追跡せよ桜の盆栽
私がこの窓辺に据えられてから、まだほんの3日程度だ。安アパートの2階の、網戸すらない窓の内。藍色の益子風とかいう青い鉢に、なにやら高級な土を入れ、良きほどに苔を貼る。住居に似合わぬ雅やかな私である。
春ともなれば薄紅色の桜花が開く。その満開を愛でられて、ご主人様は私を購入なされたのだ。私の枝は美しく伸び、その日、カーテンの隙間から静かな夜明けを眺めていた。
突然、玄関の鍵がガチャガチャと鳴る。わがご主人様はすやすやと寝ている。泥棒というものだろうか。私は、若い一般事務員の収入で買える程度だ。私などを盗み出しても、売れるとは思えない。
この部屋には、ほかに金目のものはあっただろうか。テレビ?小さくて古い。パソコン?5年選手でそろそろご臨終だ。スマホ。こちらも挙動が怪しいが予算がないので買い替えられない。宝石も見かけない。財布もバッグも安物で、この部屋では冷蔵庫がおそらく最高値だ。
私を窓辺に据えるとき、ご主人様が持ち物をいちいち紹介してくれた。その時値段も聞かされている。私はこの部屋にある品々でいえば、平均価格くらいだろうか。数千円のお手軽品だ。
ご苦労なことだ。
苦労して鍵を開けても、特に何もない。
ドアが開く。
私がいる窓辺から、直線上にある玄関だ。他に出入口はない。室内は暗い。玄関付近はまるで暗闇だ。雨戸はないが濃紺に桜柄のカーテンが下がる窓である。ご主人様は桜がたいそうお好きなのだ。持ち物の殆どに桜の柄がついている。
黒いパーカーのフードを深く被った小太りの男が入ってくる。靴を脱いだ。礼儀正しい泥棒だな。スタスタとご主人様の横たわる窓際のベッドにやってきた。走るでもなく、足音を忍ばせるでもなく。
なんだろう。別の目的か。卑劣な犯罪者め。動けないのが恨めしい。私は樹齢5年の若輩者だ。老木ともなれば、木霊が宿り妖力を得る場合さえあると言う。だが、まだ5歳。動くのは無理に決まっている。
男がご主人様に向かって屈み込む。やめろ。何をするつもりだ。ああ、不甲斐ない。私はただ、ご主人様に置いていただいたこの慎ましい窓辺で、黙って成り行きを見守っている。それしかできない。手出しができない。枝はこんなにあるのに。短いながらに花も盛りの豪華な枝が。
ご主人様がもぞもぞと抵抗しているようだ。男の動作は小さい。ご主人様の顔を覗き込んだり、肩を揺すったりしている。大きな動きはしない。
ついにご主人様が起き上がった。ボサボサの髪は肩より少し長いくらい。染めずに黒いまま、真っ直ぐに伸ばしている。絡まりやすい細い髪質なので、寝起きはくしゃくしゃだ。整えるのにも時間がかかる。
まだぼんやりしているご主人様の二の腕をガシリと掴む男。何をする。ああ何をする。私は見ていることしか出来ない。手を引っ張られるご主人様は、文字通り寝床から引き摺り出される。
「えっ何?」
と驚く声を上げたご主人様。まだ寝ぼけている。私に声があったなら。ご主人様、お逃げ下さい!私のことは見捨てて、ご主人様だけでも安全な外へ走り出て、助けをお呼びください。しがない桜の盆栽に過ぎない私には、警察への通報もままならない。
「ちょっと、えっ」
ご主人様は、そのまま黒フードの男に手を掴まれたまま玄関へと向かう。ご主人様は、そのまま外に出てもおかしくないような格好で寝ている。一枚ですむ女性用の下着兼用Tシャツと平織木綿の短パンだ。引っ張られながらも片手を伸ばし、ご主人様は上着を掴む。
「あっ、ねえ、上、着たい」
「すぐ車だから」
黒フードの男は口の中でモソモソと呟く。
「でも、朝寒いし」
ご主人様の抵抗虚しく、そのまま扉の外へと連れ去られてしまう。私は何という役立たずなのだろうか。ご主人様が誘拐された!誘拐されてしまった!
私が窓辺でヤキモキしていると、2人はアパートの玄関から走り出る。バタンと金属製のドアが閉まる。鍵をかける音がする。悔しい。目の前で、みすみすご主人様の誘拐を許してしまった。
暗澹たる思いに沈んでいると、カーテンで見えない外からエンジンの起動音が響く。やがて自動車が出発する音が聞こえた。車で連れ去られたのだろう。ご主人様は、僅かに上着を着たいと主張しただけだった。叫び声さえあげなかった。よほど恐ろしいのだろう。お可哀想に。
不甲斐ない。
情けない。
腹が立つ。
悔しい。
口惜しい。
怒りが、焦燥が、込み上げてくる。
私の花枝が、風もないのに震え出す。小刻みに揺れて花びらが舞い落ちる。
行ける気がした。
念じろ。
ほら、お前たちも願え、根元の苔よ。
飛べ。
私は安アパートの脆いガラスを撃ち破り、夜明けの街へと飛び出した。裏は川。水がほとんどない都会の川だ。建物沿いにぐるりと回って、アパートの正面へと回る。こちら側には細い道がある。
黒い車がアパートから離れてゆく。他に車は走っていない。車の中まではよく見えないが、あれにご主人様が乗せられているに違いない。
助けに行くぞ。
私は、強い思いで植木鉢ごと飛んでゆく。車はそれ程スピードを出していないようだ。誘拐犯のくせに安全運転である。きっと小心者なのだ。私はまだ5歳の幼木だが、意志を持ち、既に飛べる。気の小さい犯罪者など敵ではないな。
犬の散歩とすれ違う。仰天して立ち止まったようだ。申し訳なく思うが、構っている暇はない。先を急ぐ。
私は動ける。故に動く。アグレッシブに活動する。移動速度はけっこう早いが車よりは遅い。安全運転の原チャリ程度だ。
私が視界を過ぎったのだろう。出勤中のバイクがバランスを崩す。済まない、だが悪く思うな!緊急事態なんだ。大通りに出ると、流石に車が増えてきた。そういえば車種がわからない。なんか黒い車だった!
街路樹から情報を得ようと念を送ってみる。無反応だ。川沿いの桜並木を飛びすぎる時、共に植えられた柳や、根元の花壇に咲く花々は沈黙していた。どうやら、同じ桜の木としか話せないらしい。
ただ、風に乗ってくる桜の花びらとも話せることが解った。これはありがたい。木のそばまで行かずとも、ある程度の範囲が捜索可能である。
「黒い車?何台も通ったよ」
だいたいは役に立たない情報だ。安アパートを出発した時には薄暗い明け方だった。今や明るくなり始め、交通量も増えてきた。黒い車も多くなる。
「黒い車?前に2人乗ってる?何台かみかけたが、山の方へ行ったのがあるな」
ひらひらと山から流れてきた桜の花びらが、有力情報をくれた。
「多分だが、1人は黒いフードつきのパーカーを着ていて、1人は女だった」
確証はないが、追ってみよう。山に向かう細道を選ぶ。ご主人様が好んで観ていたサスペンスドラマがちらつく。山に連れていかれた人が、殺されて埋められるシーンだ。それにしても、解らない。ご主人様は地味な女性だ。ドラマや盆栽園芸店で見かけた、恨みを買うタイプの人間には見えない。
一体犯人の目的は?
犯人は誰?
何故山に?
迅る気を抑えて、信号機や歩道橋にぶつからないよう気を遣いながら飛ぶ。障害物を避けて高い位置に出た。
見えた!
あれだな。
だいぶ先だが、山道を登ってゆく。
今行きます、ご主人様!
どうかご無事でありますように。
黒い車は山腹の広場に停まる。中から黒いフードの男が出てきた。反対側に回り、ドアを開ける。女性が降りてきた。ご主人様だ。遠くからでもちゃんと分かる。上着を羽織っている。怪我はないようだ。今のところは無事らしい。良かった。
男はまたご主人様の手を掴んだ。高いところから見ているから、はっきりとは判別できない。だが、男の腕が後ろに伸びて、ご主人様の手が前に出ているのだ。手を掴まれて引っ張られているに違いない。
急げ。男が桜木立に消えてゆく。枝が分厚く交差して、下の道が見えにくい。仕方ない。高度を下げて車のある広場から登山道に入ろう。
ここは桜だらけだ。道々話を聞く。間違いない。ご主人様は黒いフードの男に連れられて山奥へと向かっている。
桜の木々に教わりながら、曲がった道は直線に飛んで距離を詰めてゆく。小さな鉢植えでよかった。木々や枝の間に突然ぽっかりと空く隙間や、数の少ない下枝をくぐれば、だいぶ距離が稼げる。
やっと追いついた。木立が途切れて頂上手前の見晴台に出たようだ。私は慎重に、見晴台に面した大木の枝から様子を見る。
水音が高い。甲高い鳥の声が梢を渡って行った。ここには、簡単な柵と風雪に晒された石のベンチがある。ベンチはおそらく長方形だったのだろう。しかし現在では角はまるくなり、表面は穴だらけで苔も生えている。
こんな人気のないところで、見晴台の崖から突き落とされたら大変だ。見れば、左手に滝もある。水音の正体はこれだ。ご主人様の弱々しい叫び声など掻き消されてしまう。
男が立ち止まる。掴んだ手は離さない。ご主人様は黙っている。男が口を開く。若い声だ。
「この場所、覚えてる?」
「忘れるわけないじゃない。出会ったのも、初めて好きと言ってくれたのも、ここだったもの」
なんだ?すき?
「覚えていてくれたんだね」
「当たり前じゃないの、馬鹿ね」
「嬉しい」
「覚えてるわよ、一年毎に来るもの」
「また一年、次の一年、これからも」
「えっ?」
男が懐に手を入れる。
まずいぞ。刃物か。飛び道具か。この国では普通、銃を持てない。だが、一人暮らしの女性の部屋に乗り込んで、無理やり連れ出すような男だ。何を持っていてもおかしくないぞ。
私は全身に念を込める。私が青白く光出す。夜桜のように幻想的な外見になっているはずだ。満更でもないな。
いや、いまはそんなことを考えている場合ではない。
えい!
私は桜の大枝から飛び降りる。満開の桜林を小さな盆栽が舞う。
「僕と結婚して下さいっ!」
「嬉しいっ!はい!はい!」
……。
………。
…………。
私は慌てて引き返す。
良かった。
気づかれてないぞ。
今のうちに帰ろう。
安アパートの部屋に戻り、私は何食わぬ顔で窓辺に収まる。多少ガラスが散っている以外、変わったところはない。日が昇りすっかり朝になった頃、ご主人様と婚約者さんが部屋に戻って来た。
「えっカーテン揺れてる?窓開けてないはず」
「泥棒?危ないからここで待ってて」
2人はひそひそ言葉を交わす。婚約者さんはご主人様を玄関に待たせて、私のいる窓辺へと寄ってくる。桜柄のカーテンを寄せれば、ひび割れた窓には穴が開き、大きめの破片は眼下の川に落ちている。ほとんど水がないのではっきりと目に見える。
「ガラスだけ割れて落ちてる」
「えー?古いからねえ。ひびでも入ってたのかな」
「内側にも落ちてるから気をつけて」
「でももう出ないと。掃除は帰ってからにしよ」
ご主人様はさっと部屋を見回し、冷静な判断をした。
「ああ、朝からごめんね。僕今日休みだから、送るよ」
「やった!着替えるから待ってて」
「ガラス、ほんと気をつけてよ」
「うん、ありがとう」
ご主人様は出勤スタイルに手早く着替える。
「管理会社に電話しとこうかな」
「車ですれば?」
「そうだね」
「朝ごはん寄る時間はあるよね?」
「一応ありそう」
「何処行こうか」
婚約者様が最後に部屋をもう一度確認する。私が目に止まった。
「あ、この前言ってた盆栽?」
「うん」
「桜だね」
「出会いの思い出を大切にしたかったんだ」
「うわー可愛い」
「ごめん、もう出ないと」
ご主人様は抱きついてくる婚約者さんの腕から逃れる。踊るように身を捩ると、笑いながら玄関へ向かう。
「ん?」
婚約者さんが私を見ている。なんだろう。
「鉢がガラスの破片を踏んでる?」
玄関からご主人様の声がよぶ。
「出かけるよー」
「ごめーん、今行く」
婚約者さんも玄関へと向かい、やがて車の音が遠ざかって行った。
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