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ふたつぶの涙  作者: こまた
みんなのおかげでアッタかい
15/27

 冬の雨は寒さを一段と厳しく感じさせたが、行く先に思いを馳せて、進んでいけた。雨が止んで、ぬかるんだ道を踏みしめる。今歩いている所は、寒村ダルに近い辺り。山道ほどではないが、起伏がある。道の脇、小高くなった場所には、木の根が雨に洗われて剥き出しになった部分も見られた。木々の枝を伝って落ちる雫が、雨の余韻として耳に届き、そこに時々、歌が混じった。町をあといくつか南下すれば、僕の工房があるヘミオラだ。日数で言えば短い間でも、長く離れていた感じがする。これまで以上に、前髪が視界に入る。

 行き先のことばかり考えていて、何度か泥に滑って転びそうになった。ユッポも同じく滑っていたから、色々、考え事をしていたのかもしれない。




 散漫だった注意の中で、何が起きたかを理解するには、時間がかかった。ほんの一瞬かもしれないし、何十秒かもしれないけれど、僕は地面に投げ出されたまま、こうなった理由を探していた。泥がマフラーに染みていく。

「ユッポ」

名前を呼んで起き上がる動作は、僕が今まで生きてきた中で、一番早かったと思う。駆け寄る一歩ごとに、ついさっきの光景がページ送りに浮かぶ。

雫の合間に聞こえた、不穏な音。

根が剥き出しになった木が、傾いてきていた。

転がってくる石。

倒れる木。支えを失った土と共に、押し寄せてくる。

避けられないと知り、足がすくんだ。

「あぶない!」

声と一緒に、背中を押されたのを覚えている。手袋に包まれた、木製の小さな手に。

木が倒れると同時に、土砂崩れが起きていた。

 痛みを知ってから、ユッポの行動には、わずかにためらいが出てきていた。子どもにしては力が強いけど、重いものを長い間持っていれば手が痛くなるし、ずっと立ったままでいれば足も痛くなる。そんなの、辛いから誰だって嫌だ、当たり前だ。

それでも、とっさに僕を庇って突き飛ばした。

「ユッポ!」

僕が元いた辺りに倒れたユッポは、動かない。ひざから下が木の枝や石で埋まっている。やっぱり、逃げ切れなかったんだ。

「うぅ……」

声が聞こえた。よかった、生きている。

「セコ……大丈夫?」

他人の心配をしている場合か? 無理に笑った声を出すなよ……そうだ、この大きさの石なら僕でも動かせる。早く、ユッポを助け出さないと。

「僕は大丈夫だよ。ありがとう」

言いながら、石を拾っては捨てていった。怖くなかったかとか、足は痛むかとか、わかりきったことでも語りかけた。

半分は、ユッポの気が紛れればと思って。あとの半分は、自分の動揺を抑えるためだった。

頭の中では、繰り返し土砂崩れの光景が浮かんでくる。ああ、僕はなんで、あの場所で足を止めたんだ。くそっ

 石や枝が減って、泥にまみれたブーツが見えてきた。

「あと少しだ」

だが、気を抜くには早い。足はどうなっているだろう。

固まってしまった自分に腹が立つ。僕が危機に気付いて早く逃げれば、こんな無茶をさせることもなかったんだ。旅を手伝うつもりで、いつも助けられてばかりだなんて。本当に情けない。

泣きたいような気持ちだけど、それは石と一緒に投げ捨てた。ユッポが黙って耐えているのに、ただ悔やんでなんかいられるか? ごちゃごちゃ考える暇があるなら、手を動かすんだよ!

 僕は、まだ混乱しているんだろう。頬を伝った血が落ちて初めて、自分もあちこちに細かい傷を負っていると気が付いた。痛みも疲れも忘れて、次々に石をどける。

 残りが小石と泥くらいになった。ここまで軽くなれば。

「ユッポ、つかまって。引っ張り出すよ」

声をかけてから、ユッポの両脇を抱えて持ち上げる。僕の袖を掴む手には、しっかり力が入っているのでほっとした。自分の膝に座らせて、挟めていた足を見るが、泥に汚れてよくわからない。ブーツがクッションになって、折れてはいないようだけど。

「痛む?」

「うん……でも、へいきだよ。セコが、助けてくれたもん。ありがとう」

掠れた声は苦しげだ。自分で立とうとまでするから、「無理はするな」と慌てて止めた。

素直に頷いたユッポを片腕に抱えて、立ち上がる。腕に座って襟首を掴んでいてもらえば、落ちはしないだろう。空いた手で地面に落ちた荷物を集めながら、周囲を見回した。

確か、川が近かったはずだ。流れが激しいかもしれないけど、泥だらけでは手当ても出来ない。水は冷たいだろうが、傷を洗えるのはそこだけだ。

 僕はここまで力持ちだったっけ。ふたり分の荷物と、全部のカガミと、抱えたユッポを一度に運べるなんて。泥が染みていくことやら何やら、考えたらひとつも置いていけなかった。

追い込まれると思いがけない程の力を発揮できるものだ。自分を傍観する目線があるから、少しは冷静さが戻ってきたみたいだ。足を滑らせぬように気をつけつつ、急いで川辺へ歩く。

 川の増水は、さほどじゃない。どうやら、上流では雨が降らなかったようだ。川辺に平らな岩を見つけて荷物を置き、その傍にユッポを座らせた。

「どこが痛む?」

聞きながら、自分の手を見て驚いた。手袋が破けて、指も掌もすりむいている。割れて血のにじんだ爪もあった。とりあえず、ボロきれと化した手袋を外す。

「ここ……」

ユッポが指差したのは足首だった。すると、布張りをしていない所だな。直せる望みはある。

「靴、自分で脱げるかな」

「うん」

頷くのを確かめてから、僕は川へ手を洗いに行った。泥を落として、作業用に持ち歩いている、薄手の布手袋をはめる。自分の手指を手当てはできないから、ユッポの応急処置が済むまでは、これでいい。

 素足になったユッポと目を合わせて、僕は自信を持ってこう言った。

「すぐに直るよ。心配しないで」

ユッポの足首は、僕の工房に来た時と同じく、関節を成す球状の部品が、ずれた状態だった。足首より上と足先との間を、つっかえ棒する形になっている。土砂の重みで間隔が広がり、球状の部品が飛び出してしまったのだろう。たぶん、人間に例えたら脱臼に近いと思う。工具やニスはいらない、すぐに直せるのは本当だけど、この前とは違う。両足とも関節がずれているし、何より、今のユッポは痛みがわかるんだ。瞬間、直すことをためらった。

「痛いかもしれないけど、大丈夫かい?」

「うん」

今だって十分痛い。迷っている余裕はないな。足先を引っ張って、関節を広げる。球状の部品は、中を通る糸に引かれて元の位置に収まった。

「ひゃあっ」

「ご、ごめん」

 悲鳴が上がったので、慌てて手を離す。ユッポの足には力が入っていなくて、振り子のようにぶらんと下がる。勢いで、座っている岩に踵をぶつけてしまった。

「だ……だいじょうぶ……」

震える声は、全然、大丈夫じゃなさそうだ。ちらっと顔を見ると、固く目を閉じていた。

とにかく、直さなくちゃしょうがない。

「あっ!」

ふと思いついて、驚いた振りをして明後日の方向を指差してみた。僕が珍しく大声を出したから、ユッポは「え?」と首を回して虚空に気をとられる。

その隙に、もう一方の足先を引っ張って、関節を戻した。球が元通り収まる。

「わわっ」

部品が収まる音より、何倍も大きな悲鳴が上がった。

ごめん。少しは感覚をごまかせるかと期待したが、だめだったみたいだ。

痛みの余韻で、ユッポはしばらくうなだれて沈黙したが、そのうち顔を上げた。

「……セコ、ありがとう! もう、イタくないよ!」

無理をした笑い声ではなくなっていた。それで、やっと肩から力が抜ける。

 ほっとしたのも束の間、ユッポの表情はすぐに曇った。目が、真っ直ぐに僕の頬を見ていた。

その目線が染みたかな。緊張が解けたせいかな。にわかに傷が痛み始めた。

「いや、こんなの大した傷じゃない……」

言って、手で頬を拭ったのがまずかった。

「わわわ」

ユッポが、おろおろしている。作業用の手袋は薄くて、早くも手の傷からにじんだ血が、顔に赤い筋を作っていた。


 厚手の手袋に守られて、ユッポの手は無事だった。手袋は泥だらけだから、今は素手で僕の傷を手当してくれている。

木でできた手と、僕の手を見つめる目はしょんぼりしていた。

「ごめんなさい……セコの手、いっぱいケガさせちゃった。職人さんは、手を、だいじにしないといけないんでしょ? パパが言ってた……」

確かに、繊細な仕事のためには、手を使いながらも労わる必要がある。僕も、あまり冷やさないように考えたり、作業に集中するあまり酷使しないよう、気を遣ってきた。でも、手よりも大事なことがあったんだから、怪我をしても仕方ないと思う。

ユッポがそういうことを知っているのは、人形ばかり作っていても、師は職人として、手を大事にしていたからか? 人形が動き出したことで、消化された想いがあって、以前の師に立ち戻ったのかもしれない。

 手の傷は、ほとんどユッポを助けるときに負ったものだけど、謝られるのは変だな。

「このくらい、すぐに治るさ。ユッポが助けてくれなかったら、もっと傷だらけだった。それに、カガミも無事で済まなかっただろう」

「……わたしも、ひとりでになおったら、いいのに」

ごくごく小さく、耳に届いたのはユッポの本心だと思う。僕に聞こえないように、抑えたんだ。だから聞こえない振りをした。

 川面を眺めて、どうやって怪我から話を逸らそうかと考える。何とか、ユッポに聞きたいことを探し出した。

「ええと、師は、弟子達について何か話したことがある?」

強引に話題を変えるために浮かんだのは、ちょうど考えていた師のことだ。ユッポは一度手を止めて、記憶を手繰り寄せた。包帯を指に巻くと同時に、仮説を含めて話しはじめる。

 師は歌を教えたほかに、ユッポ達に様々な物語を読んで聞かせたそうだ。ときには、本に書いていない話を、そらで語ることもあった。何人もの、家具職人の話。師はそうと言わなかったが、恐らくは自身と弟子達の話だったのではないか。

「さいしょのでしは、いちばん長い時間、お勉強したんだって。いいものを見分けるのがとくいだけど、もっと……やさしいひとになってほしかったなあって」

確かに、弟子の話だ。僕の前に弟子入りしていた男がひとりいて、ユッポの語ることはそいつにぴたりと当てはまった。彼については、僕はいい思い出がない。いや、僕だけじゃない、他の弟子達も同じはずだ。

他に、不器用でも職人になることに夢があり、いつも楽しそうな者の話。反対に器用だが、早とちりから寸法間違いが多い、うっかり者などの話を聞いたという。離れてひさしい、うろ覚えの弟弟子には、多分、そんな人達がいたと思う。

それにしても、知らないところで童話にされているとは思わなかった。まあ、僕には語れるような個性はなかっただろうけど……。

 内心、卑屈になっていたら、ユッポの記憶にはまだ続きがあった。

「あとね、一回だけ話してくれたひとがいたの」

その話の時だけ、師はすごく遠くを見ているようだったという。子どもに聞かせるお話、とは違う様子で、印象に残っていたらしい。

「さいのうがあって、がんばってて……でも、自分ではそう思ってなかったみたい。自分のことも、みんなのことも、もっとミトめてたら、作品のいいところが、みんなにわかったのにって」

努力家で、夜なべしては寝坊する彼のことかな。器用ではなかったけど、少しずつの上達を……素直に喜んでいたな。違うか。

「先生の職人さんは、そのひとを見てると、自分を見てるきがしたんだって。うつくしいとかんじるものが、にてたから。わたし、そのひとが……セコなんだと思う」

「へ?」僕が?

後半は声にならなかった。今聞いたのは、ユッポ個人の解釈だよな。本当に師が僕を語ったこととは限らない。でも、才能や努力を認められていたのだとしたら……なんだか視界が白っぽく霞んだ。僕は、豹変した師の下をさっさと離れたのに、認められたと思うと震えが走る。仮説でもこんなに嬉しいなんて、勝手な弟子だな。口が半開きになって固まった僕を見て、ユッポはちいさく笑った。包帯を留めて、手当てが終わりになる。

「わたし、セコが作った鏡が、うちにあったのとそっくりって言ったよね。こわしちゃった鏡が、目の前にあるみたいで、すごくうれしかったの」

「そうか……」

呟いたら、顔が勝手に笑みを浮かべた。一時は親の仇みたいに嫌っていたのに、やはり僕は彼の弟子なんだな。ユッポ達に語った話から、師が、僕達をしかと見ていたのもわかった。それもまた嬉しかったんだ。


 さあ、旅にはまだ続きがある。上着や靴に付いた泥をいくらか落としたら、少しの休憩を挟んで次の町を目指そう。

雨上がりだから、乾いた薪は拾えない。疲れたからといって歩みを止めて、このまま外で過ごしたら、二度と朝日を拝めない。ろくな焚き火もなしに、野宿は厳しいはずだ。

 やむを得ず、僕達は荷物を減らすことにした。今までの大荷物を背負って、町まで歩く体力はない。

ずっと、丁寧に梱包して運んできたカガミは、簡素な額装を外した。一枚一枚、ゆるく筒状に巻いて包みなおす。やはり絵なのだと確かめるみたいで、何とはなしに気落ちした。

「みんなのおかげで、アッタかいね」

しばしの暖を取る焚き火に向かって、ユッポは慰めるように呟いた。

外した額縁は、解体して薪になっていた。手近にあった、唯一の乾いた木だ。

今まで、かさばるのを承知の上で運んできたのは、鏡としての体裁を保ちたかったからだ。ユッポの弟妹達に、絵としてのカガミを見せたくなかった。

できれば、新たな額縁を作りたいな。

 火に当たっていると、顔や髪についた泥が乾いてくる。ユッポの肌は水が染み込みにくい布だ。乾いてからのほうが綺麗にしやすいと考えて、そのままにしていた。

手当ての上から作業手袋をはめて、まずは試しに。自分の髪を手櫛ですくと、固まった土が砕けて落ちていった。手を叩けば、こちらもそれなりに白さを取り戻す。

「うん。ユッポ、そろそろ髪の毛の土が落とせそうだ」

「どうやるの?」

小首をかしげた顔に向かって、実演して見せる。土と水の不思議に目を輝かせ、ユッポは自分でやってみようとした。

「あ、てぶくろ、このままじゃだめかな」

「そうだね。これを着けてやってみるかい?」

火の粉を防ぐために、ユッポはいつもの手袋をはめていた。汚れたブーツを履く時はこのままでもよかったが、泥は乾きかけ。僕の作業手袋は何枚か予備があるから、ひと組を貸すことにする。

「こうして手を叩けば、手袋の土も落ちる」

「ありがとう、やってみる!」

指先が余る手袋に替えて髪を整える隣で、泥汚れに気をつけて鞄をさぐる。まあ、記憶の通り持っていないな……町の宿で借りよう。手持ちの道具では、ユッポの顔はきれいにできない。

「おぉ〜」

左頬を下に倒れていたから、主な汚れはそちら側だけ。およそ土が落ちた髪を見て、ユッポは歓声をあげた。

「ブラシがあれば、もっと綺麗になるんだけどね。きっと、顔についた土も落ちる」

「宿でかしてくれる……セコが、かみのけイタいっていう、どうぐ?」

「ああ、そんな覚え方をしていたか。そうだよ」

最低限、清潔を保っていただけの髪はぼさぼさで、よく絡まる。気まぐれにブラシを通すと、不意に引っかかることがあった。噛み殺した痛みを聞かれていたとはな。

 それから何となく会話が途切れて、たまに飛ぶ火の粉を見ていた。薪がなくなるまでの休憩中、僕は何度も、頭の中で土砂崩れを思い出してしまう。ユッポが、ろくに声も出せないほど痛い思いをしたのも、カガミの額を外すことになったのも、僕のせい。悔やんでも変わらない事実だ。

「セコ、悲しいの?」

ユッポに顔を覗き込まれたので、浅く頷いた。あんまり見ると、表情から心の内がわかってしまいそうだ。目を半分だけ伏せる。

 隣に座っていたユッポが、不意に立ち上がる。よかった、足の具合は本当にもう大丈夫みたいだ……と思うと、ふわりと髪に触れるものがあった。小さな手が、僕の頭を撫でる。

顔を上げると、優しげな眼差しがそこにあった。

「このまえ、セコがこんなふうにしてくれたとき、あんしんしたんだよ」

この旅は自分のためだったと、ユッポが嘆いたときのことか。特に考えて伸ばした手ではなかったけれど、気持ちを前へ持っていくきっかけになったらしい。

「やっぱり……ユッポには、心があるんだね」

 急な言葉にきょとんとするユッポ。その手の甲に、自分の手を重ねた。

 土砂崩れから僕を庇ったとき、いい子、悪い子を考える間はなかった。ユッポを動かしたのは心だった。僕は、もっと早くに確信していてもよかったんだ。

そもそも、作り手に逆らっての旅なんだから。くじけそうになりながら、意思を持って刻んできた足跡。僕は、誰が笑っても、この旅は真実で、ユッポには心があると断言するよ。

その手は、硬いけれど、冷たいけれど。

「僕の心がそう言うんだから」

 ほら、人を安心させる手の力が、ユッポにもあるじゃないか。

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