5話 「初めての 1」
「なぁ。お前と中村さんって、付き合っているんだろ?」
僕が『考えて』いるときにこれだ。ほとんどのクラスメイトは僕の名前を呼ばないし、呼んではくれない。きっと、僕のことが地味なクラスメイト以下に思っているのだろう。
女子や例外を除いて、ほとんどの同級生は先ほどのように僕を『お前』や『おい』と言う。これも嫌がらせの類だと思われるが、僕は一昔前である夫婦の会話ということにして、心を冷静に保っている。
「僕が中村さんと? まさか。男女の友情ってやつだよ」
「いいや、俺の目は誤魔化せねえぞ。昨日、こんな目撃情報があったんだ。グループ中で噂になってるぜ、ほら」
クラスメイトの男子生徒が言うや否や、彼は制服のポケットからスマホを取り出す。そして、僕の顔にスマホを近づけてみせた。
その写真は間違いなく、僕と遥がカフェに入ろうとしている瞬間を撮影されたものだった。高校生の情報伝達というものは計り知れない。
「立派な盗撮じゃないか。君は将来、彼女のストーカーになりそうだ」
「お前、そういう余計な一言が多いから嫌われるんだよ。それに、これを撮ったのは俺じゃねえし」
他人からの良くない評価を得たところで、僕はうじうじと悩むような人間ではない。冗談を言ったつもりだが、彼には効かなかったようだ。
「僕に対する評価なんて、今はどうでもいいんだ。問題は、僕と中村さんが付き合っているかどうかだろう?」
「あぁそうだ。白黒はっきりつけてもらうぜ」
白黒も何もないだろう。僕は思わずそうツッコみたくなったが、ぐっとこらえた。
「僕と中村さんの関係はただの友達だよ。もっとも中村さんは、友達以上恋人未満を僕に求めているらしいけど」
「お前、中村さんと親友になるのか!?」
「彼女がそう言ってるだけ。僕自身は、あまりそれを望んでいないけど」
すると男子生徒は腕を組み、頭をフルに回転させた。なぜそこまで悩むのだろう。早々に現実を受け入れた方が楽に決まっている。
「……わかった。お前と中村さんの関係を受け入れよう」
「よかった。なら、これからは僕の近くにいない方がいいと思う」
「何でだ?」
「何でって……」
僕はこれまでに受けた嫌がらせの数々を思い出した。ふざけて眼鏡を割られたり、僕のお気に入りの本をぞんざいに扱われたりした日は特に最悪だった。初めて彼らに嫌気がさした。
しかし、嫌がらせを受けた日は決まって本の世界に溶け込み、泥のように眠る。これが一番の解決策だ。そんな僕に関わりでもしたら、彼がどんな目に合うかわからない。
「おーい。どったの? 顔色悪いぞー」
「ご、ごめん。少し気分が優れなくて……」
「おー。保健室行ってこいよ」
「いや、大丈夫……。すぐに治るから」
「そうか? まぁ、気をつけろよ」
そう言って、男子生徒の彼は僕の肩を軽く叩いた。いったい誰のせいで僕がこんな目にあわないといけないのだろう。この時の僕はまだ、知る由もなかった。
「……別に、君が僕を優しくする必要はないと思うよ」
「ん? 何でだ?」
少しデジャブを感じるがまぁいい。僕は異様に構ってくる男子生徒に事情を話した。もちろん、『変色症』や遥との関係については話さずに。
「僕は君と違っていじめられやすいんだ。僕に関われば、きっと君も巻き込まれてしまう」
男子生徒は察したような瞳をしたが、すぐに『明るい』表情を作った。偽物や不自然なんかじゃない、本物の笑顔で。
「大丈夫だって! 俺、口裏合わせるの得意だから」
「そういう問題じゃ……」
「いいや、俺が何とかする」
「口裏を合わせてくれる件はありがたいんだけど、僕は彼らとは友達にならない。いや、なれないんだ」
男子生徒は一瞬何かを言おうとしたが、すぐにやめた。制服のポケットからメモとペンを取り出し、一枚紙を破く。
「これ、俺の連絡先。何かあってもなくても言えよ?」
「あ、ありがとう」
突然の情報と嬉しさで上ずった声が出てしまった。僕はそのメモを四つ折りにしてポケットに入れた。
小学生の時に、周囲がこそこそと紙を渡して情報を共有していたのを思い出す。
僕が空気を読めなくてずっと手紙を持っていたら、相手の女子に「返事を出してもらえない」と泣いてちょっとした騒ぎになったこともあったっけ。
……本当にろくな思い出がないな。僕の記憶には。
「ちなみにさっきのはガラケー用。とりあえず連絡先を登録して、そこから俺のスマホに追加してくれ」
「わかった」
回りくどいなと思ったが、僕は彼の言う通りに連絡先を交換する。プロフィールの一言には、『学校の情報屋をしています! 教師や気になるあの子のことならお任せあれ』と書かれていた。
「へぇ、情報屋してるんだ。えっと……」
「佐藤健。特別に、俺のこと好きに呼んでも構わないぜ?」
快活そうな見た目とは裏腹に、かなり真面目そうな印象の名前だ。あれだ、これがギャップ萌えとかやつか。まぁ、そんなことはどうでもいい。今は健との自己紹介をすればいい話のことだ。
「じゃあ、君とは情報共有のクラスメイトってことで」
「よろしく、健」
僕はできる限り明るい笑顔を作ると、健は快活そうに笑った。
「おう! よろしくな」
放課後。僕は健からのカラオケ参加を丁重に断り、遥もまた女子生徒からの素敵な誘いを断った。健は「頑張れよ!」と謎の励ましを残し、女子生徒は「またねー」と嫌な顔一つせず帰っていく。
僕と遥だけの二人きりな空間が完成した。してしまったのだ。たが、僕は何回か遥と二人きりになっているし、そう簡単に初めてを奪われるはずがない。
「教室で二人きりなのは、初めてだね」
「うわぁっ!?」
いつの間にか、遥が僕の隣にいた。何ということだ。不覚を取られてしまい、僕は椅子から転げ落ちそうになる。
「にひひ、ちょっとからかってみただけだよー」
「本当? 嘘くさいなぁ」
僕がため息をつくと、遥は期待をこめた眼差しでこちらを見ていた。
「え、何」
遥はまだ僕を見つめている。半ば思考を諦めた頭で考えてみると、大事なことを思い出した。
「……あー、そうだった。遥が『初めて』を教える代わりに、僕が自分なりの定義を答えるんだった……」
「あと今日はショッピングモールに行くから、もう一つ追加だよ!」
そんな売り文句のように言われても、こっちの方が困る。『定義』なんていう言い回しをしているが、ちょっと頭が回る高校生の考えにすぎない。
「遥。考えるのにも時間がかかるし、何より疲れるんだよ。そのことにもうちょっと、気を遣ってくれれば」
遥は待ってましたと言わんばかりに手を挙げる。
「はいっ! それに関してはちゃんと考えていまーす!」
「透くんの定義なんて、モールに行くまでの時間とか帰り道で色々考えられるでしょ? もし途中で疲れても、前みたいにお店のなかで休めばいいんだし」
遥の意見に同意しようとしたが、何か大事なところを聞き逃している気がする。
「……ん? 今モールって言ったよね?」
「うん、言ったよ。それがどうしたの?」
遥は首をかしげ、僕を不思議そうな目で見てきた。いったい何がおかしいのだというのだろうか。僕はただ、モールについて聞いただけなのに。
「あ」
気が付いてしまった時には、もう遅かった。遥に手を引かれた気がするが、なぜか諸々の記憶が抜け落ちていた。意識が飛んでいた、といった表現の方が正しいのだろうか。
それはきっと、もう少し先にいる未来の僕が一番わかっているはずだ。……多分。