86・舞い上がって〜陥る
セバスはサーフィニアの言葉にほろりとさせられていた。
まだまだ終わりが見えないある意味カオスなこの状況に、今夜はもう絵本のことは諦めていたのだ。それをサーフィニアからはっきりと『約束をしている』と言ってもらえて。
あんなにアズナイルにべったりとくっついているのに、自分のこともちゃんと考えて大事にしてくれるサーフィニアに大感激している。
前世でもそうだったけれど、現世でもサーフィニアが生まれた時から、一生側にいて守ると自分に誓ったが──将来アズナイルと一緒になることはもう決まったも同然だとしても──絶対に離れずにどこまでもついていくと、改めて心に誓った。
◇◇◇
サーフィニアに可愛くダメ出しをされたヴィクトリアは、それでも崩れそうになる顔を整えるためにエルトナに目を向ける。
そうするとあの失言が蘇り、タレようとする目とツリ上がろうとする目がちょうどよい位置で整ってくれたので、改めて話を切り出した。
「わたくしが聞きたかったのは、これからサーフィニアちゃんはどうするのかってことなの。今後の予定についても聞かせてもらえるはずだったのに、現状の説明しかされなかったでしょう?」
少し責めるような視線を向けられたサンデールは──あなたの顔が面白すぎて、あれ以上は続けられなかったんですよ! という言葉は飲み込み──「申し訳ありませんでした」と頭を下げたのだが。
「まままま、まあ、わたくしたちも一息つけたからよかったのよ! もう全っ然、気にしないで頂戴! オホホホホ……」
サーフィニアと目があったヴィクトリアは慌てて付け足す。
父親をいじめていると思われたくないし、切り札はもうないので、とにかくここから追い出されたくないのだ。
ヴィクトリアのその必死な様子に、吹き出しそうになったサンデールは脚をつねって耐える。
「ありがとうございます。ではまず学園についてですが、こちらにはすでに休学届を提出しています。こんなことはもちろん初めてで、ニアがいつ元の姿に戻るのか分かりませんので。それから王都の邸は手放しましたので、また学園に通えるようになったとしてもここから通わせます。セキュリティの面から申しましても、そうした方がよいと思っております」
覚悟はしていたもののサンデールから聞かされた決定事項に、アズナイルとクラリスを除く学園組は少なからずショックを受けているようだ。
ベルビアンナ達とサーフィニアは、入学前に奇跡の再会を果たし大喜びしてからまだひと月ほどしか経っていない。
それなのにもう離れ離れになってしまうとは。王都にいるならまだしも、これからはプラント領で暮らすとなればそう簡単には会えなくなる。
〈困るわぁ。クラリスがまた荒れるじゃないの〜。誰が面倒を見るのよぉ〉
〈本当に困るわ。プラント邸のシェフが作る米粉のお菓子は最高だったのに。あれを食べるためだけに退屈な授業の時間を乗り切っていたと言っても過言ではないんだから。あっ、そういえば……デザートのお代わりってできるのかしら?〉
……ショックの理由は思っていたのとはだいぶ違ったが、男組はどうだろう。
〈まさか、クラリスまで休学するとか言い出さないだろうな?〉
〈確かにこの姿では、今まで以上にサーフィニア嬢には危険が付きまとうと思います。男爵の言う通りセキュリティを考えれば──おや? 子リスのこの顔は……デザートが足りていないのですね? どうしましょう。あの小さな口にチョコレートを入れてあげたいのですが、さすがにこの状況ではマズいですよね?〉
〈えー、いいなぁ。僕もここから通いたいよ〜。そうすれば毎日おにぎりが食べられるもんね! で、できれば、べ、ベルビアンナちゃんもい、一緒に!〉
〈〈お前ら今すぐ王都に帰れ!!〉〉
それぞれの表情で察したアズナイルとセバスの心情は、珍しく一致した。
話がだいぶ逸れてしまったが──アズナイルとクラリスは真面目に大ショックを受けている。
三歳のサーフィニアは学園に通えないことも、通わせるわけにはいかないことも分かっているけれど、その間プラント領に籠もりきりだとなれば、自分たちは一体いつサーフィニアに会えるというのだろう。
次回の長期休暇はまだ二ヶ月近くも先のことで、今となってはそんなに長い期間サーフィニアと会えずにいることなど、二人にはとても耐えられそうにない。
〈わたくしも休学しようかしら?〉──エルトナの勘は大当たり。
立場的に難しいことは分かっていてもアズナイルも同じことを考えていると、息子の思案顔に気づいたヴィクトリアが彼より先に口を開いた。
「そうですわね、わたくしもそうした方がいいと思いますわ。今のままではどうすることもできませんものね。サーフィニアちゃんに会えなくてあなた達も淋しいでしょうけれど、学業をおろそかにしてはなりませんよ? 明日の夜までには帰りなさいね。その代わりわたくしが一週間〈から一ヶ月〉ほど滞在して、何かあればすぐに連絡を入れるようにしますから、心配しなくても大丈夫よ」
先手を打たれたアズナイルは母親に非難の視線を投げたが、そうくることが分かっていたヴィクトリアはうまく視線をずらし、ニコニコとアマリリスとサーフィニアだけを愛でている。
ごめんなさいね、アズナイル。だけどあなたがいたら、わたくしはサーフィニアちゃんと遊べないじゃない? どうせあなたは昨日からべったりとくっついていたのでしょうから、ここから先はわたくしに譲りなさいね。
うふふふふと満足そうに微笑んでいるヴィクトリアと、悔しそうなアズナイル、一生懸命何か考え事をしているサーフィニアを、さり気なく観察し終えたアマリリスは飲んでいたティーカップをコトリとテーブルに置いた。
「ねえ……ヴィー」
「なっ!? 何かしら、リリィ!♪」
待望の愛称で呼んでもらえて、輝くような満面の笑みを浮かべるヴィクトリア。
声も姿勢もかなり前のめりだったのだが──
「あなたの息子や側近の方たちは、一週間学園や学院をお休みしたくらいで授業についていけなくなるような、そんな成績しか取れていないの?」
──アマリリスの口から飛び出した、とんでもない問いに慌てる。
「まさか! 自慢するわけではないけれど、アズナイルは入学当初から誰にもトップを譲ったことはないのよ。ノリスもね。エルトナも常にトップスリーには入っているし、クルスは──とにかく張り出される紙には毎回名前が載っているわ!」
拳を握りしめて力説するヴィクトリアがいうところの《張り出される紙》とは、テスト毎に各学年の成績上位者十名の氏名が記された紙のことなのだが、クルスの段で言葉に詰まったのは、彼の成績が常に変動しているせい。
二位の時もあれば十位の時もあるからだ。
決して、呼び出しを受ける生徒の氏名が記された紙のことをいっているわけではない。と思う。
「一週間どころか、二、三週間──あ、あの、でも今は新学期がスタートしたばかりだし、このところバタバタしていたでしょう? だから一度通常ペースに戻しておいたほうがいいのではないかしら?」
ヴィクトリアは一呼吸おいてから、もう一押しておこうと話し始めたもののすぐにトーンダウン。姿勢も前のめりから後ずさり気味になっている。
「そう。それならヴィーも王宮に帰ったほうがいいわね。あなたもひと月ぶりに戻ってきたばかりなのでしょう?」
逆にアマリリスはわずかに前のめりになり、大きな瞳を細め口角をあげて微笑む。
『ヴィー』と呼んでもらえて舞い上がっていたヴィクトリアは、完全に道を誤っていたのだ。
サーフィニアをアズナイルの正式な婚約者として迎えようと考えているのに、ボンクラ王子に大事な娘はやれないと言われたら大変なので慌てて息子の優秀ぶりを自慢したが、このままではせっかく出した先手が無駄になってしまう。
と、さらに慌てて軌道修正したら──そこにはアマリリスの仕掛けた罠が、大きく口を広げて待っていた。
「い、いえ、わたくしは……リリィとサンデールに大事な話があるから、それが」
「レオンのお母様?」
「あら♡ なぁに、サーフィニアちゃ──えっ? レオン?……ア、アズナイル!! あなた、サーフィニアちゃんにレオンと呼ばせているの!?」
鼻息荒く席を立ったヴィクトリアに怒られると思ったサーフィニアは、膝の上で方向転換をしてアズナイルにしがみつく。
「よしよし。ニア、大丈夫だよ。今あの猛獣を黙らせるからね?」
サーフィニアの頭を優しく撫でながら、アズナイルは母親に非難の目を向けた。
「母上、落ち着いて座ってください。ニアが怖がっています。それに、今頃なんですか? さっきからそう呼んでいるでしょう? 私がそう呼んで欲しいとお願いしたのですから、ニアを責めることは許しませんよ。例えそれが王妃の立場から言っているものだとしても」
「そ、そうですわ、王妃様。おっ、落ち着いてくださいませ!」
「そ、そうじゃぞ! 深呼吸してサッサと座るのじゃ!」
ヴィクトリアが騒げば、また自分たちも一緒に閉じ込められてしまうかも知れないと思ったクラリスとルーカスは必死だ。
ルーカスはグイグイとヴィクトリアのドレスまで引っ張っている。
「私は最低でも一週間はここに残りますよ。ニアのことが心配ですから」
「そうしていただけると助かりますわ。側近の方々も、その婚約者の皆様も、残ってくださるわよね?」
小首を傾げ柔らかく微笑むアマリリスに「初めからそのつもりでした」と言いたかった彼らだが……優しげな雰囲気とは裏腹に、細められた瞳には〈帰るなんて許さないわよ?〉という有無を言わさぬ迫力が込められていて、背中に冷や汗を流しながらただコクコクと首を縦に振ることしかできない。
その様子を呆然と見ていたヴィクトリアも、ルーカスから更に強くグィ〜ンとドレスを引かれてようやく腰を下ろした。
「ですって。異存はないわよね? ヴィー」
「も、勿論よ。わたくしも無理やり皆を帰そうとしたのではなくて……ほ、ほら! ノリスとか勉強が大好きだから、本当は帰りたいのに言い出せないのではないかしら? と思ってのことだったの」
「王妃様、お気遣いいただきありがとうございます。しかしながら私もドイル子爵と相談すべきことがありますので、まだ帰るわけにはいかないと思っていたところでした」
「あああ、あの! ウェルシータ様、それは一体どの」「母様、ニアもう眠たい」
アズナイルが帰ってしまうのではないかと不安になっていたサーフィニアは、まだここにいてくれることが分かると安心して、急に眠くなってきた。
ふりをした。
アズナイルがいてくれるなら他のことはどうでもいいので、話を聞いているのが面倒臭くなってきたのだ。セバスとの約束も守りたい。
「分かったわ。じゃあ、皆さんにご挨拶してからお部屋に行きましょうね」
「はい」
「あ、待って、サーフィニアちゃん! あの、さっきは怖がらせてしまってごめんなさい。……わたくしね、嬉しかったの。サーフィニアちゃんがアズナイルのことをレオンと呼んでくれていることが、とってもとっても嬉しかったのよ。だからこれからもずっとずっと、アズナイルと仲良くしてね?」
自分が話しかけるとまた怖がらせてしまうかも知れないと思って黙っていたヴィクトリアだったが、やっぱりどうしても気持ちを伝えておきたくて、思い切って声をかけた。
そんなヴィクトリアをしばらくジーッと見ていたサーフィニアが小さな口を開く。
「レオンと約束したの。ずっと一緒にいるって」
その瞬間、両手で顔を覆って上を向き、震えだしたヴィクトリアをちらりと見たアマリリスは、サッと踵を返して歩き出す。
もう今日はお腹いっぱいで、これ以上は付き合っていられない。
アズナイルを残すようにしたのは娘のためだが、他の者も残したのは自分のため。
一週間も一人でヴィクトリアの相手をするなんて、考えただけでもうんざりする。
改めて、やっぱりものすごく鬱陶しいと感じたので。
「ニア。……おやすみ。また明日」
「うん。……また明日ね、レオン。みな様も、おやすみなさい」
「「「おやすみなさい」」」
バイバイと手を振りながらアマリリスに抱かれ、小さいけれど明るく輝く存在感を示していたサーフィニアがダイニングを出ていくと、本当に明かりが二つ三つ消えてしまったようで──残された者たちはみななんとなく物悲しい気持ちになった。
明るい未来の夢を見て歓喜に震えているヴィクトリアは、二人が出て行ったことにも気づいていなかったが。




