2話 「正式な出会い」
四月の春。僕はめでたく高校生に進学した。
あの春休みの日から、僕は自主的に外に出るようにもなった。少しずつだが、自分の居場所というものが広がっていくのを感じる。
いつもは『灰色』に見える景色も、行きつけの場所なら『オレンジ』に見えた。
この視界は僕の現象の一つで、僕が退屈だと感じている場所には『灰色』に。楽しいとか幸せに感じる場所には『オレンジ』などの明るい色に見える。
……さて。肝心の高校生活はというと、僕の立ち位置は完全に下の方になった。
自己紹介はそっけなく答え、休憩時間にグループから話題を振られても、僕は机で本を読みながら適当にやり過ごす。
それを気に入らないのか、決まってそのグループはある少女に同意を求める。そのくだりが少し気に入っているので、いつも盗み聞きしていた。
お腹が満たされた昼休憩で、今日も男子生徒は僕の悪口を言っている。そんな日常を、僕は本を読みながら耳をすませた。
「前田ってさ、なんか愛想悪いよなー」
「あー、わからなくもない」
「なぁ? 中村」
一人の男子生徒が、少女に尋ねる。
「そっ、そうかな!? 私は、いい子だと思うけどっ!?」
少女はあたふたしながら答えつつも、僕のことをかばってくれた。ただ、今の僕には『いい子』なんていう要素はこれっぽっちもないけれど。
そんな時だった。少女が僕の方に振り向いた瞬間。僕の見る景色が、『色』が劇的に変わり始めた。こんな現象は初めてで、脳や目の処理が完全に追いつかない。
――なんだ、この人は。
しばらくして彼女が近づいてきた。ゆっくりと、音を立てて。周りの制止も聞かずにどんどん歩いてきた。
そのたびに心拍数が上がり、体温が上昇する。
ついに少女は、僕の目の前にまで来てしまった。
教室にどよめきが走る。彼女は地味な僕とは違って、みんなの愛されキャラなのだ。そんな僕に、いったい何の用だというのだろうか。
「用件は何? 早く言ってくれないと、僕が他のやつらに殺されそうなんだけど」
僕は極めて冷静に、彼女へ質問を投げかけた。そうだ、僕は本来地味で他人に興味がない人間なのだ。そう、ちょっと可愛い女子に声をかけられただけ……!
そんな空気を取り壊すかのように、黒髪でショートボブの彼女は明るい声と『色』で僕に話しかける。
「ねぇ。君がいじめられるのも時間の問題だから、私が助けてあげようか?」
「何その言い方。そんな発言で、僕を助けられると思ったら大間違いだよ。それと」
「それと?」
「質問に質問で返すなんて論外だ。もう一度小学生からやり直して、国語の基礎から学び直した方がいいと思うけど」
彼女は瞬きをして僕を見つめる。
当たり前のことを言ったのだから、何もおかしいところはないはずだ。
「ふふっ……。あははっ!」
突然笑い出す彼女に僕は驚いた。
「君、どうかしてしまったの? 質問を質問で返すし、急に笑い出すし」
「私、そんなに変?」
「僕にとってはね」
笑いすぎて出てきた涙をぬぐう彼女は、深く息を吐いて口を開く。
「……うん。君の言い方も一理ある」
「納得してくれたのなら良かった。じゃあ、僕はこれで」
立ち上がった僕に、彼女は僕の腕をつかんだ。
手を振り放そうとも考えたが、周囲の視線もあり、僕は彼女の方を向いてもう一度尋ねた。
「君の本当の目的を教えて。早くしないと、僕の貴重な生きがいである読書タイムが無くなってしまうんだけど」
「君の生きがいなんて、今はどうでもいいの」
軽く引っ張られて、彼女との距離が縮まる。意外と積極的だな、この人は。
「ちょっと、聞いてるの!?」
彼女の剣幕に外野はうるさくなったが、この際は無視だ。
「聞いてるよ。だから早く用件を言って」
「そんなのじゃ駄目。もっと誠実な感じで」
「……はい」
僕はため息をして、仕方なく頭を下げる。
そして、僕は生きてきたなかで一番丁寧な言い方で誠実さを見せた。
「あなたの用件を、早急に聞かせてはくれないでしょうか」
沈黙が流れる。この状況に耐え切れず彼女を見た。
あろうことか彼女は満足そうな顔をして、こんなことを言ってみせた。
「よろしい。あいかわらずな棒読みだけど、その要件を飲んであげる」
「君に僕の何が分かるっていうの? まぁ、この際どうでもいいけど」
不安になって外野たちの方を見ると、僕達への興味は消えうせたのか他愛のない話をしている。
僕への批判がヒートアップするかと思っていたが、杞憂でしかなかった。無駄な心配して損をした。
「あ、そうだ。まずは自己紹介だよね。私は中村遥。よろしく!」
「前田透。よろしく」
僕は必要最低限の自己紹介をして、彼女――遥は愛想のいい自己紹介をする。
なるほど、これが人気者の差なのか。僕は妙に納得した。
ふと教室に取り付けられている時計を見ると、昼休憩が終わるまで十分を切っていた。
「じゃあ、僕はこれで」
自分の机に戻ろうとすると、遥は手を広げて僕の行く末をストップさせた。
僕は残り少ない時間で、どれだけ本の続きを読めるか考えていただけなのに。心なしか、遥の周りには怒りを表す『赤い』色が見えた。
「僕、君を怒らせるようなことした?」
「なんで分かったの⁉」
嘘だろ。怖がるどころかむしろ食いついてくるなんて。
きらきらした目を前に、とっさに思いついた嘘でやりすごす。
「実のところを言うと、僕は、僕は……そう、エスパーなんだ。だから、君の心や感情を読み取ることができる。詳しいことは君のことを信頼できたら話す。けど、友達に話しちゃダメだよ」
我ながら酷い言い訳だ。僕自身が職に困った時……将来は占い師にでもなってやろうか。多分、天職の域にはなるかもしれない。
「うん、分かった。絶対に言わないって約束する」
遥は真剣な顔で言った。これならよほどのことがない限り、僕の秘密が漏れることはないだろう。
「あ、あと」
「あと?」
遥は付け加えるように口を開くと、僕へいたずらっぽい笑みを浮かべてみせた。
「実は、私にもちょっとした秘密があるんだ。けど、君に話してもいいかなって思った時に言うから、それまでには内緒」
「何それ。結局は分からずじまいじゃないか」
「ふふん。君がはぐらかすからだよ透くん。君がもう少しまともな嘘を吐いていれば、ヒントの一つや二つなんて簡単に手に入れたのに」
「くそっ……」
「あ、そうだ!」
僕が悔しそうにしていると唐突に思い出したのか、遥は手を叩いて僕の両手をつかんだ。彼女はいちいちスキンシップが多すぎる。それさえ直してくれれば、少しはマシになるだろうに。
「今度は何? 手短にお願いしたいんだけどっ……!?」
僕は思わずよろけて倒れそうになった。それもそのはず、遥と僕の距離はもう少しでキスしてしまいそうなほどだ。
「おっとと。いやー、ごめんね」
「ごめんどころじゃないよ……! 君、あともうちょっとで僕と」
「……キスしそうになった、だよね? 嫌だなぁ。私も年頃の娘だから、そういうのもちょっとは気にするって」
なんとか体勢を整えた僕と遥だが、彼女に聞きたいことが山ほどあった。
「き、君はいったい何なんだ。自分のしていることが恥ずかしくないの? そういうのは僕じゃなくて、かっ、彼氏と……」
「彼氏と?」
「彼氏とするものなんだよ……‼」
あぁ、穴があったら入りたい。耳まで熱くなっているのが嫌でも思い知らされる。
「そんなの、言われなくてもわかってるよ。私だってドキドキしたんだから」
「その責任として、君は私の友達になってもらいます」
「えっ」
「なりたくないの?」
「え、えっと」
突然のことで言葉が出ない。
金魚のように口を開いている僕を見て、彼女は微笑む。
「じゃあ、言い方を変えるね」
「――私と、友達になってくれませんか?」
その笑顔は、僕が見た中で一番優しく、輝かしいものだった。