビリビリとした空気を纏っているアズナイルの耳に、小さな声が届いた。


「レオン、ごめんなさい。母様の声が聞こえたの。だから……」


 そう。アズナイルの前から二人が突然消えたのは、セバスよりも早くサーフィニアが反応したからだ。

母親のセバスを呼ぶ声に、異常な焦りと恐怖を感じ取ったためアズナイルに説明している暇はなかった。


 その結果、置いて行かれたアズナイルをこんなにも怒らせてしまったのだと思うと、小さな胸は張り裂けそうで。


「ご、ごめんなさ──き、嫌いに」「ならない」


 急いで駆け寄ったアズナイルはサーフィニアを抱きかかえようとしたけれど、アマリリスは娘をガッチリと抱き込んでいて離そうとしない。

ならば両手を──と思ったら、こちらも片方の手はアクトゥールがしっかりと握りしめていて〈離す気などないぞ!〉と真剣な目で睨んでくる。


 仕方なくもう片方の手だけでも取ろうとしたら、サーフィニアが必死になってアズナイルに向かって手を伸ばし──


 いつの間にやら、サーフィニアを抱いたアズナイルの両肩を背後からアクトゥールががっつりと掴み、アクトゥールの肩はアマリリスが、そして彼女の腰にサンデールが腕を回し後ろから抱きしめている。


 ──という構図が出来上がっていて。


 セバスも、息を切らせてリビングに飛び込んできたマリアベルとエレンも、一部を除いたその場にいる全員が困惑の表情を浮かべている。

一部とは勿論、ひとかたまりになった一団のことだ。


 アズナイルは理由はわからずとも、とにかくサーフィニアが無事で自分の腕の中にいることで一人安心しているが、後ろの三人は「これで大丈夫だろうか?」といった感じで何度も確認をし合っていて、説明が行われる気配は全くない。



 ハァ。やれやれ。一体いつになったらクラリスと二人だけで話ができるんだ?


 とうとう痺れを切らしたエルトナは、ため息を我慢しながらゆっくりと、未だ座り込んだままのベルビアンナに寄り添うクラリスに近づいていく。


「シラー嬢。クルスはどこにいるんですか? まさか、はぐれたのですか」

「ち、違います。ボルトナー様は山の上にある、み、湖を見せてあげるとおっしゃって。だ、だけどわたくしは……」



 ベルビアンナが『湖』と言った瞬間にアクトゥール以下二名と、クラリスに緊張が走ったことに気づいたアズナイルはサーフィニアをしっかりと抱え直し、エルトナは足早にクラリスに駆け寄ろうとしたのだが、一足先にすっくと立ち上がったクラリスがサーフィニアのドレスの裾をつまんだのを見て足が止まる。


 更には、ヨロヨロと立ち上がったベルビアンナがクラリスの腕にしがみついたまではいいとして、足が止まった一番の理由は、クラリスよりも先に《あのセバス》がサーフィニアの背に片手を添えたかと思ったら、アズナイルの腕を指が食い込むほどに強く掴んだからだ。


 しかもそれは、いつものようなアズナイルを牽制するためのものではなく、絶対に離れない、離さないという意志を示しているように見えて。

得体のしれない焦燥に駆られたエルトナは、サンデールの真似をしてクラリスを後ろから抱きしめた。



 その様子を黙ってみていたヴィクトリアとネイサン、マリアベルとエレンは〈私達もあの一団に加わったほうがいいのだろうか?〉と悩み始める。

しかし、悩んでいても仕方がないと、勇気を出してその場から一歩抜け出そうとしたマリアベルの足を縫い止めたのは──


「ダメよ! あなた達は動かないで」


 アマリリスの有無を言わさない一言だった。


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