82・それは脅しか説明か
ドイル邸でルーカスを待ち構えていたヴィクトリアは肩透かしを食う。
ルーカスの代わりに迎えに来たという男に八つ当たりしようにも、プラント邸に仕えている者だと聞けば、こちらの言動はすべてアマリリスに筒抜けになると考えて間違いないため滅多なことは言えない。
しかもそれが、見たこともないほどの美男子だったものだから、レオナルド一筋のヴィクトリアでも、文句どころか知らず知らずのうちに頬が染まってしまうという有様だ。
さらにさらに、その場にいた全員の《絶対に彼を怒らせてはならない》という気配を敏感に感じ取ったヴィクトリアは、エルトナの「転移は危険を伴いますので、領の境界で取り次いでいただきましょう」という言葉にも素直に了承の意を示した。
◇◇◇
初めて見る、片田舎の男爵邸とは思えないくらいに大きくて立派な邸の佇まいに、ヴィクトリアは驚きと緊張で声をなくしている。
邸もさることながら、アマリリスがサンデールと結婚してから一度も会わせてもらえない──というか、会ってもらえなかったのだ。
約二十年ぶりに、大好きなアマリリスと会えると思うとそれだけで、転移はしなかったはずなのに気を失ってしまいそうで。
そんな彼女の姿を横目で見ていたセバスは、早くも〈面倒なことになりそうだ〉とため息を吐いていた。
ローベリーに向かう道の途中で、転移を行うからと馬車に戻されたあとの記憶がないまま、気づけばローベリーではなくライラの実家に着いていて、そこで着替えたあと初プラント入りを果たしたクラリスとベルビアンナもまた驚いている。
「さすがはお嬢様だわ! ベルの家よりは少し小さいけど……エブリン様のところとほとんど差はないくらいの規模のお邸だと思わない?」
「はぁ? エブリン様ぁ? どこを見て言ってるのぉ。あんな趣味の悪い邸より、お嬢様の邸の方が何万倍も素敵だわ〜」
「ま、まぁ、そうだけど。……エブリン様と何かあったの?」
「べっつにぃ。あ〜、早くお嬢様に会いたいわぁ」
急に機嫌の悪くなったベルビアンナに気づかれないように彼女を指さしながら、ライラに首を傾げて問うてみたけれど、同じく心当たりのないライラも、首を傾げて肩をすくめただけだった。
全てのことをさっさと終わらせてサーフィニアとの時間を過ごしたいセバスが、ヴィクトリアの手も取らずに離れに向かって歩き始めたことに驚いたノリスが待ったをかけようとしたところへ、スヴァイルが現れた。
「王妃殿下。王都より遠く離れたこの地まで、ようこそお越しくださいました。私はプラント家の執事を務めさせていただいておりますスヴァイルと申します。これより皆さまを離れまでご案内させていただきますので」「お待ち下さい!」
ノリスは堪らず大きな声を出す。
「私たちだけならともかく王妃様まで離れに通そうとするなど、不敬にも程があります! 常識的に考えてもあり得ないことですが、スヴァイル殿はそんなことも分からない程の愚か者だったのですか!!」
邸の主自らが王妃を出迎えることもせず、使用人に任せきりというのも信じられないことなのに。
しかし、いきりたつノリスを窘めたのは当のヴィクトリアだった。
「ノリス、控えなさい。プラント家にはプラント家の流儀があるのです。王妃だからといって、その流儀を曲げさせることはできないのですよ?」
穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと落ち着いた口調でそう諭すヴィクトリアの心の中は──
ちょっとノリス! あなたの忠誠心は素晴らしいものだけど、プラント家の者には逆らうんじゃないわよ! やっと、やっとここまでたどり着いたのに、あなたのせいで追い返されたりしたら、親子共々死ぬまでこき使ってやるんだから!!
──と、穏やかではない状態になっているのだが、そんなことを知る由もない真面目なノリスは「しかしながら」と言いかけて固まる。
見た目よりはしっかりとした筋肉を纏っている二の腕に、小さな手のひらが添えられたからだ。
「ウェルシータ様、わたくしが言うのもおこがましいのですが、王妃様はせっかく一人でお見えになられているのですから、たまには堅苦しい形式にとらわれずに、ゆっくりとお過ごしになられたいのではないでしょうか」
面倒な雰囲気になりそうだったところへ、静かに、しかし──事を荒立てたくないという──しっかりとした意思を持って《あの》ノリスに意見したライラのことを、ヴィクトリアは〈さすがはライアンの娘だわ〉と感心して見ていた。
見ていたら──今度はヴィクトリアが固まる番で……。
《あの》ノリスが、物腰柔らかくライラに向き直り、二の腕に添えられていた手のひらをそっと外して握りしめると、ライラの耳元で何事かを小さくささやき、真っ赤になった彼女を愛おしそうに見つめたあと「敬意を表します」などともっともらしい事を言って、小さな手の甲に口付けを落としたのだ。
ヴィクトリアのみならず、その場にいた全員がびっくり仰天である。
なかでも一番驚いていたのは、その場にいた全員ではなく、そろそろみんなが到着する頃だろうと、様子を見に出てこようとしていたアズナイルだ。
あいつ……ノリスのやつ、やたらとドイル商会に行きたがるなと思っていたら、こういうことだったのか。それにしても……羨ましいぞ! 俺はまだニアに──
あっ、エレン殿! 私も何かお手伝いしましょうか!
セバスの氷の視線が突き刺さりそうになったところをサッとかわし、アズナイルは回れ右をすると足早に邸の中へと戻っていった。
◇◇◇
本邸と離れをつなぐ迎賓用のダイニングで、ドイル邸から流れてきた王都組八名と、一仕事を終えて王都からとんぼ返りしてきたルーカス、日を改めてまた伺いますと言ったのに無理やり連れ込まれたライアンの計十名は、みな緊張──いや、青い顔をして微かに震えながら椅子に座っていた。
クラリス、ベルビアンナ、ライラ。それからノリスとクルスは気分の悪さも手伝って、せっかくきれいに着替えてきたというのに、背中は既にもう汗でびっしょり。
では、皆に青い顔をさせたのは誰か?
そう、その通り。誰がどう考えても、セバスしかいない。
席についてすぐにセバスから簡潔に説明があったのだが、その内容はというと──
「これより旦那様から、お嬢様の現在の状態と、今後の予定についての説明がなされますが、話の途中で横槍を入れた者と、意識を喪失した者には即刻退場していただきます。その際には私が責任を持って、記憶を消去したあとに王宮まで飛ばして差し上げますのでご安心ください。どうしても意識を失いたくないのであれば、テーブルにあります特製ドリンクを飲んでおくことをおすすめ致します」
──といったもので。
下手をすれば記憶を消されるかもしれないのに、一体何に対して安心していればいいというのだろう?
誰もが口を無くしたように静まり返った部屋の中で、クラリスが真っ先に動いたのだが、ドリンクに手を伸ばし蓋を開けようとした右手を、テーブルの上に体を乗り出したベルビアンナに掴まれる。
「ちょっとぉ、こんな得体のしれないものを飲むつもり〜? まずは──」
と言いながら部屋の中をグルリと見回し、隣の席にちらっと視線を落とす。
「ボルトナー様に毒味をしてもらいましょう?」
「べ、ベルビアンナちゃ〜ん。ぼ、僕はどうなってもいいの? というか、このドリンクは大丈夫だよ?」
涙目のクルスをベルビアンナがもう一度ちろりと見た隙に「ゴクゴクゴク」と音が聞こえてきて、悲鳴をあげようとしたベルビアンナをエルトナが制す。
「シラー嬢! 本当にこのドリンクは大丈夫です。私たちも何度か飲んだことがありますから、落ち着いて。それに、飲めば気分の悪さも治まりますよ?」
クルスの言葉には半信半疑だったドリンク初体験の者たちも、エルトナの言葉には安心して一斉に蓋を開けた。
「漸くアマリリスに会えるというのに、気を失ってなんかいられないわ!」
「わたくしもです! お嬢様に謝罪して、許してもらえるまでは王都になんか帰れません!」
「わ、私は、無理やり引き込まれた上に、記憶まで消されたくはありません!」
「わたくしもですわ〜」
「あっ、甘くて美味しいです」
「ほっ? それならわしも、念のために飲んでおこうかの?」
苦笑いで顔を見合わせたエルトナとノリスとネイサン。半べそのクルスも、一応飲んでおくことにした。
動いたことで少し緊張がほぐれたのか、ヴィクトリアが「今のうちに思いっきり声を出しておきましょうか?」と提案したところに、いきなり扉がガチャリと開いて、全員が叫び声を上げる。
「っ!?……びっくりした。一体何事ですか」
「アズナイル!!『びっくりした』は、こちらのセリフです! なぜノックもなしに扉を開けたりするのですか!」
「母上……申し訳ありません。考え事をしていて、つい……」
アズナイルのついうっかりのお陰で思いっきり声を出せたのはよかったけれど、確実に寿命は縮んだ気がする。
「アズナイル! 元はと言えばあなたが」「母上、お叱りは王宮に戻ったあと一晩でも受けますから、私の話を聞いていただけますか? あまり時間がないのです」
そう言われても、ひと言文句が言いたくて立ち上がったヴィクトリアの脳裏に、恐ろしいほどの美男子で、間違いなく恐ろしい性格の男の顔が浮かび上がると──
ストンと腰を下ろして頷いてみせた。
「ありがとうございます。先生、ニアの記憶のことなのですが……」
「うむ。アズナイルの思うておる通りじゃろうよ」
「やはりそうですか。では、男爵が来られる前に私から一つだけ。詳しい経緯については男爵から話があると思いますが……今のニアには三歳以降の記憶がありません。だからニアが皆さんのことを覚えていなくても、決してニアを問い詰めたりしないようにお願いします。あっ、事故に遭ったとかそういう訳でなないので体は大丈夫──いや、大丈夫か? まあ怪我はしてないから、大丈夫といえば大丈夫か、うん。私からの話は以上です」
途中、独り言のようにつぶやいたあとに『話は以上です』と言われても、ルーカスを除いた他の者達はさっぱり意味が分からずに〈お前は一体何を言っているんだ?〉という目でアズナイルを見ていたが、ここでも真っ先にクラリスが立ち上がって口を開く。
「アズナイル殿下。失礼ながら、仰っている意味がよく分かりませんわ。事故に遭ったとか、怪我をしている訳ではないのでしょう? それなのに記憶がないとは一体──まさか、殿下が変なことを言って、お嬢様を傷つけたんじゃないでしょうね? それでお嬢様はショックのあまり」
「クラリスちゃん、落ち着いて? アズナイルがサーフィニアちゃんに対してそんなことをするはずがないでしょう? アズナイルは──あら? だけど記憶をなくしたのが本当なら困ったわね。あなたのことを覚えていないのなら」「ああ、私のことは覚えているので大丈夫です」「はぁぁ!?」
サーフィニアが絡むと侯爵令嬢の殻を突き破って、途端に《とーこ》が顔を出す。
「ふざけないで! なんで私たちのことは覚えてなくて、ぽっと出のあんた──殿下のことだけ覚えてるのよ! あり得ないわ!」
エルトナが、落ち着いて座るように宥めているけれど、とーこが出ているクラリスは言うことを聞かない。
「今すぐ納得のいく──」とクラリスが言ったところで、コンコンコンとノックの音が響き「失礼します」と扉を開けたスヴァイルが、席を立って大声で怒鳴っているクラリスに冷ややかな目を向ける。
「今すぐ、お帰りですか? ローゼンシュタイン様」
その冷ややかな視線にブンブンブンと大きく首を振ったクラリスは、恐怖のあまり、ついエルトナの膝に腰をおろしてしまう。
これには一瞬歓喜したエルトナだったが、ヴィクトリアの手前このままではマズいだろうと、渋々、後ろから手を取って立たせると自分の席に座るように促した。
クラリスの椅子をさり気なく自分の方に引き寄せながら。
その様子を〈本当にあいつはローゼンシュタイン嬢にべた惚れだな〉と感心して見ていたアズナイルだったが、少し視線をずらすと、クラリスを基点としてエルトナとは反対隣り──ヴィクトリアとクラリスの間の席──が空いていることに気づく。
まさか……あの席に座れというのか!?
対外的にはクラリスが婚約者候補なのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、サーフィニアの目の前であんなところに座らなければならないのかと思うと、アズナイルの気は重くなる。
しかも、エルトナのお陰で少し距離が開いたとはいえ、隣は第三王子のことを『ぽっと出のあんた』呼ばわりするほどまでに怒っているクラリスなわけで。
怖くはないけれど、その態度にサーフィニアがどのような反応を示すだろうかと考えると、気は重くなる一方だ。
また変に誤解されたりしたら……。
そう思い、ちらりとスヴァイル殿に視線を送ってみるも、〈早く座れ〉と書いてある顔をこちらに向けているだけで、アクションを起こす気配は感じられない。
ため息を飲み込み、嫌がる心と脚を無理矢理前に進めようとしたところで、意外なところから救いの手? が差し伸べられた。




