83・仲良くするなら
「アズナイル殿下、こちらに来ていただいてもよろしいですか」
背後からかけられたセバスの声に振り返りながら、また何か言いがかりをつけられるのだろうかと少し構えていたアズナイルだったが、黙ったまま先に立って歩くセバスに大人しくついていっていると、ダイニングからはどんどん遠ざかっていることに嫌でも気づく。
俺はすべての事情を知っているから、あの場にいる必要はないということだろうか?
横目で見たって見えないのだが、真後ろにはスヴァイルがピッタリと張り付いてきているのが分かる。
ハァ、なるほど……。いる必要がないから、その間にまた二人で《稽古》をつけてくれるというわけか。
そう考えるとうんざりするけれど、あの席に座るよりかはマシかと前向きに考え直したアズナイルが連れてこられたのは、訓練場ではなく本邸のリビングだった。
「セバス?」
ん? スヴァイル殿が不思議そうな声を出しているところをみると、二人はグルではないのだろうか?
「スヴァイル。席は下座に四席設けておくようにとお願いしていたはずですが?」
「はい、そう聞いておりましたが、お嬢様は記憶をなくされていますから、奥様の膝の上の方が安心なされるのではないかと思いまして」
「お嬢様の席ではなく、アズナイル殿下の席です。分かっていましたよね?」
えっ、俺の席? それはまた一体どうして? 嬉しい限りだが……。
「しかしながら王族の席を下座に設けるなど、プラント家の執事としてのプライドが」「あなたのプライドなど関係ありません」
おや?……なんかバチバチしだしたぞ?
アズナイルがそう感じた直後、年下のセバスにも丁寧に接していたスヴァイルの態度が豹変した。
「なんだと? 師匠に対してよくもそんな口がきけたもんだな? こいつをあの女の隣に座らせておけば、勘違いしたお嬢様がショックを受けてこいつを見限るかもしれんだろうが! こいつを追い出すチャンスなんだぞ!」
「ハッ! 大した師匠ですね? こんな奴でもお嬢様が選ばれたのだから仕方ないでしょう? ショックを受けたお嬢様が泣いてもいいのですか? それでまた意識を失ったりしたら、どう責任を取るおつもりで?」
「クッ……お嬢様を引き合いに出すとは、卑怯なヤローだ!」
「当たり前でしょう? お嬢様が心身ともに健やかであることが、私たちの一番の願いなのですから。こいつのことは付属品として諦めるしかないのです」
……えーっと。精神力なら負けないと思いますけど、さすがにちょっとキツイです。俺は泣いてもいいんですか?
第三とはいえ王子のはずなのに、罠を仕掛けられそうになったり、目の前で『こんな奴』や『付属品』呼ばわりされるのはまだ我慢できるとしても、二人共サーフィニアにとっては大事な家族のような存在だ。
なのにその二人から、自分はこれから先も決して受け入れられることなどないのだと思うと悲しくて、アズナイルの心はキシリと音を立てる。
その瞬間、左手の小指に嵌めている王族の指輪が眩しい光を放ち、その光が別の光を運んできた。
「レオン……。どうしたの? どこか痛い? ニアが治してあげる」
小さくて軽い。だけどとても愛おしい温もりが首に抱きついてきて、アズナイルの心をふわっと軽くする。
「ううん、大丈夫だよ。ニア、ありがとう」
小さな小さな体をキュッと抱きしめて幸せに浸るアズナイルとは対照的に、アズナイルの首に抱きつくと同時に、彼と体の位置を入れ替えたサーフィニアの視線の先には、突然姿を現した天使に驚愕している二人の男。
大きくて透き通ったアメジストの瞳にジィィィィっと見つめられると、後ろめたい気持ちから背中には大量の汗が流れ出す。
責めるような視線ではなかったけれど、あの小さな口から自分たちを拒絶する言葉が飛び出してくるのではないかと思うと、気が気ではない。
癒しの力を使わせてしまうのでは──という恐怖もある。
これ以上は小さくならないと分かっていても。
幸せのかたまりと緊張のかたまりが混在しているリビングの扉が、音も立てずに開けられると──スヴァイルの顔は真っ青になった。器用に頬だけは赤く残して。
静かにゆっくりと近づいてくるエレンに危機感をつのらせたスヴァイルは、逃げなければと思いつつも、その美しい姿についつい見惚れてしまい……。
「ぎゃあぁぁぁ、み、耳は、ヤメデぇぇ! イダダダダァーー!!」
がっつり、エレンに捕まった。
スヴァイルの両の耳を、思いっきりギリギリとつまみ上げたエレンはニッコリと笑いかける。
「お静かに。奥様がおいでになりますよ?」
その言葉にますます顔色を悪くしたスヴァイルは、なんとかエレンの手から逃れようともがき、片方の耳を解放させることに成功したが……今度は足の甲にグサッ! とヒールの踵が突き刺さる。
「あら? 聞こえませんでした? 奥様がおいでになると言っているのに、どこへ行くつもりです?」
「ヒギャッ!! は、はい。申し訳ありませんでした!」
その一部始終を、言葉もなく見ていたアズナイルは思う。
スヴァイル殿ではなく、エレン殿と仲良くすることにしよう! と。
◇◇◇
「ニア、急にいなくなるからびっくりしたわよ?」
「母様……ごめんなさい」
「はい。次からは気をつけてね? 行き先は分かっているからいいのだけれど、まだ支度の途中だったでしょう? お客様には最高に可愛らしいニアを見てもらいたいのだから、マリアベルに最後の仕上げをしてもらいましょうね。マリアベル、お願いね」
マリアベルに抱かれ、みんなに手を振りながら去っていくサーフィニアを見送ったアマリリスは「さてと……」と、一同を振り返る。
ちなみに、スヴァイルの足はエレンのヒールに縫い留められたままだ。
「まったく……あなた達ときたら、本当に大人気がないのだから。いい加減にしなさいね? ニアが望むものを勝手に取り上げるような真似をしないで頂戴。たくさんのことを我慢したり諦めなくてはならなかったあの子が初めて、一緒にいたい、諦めたくないと思った相手ですよ、アズナイル殿下は」
アマリリスの言葉にアズナイルは胸を熱くし、セバスとスヴァイルは胸と耳が痛くなる。
幼い頃より、プラント領から出ることは一生叶わないかも知れないと言われて育ったサーフィニアは、それでも明るくのびのびと育った。
プラント領が、プラント領で暮らすみんなのことが大好きだから、それでも全然構わないと、いつも明るく笑っていた。決して無理をしているわけではなく。
けれども今年、王立学園に入学できる年齢になり、家族と護衛騎士隊、邸の使用人全員が固唾を呑んで見守る中、迷いの森から一歩を踏み出せたサーフィニアは、深い森の景色がキラキラと輝いて見えるほどの、とびきり眩しい笑顔を見せたのだ。
あの時の笑顔を忘れたわけではなかったのに……。
シンと静まり返ったリビングに、アマリリスの凛とした声が静かに落ちる。
「けれど、だからといってあなた達も、すぐには殿下を受け入れることはできないのでしょう? だったらせめて、ニアが起きている間だけでも大人しくしていて頂戴。あの子は今、心身ともに不安定なの。あの子の心をかき乱すような真似だけは、絶対に許しませんからね」
アマリリスが『絶対に許しません』と言った瞬間に、体がビリビリと痺れるような圧を受けたアズナイルたちは、パタリと閉まったドアの音を聞いてから漸く息を吐き出して肩の力を抜いたのだが、懲りないスヴァイルは疑問を口にする。
「つまり……お嬢様がお休みになられたあとは、何をしてもいいということですかな?」
「いいえ、奥様はそこまで仰ってはいません。しかし、深夜における多少の憂さ晴らしは、お許しになられたということでしょう、か?」
「えっ? いや、私に聞かれてましても……。というか、スヴァイル殿。足の具合は分かりませんが、耳は冷やしたほうがよいのではありませんか? 真っ赤になっていますけど」
エレンにつまみ上げられていたスヴァイルの耳は、見ているこっちまで痛くなりそうなほどに腫れ上がっている。
「ハッ! なんのこれしき。赤子につままれ」「スヴァイル? 椅子を言われた通りに配置し直しておいてくださいね?」「ハイィ! ただいま!」
不自然にピョコンピョコンと跳ねるような歩き方で部屋を出ていくスヴァイルを見送ったアズナイルは、絶対にエレンと仲良くなろうと心に決めた。
◇◇◇
ダイニングではサンデールが誰にも邪魔されることなく、この数日の間に起こったことを順を追って説明していた。
「──。詳細は省かせていただきましたが、以上が、週末の深夜から昨日までに起こった出来事です」
と言われましても。
わずか一日半の間に起こったという出来事がてんこ盛り過ぎて、一度聞いたくらいではとても飲み込めない。
しかも、話を飲み込む邪魔をした者がいたのだ。
自分たちは言われたとおりにサンデールの話の邪魔をしないよう心がけていたのに、冒頭からこちらの邪魔をした者が。
しばらくの間姿を消していたその者は、ヒョコヒョコと、明らかに足を痛めたような歩き方で戻ってきたかと思ったら、耳まで真っ赤に腫らしていて。
「これより旦那様から説明がございますので、お静かにお願い致します」と、何事もなかったように澄ました顔で言われても気になりすぎて、それからすぐに始まったサンデールの話には集中できるはずもなく。
頭に残っているのは最後の方で聞いた、アマリリスの瞳と髪の色が変化したことと、サーフィニアの髪の色も黒から白金に変わったこと。
サーフィニアの記憶も見た目も三歳の頃にまで戻っている。ということだけだ。
色の変化と記憶については、稀に大人になると髪の色が変わる人もいるし、頭を強く打ったりして記憶のなくなる人もいるから、まだ理解はできる。
しかし、見た目が三歳児くらいになってしまったというのは、いくら頭を捻っても、記憶を辿っても、読んだ書物を高速で捲り返してみても、それこそ記憶になく、とてもじゃないけど信じられない。
けれど、信じる、信じないよりもまっ先に心に留め置き、忘れてはいけないことはただひとつ。
故意ではないにしても、決してアズナイルに傷を負わせてはならないということ。
そんなことをしたら──記憶どころか存在さえも──
一瞬でセバスに消されてしまうということは、言わずもがな。だ。




