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ふたつぶの涙  作者: こまた
悪夢と揺り椅子
17/27

 比較的早い時間に宿を出て、朝もやが晴れたばかりの街を歩いた。メイズへ向かう、朝一番の馬車には間に合いそうだ。

 乗り場へ行く途中、静かな町中に切羽詰まった声が響いた。

「頼むから、捨てないでおくれよ!」

少ない通行人の間から、声の主はすぐに見えた。腰の曲がり始めたおばあさんが、必死の形相で揺り椅子を掴まえている。

「こんなもん、いつまで取っておくんだ? 処分する、いい機会だろうが」

ぶっきらぼうに言って、おばあさんの反対側で揺り椅子を持っているのは、息子だろうか。

よく見ると、遠目でも椅子が壊れているとわかった。肘置きと座面をつなぐ支柱が、片方ない。空いた手で息子が持っている。何かの拍子に折れたんだな。

僕とユッポは顔を見合わせる。どちらからともなく、揺り椅子と親子の方へ足を運んだ。馬車を乗り過ごすことになるが、なんだか放っておけなかった。

「どうしたんです。そのくらいの故障なら、すぐに直りそうなものだけど。よければ直しましょうか?」

「なんだ、あんたは」

怪訝な顔をされて、言葉が足りなかったと反省する。自己紹介をしていない。

「ああ、僕は家具の職人で、セコといいます。たまたま通りがかったら、壊れた椅子が見えて、気になったんですよ」

「おばあさんは、この椅子たいせつみたいなのに、すてちゃうの?」

椅子と親子を交互に見て、ユッポが言う。はじめは冷たそうに見えた息子だが、言葉を返せない。

「すてちゃうの?」

重ねて問われると、息子は歯噛みする。そして唾を飲み込んで、喉のつかえを振り切った。家の壁を背にし、ユッポと、僕と、自分の母親を睨む。

「ああ、いいんだよ、こんなボロ椅子。見てるばっかりで、ぜんぜん座りゃあしねえんだから」

息子の動揺を好機だとばかりに、おばあさんはぎゅっと椅子を引き寄せて反論する。

「じいさんの席だもの、当然じゃないか。私は、この椅子と向かい合って過ごすのが好きなんだよ」

だんだん、話が見えてきた。この騒ぎに顔を出さないんだ、椅子の持ち主は、もう……。

おばあさんは、夫の形見をずっと傍に置きたいんだろう。この椅子と共に暮らすのが安息になるなら、直したいな。

「職人と言っても、僕は通りすがり。代金なんかいただきませんよ。それでも断りますか?」

断わるための全うな理由を潰すと、息子は口をへの字にして顔を背けた。椅子を直そうとする三人に囲まれて、孤立無援だ。

「……もういい、勝手にしてくれ」

疲れたように長い息をつき、息子は急に椅子から手を離す。ユッポが上手く受け止めて、これ以上の破損は免れた。折れた支柱も放り出す。

足早に去っていく姿は、心なしか小さく見える。おばあさんは、困ったように笑っていた。それから、期待に目を輝かせて僕を向く。

「本当に、お願いしていいの?」

「もちろん。大切なものなんでしょう」

おばあさんは、隠しようもなく嬉しそうだった。

 揺り椅子はおじいさんのお気に入りで、若いころコツコツ貯金をして購入した、思い出の品らしい。ずっと家族の中心にあった。

「こういう、硬そうなデザインよりも、私は丸っこいのが好きなんだけどねぇ。憧れの椅子だって言われちゃ、嫌って言えないわ」

くつろぎの時間は、おじいさんの指定席。幼い子どもをあやすときは、抱っこしておばあさんが座ることもあった。

「死んだ亭主との思い出が、いっぱい染み込んでるのよ」

いとおしそうに椅子を撫でる姿は、先ほどとは打って変わって儚げだ。

力で到底敵わない息子が相手でも、椅子を決して離さなかった強い姿は、おじいさんへの想いの現われだった。


 家に招き入れられ、揺り椅子の修理をする間、壊れた経緯を知った。黙々と手を動かす僕の横で、工程を見ながらユッポとおばあさんが話していたんだ。

あの息子は、近くに住んでいるので、ちょくちょく孫を連れてくる。最近は、孫も大きくなってきて、ひとりでも遊びに来るそうだ。やんちゃ盛りの少年は、面白がって揺り椅子に乗る。それで、揺らしすぎたために椅子が倒れた。

肘置きと座面の間の支柱は、鉢植えに当たって折れた。鉢も割れて土がこぼれる中、孫も椅子から落ちる。でんぐり返しの末、棚におでこが当たってたんこぶができた。もう、転んだくらいで泣かなくなっていた子でも、さすがに大泣きした。

泣き声を聞きつけた息子がとんできて、ものすごい剣幕で孫を叱り付けたのだという。

「そりゃあ、椅子を壊したことを怒ってね。なんだか孫が可哀相になってきて、たんこぶ冷やしてあげなさいって、私が息子を怒ることになっちゃった」

あれでなかなか優しい息子なのだと、おばあさんは笑う。その隣でユッポはしきりに首を捻った。

「こわしたの、おこってたのに、椅子をすてようとするなんて。ふしぎだねえ」

ユッポは、年季の入ったダイニングセットに着席している。向かい合うおばあさんが笑い出すほど、ぐわんぐわんと体を揺らした。首を捻るというより、やじろべえの真似をしているようだ。

「ふふふ、私にはわかってる。いつまでも思い出にしがみついて、ひとりで暮らす母親を見るのが辛いのよ。あの子が育った家に、もう私しかいないんだから。椅子がなければ、私が動くと思ってるのかもしれないね」

 息子夫婦は、一緒に暮らそうとおばあさんに勧めたことがあるそうだ。近所だし、お嫁さんもいい子なんだけど、と言葉を切り、おばあさんは小さく息をついた。同居を断って、ひとりの生活を続けているのだ。

 普通の椅子より大振りな揺り椅子は、息子夫婦の家だと居間を手狭にしてしまう。孫が小さいうちは、前例があるように、遊んでいて怪我をするかもしれない。持っていくのは気がひける。それに、真剣に考えるほど、家のあちこちに残る思い出が目に付いて、家への愛着が増すばかりなのだ。

「揺り椅子と家は大きな思い出だから、どっちも手放したくないのよ。亭主との暮らしの続き……ちょっと淋しいけど、いいこともあるから」

いつからか、話に聞き入っていたユッポは、ころんと頭を傾けた。

「まごが、あそびにくること?」

おばあさんは頷いて、ユッポの頭を撫でる。孫と同じ年頃に見えるのかもしれない。

「今日みたいに、初めて会う人の優しさに触れられることもあるわ」

微笑みの目線が僕の頬にも向く。うまく言葉が出ないから、強く、椅子を直そうと思う。

孫が遊んだくらいじゃ、壊れないように。息子の心配が、少しでも減るように。揺り椅子を中心に、家族の輪が繋がるのなら、持ち主も喜ぶんじゃないかな。

 椅子のデザインは割にシンプルで、無事だった方と見比べて支柱の形を取るのは難しくなかった。台形を立体にしたような材は、あるべき場所にすっぽり収まった。年月を経た風合いは、色の濃いニスを使って、できるだけ再現する。

「念のため、丸二日はそっとしておいてください」

「あらあら……ニスが乾くまでね」

おばあさんは僕の話を聞きながら、目は椅子に釘付けだ。きっと、若い頃におじいさんと出かける時などは、こんな表情をしていた。

気をつけるのはニスだけじゃないから、説明を続ける。

「ええ、それもあります。ついでに、他の部品も継ぎ目を接着剤で補強したんです。手や服につくと、なかなか取れないですから」

「なるほど、それで細かく分解したのね」

はめ込んだだけでも、ただ座る分には強度は十分だけど、手持ちの材料で、より強く直すために接着剤を使った。

椅子の周りをぐるぐる歩いて、おばあさんは何度もうなずく。それから、替えた支柱を改めて見つめると、ふと首を傾げた。

「あなたの銘は、入れていないのね」

家具職人は一般に、サイン代わりのモチーフを持っている。作品のどこかに刻むもので、揺り椅子にも制作者の銘が入っていた。

「修理では、銘を入れることはありません。元の制作者がいますからね」

「あら、そういうものなの。なんだか勿体ないわ、確かな腕をお持ちなのに。こんなに……すっかり直してくれて」

普段からそうしているのか、椅子を撫でようとしておばあさんは手を止めた。その手で自分の頬を包むようにして、深い溜息をつく。指の間から笑みがこぼれていた。

ニスが完全に乾けば、色合いはまだ変わる。僕にとっては自分の手による修理だから、新しい支柱と椅子との境目が気になる。しかし、おばあさんの喜びようを見ていたら胸のつかえが取れた。

「あ、そうだ……」

 ほっとして、思い出した。接着剤の小瓶を手に取る。

「これ、接着剤のラベルです。もし、また壊れたときには、これを使っていると家具屋に伝えてください。職人なら、きれいに取る方法も知っています」

ラベルを剥がして渡すとき、瓶に爪を立てるために作業用の手袋を外したら、おばあさんの目が丸くなった。

「まあまあ、何から何まで……あら、手を怪我していたの?」

しまった、そのことは頭から抜けていた。じきに治る傷だと言いつくろう間に、おばあさんは救急箱を出してくる。

「小さな傷も甘く見ないことよ。家にはなんにもないけど、ちょっとくらいはお礼をさせてちょうだい」

僕の手首を掴まえる力は、案外に強い。

「いや、お礼は、さっき頂いたお茶で十分……」

「もう、お顔のまんま、キザなことを言って。本当はね、ただで直すなんていけないのよ。あなた、これでご飯を食べているんでしょう? ほら、いいから座りなさいな」

言い慣れない台詞は言いきれず、僕はダイニングセットの席に押し付けられた。

 作業が始まるとき、おばあさんはお茶を淹れてくれていた。場の雰囲気からかユッポがカップを持ち上げたことには驚いたけど、熱さに目を白黒させて以来、口を付けなかった。

やはり、飲むことはできないか。僕は熱いうちに少し飲んで、作業が終わってからカップを空にした。冷めてもおいしかった。

そんなことを思い返しているうちに、手の包帯はきっちり巻き直された。さすがに手慣れている。

 僕達を送り出す玄関先で、おばあさんはにっこり笑った。

「今までも、家の宝物といえばあの椅子だけだった。これから、もっと大事にしなくちゃ。万が一、壊れることがあったら、また、あなたに直してほしいわ。工房は遠いのかしら?」

へ?

顔がほてる。初めてだ、こんな風に言ってもらえたのは。一瞬、空気の吐き出し方がわからなくなって、返答が遅くなった。

「……ヘミオラに、工房を構えています。ああ、そうだ、銘紙ならあった。これを」

自分を現すモチーフと名前、工房の場所を記した小さな紙。渡し慣れていないから、いまさら鞄から引っ張り出す。

「そこなら、地続きね。ヘミオラのセコ、覚えておくわ。ユッポもお話、楽しかった。あなた達のこと、絶対に忘れないからね。ありがとうね」

ひとりずつ、しっかり握手をしておばあさんと別れると、馬車の乗り場へと足を向ける。朝一番とはいかないが、午前の便には間に合った。

「ありがとよ」

 馬車が出発するとき、ぶっきらぼうな声が飛んできた。声の方を見ると、おばあさんと椅子を引っ張り合っていた息子が、去っていく姿がある。こちらを見ていないとわかっていても、僕達はなんとなく、彼に向かっておじぎをした。胸騒ぎに焦る旅路、揺り椅子の修理には少し時間が掛かったが、無意味なことではなかった。

 着実に、僕の工房があるヘミオラの町、そこから海を越えたフィッテルに近付いている。思えば、旅が始まった場所へと近付いているんだ。変化した目と心は、そこをどんな風に見つめるだろう。

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