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89・次から次に ①

 本日二度目の訓練を終え、きもちフラフラとした足取りで離れに戻ってきたアズナイルたちに、今は腹立たしく思えるほどの爽やかな声が届く。


「あっ! アズナイル君、捜していたんだよ。お礼を言おうと思って」


 両腕に大きな布袋を下げ、ニコニコ笑顔で現れた声の主は、ライラの兄にしてアズナイルの同級生でもあるライリー。


 学園では階級に関係なく皆平等の扱いのため《君》呼びも許されているが、ここは学園ではないので──


「おい。アズナイルのことは殿下と呼べ。ここは学園じゃないぞ」


 ──当然こうなる。

が、その殿下のことを呼び捨てにしているお前にだけは言われたくない。

と、誰もが思うことだろう。



「エルトナ、確かにここは学園ではないが、ある意味学園よりも緩く扱われているじゃないか。お前らも含めてな。今更だから、ライリーも気にしなくていいぞ」

「そうだよ〜。お土産もたくさん持ってきてくれたみたいだし、固いこといいっこなしだよねぇ」


 エルトナに睨まれて〈しまった!〉とビクビクしていたライリーは、アズナイルの『気にしなくていい』という言葉にホッとしたものの、確かに少し浮かれている自覚はあるので気を引き締めたつもりだったのだが……。


「あの……申し訳ありません。これらの品は殿下へ差し上げる為に持ってきたのではなくて、全てサーフィニアちゃんへのお見舞いといいますか、贈り物といいますか──とにかく彼女好みのものだけを選りすぐって持ってきた特別な品々なので、殿下に喜んで頂けるようなものは一つもないと思います」


 クルスの勘違いを正しているうちにサーフィニアの喜ぶ顔を思い浮かべてしまい、いとも簡単に気を緩め、頭に花を咲かせていたライリーは気づかない。

その場の空気が凍りつき、頭上の花が寒さに震えだしたことに。



〈おいおい、アズナイルの前でサーフィニア嬢を『ちゃん』呼びとか。こいつなんにも分かってねぇな。毎朝学園で起こる光景を見てなかったのか?〉

〈やれやれ。私の義弟になる者がこのようでは、先が思いやられますね〉

〈ぼぼぼ僕はいいんだよね!? 殿下の側近だもん! と、特別だよねっ?〉



 側近たちが呆れたり慌てたりしているところの中心で、アズナイルはゆっくりと口を開き──ライリーめがけ、冷えた声を嵐のように繰り出す。


「ライリー。お前が持ってきたもの全てがニアの好みだと、どうして言い切れるんだ? 俺だってニアの好みくらい知ってるさ。ニア好みのお揃いのブローチも持っているし、俺だけのために心を込めて刺繍を施してくれたお金では買えないほど価値のあるハンカチだって持っている。そのお礼も兼ねて贈った俺色のネックレスは、肌身はなさず着けてくれているんだぞ。いつも俺を幸せな気持ちにしてくれるニアに近々もっともっと特別な物を贈る予定だが、絶対にニアは喜んでくれるという自信もある。でも、お前は? 俺は喜ばなくてもニアならそれら全ての物を絶対に喜んでくれるという自信はあるのか? 俺ならそばにいるだけでも喜んでもらえるぞ。もちろん俺だってニアがそばにいてくれたら飛び上がるほど嬉しいし、とてつもなく幸せだ。そもそも、学園をサボってまでニアに会いに来る必要があるのか? ただの、普通の、そこら辺にゴロゴロいるお隣さんの一人だよな? 物理的な距離などものともしない《俺達二人》の間に入れるとでも?」



 つい先ほど『君呼びでも気にしない』と、気さくな同級生の顔を見せてくれていたアズナイルは姿を消し、今やすっかり王族の一員としての威厳を……威厳……は、ないかもしれない。


 威厳はないが「僕とサーフィニアちゃんは幼馴染みだから、彼女のことなら何でも知っているんです」と言ったも同然のライリーに嫉妬全開で、サーフィニアのことを何度も愛称で呼び、自分も学園をサボっていることは棚に上げ、俺そのものが彼女にとって特別なんだ感を全面に押し出している。


 一方、ピンポイントで冷たい嵐にのまれているライリーは、寒さのあまり多めの情報を処理しきれないでいたが、何度もアズナイルの口をついて出る『ニア』という単語だけはしっかりと拾っていた。


「ア、アズナイル殿下! いけません! サーフィニアちゃんを愛称で呼んだりしたら、セバスさんに怒られますよ!」

「お前はそうかも知れないが俺はいいんだ。特別に許可を得ている」

「許可した覚えはありませんが?」


 アズナイルよりも冷えた声に一同が振り返ると、そこにはサーフィニアを抱きかかえたセバスの姿。よりも、やはりサーフィニアに目が行ったアズナイルとライリーの顔は思わずほころぶ。

アズナイルと目があったサーフィニアも、だ。


「レオン!」


 サーフィニアが満面の笑みを浮かべてアズナイルの広げた腕の中に飛び込んだ瞬間、頭が真っ白になりかけたライリーだったが、両腕から滑り落ちた布袋のドサドサっという鈍い音で我に返る。


「サササ、サーフィニアちゃん! 王族に気安く触れたりしたらだめだよ! ア、アズナイル殿下も! 婚約者でもない未婚の女性にななな、なんてことを!」


 慌ててサーフィニアとアズナイルを引き離そうとしたライリーの両手は、二人の腕に触れる前に左右から捕らえられた。


「その言葉、そっくりそのままお前に返そう」

「ライリー様こそいけませんよ。プラント家の大事なお嬢様に気安く触れようとするなど、このセバスが許しません」


 左の腕をとったエルトナの背後には、鋭い目つきで剣に手をかけたネイサンに、ノリスとクルス。

セバスの手のひらから流れ出る凍えるような冷気は右の腕を侵していく。

しかし、理不尽な状況にさらされた憐れなライリーにとどめを刺したのは……


「どちらのお兄様? レオンのお友達?」


 アズナイルの腕の中で、可愛く小首をかしげるサーフィニアのひと言だった。



 ◇◇◇



 いつの間にかサーフィニアを自分の腕の中に取り戻したセバスに恨みがましい視線を投げながらも、ほんの少し、ほんの少しだけライリーが気の毒になったアズナイルは〈少し言い過ぎたかな?〉という反省の意味も込めて、慰めるように彼の肩をポンポンと叩く。


「ライリー、ニアが体調を崩していたのは知っていたのだろう? ニアは今その後遺症で記憶の一部をなくしていて、家族と使用人以外の者たちのことは覚えていないんだ。とはいえ、特別な俺のことだけは覚えていたがな」


 勿論ここでも《自分はサーフィニアにとって特別な存在である》というアピールを忘れずに付け足すアズナイルのことなど見ちゃいないライリーは、不思議そうな顔で自分たちを見ているサーフィニアに悲しそうな顔を向ける。


「サーフィニアちゃん。僕を忘れたなんて、嘘だよね? だって、僕たちは婚約」


 ビキィィ!!


「ヒィィッ!?」

「あ゙?『僕たちは』なんだって? よく聞こえなかったな。もう一度、言えるものなら言ってもらおうか」


 ビキビキバリバ「──リィィ! ラ、ライリィィィ!!」


 アズナイルの手が置かれたままだったライリーの肩が嫌な音を立てながら凍り始めたところへ、その音をかき消すような大声が響いてきた。

叫びながら馬から飛び降りた男は大事な跡取りの氷像化を食い止めるべく、転げるようにして側まで駆け寄る。


「ア、アズナイル殿下、も申し訳ございません! うちの愚息がご迷惑をおかけしました! すぐに連れて帰りますので、お許しくださいませ! ライリー! 家にいるようにとあれほど言ったのに──お前もこっちに来て皆様に謝罪しなさい!」




 昨夜、ノリスからの手紙と書類を再確認することにしたライアンは、改めてあの時と同じように入念にチェックしながら当時の記憶を掘り起こしていた。


 ──自分も騙されそうになったくらい完璧に作られた婚約証明書を、商人に必要とされる審美眼を遺憾なく発揮して調べてみると、大司教の印章に汚れと見えなくもない細くて短い線が一本、付け足されたように入っているのが分かった。

これならグレイ子爵くらい簡単に騙されるだろうと思ったとおりになり、安心したものだが──


 ない……。あの時あったはずのあの線は綺麗さっぱりと消えてしまっている。


 見間違えたのだろうか? いやいや、私が見間違えるはずなど……いや、待て。

そもそも、私はどうしてこれを偽物だと思ってしまったのだろう? 

ノリス様の手紙にはそんな事ひと言も書かれていないのに。


 国が進めている案件ならば必ず宰相様も絡んでいる。だからこれは、国のために宰相様が用意した偽物だと思い込んでしまったのか。

それとも、いくら資産家といえども子爵位のうちと侯爵家では格が違いすぎるから、本物であるはずがないと、無理やりにでも偽物である証拠を見つけだそうとする心が見せた幻影だったのだろうか。


 今となっては確かめる術もないが……とにかく、これは間違いなく本物である。


 という結論に達し、頭を抱えていたところへライリーがやって来て「明日サーフィニアちゃんのお見舞いに行って来る」と言うではないか。


 しかし、今はそれどころではない。

後にしてくれと返そうとしたところへ、虫が知らせてくれたのか、意味深な笑みを浮かべたヴィクトリアの顔がボンッと浮かび上がった。


 マズい……。例えお見舞いが目的だとしても、今はなんだかマズい気がするぞ。


 アズナイルの婚約者候補の一人でもある侯爵令嬢クラリスが絡んでいることもあって、ライラからの頼みを断れず、馭者兼ボディガードとして帰って来たのは仕方がないにしても、ヴィクトリアとアズナイルの想いを知ってしまったからには慎重に行動しなければならない。


 二人の想いを知っておきながら、年頃の男をサーフィニアに近づけた。

などと思われては堪らない。それが自分の息子で、ただの幼馴染みだとしても。

と思っていたら、ライリーはそうではないという。


 幼い頃、初めてサーフィニアに会った時に初恋の穴に転がり落ちたライリーは、ためらうことなく「大きくなったらサーフィニアちゃんをお嫁さんにもらう!」と大人たちに宣言した。


 大胆なその宣言がなされたのは、男爵から晩餐に招待されたライアンがライリーを伴ってプラント邸を訪れ、美味しい食事に舌鼓を打ち、お酒も程よく回ってきた頃だった。


 ここにドイル夫人も同席していたなら──例え息子の初恋だとしても──やんわりと窘めていたことだろう。過剰なほどに娘のことを溺愛している男爵が、いくら資産家とはいえ子爵家に嫁がせるようなことはしないだろうと思っていたから。


 しかし不運なことに、この日彼女はライラを連れて王都のタウンハウスに行っていて不在だったのだ。


 酔っ払いの男たちは「それはいい! ライアンのところならすぐそこだから、嫁いだあとも毎日可愛い娘に会えるからな!」「うちだって、サーフィニアちゃんなら大歓迎だ! そうだ! 私も可愛い娘の顔を毎日見たいから、ライラはアクトゥール君にもらってもらおう!」などと無責任に盛り上がっていて、ライリーの小さな心に宿った真剣な気持ちには気づいていなかった。


 ただ一人、冷ややかな視線で男たちを見ていたアマリリスはこっそりと「大きくなればあなたの気持ちも変わるかもしれないし、ニアにはまだまだ早すぎる話だから、二人が大きくなった時にまた考えましょうね?」と釘をさした。

つもりだったのだが。


「男爵夫人は、僕が大人になってもサーフィニアちゃんに対する気持ちに変わりがなければ、嫁がせてもいいと言ってくれました。男爵様も父上も賛成してくれたではありませんか!」


 二人共大人と呼ぶにはまだ早いが《プラント男爵家の秘された花》との噂通り、桁違いに可愛く綺麗になっていくサーフィニアは、爵位が低いことなどお構いなしに学園でも非常に高い人気を誇っている。

学園では話す機会など皆無に等しいので、このチャンスにどうしても婚約までこぎつけておきたいライリーは必死なのだ。


 それでも、酔っ払いの無責任な発言と、アマリリスから言われたことをごちゃ混ぜにしているんじゃないのか? と言いたいところだが、多分ライリーは悪くない。

その当時、彼はまだたったの五歳だったのだから。


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