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こわい夢を見ました。

「匿名コラム」事件




 嬉しい日曜日の筈だった。

 高來(たかき)隆一郎(りゅういちろう)は、日課どおり朝六時に目を覚まし、欠伸をしながら一階へ降りた。すでに台所でなにかしている妻の菜々子(ななこ)へ声をかける。

「おはよう」

「おはようございます。あなた、コーヒー?」

「今日は紅茶がいいな」

「わかりました」

「ありがとう……」

 隆一郎はもう一度欠伸をし、寝癖を手で調えながら玄関へ向かった。スリッパをつっかけ、外へ出て、そこそこ距離のあるアプローチを歩き、門柱にくっついた郵便受けをチェックする。

 ダイレクトメールが幾らか、保険会社からの封書が一通、新聞紙が二紙。隆一郎はそれらをとりだして、またのそのそとアプローチを歩いた。玄関に這入ると、紅茶のいい香りがしてくる。靴箱の上へダイレクトメールを放置し、残りはキッチンカウンタへ置いた。


「目は覚めた?」

「うん」

 カウンタには、菜々子の手料理が並んでいる。紅茶に合わせてくれたようで、かりっと焼いてバターをのせた厚めのトーストに、ベーコンエッグ、キャベツのサラダという洋風の献立だ。

 洗面所で体裁を整えてきた隆一郎は、香りのいい紅茶をすすり、パンをかじった。菜々子のつくるものはなんでもうまい。

 新聞紙をとりあげ、目を通す。菜々子はカウンタの向こうで、立ったまま、ミニトマトを食べていた。「なにか、面白い記事はありましたか」

「いや」

 半分が広告のような新聞紙を放り出し、もう片方を掴みあげる。実際のところ、隆一郎が本当に読みたいのはこちらだった。おいしいものはあとにとっておくタイプなのだ。

 ――あった。

 隆一郎は両手で新聞紙をひろげ、にんまりした。開いた箇所には、「『匿名』コラム」というコーナー記事が掲載されている。サブタイトルは、「エセ霊能者達をフォローする雑誌って?」。

 タイトルどおり、匿名のものだ。掲載されるのは毎日曜日、執筆しているのは三人で、順繰りに記事を書いている。二百字ほどの短いものだが、熱心な読者がつくくらい評判はいい。選挙期間中に二回、コラムが休載になったのだが、その時に抗議の電話が来たという。

 隆一郎はそのコラムのファン……という訳ではなく、執筆者のひとりだ。


 高來隆一郎は、もと・歌手で、その後マネージャー、更に会社経営を経て、現在は引退し、悠々自適の生活をしている。

 歌手と云っても、レコードとCDをそれぞれ数枚ずつ出した程度で、ヒットらしいヒットもない。デュオだったのだが、曲を書ける相方が独り立ちしていしまい、歌詞担当だった隆一郎は早々に見切りをつけて歌手を引退した。

 ヒットはなかったといえ、隆一郎はそれなりに礼儀作法を心得ていたし、所謂「天才」の相方と違って自分が普通人であるというふうに自覚していた。だから、まれに呼ばれていたTVでもラジオでも、決して横暴な態度はとらず、常に丁寧な物腰を崩さなかった。

 その為か、事務所を辞めたいと隆一郎が社長へ告げると、マネージャーをやってみないかと打診された。歌手を辞めてなにかやろうとしていることがあった訳ではないし、今後のことは不安だったので、隆一郎はそれを承諾した。

 隆一郎は重宝された。新人女優についたのだが、人気はあるもののマナーを知らない子どもの彼女に、隆一郎がいろいろと教えてやったのだ。その為に、パーティなどで失敗しなかったと、感動屋の彼女が社長に伝え、社長は隆一郎を新人俳優の教育係にした。

 その後、マネージャーの教育係、統括マネージャー、俳優部門の部長など、隆一郎は出世していった。ある程度の貯金が出来たところで惜しまれつつ会社を去る。

 喫茶店をやるつもりだったのだが、その為に買った建物が二軒隣の失火で全焼した。懇意にしていた弁護士に訴訟を任せると、思っていたのの五倍くらい、賠償金をうけとることが出来た。更に、やはり失火にまきこまれた隣の花屋の娘、菜々子と知り合い、結婚にこぎつける。

 菜々子の希望で、隆一郎は花卉を扱う会社を立ち上げ、会社は軌道にのった。冠婚葬祭、どの場面でも花には需要がある。人間が結婚式や葬式をなくさない限り、会社が傾くことはありえない。


 会社がもう心配ない状態まで成長し、六十歳で引退した隆一郎はふと、自分がやりたかったことはなんだろう、と考えるようになった。

 歌手、と思ったが、それはわずかに違う。隆一郎は歌詞を書くのが好きだった。より正確には、自分の気持ちを言葉にして、大勢へ向けて発信するのが好きだったのだ。

 また歌詞を書いてみようか。自由になる金はある。趣味で、いい作曲家を雇って曲を書いてもらい、社歌にでもしてもらおうか。

 そんなことをふわふわと考えていたある日、遠い昔相方だった、三好(みよし)総一(そういち)から電話があった。

 彼は音楽業界で成功し、現在は自身が歌うことはめずらしいものの、若手歌手に頻繁に楽曲提供している。喧嘩別れした訳でもないので、未だにふたりの関係は良好だ。

 三好は、コラムを書いてみないか、と云ってきた。なんでも、ある新聞紙がかわった試みをしようとしているらしい。数人の匿名ライターにコラムを書かせ、一年後に全員の名前をあてた読者一名に賞金を贈るというものだ。ライター達はそれぞれに、「人気芸人」「アイドルグループ所属」など、ヒントが公開される。

 俺は有名人じゃないから読者に不利すぎるだろう、と隆一郎は断ろうとしたのだが、三好はそれについては心配ないと云った。

 隆一郎がマネージャー時代に世話した女優が、今それなりに有名になっているのだが、彼女が隆一郎の写真を以前「SNS」に掲載したらしい。「もと歌手で、新人の頃マネージャーをしてくれた、現在はお花の会社の社長さん」と。

 隆一郎はネットにくわしくない。だからそれがどれだけのヒントになるのかはわからないが、「もと歌手」の肩書きでコラムを書いていれば物好きが見付けるだろうと三好は楽観的だった。あたらないならあたらないで、新聞社は賞金を払わなくてよくなるから丁度いいじゃないか、と。

 隆一郎は迷ったものの、その話をうけた。そのコラムの担当者からも電話があって、なにを書いてもいいと云われたのだ。丁度、なにかものを書きたいと思っていた隆一郎は、その誘惑にあらがえなかった。




「今度は、どんな記事ですか」

 菜々子が紅茶のおかわりを注いでくれた。隆一郎よりもひとまわり下の菜々子は、未だに夫に対して敬語で喋る。彼女の実家でも、妻は夫に敬語だったそうだ。

 隆一郎は機嫌よく、コラムのページをおもてにして新聞紙を折りたたみ、妻へ渡した。「これだよ」

「ふうん……」

 妻は新聞紙をうけとり、コラムを読んでいる。家族に読んでもらうのははずかしいものがあるが、隆一郎のコラムが掲載される度に彼女はそれを熱心に読んでくれた。

「……これ、ちょっとまずくないですか?」

 しかし、今回はいつもと違う反応が返ってきた。隆一郎は眉をひそめる。

「なにがだい?」

「だって……これって、『めがらにか』のことですよね」

 隆一郎は肩をすくめた。


 最近、ある有名霊能者が逮捕された。詐欺や恐喝容疑でだ。若く美しい女性霊能者はTVでレギュラーも持っていたので、大きな話題になっている。

 隆一郎はかねてから、霊能だの霊感だのには懐疑的で、占いなども信じない性質(たち)だ。結婚後に初詣だのお盆だのを行い、子どもができてからは菜々子がお宮参りだの七五三だのをしたがるのも、正直煩わしかった。隆一郎が育った家庭では、そういったことは一切やらなかった。祭りに参加したことはあるが、屋台のおもちゃやお菓子目当てで、神社に賽銭を奉納することはゆるされなかった。

 隆一郎の祖母がその原因である。もともと彼女は熱心な仏教徒だったのだが、戦争で息子をことごとく失ってから、神も仏も信じなくなった。先祖伝来の仏壇は、隆一郎が子どもの頃には物置に置かれていて、それもいつの間にかなくなっていた。中学の頃、友人宅で仏壇を見て、成程仏を祀るものだったのか、と初めて知った程である。

 だから、隆一郎は信仰心というものはない。神も仏もわからない。占いや霊も信じていない。

 しかし、マネージャー時代から、そういったことには煩わされてきた。担当している俳優達が占いにはまったり、家に幽霊が出ると騒いだり、なかには妙な新興宗教にはまって事務所を辞めると云う者まで出た。隆一郎はそれになんとか対処してきたし、それらの為に尚更「信仰」「宗教」というものを嫌いになっていった。


「しかし、事実だろう。僕も昔、あの雑誌にはなやまされたんだよ」

「でも……」

「名前は出していないから、大丈夫」

 菜々子はしかし、心配そうに記事を見ている。「ネットで騒がれるかもしれませんよ。こわいところですから」

「ネットで騒がれたからって、実際にここまでひとが来る訳じゃないだろう」

「でも……」

 隆一郎は、有名霊能者が捕まったことに絡めて、ある雑誌に対する批判をコラムに書いていた。

 「めがらにか」という、健康系の情報を発信している雑誌だ。健康に関する情報を発信しているというものの、「洗面台を綺麗にしたらうつ病が治った」「庭掃除をしたら就職できた」「付録の〈神霊〉カードで体調不良を撃退」など、非科学的な情報や記事があふれている。それを信じて投薬治療を辞め、病状が悪化したとして、被害者数人から訴訟を起こされている最中だ。


 隆一郎はかねてから、占いだの御利益だのというものが嫌いだ。「めがらにか」についても、マネージャー時代にどれだけ苦労したかわからない。記事を信じ込んで、ドラマやCMである特定の色の衣装を着るのをいやがる者も居た。心療内科への通院を拒否する者も居た。「めがらにか」に寄稿している占い師にのめりこみ、独立して失敗した者も居た。

 その手の、オカルトだとかスピリチュアルだとかを前面におしだしている雑誌は、害悪だと思っている。だから、「めがらにか」に何度も記事が掲載されていた件の霊能者が捕まった時、たまたまコラムの順番がまわってきていた隆一郎は、すでに脱稿していたのだが、書き直した原稿を新聞社へ送った。

 担当者は、めがらにかの名前を出さなければ大丈夫だと判断し、隆一郎のコラムは差し替えられた。新聞社としても、時事問題を書いてもらうのはありがたかったのだろう。

 菜々子はまだ、難しい顔で、背の高いスツールに腰掛けている。

「菜々子?」

「……あ、ごめんなさい。おかわりですか?」

「いや。君ももっと食べなさい」

「はい……」

 菜々子がやけに不安そうなので、隆一郎もなんとなく気分が沈んだ。


 その晩、長女から電話がかかった。

「お父さん、大丈夫?」

「なんだ、開口一番」

「今朝の、あのコラムよ」

 長女は電話口で、もどかしそうに喋った。

「うちのひとの会社でも話題なんですって」

「ほう」

 隆一郎はちょっとだけ嬉しくなったが、長女の次の言葉でその気分は消えた。

「あの雑誌、結構やばいんでしょ。こんなの書いたら殺されるんじゃないかって……」

「殺される? どうしてだ」

「ネットで……ああ、お父さんはネット、わからないもんね」

 長女の声に、孫の声が重なった。

「ごめん、もう切る。とにかく、戸締まりはちゃんとしてよ」

「ああ」

 そう返事をして、隆一郎は受話器を置いた。いつもの日曜日の筈だった。自分のコラムが活字になって、嬉しい気分が続く日。それがどうしたことだろう。


 掲載されてから三日経っても、隆一郎のコラムはずっと話題になっているらしい。

 ネットというものがわからないので、隆一郎が直に目にした訳ではないが、ネットでは騒ぎになっているらしかった。三好から電話があったのだ。

「お前、昔からあの雑誌嫌いだったもんな」

「ああ」

 三好は電話の向こうで笑った。「俺もあの手の雑誌は嫌いだよ。面白いのは『小さな鍵』くらいかな」

「あっちは僕も、たいしたものじゃないと思うよ。フィクションだってわかる形で書いてるものが多い」

「ライターが日本中飛びまわって書いてる記事もあるけどな。未だにツチノコ捜索してるんだぜ」

 ふたりはひとしきり笑い、それがおさまると三好が云った。

「まあしかし、気を付けたほうがいい。『めがらにか』は熱狂的なファンが多いらしいからな。お前が書いたことを突きとめて、そういうやつらが押しかけてくるかもしれない」

「まさか」

「あの雑誌、でかい宗教団体が背後に居るって噂もある。信者を動員することだって考えられるぞ。殺害予告が出たって、嘘かほんとか知らないけど聴いたし、警備員でも雇っとけよ」


 三好との通話を終え、隆一郎が自宅の警備についてそれなりに真剣に考えていると、菜々子がスリッパをぱたぱたいわせて這入ってきた。「あなた、信一郎が……」

「信一郎? 来たのか」

 菜々子は頷く。不安そうな表情だ。

 信一郎とは、ふたりの長男だ。今は、隆一郎が興した会社の社長である。

「平日の昼間だぞ。あいつ、社長のくせになにをやってるんだ」

「さあ……」

 隆一郎が書斎を出ると、菜々子は怯えた顔でついてきた。

 信一郎は居間で、落ち着きなくうろついていた。「信一郎、お前」

「お父さん、どうしてこんな文章を書いたんですか」

 叱責の前に、信一郎にまず文句を云われ、隆一郎は口を噤む。信一郎はケータイを持っていて、そこには隆一郎の書いた記事が表示されていた。

 隆一郎は顔をしかめる。

「俺がなにを書こうが、俺の勝手だ」

「お父さん」

「それに、その記事は新聞社が世に出していいものだと判断したんだ。問題あるまい」

「ありますよ!」

 信一郎は生来、気弱で大人しい子だ。だから社長にした。社長がワンマンで、自分の我をなんとしても通すようなタイプではうまくいかないと、隆一郎はそう考えているからだ。

 しかし、その気弱な信一郎が、父親へ向かって声を荒らげた。

 怯む隆一郎へ、信一郎はケータイを操作し、つきだした。「なんだ……?」

「お父さんが書いた記事を、このひとが書いたことになってるんですよ」

「なに?」

 ケータイには、女性らしい名前と、日記のような文章が映し出されている。


 それは、「ブログ」というものらしい。

 隆一郎は、ソファに腰掛け、息子の言葉を聴いていた。それなりにあたらしいものでも扱え、ネット通販などを利用している菜々子と違い、隆一郎にはネットだとかなんだとかは未知の世界だ。だから、信一郎の話も半分も理解できなかった。

 いつの間にか、長女と次女まで駈けつけている。ふたりとも結婚して家を出ているが、嫁ぎ先は遠くない。どうして来たのか、と思ったが、菜々子が泣いているので、信一郎が気をきかせて呼んだのだろう。

「それで……どうしてこの女性が……」

「ここを読んでください」

 信一郎が示したところを、目をこらして見ると、saori、と名前らしいものがあり、「ほんのちょっとだけ歌手をやってました」と書いてある。もと・歌手……。

 信一郎が喚いている。隆一郎がコラムを書いていることを知っている、安岡という秘書から、このことを報されたという。

「お父さんはこういうことにくわしくないから、僕が対処するしかない」

「しかし……しかし、勘違いされたくらいで」

()()()じゃないんですよ! 見てください」

 信一郎がケータイの画面を触った。罵詈雑言が目にはいる。「これは」

「ブログを閲覧したひとが自分も書き込めるようになってるんです。彼女はお父さんのかわりに批判されてるんです」

 隆一郎は朝食が胃のなかでうごめいているのを感じた。




 新聞社の対応は消極的だった。

 信一郎が、「コラムを書いている『もと歌手』は高來隆一郎である」ことを公表するように新聞社へ要請したが、賞金がかかっている企画であることもあり、上層部が渋っているとかでかなわなかった。

 また、弁護士に依頼して「saori」なる人物との接触を図ったのだが、それもうまくいかない。そうこうしているうちに彼女はブログを閉鎖した。

 これで騒ぎは収まるだろうと隆一郎は思ったのだが、そうはいかなかった。saori氏が書いていたブログはすでに誰かがコピーをとっており、それがネット上に大量に出回った。そして、書いていることの内容から、「saori氏が現実世界では誰なのか」を特定しようとする動きが出た。

 その段階になると、「めがらにか」批判の記事はもうどこかへ飛んでいってしまったようだった。saori氏はかねてより、隆一郎のように新興宗教や占いに対して批判するようなことを書いていた。名前はぼかしていたものの、知っている人間が読めばどの団体や占い師かはわかる。その為、その団体の信者や占い師のシンパがsaori氏を攻撃し、現実世界でも危害を加えようと、彼女がどんな名前でどこに住んでいてどんな容姿なのか、調べはじめたのだ。

 それらのことは急激にすすみ、隆一郎がなにもできないでいる間に、とうとう死者が出た。




 コラムは掲載が中止され、コラムニスト予想企画も頓挫した。

 隆一郎は菜々子と一緒に、葬祭場に居た。信一郎とその妻の早苗(さなえ)、次女の美菜子(みなこ)も居る。五人は並んで座り、前方に掲げられている大きな遺影を見詰めていた。そこには屈託なく笑う、幼さの残る面差しの女性がうつっていた。まだ遺影になるにははやすぎる。隆一郎はそう思う。

 すすり泣きと、間断ないカメラのシャッター音、亡くなった女性が好きだったというクラシック音楽、そんなものが隆一郎の鼓膜を叩いていた。

 亡くなった女性は、須磨(すま)沙緖里(さおり)というらしい。大学三年生で、上京して同じく大学生の妹とふたりで暮らしていた。実家は地方の素封家で、友人が沢山来てくれたほうが娘が喜ぶだろうからと、家族で東京へ出てきて立派な葬式をセッティングした。

 きしむような音がして、菜々子がそちらを向き、はっと息をのむ。隆一郎もそちらを見た。

 車椅子の女性が這入ってくる。自分で車椅子をおす力もないようで、男性がおしていた。随分大きな車椅子で、女性は鼻に管をいれている。なにかの機械とつながっているらしい。音がしている。

「あのひとがsaoriさんか……」

 信一郎がささやいた。美菜子が頷く。

 須磨沙緖里女史は、勘違いで殺されてしまったのだ。


 須磨沙緖里は、通学に電車を利用していた。ふつか前、彼女は線路へ突き落とされ、亡くなった。

 犯人はその場でとりおさえられた。中年の男で、誰も知らないような小さな新興宗教の信者だ。須磨沙緖里を「saori」と思い込み、「saori」は宗教弾圧をしようとしていると思い込んでの犯行だった。

 本物のsaori氏は、入院中だった。あのブログも、半年ほど前に更新が停まっており、閉鎖をしたのはsaori氏自身ではなく、ブログを運営している会社だったらしい。隆一郎はそれを聴いたが、理解は難しかった。

 saori氏はそもそも、難病治療の為に歌手を辞めた。かなり若い頃の話だ。その病気が治ると云って、彼女の両親を騙した宗教団体に恨みがあり、訴訟を起こしたがうまくいかなかった。その為、団体がどのような手段で詐欺をしているかをブログで発信していた。

 しかし、身許がばれれば団体の信者になにをされるかわからない。だから、自分が難病であることは最初は書いていたが、あとから削除した。それは、隆一郎のコラムで騒ぎが起こるずっと以前の話だったので、覚えている人間は居なかった。

 本物のsaori氏と、勘違いされた須磨沙緖里は、年齢に十以上の開きがある。どうして須磨沙緖里がsaori氏と思われたのかわからないが、数日前に「saoriを特定した」と、須磨沙緖里の顔写真と名前、通っている大学が、あるSNSにのった。その結果が、勘違い殺人だ。


 須磨沙緖里の両親は、呆然としている。saori氏が弔意をのべていたが、隆一郎の位置では内容は聴こえなかった。

 先程、隆一郎も菜々子とともに、須磨沙緖里の家族に弔意を伝えた。コラムを書いたことも伝えたのだが、恨み言を云われるでもなく、実に淡々とした対応だった。娘が、殺されたのだ。ショックでなにも云えないのだろう。

「もう出ましょう」

 美菜子が居心地悪そうに云った。「わたし達が居ても、ご遺族はよく思わないでしょうし」

「そうね」

 菜々子が同意を示した。彼女はこの騒動に相当、うろたえていて、毎日のように泣いている。

 五人が席を立つのと同時に、また、あらたな人物が這入ってきた。すりきれたような喪服を着た、老齢の女性だ。

 女性は須磨沙緖里の遺族へ近付いていくと、その場に伏せた。

「息子がお嬢さんを殺してしまい、申し訳ありませんでした!」

 隅のほうで大人しく撮影していた報道陣が、ざわめいた。菜々子が血の気を失う。「あなた、もう帰りましょう」

「ああ」

「わたし、気分が悪い……」

 隆一郎は菜々子を抱えるようにして、葬祭場を出た。背後では、須磨沙緖里の遺族が、犯人の母親に対して冷静に対応していた。




 事件はまだ終わっていなかった。

 須磨沙緖里を「saori」として、名前と通っていた大学、写真をさらした者が、捕まった。須磨沙緖里の大学での先輩である、二十代の男だった。

 その男は、須磨沙緖里とほんの少しの期間だけ付き合っていた。当人は結婚まで考えていたらしいが、須磨沙緖里は勉学を優先し、ふたりの関係は解消された。

 しかし、男は須磨沙緖里を諦めきれなかった。彼女が可愛らしい女性だったというのもあるし、素封家の娘であることも大きな要素だった。

 男は、彼女とよりを戻そうと、あらゆる手をこうじた。友人に仲立ちを頼んだり、偶然を装って同じレストランへ行ったり、彼女の妹を通じてプレゼントを贈ったこともあったらしい。

 しかし、それらすべてが逆効果だった。須磨沙緖里はかたくなになり、男からの連絡をすべて無視した。

 その時、男はたまたま、「saori」という人物がネット上でつるしあげられているのを知る。「沙緖里」と音が同じだったことから、軽い気持ちで「saoriは須磨沙緖里だ」と書き込んだ。それによって須磨沙緖里が困り、自分が助ければ彼女が惚れ直してくれる。そんな考えだったらしい。

 しかし、須磨沙緖里は同年代のなかではネットなどに疎いほうで、彼女の妹や友人達もそうだった。自分の名前や顔写真が出回っていることなど、一切知らなかったのだ。脅迫らしき文言が書かれた手紙が届いたが、警察に届けてそれっきりだった。須磨沙緖里はそういういやがらせの手紙をこれまでもうけとったことがあり、自分が別人と勘違いされて攻撃されているとは考えていなかったのだ。

 そして、彼女が電車にのろうとした時、悲劇が起こった。




「菜々子」

 隆一郎は遠慮がちに、ベッドに横になった妻へ話しかけた。彼女はこちらへ背を向けていて、返事はない。

 隆一郎は優しい声を出す。「なにか食べなさい」

 菜々子は頭を振ったらしかった。

 事件から半月がたったが、TVでも新聞紙でも、須磨沙緖里の事件は報道され続けていた。saori氏が出演し、須磨沙緖里への弔意をのべた上で、危険な団体について喋っているシーンは何度も流れた。この家にも記者が押し寄せてきているが、隆一郎は弁護士に頼んで一度声明を出し、個別の取材を一切断っている。

 菜々子の動揺は酷く、食を拒むようになっていた。無理にでも、栄養価の高いゼリーなどを食べさせているが、一日に一度は吐いている。

 隆一郎は溜め息を吐いて、寝室をあとにした。一階へ降り、居間でソファへ沈みこむ。この半月、家中のカーテンを閉めたままだ。食糧は信一郎や美菜子が届けてくれるが、長女の暁子(あきこ)は家族で引っ越していった。暁子は妊娠しており、事件の所為で具合が悪くなったのだ。暁子は入院したと聴いたが、入院先がどこかは隆一郎も知らない。

 隆一郎はTVをつけた。丁度、ニュース番組の多い時間帯だ。須磨沙緖里の事件はまだ、トップニュースだった。

 隆一郎はチャンネルをかえようとしたが、はっとして手をおろした。

 事の発端は隆一郎のコラムだ。「めがらにか」を名前をぼかして批判した、あのコラムは、しかし匿名だった。どうしてsaori氏があのコラムを書いたと思われたのか、隆一郎はわからなかった。

 信一郎が云っていたのだ。もと歌手だと書いてSNSをしている人間は幾らでも居る。そのなかで、たしかにsaori氏は占いなどを批判していたが、更新はストップしていて閲覧人数も少なかった。もともと頻繁に更新されていたブログでもなく、有名だった訳でもない。

 それがどうして、「匿名のもと歌手コラムニスト=saori」になったのか。ニュース番組では、それを突きとめたと騒いでいる。

 きっかけは、ネット掲示板なるものだそうだ。そこでは、隆一郎のコラムが掲載された日から、誰がコラムを書いたのかを特定しようという動きがあった。

 そして、その日の深夜、ある文言が書き込まれた。「このブログ主は下萌えという単語を使ってる。めがらにかを中傷したコラムニストと同じだ」と。

 下萌え、という単語をつかった意識は、隆一郎にはない。しかし、単語として知っているし、春先の記事でつかったかもしれない。コラムは「それ自体がコラムニストをあてる為のヒントになる」として、新聞社でバックナンバーがすべて読めるようになっていたから、書き込んだ人物はそれを利用したのだろう。

 saori氏はブログの過去の記事で、下萌えという単語をつかっていたらしい。めずらしくもない単語ひとつと、もと歌手という不確かな情報、宗教や占いに対して批判的であること。それらで、ネット掲示板に居た者達は、saori氏をコラムニストだと断定した。

 隆一郎は泣いていた。事件後、初めて、泣いた。自分はなにをしたのだろう、と思った。こんなことになるなんて思っていなかった。こんなつもりじゃなかった。




 菜々子が入院した。

 隆一郎は家でひとり、三好と電話で話していた。

「なあ、お前の所為じゃないよ」

「そうかな」

「そんなこと云ったら、お前に依頼した俺の責任もあることになるぜ」

「それは……」

「高來」

 隆一郎は涙をこらえている。

「ああ」

「お前、ネットに疎いよな」

「ああ」

「ネット上での誹謗中傷の被害に遭ったひと達の団体がある。被害者救済をしてるらしい。どうしても納得できないなら、そこに寄付するのはどうだ」


「お話しするのは、初めてですね」

 saori……本名和田(わだ)志衣奈(しいな)は、相変わらず鼻に管を刺し、車椅子でやってきた。車椅子をおしている男性は、兄だそうだ。彼は志衣奈の後ろに立って、黙っている。

 隆一郎は久々にフォーマルな格好をして、三好から聴いた被害者団体のあるビルへ来ていた。たまたま、志衣奈も来ていて、あちらから話したいと云われ、隆一郎は断らなかった。発端になったコラムを書いた自分に、断る権利はないと思ったのだ。

 志衣奈は表情があまり動かない。

「須磨沙緖里さんのことは、わたしも無責任でした。あのブログを見て、新興宗教に騙されるひとがひとりでも減ってくれたらと思ったのに、裏目に出てしまった」

「いや」隆一郎は頭を振る。「僕が書いたのが悪かったんです」

「そんなことはありません。わたしも、『めがらにか』は問題のある雑誌だと思っています。放射能を除去できる置物だの、うつ病がよくなる水晶だの、訳のわからないものの広告も出していますし」

 志衣奈はよほど、その手のものに恨みがあるのだろう。熱っぽく喋る。「ああいうもので、わたしの両親は大金を失いました。もとはといえばわたしが病気になったのが原因ですけれど、弱っている人間につけこむなんて卑劣だわ」

「志衣奈」

 志衣奈の兄が初めて口を開いた。志衣奈ははっとして、声のトーンを落とす。

「高來さんが、こちらの団体に寄付されると聴きました」

「ええ」

「でも、新興宗教がこんなにのさばっていなかったら、今度の事件は起こらなかったと思うんです」

 志衣奈は深呼吸し、強い視線で隆一郎を見る。「わたし、今度出版される本に、寄稿します。新興宗教の被害者が、実体験を手記にして、それをまとめるという本です。高來さんにも、寄稿して戴けないかと思って」

「いや、僕は……」

「高來さんのことは、ネットで見ました。芸能事務所にいらして、タレントが霊媒師だの占い師だのにはまるのを助けてきたって」

 隆一郎は頭を振る。助けた、なんて格好のいいものではない。

 志衣奈は続ける。

「その時のことを書いてほしいんです。いろんなひとのいろんな体験が、これから騙されるひと達を減らせるんなら、書くべきだと思いませんか?」




「菜々子、だいぶ顔色がよくなったね」

 菜々子はベッドの上で、力なく微笑む。看護師が点滴のパックをかえ、出て行った。菜々子に窮屈な思いをしてほしくなくて、一番ひろい個室にしてもらった。部屋の隅にはキッチンもついている。

 そこでは、美菜子がスープをつくっていた。医師が許可したらしく、美菜子は菜々子になにか食べさせようと必死なのだ。

 隆一郎は丸椅子に座り、菜々子の手をとった。

「今日、和田さん……saoriさんに会ってきたよ。本名は、和田志衣奈さんというそうだ」

 菜々子の目に不安がひらめいた。「あなた……?」

「和田さんは、新興宗教団体から被害を受けたひと達と、本を出すそうだ。自身の体験を書くんだ、それで未来の被害者を減らすんだって云ってね」

 美菜子がスープをお椀に注ぎ、持ってきた。ベッド脇のテーブルへ置く。

「お父さん、事件の話はやめてよ」

「やめない」隆一郎は頭を振る。「発端は僕なんだ。菜々子、僕もなにか書いてくれと云われた。担当していたタレントが被害に遭った、その話でいいと」

「……書くんですね?」

 隆一郎は頷いた。美菜子が金切り声を出す。「お父さん、またやるつもりなの」

「今度は匿名じゃない」

「お母さんがまた」

「書いてください」

 菜々子が美菜子を遮った。

 菜々子は目に涙をうかべている。苦しそうに、点滴をつながれた手をゆっくりと、隆一郎の手に重ねた。「わたしは反対しません」




 菜々子はなかなか回復しなかった。入院は長引き、美菜子がやつれてきたので、隆一郎は見舞を禁じた。かわりに、信一郎の妻の早苗が来てくれるようになったが、菜々子はほとんど食べものをうけつけなくなり、痩せる一方だった。

「あなた」

「ああ」

「原稿は、書けましたか」

「もう少しだよ」

「よかった」菜々子はひどくゆっくり瞬く。「あなたの本を、みたいわ。あなたは、本を書くのが、夢でしたものね」


 原稿を出版社へ預け、隆一郎はその足で病院へ向かった。本屋の前を通りかかると、雑誌が平積みになっている。新興宗教、霊能者、ネットでの誹謗中傷、それらについての記事が載っているらしい。

 それを一冊買って、隆一郎は歩いた。

 病院へ着くと、手続きがあって、隆一郎は菜々子の個室へ通された。菜々子は寝ていて、早苗が洗濯をしてきますと出て行った。

 隆一郎は丸椅子に座り、雑誌をひろげる。ぱらぱらとめくりながら読んでいると、「saori」という文字が目にはいった。最初に、「コラムを書いたのはsaoriだ」と書いた人物が、そろそろ特定されるのではないかということだった。隆一郎には理解できない煩雑な手続きが必要だったらしいが、その「かきこみ」が騒動に燃料を投下したものだったので、警察も無視できなかったのだ。

 隆一郎は雑誌をたたみ、テーブルへ置く。手洗いにたって、戻ると、早苗が困った顔で待っていた。菜々子はまだ、死んだように眠っている。

 早苗の隣にはふたり組が居て、警察だとなのった。




 saoriこと和田志衣奈は、本が出版されて半年後、亡くなった。会った時には元気そうに見えたが、彼女は気力で保っていただけだったらしい。

 隆一郎は目を覚まさない菜々子の傍に居る。テーブルの上にはあの雑誌を置いてあった。ずっとだ。

 丸椅子は、ほとんど四六時中隆一郎が座っている為に、跡がついている。


 あの刑事達は、菜々子を逮捕しに来た。菜々子がほとんど死んだような状態であることから、逮捕できないと困っていたらしい。そして、隆一郎に事情聴取していった。

 奥さんがネット掲示板に書き込んでいたことは知っていましたか?

 それが最初の質問だった。隆一郎は知らないと答えた。ネットのことはわからない。菜々子はネット通販をしていたし、映画なども見ていたようだが、それ以外のことは知らない。

 いやな予感がふくらんでいた隆一郎は、「コラムニスト=saori説」をいいだした書き込みが、おそらく菜々子の手によるものだと聴いて、その場にへたりこんだ。


 パソコンやスマホには、住所のようなものがあるのだと説明された。

 だから、匿名の場で書き込んでも、しかるべき手続きをとって情報を開示させれば、どのパソコンやケータイで書き込んだかわかる。

 「コラムニスト=saori説」を書き込んだのは、菜々子のケータイだった。


「その直前に、殺害予告が出ていました」

「そちらも逮捕済みです」

「奥さんは、もしかしたら旦那さんを心配して、旦那さんが特定される前に別人を囮にしようとしたのかもしれません」


 刑事達はそんなことを云っていた。


 菜々子はあれから、二度だけ目を覚ました。どちらも隆一郎が偶然居なかった時だ。一度目は早苗が、二度目は美菜子が、菜々子と少しだけ喋った。菜々子はしきりと、隆一郎の本が無事に出版されたかを気にしていたらしい。早苗も美菜子も、本は出版された、と菜々子をなだめた。

 たしかに、本は出版された。しかし、隆一郎は原稿をとりさげていた。志衣奈は奥さんのことは関係ないと最後まで粘ったが、隆一郎は頷かなかったのだ。

 菜々子が目を覚ました時、また心配させたくない。今、隆一郎が考えているのは、それだけだ。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 怖かった……。 これポイントは、色んな人の思惑が絡み合って悲劇が起きてることですね。 今のネット炎上を見てよく思うのですけど、きっかけはちょっと過激くらいかな?っていうコメントなのに、い…
[一言] ネットに文章を上げている身としては、明日にも降りかかってきそうなことでもあり、興味深く読ませていただきました。 小さなことが知らぬ間に自分の手に余るほど大事となり、それを止める術もない。ネッ…
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