②
眠る前、布団の中でユッポの言葉を思い返す。さっき言っていた、カガミと同じわたしとは、人間になることを指しているのかな。じゃあ、ユッポは人間になりたいんだ。僕の工房で足の故障を直した後、人間と同じようにバランス感覚が変化したことを、喜んでいるみたいだった。
なれるつもりなのか? そんな話を吹き込んだのは、師なんだよな。
動き出した人形に、絵空事を語り、夢を持たせて姿を消して。わけがわからない。ユッポは、振り回されている……というよりは、操られている、という方が適切か。
寝返りを打つと、長年宿に据えられたベッドは耳障りな音を立てた。操られているのはお前もだと、指摘されたような気がする。
昼間の捕り物騒ぎを考えてみろ。ユッポに怪我の心配はないと傍観していたはずが、あの声を引き金に動き出していた。誰かを助けに走るなど、工房で家具の彫刻にのめりこみ、他者との関わりを避けてきた僕には、ありえないことだった。
些細な嘘に悲しみ、病的なほどの親切を信条とする。教科書から出てきたような「良い子」であるユッポ。師は、その性格までも作ったというのか。
まさか。そんなはずはない。すぐ否定して、もう一度寝返りを打つ。澄んだ声は濁った心に刺さるものだ。人形作りに没頭する師の目は、濁っていた。突然、ひたむきに職に傾けた心を失った師を見て、僕を皮切りに弟子達は工房を去ったと噂に聞いた。独立した者、師事する職人を変えた者、誰を追うこともなく、師は何を目指していたんだろう。
隣のベッドで布団を被るユッポに目をやると、当然ながら呼吸の動きがない。本当に、僕は旅をしているのかな。朝、目が覚めたら、ヘミオラの工房にいたりしてな。
下らない想像を巡らせて、僕は眠りに落ちていった。
何だろう、歌が聞こえる。まぶたを透かす明るさに少し抗って、布団の中に顔を埋める。聴いたことがある歌だな。声も、知っているような……ん? これって。
誰の声かわかると、眠気は薄れていった。
「太陽の色を映して その瞳は輝いた
虹を見つけて七色の笑顔 素敵だね
鈍色も銀色に変えて その瞳は空を見た
明日は恵みの晴天か 雨か どっちかな
雨空に少しうつむいて その瞳が落としたのは
……
あ、セコ起きた! おはよう」
「……おはよう……」
朝の挨拶なんて、しばらくぶりだった。僕を起こしたのはユッポの歌で、ここはメイズの宿屋。本当に旅をしているんだ。窓辺にいるユッポの肩越しに青空を見て、溜息が出た。
すると、寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。
「今の、歌は?」
人形が歌っていたんだ。操り手による腹話術ではなく、自分の声で。
朝日の下、こちらを向く顔は陰影が強く出て、微笑んでいるように見えた。
「七色の瞳って曲だよ。パパに教わったの」
歌が幾つもあるのを知っている口ぶり。その中から、自分で曲を選んだのか。天気がいいので歌いたくなったんだそうだ。フィッテルにいた頃は、よく妹と一緒に歌ったという。
「わたし、歌うの好きだよ」
軽く伸びをする横顔に郷愁を読み取ったのは、鈍い頭痛のせいだ。ぐっと目を閉じて錯覚を追い払い、僕は出発の準備を整えることにした。
「カガミを質屋に入れた旅人が向かったのは、テクマスマの町だったな」
言いながら、会話になっていないと、他人事のように思った。ユッポの発言を受けずに、道程の話を出したから。目的は、あくまでカガミと師を見つけることだし、会話がおかしかろうが構わないとも思う。人間同士じゃあるまいし。
頭の中にごちゃごちゃ浮かんでくる言葉は、荷物とともに鞄に押し込んだ。
「荷物、まとめちゃうの? セコ、朝ごはんは? わたし、ここで待ってるよ」
荷造りの手が止まる。ユッポは早くも、この二人旅に慣れてきたみたいだ。ふたりで一緒にいると、ユッポが食べないことを怪しまれるから、昨晩は僕だけ宿の食堂へ行った。共に旅をしているからって、四六時中を一緒に過ごさなくたっていいだろう。
人間は普通、日に三度の食事をすると知っていて、朝に前例を応用したらしい。本当に、よくできている。
「いや、出発しよう」
ユッポの学習能力はわかったけど、朝から食欲なんかない。共用の洗面台へ顔を洗いに行くと、鏡には憮然とした表情が映った。ぼさぼさの髪を改めて見ると、自分が身だしなみに気を使っていないことがわかる。工房に戻ったら前髪を切るか。さすがに仕事の邪魔になりそうだ。
顔がさっぱりすると、頭も回り始める。服装はおよそ整えて来たから、ベストの内ポケットに……うん、財布が入っている。今のうちに、宿代を払ってしまおう。
部屋へ戻ると、ユッポは上着とマフラーを身に付け、肩掛けの鞄を提げて待っていた。手には、小さな皮袋。そんな気がしたんだ。国境でのやりとりを思い出す。
「会計なら、済んでるぞ」
コートを着て、ボタンを留めながら言葉の続きを考える。文句を言われる前に、てきとうな理屈をこねないと。
「じゃあ、わたしもお会計」
「一部屋ごとの支払いだから、ふたりぶん済んでる」
ぴょんと歩き出した足が止まり、半開きの口と全開の相貌が僕に向く。どこまで細かい説明をしたら、いい具合の伝わり方になるんだろう。
世間体だとか、効率だとか、どうせ知らない言葉だよな。
「前に言ったろ。僕が勝手に手伝っているんだ。僕がいなければ泊まったかわからない宿に、泊まっている。君が支払う理由はない」
コートの上からマフラーを巻く。手袋をはめたところでユッポの様子を見ると、さっきの顔のまま話を聞いていた。
「僕のせいで、一晩前に進めなかったということだ」
「そんなこと……ないよ。セコが、こっきょうの通りかたを教えてくれたんだし。わたし、この町の方向も、道も知らなかったもん。セコが連れて来てくれたから、ここにいるんだもん。鳥とか、花の名前だって教わったよ」
いくらなんでも、話が強引すぎたか。うつむいて言葉を並べられると、いじけているように見える。
「思ったことを言ったんだがな……じゃあ、こうしよう。旅にかかったお金は、メモに残しておく」
自分の鞄から手帳を出し、白紙のページに宿代を書き込んだ。
「僕が旅をやめる時に、君のぶんを返してくれ。それなら、こうして言い合いに時間を使うこともない。会計が一度で済めば、楽でいい」
「うーん。セコが、そのほうがいいなら」
声色は不満げだが、どうにか話が丸く収まった。ユッポの所持金では、そう長く旅は続かない。師に追いつくまでは、これでなんとかごまかせるかな。ああ、朝から疲れた。
宿を出てすぐ、ユッポに元気がないが大丈夫かと心配された。職業柄、日に焼けていないのが血色悪く見えたか。少し考えて、テクマスマへは定期便の馬車があることを伝えた。
メイズは大きな町だから、交通の便がいい。一緒に出発した何台かの乗合馬車は、隊列を組んで北に進路をとった。そのうち、一台は途中で分かれ道に入り、東へ進んでいく。向こうは厳しい寒さで有名な山村、ダルへ向かう道だ。それから間もなく、テクマスマに着いた。中規模の町は人通りも店の数も程々だったから、首尾よくカガミが見つかった。
ただ、そこで運が尽きたらしい。カガミをこの町に残した大荷物の旅人は、寒村ダルに向かったとの話を聞いた。気候が厳しい時期に入ってしまい、テクマスマからの馬車は春まで出ない。メイズからの便も、さっき見たのが最後だったようだ。
では、徒歩で行くことになるな……カガミを探そうと言い出した手前、ダル行きをためらうことも出来なかった。