③
新しい腕を微調整する間に、トロットの顔はすっかりスベスベになった。あとは、折れた部品を外して、付け替えるだけだ。頼むから、目を覚ましてくれよ……
「トロット」
見た目は元通りになったが、ユッポが呼んでも反応がない。じっと黙っている。
「わたし、ユッポだよ。もう、こわいひとはいないからね」
「……ユッポ、ねえちゃん?」
やっと声が聞けたと思ったら、開いた目で僕を見るや、ユッポにしがみつく。
「だっ! だ、だだだ、だれ?!」
震えると、球体関節が隣り合うパーツに当たり、カタカタと音を立てる。知らない人が目の前にいたのだから、当然の反応だ。ひどく怯えた様子なのは、僕を侵入者と錯覚したせいかもしれない。
「よかったぁ……トロット。このひとはね、セコっていうの。トロットの腕を、なおしてくれたんだよ。こわくないからね」
弟の頭に自分のあごを重ねるようにして抱きしめ、ユッポは柔らかく語りかけた。優しく頭をなでられるうち、トロットは段々に落ち着いてくる。それから、はにかむ感じで僕にお礼を言ってくれた。
おっとりした末の弟は、鈍感というわけではなく、かえって敏感な怖がりであると見えた。声はまだ震えているし、僕に対して腰が引けている。ここで何があったか聞くのは、まだ早いかな。
ユッポもそう思ったらしく、誰からともなく他の弟妹を探し始めた。木材の乾燥室を出て、それぞれ一階を見てまわる。部屋と呼べるような、仕切られた空間は乾燥室以外にない。
トロットが目覚めたことで、穏やかな気分でいられたのは束の間だった。二階へと続く階段の下をのぞき込んだ瞬間、落胆が声になって出た。
「ああ……」
そこには、人形だった部品が散らばっていた。弟妹の誰なのか、僕では判別できない壊され方だ。関節を成す球体は割れて、あるいは外れて落ちている。頭は、顔側と後頭部側の間を走る継ぎ目がはく離し、ぽっかりと空洞を見せている。中に詰まっているはずの、目や口を動かすカラクリも、床にばら撒かれていた。瞳のガラス玉も見当たらない。まるで、どんな作りになっているかを確認して行ったような……そこまで考えて、少しでも観察の目で──無機物を見る目で、ユッポの弟妹を見た自分を嫌悪した。
「たぶん、ティピカだよ……いっしょに、一階にいたはずだから」
立ち尽くす僕の後ろで、トロットが記憶をたどって言った。ユッポと三人で、集まるだけの部品を集めてみたけれど、結果として修理ができないことを証明しただけだった。どんな人形師も、皆を作った師でさえも、ティピカを元通りにするのは不可能だ。長い時間をかければ、似た人形を作ることはできるかもしれない。新しく作られたそれは、きっとティピカじゃない。
「……他の……みんなを、探そう」
言葉を発するのに、こんなにも苦労するなんて。直せないとは言いたくなくて、ようやく選び出した言葉だった。
悔しい。よく一緒に歌を歌った妹は、ユッポの帰りを楽しみに待っていただろう。まだ姿を見ていない皆だって、きっとそうだ。
探さなくては。無事とは思えないが、せめて、この手で直せる状態でいてほしい。
僕は先頭に立って、注意して階段を上る。人の気配が全くない中、上から何か転がる音がする。隙間風や、僕達が歩く振動に誘われてか、少しずつ近付いてくる。あと何段かで上りきる、というところで、僕の前にボールがひとつ、転がり落ちてきた。拾い上げて、改めて二階に目を向けると、手すりの傍に、紐を握りしめた手が見えた。
手、だけだった。手首から先が床に落ちている。握った紐の端は、手すりの格子に結わえてあった。
「ビッテ」
トロットよりは大きく、ユッポよりは少し小さい手が誰のものか、ユッポにはすぐわかったようだ。お気に入りの短い癖っ毛を、指先でくるくるいじっていた妹。ユッポが路銀のために長い髪を切った時は、たいそう残念がっていたという。自分と対照的な姉の髪も、好きだったみたいだ。気の強い性格から、工房に残った弟妹のまとめ役を担っていた。
次の踏み板に足を置き、そろそろと首を伸ばす。薄暗い二階ホールには、廊下に向かって点々と、ビッテであった残骸が落ちていた。
「いやだよ……ビッテ!」
ユッポは駆け出して、僕を追い越して二階に上った。床にいくつも転がっていたボールやガラス玉で転びながらも、形が残っていた頭部の前に座り込み、抱え上げる。大きな瞳が入っていた穴は空洞で、開いたままの口がものを言うことはなかった。
いつの間にか、トロットは僕のコートの裾を握っている。僕の中にある悔しさや悲しさが、自分の気持ちと重なったのかもしれない。
頭の中で工房の状況を反芻して、仮説が立てられた。ビッテの手が握っている紐。これは手すりに結わえた高さからして、二階に上った者に対し、足かけの罠を張ったものだ。
「……ビッテ達は、遊びでこんな散らかし方をするかい?」
「しない! コーダが、ころんじゃうもん。ふんだらころぶの、わかってる」
僕の問いに、ユッポは激しく首を振った。そうだよな。それに、病気を人に移すからと、工房の中に押し留められていた皆だ。言いつけ通り、人を避けるのが自然だ。立ち向かった形跡があるのはおかしい。よく見渡せば、ホールから廊下まで、ガラス玉や花瓶が転がしてある。何でも全部を出したようだ。踏んでも転ばない、ぬいぐるみまで落ちていた。
侵入者は、悪意を持ってトロットとティピカを壊した。その騒ぎを聞いて、あとの皆は慌てて隠れた。ビッテが足かけの罠を張ったのならば、アンバーも共に抵抗したのだろう。ムウタやコーダが見つかってしまい、守るために飛び出したかもしれない。
「トロット……きいてもいい? 誰が、こんなことをしたのか」
ビッテの頭を抱いたまま、ユッポはつとめて感情を抑えて尋ねた。
コートの裾を握る手に力が入り、しばしの間を置いてから、トロットは話し出した。
「……わかんない。しらないひと。パパをしってるひと」
玄関には、鍵がかけてあった。裏手に回って窓を割った侵入者は、ガラスを粉々にする腕力のある大人。師を知る大人は何人もいるが、侵入者は町の住人ではないような気がした。
「ぼくを見て、パパのさがしものじゃないって言って……」
隠れる間はなく、木材の乾燥室の前で追い詰められた。共に一階にいたティピカも、どうしていいかわからず、階段の下から動けなかったという。言葉が途切れ、覚えているのはここまでのようだ。
ビッテの頭を、近くにあったクッションの上に置き、ユッポは階段の前まで戻ってきた。僕達も二階に上がりきる。
「話してくれてありがとう、トロット」
哀しみを微笑みで覆って、ユッポはトロットの頭をなでた。僕のコートの裾をつかむ手を離し、トロットは照れくさそうに肩をすくめる。仕草は人間のそれで、笑みが見えるようだった。
皆、それぞれの心を持ち、互いを思いやって暮らしていた。それを何者かが壊した。一体何のために? 夕焼けも終わり、夜に近づく暗い所にいたら、僕の心まで真っ暗になってしまいそうだ。
「明かりを、点けてもいいかな。皆を探そう」
アンバーとムウタ、コーダはまだ見つかっていない。まず手持ちのランプに火を灯してから、室内の明かりに火を移して歩く。転がっているものを避けつつ、その中にビッテの瞳がないかと気になる。まあ……状況からすると、見つかるのは割れた瞳か。ティピカと同様、僕に直せるような状態ではなかった。
ビッテが倒れた先、弟子達が暮らした大部屋は、今はユッポ達の部屋だ。そのドアと師の寝室のドアを守るような位置で、アンバーが無残な姿になっていた。最初に作られた弟だから、長男。ユッポが、師を探しに出るかどうか悩んだとき、「それは姉ちゃんにしかできないことだから」と、背中を押してくれたそうだ。皆のために師を探したい気持ちは、アンバーも一緒だったのだろう。ひび割れた瞳が辛うじて顔に収まってはいるが、面立ちをカガミと比べるなど、とても無理だった。ビッテが壊されていくのを止めようと、何度も飛びかかっては、跳ね返されたのかもしれない。ランプでうっすら照らすだけの廊下で、残骸がアンバーだとわかったのは、その一か所に小山のように積もっていたからだ。腕や足が折れ、動けなくなっていっても、兄として弟妹を守ろうとした。奥へ行かせまいと、廊下を塞いでいるようでもある。呼びかける声を失い、アンバーの前で立ち尽くすユッポとトロットから、僕は目を逸らした。
本当に、ユッポが言っていた通りだ。怒りは痛い。立っている足の裏を、下から突き刺されるような気持ちがして、その場にいるのが辛い。僕はアンバーを踏まないよう注意して、大部屋の前に移動した。ドアノブに手をかける。ムウタ、コーダ……大丈夫だろうか。
緊張して、ひとつ深呼吸をする間に、ユッポとトロットも大部屋の前に来た。三人とも中を見る準備が出来て、うなずき合う。思い切ってドアを開けると、ここへ来て初めて、荒らされていない空間があった。
「ムウタ……コーダ……?」
恐る恐る、弟妹の名前を呼ぶユッポ。大部屋は僕の修行時代のまま、いくつかのベッドと棚があるだけだ。ランプの火を、ドア横の壁に付いた明かりに移す。様子をよく見ようと、手持ちのランプを部屋の中にかざした。しんとした空気に、ユッポとトロットの声が溶けていく。何度か名前を呼ぶうちに、物音がした。耳を澄ましてやっと聞こえる、髪と布の擦れ。すると、一番奥のベッドの陰から、少しずつお下げ髪が現れた。
「ユッポ、おねえちゃん?」
「うん! ただいま、コーダ!」
僕を見て、もう一度引っ込もうとする小さな妹を、ユッポは部屋に飛び込んで抱きしめる。幸い、コーダは無事だった。誰より小柄なので、ベッドの下に隠れてやり過ごせたんだ。
僕が何者か、ユッポがコーダに説明してなだめる間に、また束の間の安堵は去っていった。




