①
「もうすぐ帰るよ、みんな」
船室で荷物を下ろすとき、ユッポはカガミを軽く抱きしめて呟いた。新しい額縁に収めて梱包したから、今の僕達は大荷物だ。
一応、二人部屋だという船室は、簡素な布張りの寝台が二段になって据えられている。その横に、扉の幅だけの通路がある。荷物が置けるのは、下段の寝台の下と、天井に張ってある網の上だけだ。窮屈な場所だけど、わざわざ寒い甲板に出る気にはなれず、航海の間はほとんど船室にいた。ユッポが上段、僕が下段の寝台に寝転がって、ぽつぽつと話す。
多くは他愛のない話で、時々、ユッポの弟妹の話が出た。カガミを見つけたときに、一度は聞いたのかもしれないけれど、全部は覚えていない。相づちをうちながら、彼らの姿を頭に浮かべた。
末の妹は、ふたりとも同じ頃に作られたから、双子のような関係らしい。歌が好きなのがティピカ、家の中でも迷子になるおっちょこちょいがコーダ。
次女のビッテは、自由奔放なお転婆だが、妹が出来上がってから、しっかり者になったという。リーダー気質の長男アンバーとふたりで、ユッポの留守を預かっている。
「でも、ムウタとアンバーが、けんかしてるかなあ」
「ビッテが、仲直りさせてくれるんじゃないか。ずいぶん気が強いんだろう?」
ムウタは、何かと兄に対抗心を燃やす次男だ。大抵のことで敵わないのに、ちっとも懲りない。これは僕の予想だけど、そのアンバーでさえ敵わないのが、ビッテなんじゃないかな。ユッポと一緒によく本を読んだから、彼らの中では言葉を豊富に蓄えているはずだ。加えて、気が強いと聞いていた。口論になったら最後、ビッテの勝ちだ。
こうやって話していると、ちらちら不安がよぎる。皆、元気だろうか。
不意に沈黙が流れたとき、ユッポが上の寝台から顔を出し、こちらを覗き込んだ。
「ねえ、セコは、なにをあきらめないって決めてるの?」
「え?」
不思議な質問に思えた。僕は、何か諦めないと宣言したことがあったかな。
ガラスの瞳は上目遣いになって、旅の中で話したことを思い出していた。
「この前、あきらめるのは手をつくしたあとって、言ってたでしょ? セコに、あきらめないって決めてることがあるんだと思って」
ああ、そうか。ムームーの町で、手を焦がしたユッポが気落ちしていたのを、励ました時のことだ。師の言葉を引いた。
ユッポの推測は、当たりといえば当たり。外れといえば外れ。自分自身が持て余している気持ちを、うまく説明できるかな。
「……ないんだよ」
布張りの寝台がきしんで、ユッポが首をかしげた。僕の声は、乾いた笑いを含んでいた。
「諦めれば、終わりにできるのに。僕は、諦める勇気もないんだ」
心の奥底に、しぶとく残っていた夢がある。それをあざけって、顔にも笑みが浮かんだ。本当は、こんな話をするつもりはなかった。したくもなかった。君にはなんとか、隠しておきたいんだけどな。
報われなくても立ち向かう、強さがあれば。いや、せめて断ち切る勇気があったなら。僕が歩く道は、こことは違っていたんだろう。
「わたし、知ってるよ!」
寝台から上半身を乗り出したら、ユッポは壁に頭を打った。患部に片手をやりながら、僕を真っ直ぐに見る。
「あきらめないのって、大変だよ。イタいくらいに。セコ、じぶんのこと笑わないで!」
僕が諦め切れない事柄を知らずに、ユッポは透き通るような明るい声で励ましをくれた。
「うん……そう、出来たらいいね」
僕の顔には、笑みが貼り付いたままだった。
ごめん、ユッポの質問には答えられない。
昔、僕が憧れたのは人形作家だったんだ。人間と見紛う姿に動作、きらびやかな劇場と歓声、芸術にあふれた空気。幼いころに行った人形劇場は、夢のような世界だった。
そう、この世界で人形作家は画家や音楽家と同じ、芸術家だ。そういったものは、一般に現実的な仕事じゃない。大人たちはいい顔をしない。たとえ、僕の特技が絵描きや工作でも。
自分の夢をねじ曲げて解釈して、妥協点を探した。大して反対されず、いくらか自分の心を満たせる職業は何か。
だから、家具職人になったんだ。その道で高名な職人に弟子入りして、自分は本気だって言い聞かせて。職への没頭を自らに強いてきた。実用性のある家具に、装飾彫刻を施すのは、僕の希望なんだよ。
励ますことに意識が向いたからか、ユッポは質問の答えを催促しない。
ああ、助かった。人間になりたい人形のユッポに、僕のかつての夢を話したら、きっと傷付く。クレッタ・ブラウの歌詞より残酷な気がした。
ヘミオラを発った船は、時化の少ない海を順調に進んでいく。話が長く途切れたのを機会に、僕は寝た振りをした。穏やかな波のゆりかごで、そのうち本当に眠くなってくる。
ユッポの問いに答えられないのは、僕の気持ちが変わり始めているせいもあった。まだ、言葉では上手く説明できないだろう。
今の僕は、この旅に出てよかったと思っている。旅のきっかけは、ユッポと出会ったこと。出会えたのは、僕が師の下で学び、独立したからだ。独立したのは……どんどん歩んだ道を遡っていくと、眠る寸前に答えにたどりついた。
本当の夢を覆って家具職人になったから、代えがたい今があるんだ。
およそ丸一日の航海で、フィッテル付近の港に着いた。ヘミオラのような港町ではなく、この大陸にある町への経由地という感じだ。乗船券の販売所と、小さな宿くらいしかない。布張りの寝台と仲良くしていたせいか、下船してしばらくは節々が痛んだ。
フィッテルまでの陸路は、身体の凝りをほぐすのに一役買った。雪が積もっていないので歩きやすい。そのうちに僕の足取りは少しずつ軽くなったが、反対にユッポの歩みは重くなる。家に近付くほど、不安が増してきているように見えた。
「大丈夫かい? 久しぶりの船旅で、疲れたかな」
顔を覗き込むと、ユッポはその場でくるりと一回転し、誰かを真似るように腕組みした。
「平気だよ。ただ、むずかしいの。今すぐ、みんなのところに行きたいけど、夢みたいになってるかもしれないって思うと、足がゆっくり歩いちゃう」
それでも、歩けば町に着く。夕刻に近付く街並みに入っていくと、初めて訪れるような新鮮さがあった。僕も何年か暮らしたから、懐かしく思ってもいいはずだけど。
古びた細かい石畳の道は、町の歴史を物語っている。町の南へと抜けて、大陸のさらに南へと続く街道だ。その両脇に並ぶ家々の多くは木造。たまに、古くからある石造りの店がある。人形の材料を扱う店は、木造の中でも古いようだ。修行時代にもここに構えていたはずけれど、僕は意識して避けていたんだな。
工房を去った時の記憶を巻き戻す感じで、道順は足が覚えていた。落ち着いた人通りの商店街を抜けると、まばらな民家と広い畑が見えてくる。その向こうは深い森。その手前が目的の場所だ。
道を覆う細かい石畳は、所々が土に取って代わられている。長く晴天が続いているらしく、乾いた地面は土埃が立つ。
そろそろかな。足元から目線を上げて、前を見ようとした時、視界の端でユッポの足が止まった。
「家が……」
震える声は、今日の晴れた天気に似合わない。どうしたんだろう。
かつて技術を学んだ工房を見ると、僕の口からは落胆の空気がこぼれた。
遠目には、建物の外見は変わっていない。何人も弟子を抱えていた頃は、工房兼家具屋として開放していた一階に、家具がたくさんあった。師の寝室、弟子達の寝泊りする大部屋が二階に据えられた、木造の建物だ。かつては手狭に感じることもあったけれど、すっかり賑わいをなくした今となっては、その大きさが空虚だ。全て、窓もカーテンも閉めてあり、何か不気味な雰囲気。これでは、まるで……
「あら、戻ってきたんだね、あんた。そこの家のペターさんを探してたお嬢ちゃんだよね」
通りがかったのは、畑仕事を終えて帰るおばさんだ。ユッポは一通りこの町でも聞き込みをしたらしく、おばさんの記憶に残っていた。
担いでいた鍬をどっこいしょと地面に下ろし、工房の話を聞かせてくれる。
「あの家ね、最近、誰もいないはずなのに、悲鳴みたいな声が聞こえたことがあったんだ。子ども達の間で噂になって、肝試しに行ってみたんだって。留守なだけだもん、遊びで人の家に押しかけんじゃないって叱ったけどねぇ。まあ、話を聞くと誰もいなかったらしいよ。ただ変な物音がしたとかで、お化け屋敷〜って、誰も近寄らなくなったの」
そうだ、お化け屋敷というのがしっくり来る。平穏無事というわけではなさそうだ。声の正体は、ユッポの弟妹達だろう。騒ぎの原因は何だったんだ? 目を凝らせば、カーテンが時々ゆれている気がする。荷物を持つ手に力が入った。ユッポの悪夢が、脳裏をよぎる。
まずは行ってみようか、うん。短い会話を目線で交わし、僕はおばさんに向き直った。
「ありがとう。僕達、ちょっと様子を見てきます」
立ち去る前に一言置くと、おばさんは考える仕草をした。僕に見覚えでもあったかな。




