番外編 「禁断の自宅デート(後編)」
十時半ごろ。お目当てのマリトッツォや遥にリクエストされたお菓子もろもろを買い終わり、コンビニを後にする。袋に入ったシュークリームやポテチを確認し、僕は遥に通話することにした。
「おはよう、遥。いや、こんにちはの方が正しいかな」
『おっはよー透くん! この時間は微妙だから、どっちでもいいんじゃない? あっ、でも通話してきたってことは、私のお目当てのもの買えたってことだよね!?』
「正解。君が狙ってるシュークリームとポテチは無事に買えたよ。あとは僕が欲しかったもろもろと、ジュースを二本ほど。準備が整ったから、確認がてら遥に電話しようと思って」
『なるほどねー。透くん、付き合いたての時はめちゃくちゃ声とか裏返ってたもんね! いやぁ、あの時の透くんは可愛げがあってよくからかってたなぁ』
そのことを掘り返されると、無性に僕の体が芯から冷め切っていく。なんだろう、地雷という訳ではないんだろうけど。
けれど、多分。僕は怒っている。だって冗談でも視界が赤くなるなんて、相当のことだと僕は思うのだから。
「今はもう慣れて可愛げも何もないけどね。あぁ、でも実は緊張してるんだよ、僕だって。手汗がヤバいし、手も冷たくなってきた。遥、僕が死んだら僕の本達と一緒に燃やしてほしいな」
『えっ、えっ。それは冗談きついよ透くん! 私が迎えに行こうか? それとも、お母さんに言って車に乗せてもらった方がいいんじゃ』
「ふっ、ふ、あははっ。何焦ってるのさ、遥らしくもない。これは僕なりのジョーク。君がいつも僕をからかうから、その仕返しだよ」
『し、仕返しにしてはやけに重たかったけどねっ。透くん、この短時間で何か気に障ることでもあった? いや……これってもしかして、私のせい?』
うん、正解。
だけどそんな言葉は厳重に鍵をして、いつまでも隠しておくことにしよう。その方が遥かに都合がいい。
「四割は遥のせい。あとの六割は僕のせい。掘り返されると根に持つタイプだからさ。……うん、やっと僕の目も落ち着いてくれたよ。ありがとう」
『こ、こちらこそ。ていうか、透くん今ので目使いすぎてない? 本当に私が迎えに行ってもいいんだよ?』
確かに疲労感はあるけれど、これはまだ耐えられる方だ。僕自身の経験からそう結論づけられるのだから間違いない。
「いいや、大丈夫。お気遣いどうもありがとう。僕はこのまま遥の家へ向かうから、十一時過ぎには着くと思うな。じゃあ、これで」
『うん。じゃあ、また家で。待ってるからね』
そうして、僕は遥との通話を切った。後はこのまま遥の家まで歩いていくだけだ。
まだ内装は見れてはいないけれど、玄関の前でなら待ち合わせに使ったこともあったから、遥の家の場所は知っていた。二階建ての白と黒の家で、初めて来た時はなぜか初めてじゃないような気がしたくらいだ。
どこからか親近感を抱いていたのだろう。勝手ながら中村家の人々とは何の関係も因果もないけど、僕が直感するというのはきっと何かがあるのかもしれない。その謎は、一生わからない気もするだろうけど。
◇◇◇
約束通りの十一時過ぎに、僕は遥の家へと着いた。
念のため『着いたよ』と遥にラインすると、即、遥からの既読がついて勢いよく階段が下りる音がした。……これなら、表札の隣にあるインターホンを押す必要はないみたいだ。
「やっほー! 待ってたよ、透くんっ! って、おろ?」
「開口一番どうしたのさ、その『おろ?』って。そんなに僕のファッションセンスがおかしかった?」
「ううん、むしろ似合ってて変な言葉が出ちゃった。ごめんねっ」
「そう言う遥も可愛いから許すよ。ていうか、遥こそ僕の前の私服マネしてない? それとも、今それがトレンドって訳じゃないよね?」
僕が今日の自宅デートに挑んだファッションは、Ⅴネックの白いセーターに白の長袖シャツ。そして紺のパンツだ。だというのに、遥の服装は白のタートルネックに灰色のワイドパンツときた。
「にひひっ、そうだよ。ちょっと透くんを意識してコーディネートしたんだー。似合ってる?」
「似合ってるけど……まぁいいや。僕を想ってくれるのなら文句は言わない」
「それなら良かった! じゃあ、さっそくだけど上がってね。二階に私の部屋があるから」
「お邪魔します」
靴を脱いで中村家への敷居をまたぐ。内装はオシャレな洋風で、暖かみのある場所だった。
遥の後をついて部屋に入ると、そこは女子高校生の部屋が現実に晒されていた。自分でも何を言っているのかわからないが、とにかく現実を見せつけられていた。なんせ女子の部屋に入るなんて初めてだし、変に緊張してまた冷や汗をかいている。
遥の部屋は比較的シンプルで、ホワイトやベージュを主にしたこれまた洒落た部屋だった。白いベッドに白のテーブル。ベージュのクマのぬいぐるみに白い本棚。そしてテレビとゲーム機ことスイッチ等々。
「これが、遥の部屋……」
「うん、私の部屋だよ。と言っても、昨日の晩に慌てて片づけたんだけどねー」
「普段からちゃんとしなよ。一応、僕という彼氏が来るんだからさ」
「むぅ、わかってるよそれくらいっ。とにかく、今は勉強会だよ勉強会。昼の一時まで勉強して、昼ご飯も兼ねてスイーツ&お菓子パーティだよ!」
「了解。じゃあまずは勉強会に励もうじゃないか。あ、あとスマホ触るのは禁止だよ。勉強する間はスマホをシャットダウンさせてから。ここまでオーケー、遥?」
「ん、バッチリだよ。電源も落としたし、真面目に勉強するだけだね」
その後はほとんど無言で、至極真っ当に二人で復習や予習に励んだ。わからない問題は答え方を教え合ったり、公式の復唱をしてみたりと、頭に勉強のことしか考えさせないようにしたくらいだ。
勉強も程なくして時計を見ると、ちょうど一時を針は指していた。なんてグッドタイミングなのだろう。
「ひとまず勉強会は終わりだね。量より質って感じの手応えがあったよ」
「そうだね! とにかく叩き込んだみたいな勉強だった。透くん、いつもこんな感じで勉強してるの?」
スマホの電源をつけてポテチの袋を開けながら遥は言った。
「うん、そうだよ。短時間で詰め込んで、かつ頭に覚えさせる。比較的効率のいい勉強法じゃないかな」
パーティー開けしたポテチを一つ口に入れ、昼ご飯兼用のひと時を過ごしていく。ついでにスマホの電源も忘れずにつけておいた。
「透くんって意外と効率重視するよねー。まぁでも透くんのそれはちゃんとわきまえてるから良いんだけど」
「あくまで“重視”であって“厨”ではないからね、僕は」
自分用に買ってきたエクレアを口に運ぶ。上にかかったチョコと、中にあるクリームのハーモニーがたまらなく美味しかった。
たたがコンビニ、されどコンビニスイーツ。その辺のを下手に買うよりクオリティは抜群だ。
「これウェットティッシュ。手汚れたら使ってね」
「ありがと」
ちょうどエクレアを掴んだ手がチョコで汚れていたところだ。僕はお言葉に甘えて、ウェットティッシュで手を清潔にさせる。
「それで透くん、ゲームはいつからする? 今からでもいいけど」
「じゃあ今からやろう。本命のゲームをいつまでもおざなりにするわけにはいかないからね」
遥の提案でゲーム大会が始まった。しかし、この時の僕はまだ気づいていなかった。……遥の本当の強さというやつを。
今回するゲームは『大戦闘スマッシュシスターズ』という、対戦型のゲームをすることになった。
ルールは制限時間三分で残機も三つ。アイテムはありのステージギミックあり。勝敗は至ってシンプルで、相手をより多く倒せるかどうかが鍵となる。なお、どんな倒し方でも構わないと言うから戦闘意欲が滾ってくる。
「さぁ、いこうか――遥」
「う、うん。なんか透くんキャラ違くない?」
「気にしたら負けだよ」
なんてことを言いながら対戦は始まった。最初は僕の方が圧倒してたんだけど、終盤になるにつれて遥が追い上げてきて結果こてんぱんにされてしまった。なんたる不覚、なんたるプライドへし折り戦乙女め。
「やったー大勝利! ブイサイン!」
きゅぴーん、という効果音が似合いそうな声色でピースサインをする遥。そんな遥も可愛いのだけれど、僕のプライドが黙っちゃいなかった。
「次は絶対勝ってやる……!」
完敗。
完敗。
三連勝ならぬ三連敗。
「もう嫌だーっ!! あぁくそっ、なんで僕がこんな目に合わないといけないんだ……。ゲームでも現実でも負け続きだよ……!!」
近年稀に見ない大絶叫をするほど、僕の心はずたずたにされていた。たたがゲーム、されどゲーム。本気で挑めば挑むほど負けるダメージが比例されていく。
「くふふっ、叫ぶ透くんも新鮮味があって楽しいよ! さぁ、もう一回だよ! 私に勝てるまでせいぜい足掻いてみせてよね!」
「やってやろうじゃないか。いいよ、やってやる。遥を倒すためだけに思考を使い潰してやる……!」
その戦、見事に完敗。
「くっそ、なんでだよ。アイテムでボコられたどころか挙げ句の復帰阻止。吹き飛ばされるなんて……。もう辞めたくなってきた、休憩していい?」
「いいよー」
「いいんだ」
呆気ない遥の了承に戸惑いつつも、僕は最後までとっておいたマリトッツォに手を伸ばす。パン生地の間にある大量のホイップクリームが絶妙な甘さでこれまた絶品だった。
「よし、英気は養った。勝つまで終わらせないぞ……!」
「そうはさせないよ。透くんの土下座が見れるまで何度だって戦ってやるからねー!」
それは辞めていただきたい。ゲームで土下座なんて公開処刑もいいところだよ……。
◇◇◇
「っしゃ!! 勝っっった……!」
ようやく遥に勝てて僕は大の字になって寝そべった。コントローラーを握りしめると、手汗がほのかに激戦を物語っていた。あとでしっかりと殺菌しておかねば。
ここまで何かに対して感情的になったのは久しぶりだった。読書にしろゲームにしろ、人の心を動かせる物は本当に凄いし、何より素晴らしくてため息が出る。
「遥、手を抜いてたわけじゃないよね? さっきのも本気だったよね?」
「うん、本気中の本気。絶対勝つって思ってたけど、正直油断してたところもあるからそれが仇になってたのかも。自分の力を過信してちゃダメだなぁ」
「ならご褒美として今日の定義はなしにしてよ! 戦略を考えて頭が爆発しそうなほどハイになっちゃってるんだよ、僕!」
えへへ、なんて柄に合わない笑顔が出てしまう。うん、だってしょうがないだろう? 正直目を使いすぎるよりかはマシだけど、頭がショートして変になってしまったのだから。
「だーめ! 初体験をしたら透くんに定義を言ってもらうのは絶対なんだから。最後に私が残しておいたシュークリームあげるから、それで糖分摂取して元の透くんに戻ってね」
「んぐ」
半ば押し付けられるような形で遥は僕の口にシュークリームを押し込んだ。口に広がるシュー生地と生クリームの味わいが合わさってとろけそうになる。
「ん、むぐ。……あぁ、美味しかった。おかげで目と頭が冴えたよ、遥。ありがとう」
「いえいえ。それで、言ってもらう定義なんだけど」
「なんだけど?」
「今回は『恋愛による変化』について定義づけしてほしいなって思って」
「…………難しいな。今まで一番の難易度かもしれない。実体験も混ぜてもいい?」
「もちろん、いいよ」
「じゃあ五分ほど待ってて。スマホいじっててもいいから」
「オッケー」
『恋愛による変化』だなんて、客観的に言えばいいのか? それとも、僕らの実体験による変化?
正直遥が聞きたいのは後者だろう。僕が必死に客観的に述べたところで彼女は頬を膨らませて『それじゃない』、だなんて言い出しそうだもんな。うん、きっとそうなる。
「……一応できた。聞いてくれる?」
「了解。どんなに長くても眠らないようにするね!」
それはありがたい。
「……これちょっと言うの恥ずかしいな。笑わないで聞いてよ」
「わかってるって」
深呼吸して咳払いする。うん、今度こそ準備は万端だ。心の方ははち切れそうになりそうだけど。
「恋愛による変化なんていうものは実に簡単でわかりやすい。まず僕自身変わったのは、視界かな。文字通り見る視界が変わったというか、視点が変わったんだよ。視野が広がった、とでも言えばいいのかな。今までつまらなくて窮屈だったモノクロの世界が、君のおかげで変わったんだよ、遥。
遥のせいで僕はこんなにも幸せ者になったんだ。見るだけで首を絞められるような感覚が今じゃもうない。これは凄いことなんだよ。君という存在がいてくれて、僕は変わった。そうじゃなければこんなに感情を吐露することはないし、見た目を変えてみようなんて思うはずもなかったんだ」
遥の方を見ずに自分なりの定義を話していく。だってそうでもしないと耳まで赤くなっているのがバレそうになるから。
相変わらず小さな抵抗にすぎないけど、僕自身を保つ立派な自尊心の一つなのだから。
「そして、遥がきっかけをくれなかったら君以外の他人と話そうともしなかった。これは僕の努力もあるけれど、健やその仲間達にも仲良くなれるなんて思いもしなかった。
つまり、『恋愛による変化』なんてものは人を色んな方向へと狂わせていくんだよ。……僕は幸運にも良い方向に伸びていってる方だけどね。
うん、遥には本当に感謝しかないよ。――ありがとう、遥」
「な、何それぇっ……」
この時見た遥の顔はいつにも増して赤くなっていて、驚いていた。
そりゃそうだろう。定義と脈打って告白じみたことを僕は言ったのだから。
「ずるいっ、ずるいよ透くん! そんなの反則だってばぁっ……!」
「ごめん。でも、伝えたいと思ったのがこれなんだ。反則だろうが何だろうが、これが僕の定義だよ、遥」
その時の僕は、心から笑みを浮かべていたのかもしれない。だってこんなに心が弾むなんて今まで少なかったのだから。
「なんでゲームではこてんぱんにされる癖に、こういう時だけカッコイイの? ホントにずるいっ、卑怯者めっ」
そうして遥は僕をぽかぽかと殴り始めた。大して痛みはないから構わないけど、どう反応していいか困る。
「……あー、悪かったよ。気が済むまで僕を殴ってくれ。泣いてもいいから」
「な、泣き顔なんて透くんに見せるわけないじゃんっ。今日のことお兄ちゃんに言いつけて、明日のオンラインゲームでボコボコにするようにしてもらうんだからっ」
「うげっ、その手があったか。遥だけでも苦戦したのに、お兄さんにこてんぱんにされるなんて。お兄さんはラスボスか何かなの?」
「そうだよ、中村家のラスボスだよっ。一族きってのイケメンで、成績優秀な凄腕プレイヤーなんだからっ。絶対、ぜーーったい! 透くんを泣かせるまで地に伏せてやるんだからっ!」
お兄さん相変わらずの情報過多になってきた。これじゃあ属性マシマシお兄さんだよ……。
という冗談は置いといて。
「そこまで言うのなら僕も頑張ってみる。ラスボスお兄さんを倒すためなら、あらゆる思考と目を使って追い込んでやるよ」
「透くんの目を使うのはさすがにチートだよ。本来の意味でね。でも通話を通して話すから、お兄ちゃん自身は映らないよ?」
「ビデオ通話を使えばいいじゃないか」
「あー……お兄ちゃん、あんまり人前で晒されたくないんだよ。写真も見切れてあるやつばっかりでさ。だからビデオ通話も断ると思うよ」
「くそっ、こうなったら『変色症』をフルに使って、声色だけで『色』を判別して脳内でどんな思考を練ってるのか識別してやる……!」
「わー! それはダメ、それはダメだよぉ透くん! そんなことしたら透くんが死んじゃう! たかがゲームで命を削るようなことはしないでよう!」
――しかし時にはこういう賭けも必要なんだよ、遥。僕自身も死に直結するまでの荒事はしたことなかったけど、仕方ないのさ。
なんて、心の中でイキってみせる。
「……うん、悪かった。ごめん。僕もまだ死にたくないから言われた通りにするよ。あと、お兄さんのこともごめんね」
「そんなのいいよ! 言い始めた私が悪いんだからっ」
そうして仲直りをした僕らは再びゲームで対戦し、お互いに尊重した戦いを楽しんだ。遥の方が実力はあったけど、僕を勝たせるような真似は一切せずプレイを一貫させた。
僕も目を使うことは一切せず、己の力だけで勝ちを望んだ。結果は負けた方が多かったけれど、僕自身の力で勝つこともあったのでへこたれずに最後まで戦いを楽しめた。
遊んでいると時間は早いもので午後の六時を回っていた。僕自身、カフェや本屋でこの時間までいることが多いので門限としては何ら問題はなかった。
けれど、今日は中一の弟が友達の家ではなく家で晩ご飯を食べるということで、ゲームもここいらで保留となり帰宅することとなる。
「送ってあげても良かったんだけど、ごめんね。帰りの夜道は怖いぞってお兄ちゃんがうるさくて」
スマホのラインを確認しながら遥は言う。
「いいよ。遊ぶ家が逆なら良かったけど。まぁ、今度の機会ということで」
「じゃあまたね。明日の夜はよろしく。学校に行く月曜日の朝が楽しみだよ」
「もう月曜日の話をしてる……。まぁけど、遥と話せる話題が増えるのはこっちも嬉しい」
しばらくの間お互いに微笑んで、僕は中村家に背を向けた。
「じゃあまた。明日が楽しみだよ。遥のおかげで、毎日が楽しいや」
番外編である“おまけ”は書き切ってしまったので、彼らの物語はおしまいです。
けれど、書いた当時の空気感や思い。リメイク時の並々ならぬ情熱は消えないでしょう。ここまで読んて下さり、本当にありがとうございました! 2022.1. 22