③
それにしても、こんな成り行きで人形に関わるとは。師が作った物の修理なんて、家具でもやったことがない。
厚手の手袋をはめているにもかかわらず、人形の手先は器用に編み上げのブーツを解く。クッション性があるほうが、かえって紐を掴みやすいのかな。素足になった片方を浮かせて、靴を履いたままの足だけで立っても、全くふらつかない。操り糸で吊っていたとしても、ここまで静止させるのは至難の業だ。人形の操り手が、呼吸をしているから。
隠れる位置であるためか、足首から先は布張りが成されていなかった。多分、八分丈のタイツの下も木のままなんだろう。こういう人形は、顔や首など、表に見える部分を皮膚に似た質感の布で覆う。僕にその技術はないし、壊れたのがこの位置でよかった。
関節の役割をしている球状の部品が、何かの拍子にずれたようだ。あるべき位置をはみ出して、上下の部品をつっかえ棒する形になっている。この球は中に糸を通してあるはずだから、足先を引っ張って隙間を作れば、元通りに収まる。
「わ、スコン! って鳴った」
部品が収まった音より大きな声で、耳が痛い。直す前に、ひとこと置くべきだったか。
あっという間に修理はおしまい。道具は必要なかったな。
「動かしてごらん」
「くるくる」
それは口に出すべき音かな。道中の意思疎通に自信をなくす。まあ、球体関節は滑らかに動いているから、歩くには問題ないだろう。可動域は、人間の関節と同じ位なんだな。
「もう靴を履いたほうがいい。人に見られると面倒なことになる」
「はい。カイリキといっしょで、おいかけられちゃうんだよね」
また器用にブーツを履き直す。木の肌は隠れ、見た目だけはほとんど人間になる。
「とんとん」
だからなぜ口で言うんだ。軽く床を踏み鳴らし、足の具合を確認する仕草も人間のそれで、どうにも自分の目を疑いたくなる。人形だって、わかっているのに。
「すごい、なおった! ありがとう、セコ!」
深いお辞儀。大袈裟な感謝を示されると、何と言えばいいのか、しばし考えてしまった。
「どう、いたしまして」
滅多に礼なんか言われないから、とっさに浮かばなかったんだ。
人形と、会話の練習……か。惨めな奴。自分自身を客観する目線が、ちくりと刺さった。
「ちゃんと歩ける。これで、パパをさがしに行けるよ!」
人形は、その場で足踏みを始めた。
「あれ?」
不意に首をかしげるや、よろめいて僕の方に突進してくる。つい避けたら、工房に展示している作品の方まで行ってしまう。
「わぁ」
とうとう転んで、作品の保護に被せた布に小さな手がかかる。危ない!
「……はあ、危なかった」
急いで手を伸ばして押さえ、作品は倒れずに済んだ。枠に微細な彫刻を施した姿見。僕の一番新しい作品だ。鏡には自分の焦った顔が映る。布が擦れて欠けた部分はないか、上から順に点検する。
足下に座り込んだ人形は、「ごめんなさい」と謝りながら息をのんだ。いや、息はしていないか。
「この鏡……うちにあったのと似てるね」
「まあ、弟子だからな。それより、足がまだおかしいのか?」
めざとい。これは師の姿見のオマージュ作品だ。ただ、今は人形の目利きよりも足の修理の方が気になる。うまく直ったはずだが。
「あ、なおったんだけどね、なんだか、さっきまでとちがうの。床に足がくっつくかんじ?」
聞き返されても困る。
立ち上がった人形は、左右に首を傾けて、ついでに体を揺らして、変化した感覚がなんなのか探っていた。やじろべえのような、ふざけた動作に見えて、少し苛立つ。
「さっきまではどうだったんだ」
「……人形」
はた、と動きを止めて呟くと、急に無機質な印象になる。
元々、わずかに口角が上がっているのに、人形の顔がまったくの無表情に思えた。
「まえに、パパと話したことがあるよ。わたしは、ぶら下がって動くかんじだったみたいなの。床に足がくっつくのは……」
言いかけで動き出して、僕の耳元に手を当てて
「人間といっしょ!」
と、はしゃいだ。正体を隠せと言ったのを受けて、内緒話の格好だ。声だけだと、人間と変わらない。この声も、どこから出ているのやら。
「ずいぶん、嬉しそうだね」
「うん!」
横目で様子をうかがうと、視界の端でにっこり笑ったような気がした。
声の力ってすごいものだな。正体がばれない理由のひとつは、声から表情を錯覚させていることだろう。鏡に向き直った人形が、写る自分に対して悲しげな顔をしたように見えたのは、たぶん気のせい。
「あの鏡は、今も階段のところに?」
姿見は、弟子になった頃から僕の心を惹きつけてやまなかった作品。何人も買いたいと言う客がいたが、師は売らなかった。いつからか、隠れるように、地下に降りる階段の踊り場に置かれていた。それでも、僕はずっと見ていたんだ。微細に彫刻したあの作品は、花々や森の小動物が、動き出しそうに鏡をとりまいている。僕の、家具職人としての始まりにあったものだから。
答えが返って来るまでには、少し間があった。
「ううん、地下室にあったよ。今は……ない」
売ったのか? 言い値で買うからと迫られても、頑なに手元に置きたがったのに。
「私が、こわしたの。弟や妹が、見つけないように」
「こわ、した」
さっと血の気が引く。あの作品を? そんな……二度と、あれほど素晴らしい彫刻を見られないのか?
僕の顔が青ざめたのを見て、人形は釈明を始めた。姿見は鏡だけを割ったという。彫刻の無事に少し気が鎮まると、弟、妹という表現にも戸惑う。まだ、動く人形があるのだろうか。本職の人形師が憧れ、実現できずにいることを、家具職人の片手間がやすやすと叶えたなんて。……とんだ悲劇だ。
「地下室は、みんな入っちゃだめって言われてるけど、しんぱいで。町のひとから、かくれるとき、しかたなく入っちゃうかもしれない。そうしたら、あの鏡を見ちゃう」
無人の工房でうごめく人形達。異様な光景を想像すると、寒気が背筋を撫でた。人形が隠れ住む家具工房なんて、客はおろか町人も寄り付かないだろう。
聞いた話を理解するのが嫌で、うつむく人形に対して、僕は「へえ」とだけ相槌を打った。
「パパがいなくなって……カガミもなくなって。みんな、サミしがってる。お金なんかいらない。パパと一緒にいたいだけなのに」
そういえば、フィッテルからは船で渡ってきたんだよな。お金の意味をわかっている、使い方も教わったということになる。そして師は、人形にお金を残して姿を消したようではないか。
「まるで人間扱いだ……」
思わず声に出た。低い呟きは人形の耳をすり抜けて、首をかしげられるだけで済んだ。
「彼も、そのお金で船にまで乗るとは考えなかったろうな」
「ううん、パパのお金は、使ってないの。ちいさい丸いのがあったから、わたしはそれだけ持ってきた。ほら」
いったい、どれだけ僕を驚かせれば気が済むのだろう。人形は、師が残した硬貨を一枚、大切に持っていた。真ん中の穴に紐を通し、首から提げているんだ。
「パパがくれたもの、パパのおもいでだから。これを持ってれば、少しはサミしくないでしょう? わたしも、キョーダイたちも」
そんな言い回し、どこで覚えたんだ。
「それで、どうして船賃が払える。おおかた、何かあったら使うようにと残したお金なんだろう。今がその何かじゃないのか」
自分の作った姿見に元通り布を被せながら、つい矛盾を指摘する。突拍子のないことを次々と聞いて、混乱した頭を整理したかった。
「うん。かきおきがあったよ。何かあったら、このお金を使いなさいって。おつかいに行ったこともあるし、わたしならできるよね、とか。それからね、さがさないでほしいって。だから、さがしちゃだめなんだ、本当は。パパのお金は、いいつけやぶるのに使えないもん」
なかなかどうして、立派に理屈をこねるものだ。
「みんながサミしいままにしておくのは、わるいこ。いいつけをやぶるのも、わるいこ。いろいろ考えて、パパをさがすことにしたの。わたしは、お姉ちゃんだから」
作り手に、逆らった?
書き置きの内容より、弟妹と称する人形の心を基準に行動したんだ。そんなもの、人形に備わっているはずないのに。
「そうだ。わたしね、パパと同じように、カガミもさがしたいの。でも、こころあたりがないんだ。なにか知ってる?」
「工房に、材料として置いていたんじゃないか。なければ、金物屋に売っている」
「ううん、その鏡とちがうの。みんなにひとつずつ、パパが作ったカガミ。わたしのを作ってくれたころは、かみのけ、このくらいだったかな」
あごの位置を示して言うが、人形の髪が時の指標になるものか。今の長さと同じだ。
「パパをさがしに出るとき、ビッテに切ってもらう前だったら、このくらい」
改めて膝の位置を示す。まさか。
「髪が伸びるのか?」
反射的に聞いてしまった。かなりの長さまで伸びていたようだ。材料でどうにかなる問題じゃない。
「のびるよ。だから、かみのけを切って、人形の材料屋さんに、お金とかえてもらった」
よく人形だとばれなかったな。そうやって路銀を手にしたんだ。材料を取り扱っていても、目利きとは限らないらしい。僕はこれが人形と知っているから、もう人間には見えない。
黙ったのを、疑われたと取ったのか、人形はガラスの瞳をまっすぐ僕の目に向けた。
「ほんとうだよ。わたしのカガミを見たら、信じてくれるよ、きっと」
「ふうん……まあいい、支度は済んだ。出発しようか。メイズの町はずっと北だ」
工房の鍵を手に取る。師のこと、鏡や髪のこと。どれもこれも、旅に出てはじめて明らかになっていくことだ。
まだ午前の陽の高さ、街には活気がある。外に出ると、途端に喧騒が耳を突いた。僕の工房は、最も繁華な通りから一本入った場所だけど、いくつか店がある。それなりの賑わいを抜けて、町外れに向かう住宅地へ。ここはまだ静かでいいが、その場所ごとの面倒もあるから、早く通り過ぎてしまいたい。
町人の住居が多い道は、軒が深い急勾配の屋根を滑り落ちた雪が、道の中央に溜まっている。すると、どうしても建物の傍を歩くことになる。うっかり窓や玄関を開ける瞬間に出くわすと、怒られたり謝られたり、人と言葉を交わす。これが本当に面倒だ。時間によって漂う、煮炊きや石鹸のにおいも、あまり心地よくは思えなかった。足の運びが早くなっていく。
頭の中で連ねた文句のせいか、踏み固められた雪に滑らぬよう気をつけていたせいか。知らぬ間に、僕は人形よりずっと先に進んでいた。
「ねえ、あなた計算するの得意?」
離れたことに気が付いたのは、民家の窓から顔を出した子どもが、人形に声をかけたからだった。足を止め、悠長に子どもの問いに答えている。
「たすのと、ひくのはできるよ。むずかしいと、時間がかかるよ」
そうと聞いて、子どもは窓から落ちんばかりに身を乗り出した。ポニーテールがくるんと揺れる。
「おねがい、私の代わりに計算やって! ママが、宿題が終わるまで友達と遊ぶなって、部屋から出してくれないのよ。私には、勉強よりも友達の方がずっと大切なのに!」
いるいる、こういう奴。よく言うよ、友達なんて、宿題を逃れる台詞の小道具じゃないか。他人の手を借りる方法ばかり考えるなら、その頭を宿題に使えばいいんだ。溜息が出る。
「ともだちは、大切だよね」
なぜか、人形は優しげに言葉を返した。宿題を、やってやるつもりか? メイズまでは遠いから、早く発って距離を稼ぎたいのに。
それでも遠巻きに見てしまったのは、計算を出来るというのが信じられなかったからだ。
「うーん……と」
つまずきながら、渡された用紙とペンで黙々と計算を解く手もとを、子どもは見るともなく見ている。早く終わらないかな、とでも思っているんだろう。
紙切れ五枚に及ぶ計算は、残り一枚。ここまでは、まあ順調だったろう。
少しずつ項が増えたのか、だんだんペンが進まなくなってきた。答案用紙を顔に近付けたり離したりしても、計算は簡単にならないぞ。
「ぜんぶできないと、だめなんだよね」
「うん」
子どもの困り顔は、わざとらしい。自分でやる気は最初からないな。
「はあ……何がそんなに難しいんだ」
痺れを切らして歩み寄りながら、ここまで解いた計算が当たっているか、確かめたかった。
待たせたことを謝る人形とは対照的に、子どもは大人の登場に期待して、鼻の穴を膨らませた。今度は僕に解かせようとは、足を止めれば誰でもいいんだな。将来が楽しみだ。
「……三」
残っていたのは最後の一問。なるほど、繰り下がりがあったか。僕は答えだけを告げた。
これは、文章から数字を当てはめて、式も自分で書かなくてはならない問題だ。たかが加減算だし、答えに合わせて数字を考える位はできるだろう。少しは自分の頭で考えろ。
子どもは人形から奪うように用紙を取り、答えをメモすると首をかしげた。
「どうしてそうなるの?」
「疑うのかい? なら、自分でやり直してみるといい。……行くぞ」
さっさと歩き出すと、「がんばってね!」と子どもを応援して、人形は付いて来た。そうなっては深追いできず、子どもが窓を乱暴に閉める音が聞こえた。
町を出て、材料庫のツリーハウスを通り過ぎる。物流で行き来する馬車が通る轍あたりは、まだ雪が浅い。太陽に照らされて溶けた水たまりを避けるため、足下に注意する。
「セコ、もしかして怒ってる?」
人形は、言い出しにくそうな小声を出した。おずおずって、こういう態度を言うんだろうな。
「なんのことだ」
「わたし、セコのこと待たせちゃったし。けいさんのしかた、あの子に教えなかったから」
待たされて苛立ちはしたが、それはあの子どもに対してだ。人形には、驚きが先行した。解ききった問題は全て正答していた。
最後の問題は詰まっていたから、計算のカラクリが組み込んであるわけじゃない。師が、実験として計算や言葉を教えた結果なのか、我が子としての扱いなのか。
「僕には不思議だったのさ。怒ってはいないよ」
ほっとしたのか、後ろを歩いていた人形が隣に並ぶ。
「ふしぎだから、答えだけ?」
そう端的にまとめると、意味が違うな。僕は溜息をついた。
「お願いされたことを、簡単に引き受けたのはなぜだ。あの子どもは、そのうち困ることになる」
こんなことを、人形に言ってどうする。人間にだって説教をたれたことはないのに。
師がどんな思想を吹き込んだか、探っているのかな。
「うーん」
人形は僕の言っている意味が理解できないらしく、上を向く瞳に合わせて、首が後ろに反っていく。ぎりぎり、転ぶ前に普通の佇まいに戻った。
「どんなふうに、こまるの?」
「計算も、文字の読み書きも、自分で出来なければ困るんだ。……ええと、いつも誰かに教えてもらえるわけじゃない」
わかりやすい例がなくて、投げやりに説明した。
人形は野宿の準備が始まるまで考え込んでいたけど、最後には自力で出来たほうがいいのだと納得した、らしい。
今日のうちに消化できたのは、メイズへの道程の四分の一といったところだ。子どもの頼みを断っても、大して変わらなかっただろう。とはいえ、のんびりしていては、師の足取りを見失う。急ぐべきは僕より人形。時間が流れていくことは、わかっているはずだけど。
「そういえば、師は……いつごろ居なくなった?」
集めた枯れ枝に火をつけ、夜明けを待つばかりとなった。旅立つ前に確認しておくべきことを、今更ながら聞いてみる。
「今日からだと、いち、に……うーん、にじゅう日くらい前かな」
ヘミオラのパン屋を訪れた正確な時期はわからないが、指折り数えた日数は現実的だった。問題は、追い付くまで、情報が生きているかどうか。既にメイズを発っているだろうし、探すなら会った人物か噂だ。
普段から旅人や商人が使うのか、今晩の野宿のために見つけた洞には、動物がいなかった。薪の爆ぜる音が、やけに響く気もすれば、外の雪に吸い込まれて、くぐもったようにも聞こえる。
細かい音を拾っている僕は、つまり暇だ。風除けにはなるが、洞は浅い。目を凝らして星を見るのも久しぶりだ。ひとりで過ごすのと同じ感覚で、ずいぶん長いこと黙っていた。人形が様子をうかがって静かにしていたことには、話しかけられて初めて気が付いた。
「……セコ、あのね。パパ、見つかると思う?」
「さあ。見つかると思うから、来たのかもね」
弱々しい問いかけに、雑な答えを返した。新たな枝を火にくべる。
考えてみれば、師が見つかる確証どころか、いなくなった確証もない。人形の言うことをうのみにして、さっさと旅に出たんだ。
直感が僕を動かしたのなら、止まる時も直感でいい。見つかるまで探したい気分だった。聞きたいことはいくつもある。
「きっと、いるよね。どこかに」
焚き火の前で、ひざを抱えて座る人形は、なんだか本当の迷子みたいに見えた。
揺れる炎の映る瞳が淋しげに見えたのは、たぶん、僕が眠かったせいだ。