3話 「色づき始めた日常 1」
人がまばらになる放課後、僕の心は早々に疲れ切っていた。
「ねぇねぇ。友達になった記念に、ショッピングモール行こうよ!」
それ見たことか。数時間前の自分を問い詰めたい。
「なんでショッピングモールなの……? 僕は騒がしいところより、静かに過ごせるところがいいんだ」
「それに」
「それに?」
「僕なんかよりも、他の人と一緒に行けばいいって提案しているんだ。あんな人が大勢いるところじゃ、確実にクラスメイトと出会う確率が高い。変に誤解されるかもしれないし」
確信した。この人は全然わかっていない。僕みたいな人間なんてわかりきっているはずなのに。
そんなのはまっぴらごめんだ。僕自身で作り上げてきた『色』の日常を壊さないでくれ。
「いーじゃん、いーじゃん! 早くしないと、青春は終わっちゃうよー!?」
「うるさいなぁ。とにかく今日だけでもいいから、僕に付き合ってほしい」
「そうしたら」
「そうしたら?」
遥は分かっているくせに首をかしげる。笑みがこぼれているのがばればれだった。僕はため息をつくと、髪の毛をかきながら言った。
「君の行きたいところ。思う存分に付き合ってあげるから、今日だけ我慢して」
僕が仕方なく口を開くと、遥は喜びをかみしめるように万歳をする。
「うぅ~……やったぁ~~!! 本当!? 本当にいいの!?」
「さっきからそう言ってるでしょ。何回言わせる気?」
「えへへ、ごめんねー。つい嬉しくって」
「君の第一印象はもっと大人びていて、清楚な感じだったんだけど……。思い込みっていうのは凄いね。人を簡単に化けさせる」
遥はそれを聞いて目を丸くすると、にっこりと笑ってみせた。
「にひひ、それほどでもー」
「いや、褒めてないから……」
くるくると回りながら歩く遥を見て、僕は心の底から呆れた。思い込みというものは本当にやっかいだ。
下駄箱のロッカーから靴を出し、僕らは学校を去る。
夕焼け、二人並んで帰路を歩くのがどうにも慣れない。というか入学してすぐこんな展開になるなんて、将来の運を全部使い切ったんじゃないか? 今日中にクラスメイトのファンに刺されたって何ら文句は言えない。
震えそうな喉を抑えて口を開く。
「……あのさ」
「なあに?」
「最初に言っておく。僕は、君を退屈にさせてしまうかもしれない」
「なんでそう思うの?」
「うぐっ」
純粋な問いが心に刺さる。
「あと、私のことは君じゃなくて、遥って呼んでほしいなぁ」
「突然どうしたの……。まぁいいけどさ」
「やった! じゃあ、試しに私の名前言ってみてよ」
普通、こういうのは名字で呼ぶはずなのだろうけど。僕は自然と、彼女の名前をこぼした。
「――遥」
ほんの、ほんの一瞬だけ。視界がオレンジになった。自分でも、よく分からなかった。
「……ぁ、いや、ほぼ初対面なのに下の名前で呼び捨てなんて失礼だよね。ごめん調子に乗っちゃって。僕みたいな人間って死んだ方がいいよね。僕、本屋でラノベの新刊買わないといけないから、じゃあ」
変な汗がまとわりつく。やばい、完全にやらかしてしまった。
ここで遥は僕に対して初めて呆れ顔を見せる。その色は『緑色』。
盛大にやっちまった。今ならトラックに轢かれようが、通り魔に刺されようが、家が全焼して灰になって死んでも、まぁ後悔しない。だってもう一生分の幸運は使い切ったのだから。
だから……だけど、けど。遥は笑ってくれた。
「あははっ、何それ! ほんっとう、君って面白いよね!」
「いや、そうでもないんだけど……」
心底そう思う。僕、そんなに面白くないですよ、マジで、ホントに。
「――そうだ、君のことは透くんって呼んだ方がいい?」
「えっ」
「うん?」
遥は不思議そうに首を傾げた。いったいどこの風が吹いたらそうなるのだろう。いくら何でも気が早すぎるんじゃないか? いや、透くんって響きはとても良いけど。
むしろ心地よくて、何を言われたのか分からなかった。もうショッピングモールに行くなんてかき消されそうなほどには。
「透くん、だなんてズル過ぎるだろ……!」
ほらそうやって心の声が漏れる。もうこれ二次創作の域だろ……!! もしかして二週目のルートに入ったのか? 人生なんて一度しかないのに? 異世界転生やチート能力なんて持っていやしないのに?
「よくわからないけど、透くんが嬉しそうで良かったよ!」
「くっそ恥ずい……」
◇◇◇
「透くん、さっきから大丈夫? ちょっとは落ち着けた?」
「まだ耳が熱い……。今なら氷水ぶっかけられても文句は言えないよ……」
ゆでダコになりそうな頭を抑えてそっぽを向く。そのまま勢い任せで脳内の言葉が溢れ出した。一度言えば止まらない哲学じみたそれは、歯止めも効かずに僕からほっぽり出していった。
「話は脱線するけれど、名前っていうのは個々を明確にして区別する記号にしかすぎない。だから、人間がいちいち意味とか期待をよせて命名することが、僕にとってはおかしくてたまらないんだ。人間は動物上で最も恐ろしい種族なのにね」
すると遥は眉間にしわを寄せ、お世辞にも可愛くない顔をする。『緑色』に『黒』が混じった変な色になった。
「んん~……? 言いたいことはだいたい分かるんだけど、もうちょっと噛み砕いて言ってよ」
「うーん、そうだなぁ……。でも、僕の突拍子もない話についてこられるなんて、たいしたものだよ。たいていの人間は僕をのけ者扱いにするか、苦笑交じりに適当に話を合わせるかのどっちかだ」
僕が実際に経験したことを言うと、遥は目を輝かせる。
「っていうことは、私……結構頭いいんだ!」
「多少はそうだろうね。けれど、この話は雑学的な問題だから。遥の学力に対しては定期テストが物語っていると思うよ」
「ああー……。やっぱり、そうですよねー。ですよねー……」
僕がテストを話題に出すと、遥は目を泳がせてぶつぶつと何かを言っていた。察するに、遥はテストの点数があまりよくないのだろうか。
しかし、僕の盗み聞きをした限りでは、彼女は高校の入学試験でそれなりの評価を取り、新入生代表として入学式でスピーチをしていたはずだ。
ちなみに僕は当時、スピーチの内容も聞かずに小説の今後の展開を想像していたので、全く聞いていなかった。
「でさ、透くん」
「うん。何?」
「さっきの話の続き。教えてよ」
「テストの話?」
「違う! ちーがーいーまーす!」
「なんで敬語になるのさ……。遥、君ってばテストに親を人質でもとられてるの?」
「違うってばぁ! とにかく、テストのことはあんまり話題にしないで!」
「は、はい……」
少しおちゃらけて笑い話にしようと思ったが、見事に失敗した。どれほど彼女はテストに弱みを握られているのだろう。あまり下手に話したら、殴られるくらいの圧力だった。
「えっと、名前のついての話だね。これは僕の個人的な解釈にすぎないんだけど……」
「……すぎないんだけど?」
遥は口もとに指を当てて考える素振りをする。僕も続けて口を開く。
「さっきも言ったけど、名前っていうのは極端に言えば個人を区別する記号でしかないんだ。それこそ、『人A』とか『人B』に分類されてもおかしくはない」
「だけど」
僕は立ち止まり、遥も立ち止まる。何人かの通行人がこちらを向いたが、すぐに歩いて行った。僕はそこで初めて、僕たちは繁華街から外れた歩道で歩いていることに気がつく。
僕の真剣な表情に、遥はいつものオウム返しをしなかった。よほど集中して聞いているのだろう。僕と遥は再び歩き出す。
「僕はそこに疑問を感じているんだ。親っていう人間は、過剰な期待や将来を名前で縛り付ける。子供の人生を身勝手に押し付け、書きかえようとする。そのせいで、子供は親の期待に応えようと真面目に勉強したり、就職して働いたりするけど、未来では自殺や犯罪に手を染めてしまう。よくテレビやネットで言うだろう? 『あの大人しくて優しい子が、自殺するなんて思わなかった』、『真面目で親孝行をする子が、犯罪に手を染めるなんてありえない』……」
僕は呼吸を整えて、再び話題の続きを言った。
「その大半の原因が、実はストレスなんだ。ストレスがない人間なんていない。それで、僕はこう考えているのさ。『人間という生き物は、親の期待と名前によって縛られている。抗う方法はいくらでもあるのに、バカ真面目な人間はレールの通りに歩いていく。耐えられなかった人間はストレスの反動が多すぎて、自殺や犯罪に手を染めて人生を棒に振ってしまう』……」
「どうかな?」
達成感を振り切って、僕は遥の方を向く。かなり疲れたが、それでも彼女からの反応を楽しみにいていた。
「……へぇ」
「僕の言ってること、わかった?」
「もちろん」
遥が得意げに笑みを浮かべるのを見届けると、僕は何気なく提案した。
「よかった。さっきの証明で疲れたから、カフェでも寄らない?」
僕が何気なく口に言うと、遥はぱっと笑顔を浮かべて言う。
「いいね、行こう行こう! 透くんのわりには気が利くね!」
「一言が多いってば……」
「にひひー、きっと気のせいだよ」
調子よく遥はステップし、僕の前へ歩く。
「本当に気のせいだと思うなら、変に笑ったりしないと思うけど」
「ありゃ? ばれちゃったかー。残念!」
「ちょっとは反省してよ……」
僕は頭を抱え、ため息をつく。これでもかなり脳に負担がかかるのだ。その影響か、僕の視界に映る『色』は遥だけだった。それ以外のものは『灰色』。やっと症状がマシになったと思えばすぐこれだ。だが糖分をとればすぐに治るので、後回しにした。
遥と一緒にカフェの店内へと入る。このカフェは繁華街の外れにある、いわば穴場スポットだ。大人っぽい雰囲気が相まって、お気に入りの場所でもあった。
「へぇ……。遥くん、こういう雰囲気のお店が好きなんだ」
「まぁね」
「大人だね! かっこいいね!」
「うるさいから……」
遥には気づいていないだろうが、周囲の視線が伝わってくる。僕はあまりはしゃがないよう遥に軽く注意すると、遥は幼い子供のように肯定した。
「子供みたいだな……」
「ん? 何か言った?」
「いや、なんでもない。気にしないで」
店員に席を案内されて、僕と遥は二人用のテーブルに座る。知っている人と相席になるのは初めてだ。
「ごゆっくりどうぞ」
女性の店員は柔らかい笑みを浮かべ、冷水が入ったコップとおしぼりを手際よく僕たちに渡した。そして、やるべき業務へとさっさと戻っていく。
僕はそれを見届けた後、今度は遥の方を見る。遥はシックな内装やしっとりとしたジャズに耳を傾けるまでもなく、メニューのページをめくってはうんうん唸っている。
「どうしたの? 緊張してお腹でも痛くなった?」
「どれにしようか迷ってるの。ここは慎重に決めないと……!」
「貸して」
「あっ」
遥がメニューを遠ざけたり近づけたりするので、僕は彼女からメニュー表を取り上げた。さっきの大声のこともあり、周りの人たちに変な目で見られたくない。
「あのさ、老眼になったお母さんじゃあるまいし。目が悪いなら眼鏡をかけなよ」
「……。うん、わかってる。ごめんね」
僕は遥の様子をうかがいもせずに、彼女の注文を考えていた。遥は僕が話すまでずっと黙っている。
「モンブラン」
「え?」
「いちごのショートケーキ」
「それとも、パンケーキとかの方がいいのかな……」
女子の好きなものはいつまでたってもわからない。僕が注文にあるスイーツを立て続けに言うと、遥は楽しそうに笑った。
「ふふ、あははっ」
「僕、何かおかしいことでも言った?」
「……ううん、違うの。ありがとう」
遥は先ほどとは真逆の言葉を言い、涙をぬぐう。嬉しそうに泣いているのだと、遥の『色』でわかった。
それから数分がたつと、僕と遥の注文していた品が運ばれた。僕はこの店でよく飲む絶妙にブレンドされたコーヒーを飲みつつ、本を読む。この時間が最高に幸せを感じる。
誰にも邪魔されず、自分だけの世界におぼれていくのが何とも心地いい。
余談だが、甘党な僕が砂糖やミルクをコーヒーに余すことなく入れると、遥は大変驚いていた。