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4話 「色づき始めた日常 2」

「透くん。あーんしてあげよっか?」


 遥は注文したショートケーキをフォークで突き刺した。そして、フォークに刺さったケーキを僕に近づける。


「い、いいよ。彼氏でもない、ただの友達だっていうのに」


「友達以上、恋人未満って言葉知ってる? 男女は恋愛だけでは成立しない。友情で構成される定義もありだと思うんだけどなぁ」


「……遥にしては、なかなかいいこと言うね」


「にひひ、君の真似ー」


「へぇ……」


 遥は冗談めかしで言うが確かに一理ある。実際に、僕らは友達だが恋人でもない。それを利用すれば、誤解されそうな場面でも言い訳ができる。


「ねぇ、あーんしないの? 早くしないと食べちゃうからね。それに……」


「それに?」


「透くんの色々な『初めて』、奪いたいし」


「ぶほぁっ!?」


 僕はコーヒーを思い切り吹き出してしまい、変に注目をあびてしまった。かなり恥ずかしい。


「す、すみません……」


 そそくさと僕が布巾でテーブルを拭いていると、遥は必死で笑いをこらえていた。僕は後でいじられ、笑われるだろう。けれど、それがいじめではないのが不幸中の幸いだった。


 コーヒーの騒動が落ち着いた頃。僕は一つ目の『初めて』を体験させられていた。


「ほんっと、恥ずかしいんだけど……」


「いいからいいからー。せっかく一番美味しいところ、あげようとしてるのにぃ。さっきのリベンジだと思ってさ。ほれほれ」


 本当に遥は僕にケーキを食べさせたいらしい。そんな甘酸っぱい経験を、僕がしていいものだろうか。


「……あのさ。本当に僕でいいの?」


「いいのいいのー。ささ、食べなすって」


「はぁ……。じゃあ、いただきます」


「はい。あーん」


「あー……」


 フォークに刺されたケーキが僕の口に近づいてくる。


 意識すればするほど、僕の頬が赤くなっているのを感じた。

 明日から僕はどう生きればいいのだろう。


 そんな哲学じみたことはどうでもいいんだ。今ここで食べないと、遥にきらわれてしまう。ええい、どうにでもなれ!


 ぱくり。


 いちごの酸味とスポンジケーキの甘さがちょうどいいバランスだ。予想していたのより、かなりおいしい。


「お、お……」


「お?」


「おいしい、です……」


 りんごのように赤くなった顔を両手で覆い隠した。僕自身が女々しい男だとは自覚しているが、今の状況は笑われてもおかしくないレベルだ。


 パシャリ。


 静かなカフェに、シャッター音が響いた。


「へ?」


「にひひー。透くんの秘蔵写真撮ったなりー。打ち取ったなりー!」


「ちょっ……!? まさか、SNSに投稿するとか言わないよね……!?」


「にしし、どうしようっかなー? やっちゃおうかなー?」


「マジでやめろ、ホント……」


「はぁ……。わかったよ、もうー」


 ここで僕の願いが通じたのか、遥はため息をつきながら言った。神様ありがとう。


「けど、条件付きだからね」


「マジですか」


「マジです」


 遥は真顔で言ってみせる。彼女の好きにはさせまいと、僕は交渉を持ちかけた。


「その条件にはおおかた予想はつくけど……。とりあえず言ってみてよ。ただし、僕にもこれだけは守ってほしいものとかあるから」


「よろしい。その条件、のんであげる」


「何キャラ……? まぁいいよ。まずは、遥……君の意見を聞こうじゃないか」


 僕はまだ温かいコーヒーをすすりながら聞く。少しだけ大人になった気分にひたれた。


「りょーかい。んじゃ、言うね。私は君と普通に過ごしつつ、君の『初めて』を奪いたいの。ショッピングモールに行ったり、美術館や神社に行ったりとか……」


「あ、そうそう。透くんのご自宅とか大好きな本屋に行ってあげてもいいよ。おすすめの本とか知りたいし」


 僕はなるべく冷静を保ちながら、遥の話を中断させる。


「ちょっと待って」


「ん、どうぞ」


「自宅デートって……。親友の一線を超えそうなんだけど……大丈夫?」


 僕が遥に聞くと、彼女は食べかけのケーキを皿に落とした。おいしそうなケーキが崩れ落ちる。


「……まぁ、その時はその時だよ。にひひっ」


「遥は可愛いからまだ許されるだろうけど、その笑い方はやめた方がいいと思う」


 ばっさりと僕が切り捨てると、遥は一瞬固まったが今度はにやにやしだした。はたして、こんな愛されキャラがいていいものだろうか……。


「……何、どうしたの?」


「嬉しいこと言ってくれるじゃん、もうっ」


 情報過多でどうにかなりそうな頭をフル起動する。


「えーっと、僕と目いっぱい楽しみながら、『普通』の生活で僕の色々な『初めて』を奪う……。これ本当に大丈夫? 後で僕を警察に突き出す、なんてことはしないよね?」


 やや遅れて遥の返事が来る。どうやらケーキを飲み込んだようだった。


「大丈夫だって。今でもそうでしょ? 透くん、友達いなさそうだし。さいあく、お兄ちゃんに」


「――何が言いたいんだよ」


 僕はつい強い口調で言ってしまった。僕にとって友達は地雷でしかない。苦い過去を思い出し、かなり怒りが増してくる。


「おお、透くんでも荒っぽい口調言うんだね。意外」


「そんなことは聞いてねぇ!」


 僕は勢いに任せて席を立つ。突然の大声に客が僕の方を向いたが、すぐにお喋りを始めた。


「……すみません」


 僕は自分のしたことに気づき、席に座る。


「……ご、ごめんね」


 遥もさすがに頭を下げ、僕に謝った。彼女の声が震えているように聞こえたのは、気のせいなのだろうか。


「あっ、そ、そうだ! 連絡先交換するの忘れてた! たははー、ごめんねっ」


 遥はいそいそとカバンからスマホを取り出す。僕はうつむきながら、無言で彼女にスマホを渡した。しばらくして、QRコードによる連絡先の交換は終わった。これでいつでも遥と連絡ができる。


「えっと、透くん……?」


「……先に帰っておいて。今は、一人になりたい気分なんだ」


「わかった。じゃあ、透くんが来るまで私、待ってるから」


「また後でね」


 そう言って遥は僕の分まで会計を済まし、どこかへ行ってしまった。また後でと言っていたが、彼女はどこへ行くつもりなのだろう。


 僕は遥に見せたくなかった涙を流し、静かに泣いた。この姿だけは誰にも見られたくなかったからだ。


 泣き疲れて眠ってしまったのだろう。僕が目覚めた時には、午後の七時を回っていた。


 僕の目の前にはコーヒーではなく、なぜかホットミルクが置かれていた。店のメニューには無いはずなのに。


「青春は短いもんだ。大事に過ごせよ」


 声につられて声の主を辿ると、そこにはめったに顔を出さない店長がいた。あごに髭を生やし、妙に顔が整ったダンディーな若い人だ。


「あの、店長。これは……」


「あぁ? 久々に店に出たら、めそめそ泣いてるお子様がいたからな。これ飲んだらとっとと帰りな。親御さんが心配してんぞ」


「店長」


「おう、なんだ」


「ありがとうございます」


 すると店長はにかっと笑って、僕の頭をくしゃくしゃとなでた。


「わ、何ですか急に」


「ちったあ成長しろよっていう願掛けだ」


「はぁ……」


 僕にいったい何を期待しているというのだろうか。全くもって見当がつかない。


「今を楽しめ」


「へ?」


 僕がまぬけな顔をすると、頭を押されて戸惑った。


「青春を無駄にすんなってこった。気づけば大人になっちまうからな」


 呆然とする僕に、店長は僕の肩を軽く叩く。


「今を生きろ」


 店長の言葉を聞いて、僕の瞳からは考えられない『色』と世界で染まっていた。放課後の『味』。青春の『色』。ほろ苦い空気。甘酸っぱい『初めて』の甘さ。


 匂い。空気。色彩。味覚。全てが僕の頭の中に流れ込んでくる。


 僕の中で決定的に何かが変わった。遥に会いたい。会いたくて仕方がない。この気持ちを、どこにぶつければいいのだろうか。


 けれど、それよりも僕は彼にあいさつをしなければいけない。


「……店長」


「あぁ。なんだ?」


「また来ます」

「いつでも来い。……待ってるからな」



◇◇◇


 午後七時半を過ぎた頃。僕はカフェを後にした。


 カランカラン……。


 カフェ特有のベルの音が夜空に響く。


 いつの間にか、僕は電源を切っていたのにスマホを手に取っていた。


 遥に会いたい。でもあの後だろうから、もう帰ってしまったのだろうか。そんなことを思っていた時だった。


「待ってたよ、透くん!」


 僕が見ているのは幻ではないのか。と一瞬思ったが、両手を包まれる暖かさを感じた。この遥は幻覚なんかじゃない。本物のぬくもりだ。


「え、あ……。遥? なんで、ここに……」


「もうっ。私待ってるからって言ってたじゃん。透くんのいじわるっ」


 遥が背を向くと、肩を震わせて泣き始めた。あまりの出来事に、僕はどうしたらいいのかわからなかった。


「えっと、その……遥、ごめ」


「ぷっ、あはははっ!」


ごめんなさいと言い切る前に、遥は突然笑い出した。


「は、遥?」


「あははっ、ごめんね。透くんが遅いから、ずっと本屋で待ちぼうけしてたんだー」


 何ということだ。僕はここで初めて気が付いた。僕が遥との約束をすっぽかしていたということに。


「こんなに、夜遅くまで待っててくれたの?」


「うん、そうだよ。おかげで店員さんに目つけられちゃって」


 遥は笑っていたが、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。僕はふてくされた挙句、めそめそと泣いてそのまま眠ってしまったのだから。


「……僕が子供なせいで、ごめん。ずっと待っててくれたのに」


 僕の謝罪を聞いて遥は一瞬きょとんとした。そしてそれをどう受け止めたのか、遥は僕の頭を優しくなでた。


「よしよし」


 この時、彼女がどういう意図で僕の頭をなでたのかわからなかった。ただ僕を慰めようとしているのか、ただの気休めなのか。


 溢れそうになる涙をぐっとこらえ、僕は遥の腕をゆっくりと下ろす。


「やめてよ。子供じゃないんだから」


「でも子供だよ?」


 遥の純粋な疑問に、少しだけ言葉が詰まる。


「……っ。子供じゃない」


「子供だよ」


「子供じゃないってば」


 こういう言い合いをするのが一番子供じゃないのか。という考えが僕の頭によぎる。遥も同じようなことを考えたのか、数秒の間ができる。


「これじゃあ、らちが明かないね」


「そうだね。無駄に疲れた」


「言いだしっぺはそっちの癖にぃー」


「ごめんって」


 僕が適当に謝ると、遥はそれを見通すように大げさな声をあげる。


「あー! 今、絶対適当に謝った!」


「近所迷惑だよ」


「むぅー」


 気に入らないのか、遥は頬をふくらませる。こっちも十分子供ではないだろうか。


「わかったよ。遥の約束、ちゃんと守るから」


「……本当に?」


 遥からは疑惑と期待の『色』が見えた。僕は思わず目を逸らしそうになったが、遥の瞳を見据える。


「うん、本当だよ。僕の色々な『初めて』、奪えるものなら奪ってみせてよ」


「望むところだよ。あらゆる手段を尽くしてあげる」






 その夜、僕らは二人きりで歩いて家に帰った。帰り道、『子供の定義』や『生きること』について、なぜか課題を出された。

 

 遥が僕にたくさんの『初めて』を教える代わりに、僕は自分なりの『考え』を彼女に教える。提出期限は無期限で、数は思いつく限りいくらでも。


「……ふふっ」


 笑みがこぼれる。彼女は本当に面白いことを考えてくれる。


 楽しい。


 純粋に。心の底からそう思った。

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