87・それぞれの、おもい
ダイニングの扉がパタリと閉まると、腕の中の温もりが小さく震えて──そっと顔を覗き込む。
「あらあら、困ったちゃんね。淋しいの?」
今にも泣き出しそうな顔をしているくせに、健気にも首を横に振るサーフィニアに思わず笑いが零れそうになるけれど。
「しょうがないわね。セバス」
「……よろしいのですか」
「あら、よろしくないのはあなたの方でしょう? この顔を見ても断れるならそうしてもいいわよ?」
断れるわけがないのを分かっていながら面白そうにそう言うアマリリスに呆れながら、セバスはくるりと背を向けた。
奥様も人が悪い。廊下の端から端まで不安と悲しみの色で埋め尽くされているというのに、逆にこれを無視できる者がいるのなら教えてもらいたいものですね。
ダイニングの扉をノックしてから開けると、期待に満ちていた中の空気が一瞬でしぼむ。
今までならセバスの登場に皆は背筋を伸ばしていたところだが、ノックの音に〈もしや!〉と期待してしまっただけに今回ばかりはがっかり感を隠せなかったし、取り繕うこともできなかった。
しかし、もう殆どご褒美のことしか頭にないセバスは気にしない。
「アズナイル殿下、少しよろしいですか」
扉に背を向けて座っていたアズナイルは、体を思いっきりひねりまるで子供のように椅子の背を両手で掴んだままがっくりとうなだれていたけれど、セバスに声をかけられると素早く立ち上がり「勿論です!」と元気よく返しながら、セバスの横をすり抜けて廊下へと飛び出して行った。
喜び勇んで飛び出していくアズナイルのことを殺気立った視線で見送ったサンデール、アクトゥール、スヴァイルの三人は、そろそろ我慢の限界。
アマリリスから〈余計な口出しをするんじゃないわよ?〉と密かに牽制されていたためグッと堪えていたが、アマリリスもサーフィニアもいなくなったからもういいだろうとサンデールは立ち上がり、一同を見回す。
「さて、本日はこれにてお開きにさせていただきたいと思います。娘のために遠いところをお越しいただきありがとうございました。王妃様とご令嬢のみな様には本邸の方にお部屋をご用意しておりますので、そちらでゆっくりとお寛ぎくださいませ。このあとマリアベルがご案内いたします。男性のみな様のお部屋は離れの方にご用意させていただきましたが……如何でしょう? 我々はこれから夜の訓練を行うのですが、もしよろしければみな様もご参加なさいませんか」
今晩はアズナイルを叩き──アズナイルに稽古をつけてやれないかも知れないと思ったサンデールは、代わりの獲物を求めていた。
アクトゥールやスヴァイルも同じ気持ちだろう。
皆は無理でも、騎士であるネイサンとエルトナは乗ってくるだろうと思った通り、二人は揃って立ち上がってくれた。
「プラント男爵殿、お言葉に甘えさせていただいてもよろしいですか」
先に口を開いたネイサンは、昨日からの小さなモヤモヤがたくさん溜まっていて、ひと暴れしたい気分。
「私も、よろしくお願いいたします」
続いて口を開いたエルトナは、ヴィクトリアに捕まる前に逃げようという魂胆。
一方で、立ち上がる気配を全く見せない隣の者を〈立たぬなら、立たせてみせようホトトギス〉と思ったかどうかは分からないが──普段は絶対にしないポーズで──「まあ!」と口元を少し隠すようにして弾んだ声を無理やり出したライラはこう続けた。
「クラリスは幸せ者ね! いつ如何なる時でも鍛錬を怠らないマンダレー様がそばにいれば、いつだって守っていただけますもの。羨ましいわ!」
ディナーの前までは──クラリスはアズナイル殿下の婚約者候補よね? しかも近々正式な婚約者になるんじゃなかったの? マンダレー様は王妃様の前であんな事を言って大丈夫なのかしら?──と思っていたライラだが、空腹時にピンチに陥ってしまった自分を救うため、疑問は封印してそこに乗っかったのだ。
そんなライラに〈違います。今回のエルトナの理由はそれではありませんよ?〉 と、心の中でつぶやくノリス。
ライラに先手を打たれて少し悔しそうだが、楽しそうでもある。
フフ、私の子リスは本当に逃げ足が速い。まあ今日のところは乗ってあげますけど、逃しはしませんからね? と、ライラに流し目を送りながら席を立つ。
「騎士二人を差し置くわけには参りませんので出遅れてしまいましたが、私もよろしくお願いします」
「ぼ、僕も! ちょっとだけよろしくお願いします!」
「私はそろそろ失礼させていただきます」
クルスはベルビアンナにちろりと目を向けられて慌てて立ち上がり、疲れ果てたライアンは帰るといい、残るはルーカスだけに。
ふむ。誰もおらんようになってしまうんか……だけどわしは魔術師じゃからのぉ。
剣は──と考えたところでヴィクトリアと目があった。
「よ、よし! わしが審判をしてやろう!」
訓練に審判? と誰もが思ったけれど、ヴィクトリアから逃げたいのだろうと察したサンデールは「では、参りましょうか」と声をかけ、それを合図にライアンを除く男性陣はぞろぞろとダイニングを出ていった。
「お父様、玄関先までお送りしますわ」
ホッと息を吐きながらライラは立ち上がると、ぐったりとして一気に老け込んだように見える父親に寄り添い、玄関に向かってゆっくりと歩を進める。
お互いに確認し合いたいことがあるのは分かっていたからだ。
「ライラ、お前はその……ウェルシータ様と……」
「ハァ……。聞き間違いじゃなかったのね」
「というと?」
「お父様、よく考えてみてよ。ウェルシータ様は侯爵家のご令息よ? 婚約者だなんて……お付き合いもしていないのに、そんなことあり得ないでしょう?」
「では、ウェルシータ様はお前に何の相談もなくあんな事を言ったというのか」
「だから、相談も何も友達ですらないのよ? 一体何を考えているのかしら? お嬢様を安心させるためだったとしてもやり過ぎだし、冗談にも程があるわ!」
少し怒っているような娘の態度に、ライアンは胃が痛くなってきた。
正常な黒目に戻ってからノリスの様子を観察していたのだが、何かとライラの世話を焼こうとする態度も、ライラに向ける視線も、とてもじゃないが冗談や芝居には見えなかったからだ。
少なくとも、ウェルシータ様は本気──そっ、そういえば、サンデールの邸に入る前にもライラの手に、キキキキキッっ、ゲッホ、ゲホ、ゴフッ!
「ちょっと、お父様、大丈夫?」
「ゴッ、ゲッ、だっ、大丈夫だ。そ、それよりもお前は今晩どうするのだ? 家には帰らないのか」
「ええ、帰らないわ。ここにいた方が安全な気がするもの。……ねぇ、お父様。万が一、万が一よ? ウェルシータ様が家に来ても、絶対に何一つ納得したり承諾してはダメよ。それは全部寝言なんだから。寝言にはまともに付き合わないでね? じゃあ、私はそろそろ戻るから気をつけて帰ってね」
自分の言いたいことだけを言って踵を返し去っていく娘の背中を見つめて、ライアンは額を抑えた。
『まともに付き合わないでね』と言われても、家格が上の者からの縁談を断ることは難しい。ましてや相手は宰相家。
下手をすれば商売にも差し障りが出るかも知れない。
ライラよ。お前は一体どこで何をしでかしたのだ? あんなにややこしい大物に目をつけられるなんて。
……まさか、二年前のあの時からではあるまいな?
ライアンは縁を切りたかったメイソン・グレイと、ライラの婚約を解消することができた頃のことを思い出していた。
グレイ子爵から婚約解消の懇願書が届いた翌日──グレイ子爵はしつこいからもしもの時には使ってくださいと。詳しいことは言えないけれど、ドイル家とグレイ家が繋がったままでは国が進めている案件にも支障をきたす恐れがあるので、これは国の都合だと思って私のことはお気になさらずにと。
《本物そっくりに作られた》ノリスとライラの婚約証明書が本人から送られてきて驚いた。
国のためならば、もしもの時には偽物を使うこともやぶさかではなかったし、個人的な理由としてもありがたかった。
しかし使うことはないだろうと思っていたのだが、婚約解消の話が喉元を過ぎた頃、そのもしもの時はやって来て。
あれがなかったらどうなっていたことか。
どこが冷酷無慈悲な方なんだ。と、心遣いに感謝して、あの歳で自分を犠牲にしてまでも国を思う気持ちには感心したもの……待てよ?
あれが本物ってことは、ハハッ、それはいくらなんでも考え過ぎ──だよな!?
とてつもなく不安になったライアンは馬に飛び乗ると、我が家を目指して一目散に駆けていった。
◇◇◇
「なんだか妬けるわねぇ。わたくしの可愛い娘を二人の王子様に盗られてしまったような気分だわ」
自分の部屋の前でアズナイルに抱っこされ、すぐ隣にはセバスを控えさせる娘にアマリリスは苦笑する。
「母様、心配しないで。セバスチャンにご本を読んであげたら母様のお部屋に行くから」
「あら、そうなの? 今日も母様と一緒に寝てくれるの?」
「うん!」
嬉しそうに笑うサーフィニアに微笑んだアマリリスは、娘の頭を一つ撫でると「待ってるわ」と言い残しその場を去っていった。
「レオンは向こうのソファに座ってね? お客様なんだから」
部屋に入るとセバスに手を伸ばし、抱っこされると奥の方のソファを指差すサーフィニア。
その時のセバスの表情といったら。
「勝った!」と言わんばかりのドヤ顔で、アズナイルを見ている。
いつもは自分の腕の中がサーフィニアの定位置なのに、今日はずっとアズナイルに抱っこされていたので、淋しかったし負けたようで悔しかったのだ。
勝利の鼻歌でも歌い出しそうなその顔にアズナイルは呆れていたが、アズナイルはアズナイルで、サーフィニアとセバスには切っても切れない強い絆があるとずっと感じていたので、そこまで鼻高になる意味がわからない。
初めて会った時には婚約者同士ではないかと勘ぐったりもしたけれど、二人の間にあるのは恋愛感情ではなく、セバスにとってのサーフィニアは唯一無二の絶対的な庇護の対象で、サーフィニアにとってのセバスは決して自分を裏切らない完璧な守護者なのではないか、と今では思っている。
サーフィニアを決して裏切らないという点においてだけは、俺だって負けてない! とも思っているが。
何れにせよ、そう遠くはないだろう未来──隣には最愛のサーフィニア。
その後ろには、完全無欠で王都一の護衛騎士だと豪語したセバス。
この図式ははっきりと見えていて、自分はこれを認めている。
だから少しは自分のことも認めてほしいと思いながら、これまでよりも少し甲高くなったものの、変わることなく耳をくすぐる可愛らしい声に耳を傾けていった。
お越しいただいている皆さまへ
超スローな展開に、毎回辛抱強くお付き合いいただき、ありがとうございます。
少しでも読んでくださる方がいるということを励みに頑張ってきたのですが……
私にとっては、残念無念なお知らせです。
一週間に一話というスローペースながら、完結まで漕ぎ続ける予定でしたが、本格的に時間がとれなくなってきました(泣)
寝る間を惜しめるほどの体力もないので、大っっ変不本意ではありますが、しばらくの間お休みさせていただきたいと思います。
ですが! ここまで頑張ってきたので、未完で終わらせるつもりはありません。
お休みの間も、隙間を見つけては少しずつ少しずつ書き溜めていきますので、
気長〜〜にお待ちいただければ、とてもとても嬉しいです。
来年、またどこかの季節で皆さまとお会いできるのを楽しみにしています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
イト




