②
降り積もって固まった雪に突っ込んだり、そこから跳び上がったり、人形の馬力は大したものだ。しかし、歩くのは案外遅く、ふわふわとおぼつかない足取りで僕の後を付いてくる。すぐ離れてしまうので、何度か立ち止まって待つ羽目になる。道に出ても小石くらいはあるが、そんな頻繁に転ぶものか? これは、かえって面倒なことになったかもしれない。
町に入り足下の雪が減っても、相変わらずふわふわ歩く人形に業を煮やす。急かす言葉を飲み込めたのは、まだ自立して動いていることを信じきれなかったからだ。
そうしてようやく目的地に着くと、パン屋の主人に首をかしげられた。当たり前か。いつもひとりで、世間話にも付き合わない客が、迷子を連れてきたように見えるんだ。
「こんにちは、おじさん」
迷子と言うには明るい声に、パン屋の主人は首の角度を急にする。人形を見ていた目が、ゆっくりこちらに向く。
「こんにちは。なんだいセコ、知り合いかい?」
「ああ、まあ……」
浅くうなずいて、曖昧な答えを返した。人形が、すんなり人間として扱われることを不思議がっていたら、うまく答えを準備できなかった。そもそも、人と話すのは苦手だ。
「あのね、おじさん。わたし、かぐしょくにんのペターをさがしているの。おじさん、会ったんでしょう?」
人形が話したら、パン屋の主人は嬉しそうに語りだした。陳列棚の向こうにある、吊り棚を直してもらったのだという。どこに行ったのか、どんな様子だったかと話が続く間に、棚を直した箇所が気にかかる。伸びすぎた前髪ごしに、目を凝らした。
「どこか遠方で仕事が入ったのか、ずいぶんな大荷物だったよ。あれで旅ができるなんて、家具職人ってぇのは力持ちだね。セコもけっこう大男だし、案外ガタイのいい奴が多いのかな? どこへ行くのか、世間話のついでに聞いたけど、行き先は濁されちゃったな」
「にご……にごされ?」
「ああ、難しいかな。行き先は、教えてくれなかったんだ。考えてみたら、そんなにホイホイ人に話すことじゃないもんな」
人形とパン屋の主人が、行き先を予想して腕組みしている時、呆気なく吊り棚の修理箇所がわかる。一番下の棚板が新しくなっていた。劣化して落ちたのを替えたんだろう。元の板に色合いを合わせて加工して、継ぎ目を目立たなくしているが、師の仕事にしては雑に思えた。旅路を急いでいたのか?
いや、今の師ではかつてのような繊細な仕事はできない。人形作りに傾倒して、本業から離れてしまった職人だ……できてたまるか。
「フィッテルから来たなら、次に向かうのは隣のメイズだろう。大きな町だ」
パン屋の主人が、妥当な意見を述べた。隣国の首都で規模が大きいから、補給に困らない町だ。ならば行ってみると人形は嬉しそうだが、そこに師がいるわけじゃないと、理解しているんだろうか。
「手伝うよ」
え? と間の抜けた声を出して、人形もパン屋の主人も固まってしまった。僕の発言は急だったのかな。
「家具職人ペターを探す旅。……会って話を聞ければ、勉強になると思うから」
説明を付け足すと、先に動き出したのは人形だった。仕事があるのにいいのかと、案外に常識的な心配をされた。これまで溜まっていた仕事が片付き、作りたいものを作る時間がようやく取れたところだ。時間が自由になるという意味では暇だし、今はこの人形に興味がある。そのままを言うわけにもいかず、口から出た言葉はおざなりだった。
「大丈夫。それに、メイズなら……心当たりがあるかも」
僕の方こそ、旅へと急いでいるのかもしれない。行き先が決まれば、ここに長居は無用だ。勤勉だねと皮肉を言うパン屋の主人に、軽く会釈して出口を向く。彼は話が長くなるから、早々に失礼したいところだ。
ドアノブに手をかけた視界の端で、「おじさん、ありがとう」と深くお辞儀する姿が見えた。
旅支度のため、住まい兼工房に戻る。人形は相変わらずふわふわと歩き、少し遅れて付いてきた。
掛け札が閉店になっていることを確かめ、ドアの小窓をカーテンで覆う。荷物をまとめる間に声をかけられて、メイズに心当たりがあるというのが出まかせだったことを思い出した。
「あのね、セコ。こころあたりって、なあに?」
パン屋から離れるために言ったのだと答えながら、どういう理屈がつけられるか考える。僕は、あの発言が後ろめたいのかな。
「ううん、こころあたり、って、言葉の意味がわからないの」
荷造りの手が止まる。そんな簡単な言葉も知らないのか。見た目が十歳前後だから、知識も同様だと誤解していた。この人形は、完成して三年も経っていないはずだ。師がいかに教えていても、言葉を知らなくて当たり前だ。
思い当たる節……違うな、かえって難しい。噛み砕くと、どういう表現になるか。
「……知っている気がする。そんな意味さ」
出入り口のすぐそばで、突っ立ったまま人形は考え込んでいた。
路銀がなくなれば出先で家具の修理を請け負うこともあるだろうから、僕は荷造りを再開して、最小限の道具類を選ぶ。
作業用の手袋、折りたたみの鋸、槌、やすり……一応、ニスの小瓶をいくつか。細かい道具は区切った皮袋にまとまっているから、それも。まあ、こんなものか。北上する旅路は、今着ているコートだけでは厳しいよな。特に寒いときに使う厚手の手袋も必要だろう。手に取って叩くと埃が舞った。この町で幾らか寒さに慣れたから、最近はコート以外の防寒具をあまり使っていなかった。
「……セコ、うそついたの?」
突然、哀しげな風に、人形は言った。あれが嘘? これは解釈というより、事実と異なることを口にすれば嘘だという、短絡的な思考回路の証明に聞こえた。
「だって、話の流れで正体がばれたら困るだろう。妙な噂が立つ」
僕は何を弁明しているんだ。場をうまく収めようとして言ったことなのに。人形が立って歩いて喋っていること、僕がペターの弟子だということ。パン屋の主人が聞いたら、話が面倒くさくなるばかりだ。今後の雑談が避けられるとしても、変人扱いは喜べない。
壁の鉤に引っ掛けたままで、これもしばらく使っていないマフラーを手に取る。
「こまるの?」
「君が、な。さっきも、追われていたじゃないか」
見世物小屋の連中に追われていたのは、大方、人形だとばれたせいだろう。
「あのひとたちは、知らないよ。カイリキだって言って、追いかけてきたの。セコは……わたしの正体、知ってるんだね」
正体という言葉はわかるらしい。しかし怪力って、一体何をしたのやら。
聞けば、港で船を下りた後、荷の積み下ろしをしていた水夫が、落ちてきた木箱の下敷きになりそうなところを助けたのだそうだ。大人が男六人がかりで動かすものを、子どもがひとりで担いだのでは大騒ぎは間違いない。そんなに目立つ行動をしていたなんて、早く町を離れたほうがよさそうだ。
嘘はいけないと教え込まれたらしい人形に、嘘が必要な場合もある、正体も口外しないと言い張り、僕はマフラーの埃をはたいた。
荷造りが済んで、さあ出発と顔を上げたら、床から振動が伝わって来る。同時にゴトリ、木と木がぶつかる音がした。見れば、扉の前に立っていた人形が転んでいる。またか。
「ごめんねセコ、びっくりした? また、ころんじゃった……」
「いや、驚いてはいないが。どこか壊れているんじゃないか」
もう一度立ち上がった人形を見て、やっとわかった。ブーツの中で、足に不具合が起こっているんだ。左右で長さが違う。
「こっちの足が、何か変なの」
「……見せてごらん。修理できるかも知れない」
家具と勝手が違っても、材料は同じく木だ。ここなら材も道具も揃っているから、旅立つ前に直した方がいい。何より、たびたび転ばれては厄介だ。考える風に長い間を空けて、僕が少し苛立った頃に、人形は「おねがいします」と頭を下げた。