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ふたつぶの涙  作者: こまた
あの町へ
19/27

「もうすぐ帰るよ、みんな」

 船室で荷物を下ろすとき、ユッポはカガミを軽く抱きしめて呟いた。新しい額縁に収めて梱包したから、今の僕達は大荷物だ。

 一応、二人部屋だという船室は、簡素な布張りの寝台が二段になって据えられている。その横に、扉の幅だけの通路がある。荷物が置けるのは、下段の寝台の下と、天井に張ってある網の上だけだ。窮屈な場所だけど、わざわざ寒い甲板に出る気にはなれず、航海の間はほとんど船室にいた。ユッポが上段、僕が下段の寝台に寝転がって、ぽつぽつと話す。

多くは他愛のない話で、時々、ユッポの弟妹の話が出た。カガミを見つけたときに、一度は聞いたのかもしれないけれど、全部は覚えていない。相づちをうちながら、彼らの姿を頭に浮かべた。

 末の妹は、ふたりとも同じ頃に作られたから、双子のような関係らしい。歌が好きなのがティピカ、家の中でも迷子になるおっちょこちょいがコーダ。

次女のビッテは、自由奔放なお転婆だが、妹が出来上がってから、しっかり者になったという。リーダー気質の長男アンバーとふたりで、ユッポの留守を預かっている。

「でも、ムウタとアンバーが、けんかしてるかなあ」

「ビッテが、仲直りさせてくれるんじゃないか。ずいぶん気が強いんだろう?」

ムウタは、何かと兄に対抗心を燃やす次男だ。大抵のことで敵わないのに、ちっとも懲りない。これは僕の予想だけど、そのアンバーでさえ敵わないのが、ビッテなんじゃないかな。ユッポと一緒によく本を読んだから、彼らの中では言葉を豊富に蓄えているはずだ。加えて、気が強いと聞いていた。口論になったら最後、ビッテの勝ちだ。

こうやって話していると、ちらちら不安がよぎる。皆、元気だろうか。

不意に沈黙が流れたとき、ユッポが上の寝台から顔を出し、こちらを覗き込んだ。

「ねえ、セコは、なにをあきらめないって決めてるの?」

「え?」

不思議な質問に思えた。僕は、何か諦めないと宣言したことがあったかな。

ガラスの瞳は上目遣いになって、旅の中で話したことを思い出していた。

「この前、あきらめるのは手をつくしたあとって、言ってたでしょ? セコに、あきらめないって決めてることがあるんだと思って」

ああ、そうか。ムームーの町で、手を焦がしたユッポが気落ちしていたのを、励ました時のことだ。師の言葉を引いた。

ユッポの推測は、当たりといえば当たり。外れといえば外れ。自分自身が持て余している気持ちを、うまく説明できるかな。

「……ないんだよ」

布張りの寝台がきしんで、ユッポが首をかしげた。僕の声は、乾いた笑いを含んでいた。

「諦めれば、終わりにできるのに。僕は、諦める勇気もないんだ」

心の奥底に、しぶとく残っていた夢がある。それをあざけって、顔にも笑みが浮かんだ。本当は、こんな話をするつもりはなかった。したくもなかった。君にはなんとか、隠しておきたいんだけどな。

報われなくても立ち向かう、強さがあれば。いや、せめて断ち切る勇気があったなら。僕が歩く道は、こことは違っていたんだろう。

「わたし、知ってるよ!」

寝台から上半身を乗り出したら、ユッポは壁に頭を打った。患部に片手をやりながら、僕を真っ直ぐに見る。

「あきらめないのって、大変だよ。イタいくらいに。セコ、じぶんのこと笑わないで!」

僕が諦め切れない事柄を知らずに、ユッポは透き通るような明るい声で励ましをくれた。

「うん……そう、出来たらいいね」

僕の顔には、笑みが貼り付いたままだった。

 ごめん、ユッポの質問には答えられない。

 昔、僕が憧れたのは人形作家だったんだ。人間と見紛う姿に動作、きらびやかな劇場と歓声、芸術にあふれた空気。幼いころに行った人形劇場は、夢のような世界だった。

そう、この世界で人形作家は画家や音楽家と同じ、芸術家だ。そういったものは、一般に現実的な仕事じゃない。大人たちはいい顔をしない。たとえ、僕の特技が絵描きや工作でも。

自分の夢をねじ曲げて解釈して、妥協点を探した。大して反対されず、いくらか自分の心を満たせる職業は何か。

だから、家具職人になったんだ。その道で高名な職人に弟子入りして、自分は本気だって言い聞かせて。職への没頭を自らに強いてきた。実用性のある家具に、装飾彫刻を施すのは、僕の希望なんだよ。

 励ますことに意識が向いたからか、ユッポは質問の答えを催促しない。

ああ、助かった。人間になりたい人形のユッポに、僕のかつての夢を話したら、きっと傷付く。クレッタ・ブラウの歌詞より残酷な気がした。

 ヘミオラを発った船は、時化の少ない海を順調に進んでいく。話が長く途切れたのを機会に、僕は寝た振りをした。穏やかな波のゆりかごで、そのうち本当に眠くなってくる。

ユッポの問いに答えられないのは、僕の気持ちが変わり始めているせいもあった。まだ、言葉では上手く説明できないだろう。

今の僕は、この旅に出てよかったと思っている。旅のきっかけは、ユッポと出会ったこと。出会えたのは、僕が師の下で学び、独立したからだ。独立したのは……どんどん歩んだ道を遡っていくと、眠る寸前に答えにたどりついた。

 本当の夢を覆って家具職人になったから、代えがたい今があるんだ。


 およそ丸一日の航海で、フィッテル付近の港に着いた。ヘミオラのような港町ではなく、この大陸にある町への経由地という感じだ。乗船券の販売所と、小さな宿くらいしかない。布張りの寝台と仲良くしていたせいか、下船してしばらくは節々が痛んだ。

 フィッテルまでの陸路は、身体の凝りをほぐすのに一役買った。雪が積もっていないので歩きやすい。そのうちに僕の足取りは少しずつ軽くなったが、反対にユッポの歩みは重くなる。家に近付くほど、不安が増してきているように見えた。

「大丈夫かい? 久しぶりの船旅で、疲れたかな」

顔を覗き込むと、ユッポはその場でくるりと一回転し、誰かを真似るように腕組みした。

「平気だよ。ただ、むずかしいの。今すぐ、みんなのところに行きたいけど、夢みたいになってるかもしれないって思うと、足がゆっくり歩いちゃう」

 それでも、歩けば町に着く。夕刻に近付く街並みに入っていくと、初めて訪れるような新鮮さがあった。僕も何年か暮らしたから、懐かしく思ってもいいはずだけど。

 古びた細かい石畳の道は、町の歴史を物語っている。町の南へと抜けて、大陸のさらに南へと続く街道だ。その両脇に並ぶ家々の多くは木造。たまに、古くからある石造りの店がある。人形の材料を扱う店は、木造の中でも古いようだ。修行時代にもここに構えていたはずけれど、僕は意識して避けていたんだな。

 工房を去った時の記憶を巻き戻す感じで、道順は足が覚えていた。落ち着いた人通りの商店街を抜けると、まばらな民家と広い畑が見えてくる。その向こうは深い森。その手前が目的の場所だ。

道を覆う細かい石畳は、所々が土に取って代わられている。長く晴天が続いているらしく、乾いた地面は土埃が立つ。

 そろそろかな。足元から目線を上げて、前を見ようとした時、視界の端でユッポの足が止まった。

「家が……」

震える声は、今日の晴れた天気に似合わない。どうしたんだろう。

かつて技術を学んだ工房を見ると、僕の口からは落胆の空気がこぼれた。

 遠目には、建物の外見は変わっていない。何人も弟子を抱えていた頃は、工房兼家具屋として開放していた一階に、家具がたくさんあった。師の寝室、弟子達の寝泊りする大部屋が二階に据えられた、木造の建物だ。かつては手狭に感じることもあったけれど、すっかり賑わいをなくした今となっては、その大きさが空虚だ。全て、窓もカーテンも閉めてあり、何か不気味な雰囲気。これでは、まるで……

「あら、戻ってきたんだね、あんた。そこの家のペターさんを探してたお嬢ちゃんだよね」

通りがかったのは、畑仕事を終えて帰るおばさんだ。ユッポは一通りこの町でも聞き込みをしたらしく、おばさんの記憶に残っていた。

担いでいた鍬をどっこいしょと地面に下ろし、工房の話を聞かせてくれる。

「あの家ね、最近、誰もいないはずなのに、悲鳴みたいな声が聞こえたことがあったんだ。子ども達の間で噂になって、肝試しに行ってみたんだって。留守なだけだもん、遊びで人の家に押しかけんじゃないって叱ったけどねぇ。まあ、話を聞くと誰もいなかったらしいよ。ただ変な物音がしたとかで、お化け屋敷〜って、誰も近寄らなくなったの」

そうだ、お化け屋敷というのがしっくり来る。平穏無事というわけではなさそうだ。声の正体は、ユッポの弟妹達だろう。騒ぎの原因は何だったんだ?  目を凝らせば、カーテンが時々ゆれている気がする。荷物を持つ手に力が入った。ユッポの悪夢が、脳裏をよぎる。

 まずは行ってみようか、うん。短い会話を目線で交わし、僕はおばさんに向き直った。

「ありがとう。僕達、ちょっと様子を見てきます」

立ち去る前に一言置くと、おばさんは考える仕草をした。僕に見覚えでもあったかな。

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