③
来た道を戻り始め、全部で七枚のカガミは僕達を大荷物の旅人にした。相変わらず深い雪に体力を奪われながら、これ以上寒くならない道程に支えられた。ひとつ、大陸を北上している間はよく耳にしたユッポの歌が、帰りはほとんど聞かれないのが気になる。
互いに、考え事にふけっていたんだろう。再び訪れたトグの町で、僕達はいつの間にかはぐれていた。
参ったな。こんな人ごみの中、ユッポの背丈で見つかるかな。苦手な喧騒からは逃れたいが、はぐれた場所を離れるわけにはいかない。
大通りを往復しながら、時折、ユッポはどこにもいないんじゃないか、と思う。僕が夢から覚めただけだって。ヘミオラに閉じこもっていた僕が、頭の隅に残っていた。
あの単調な生活は安定だったのか。自己満足の物作りをして、それは仕事といえたのか。自分に問いかければ、すぐに違うと答えられた。
家具に施す彫刻は、今でも僕にとっては大きな価値がある。だが、僕の手にある技術は、誰かのためにも使えるんだ。だったら使えばいい。こんな単純なことに、旅に出る前の僕は気付いていなかった。簡単な修理でも、その度に「ありがとう」と言うユッポが、教えてくれたんだ。
だから、視界を埋める人の中にユッポを探す。この旅は夢じゃないと、手の中のカガミが証明していた。
不意に、妙なものを見た気がした。目で追いかけると……やっぱり、見間違いじゃない。大人と同じ高さに、子どもの顔が見えた。親が肩車をすれば、もっと高くなるはずだよな。
もしやと思って近付くと、案の定、子どもを肩に乗せているのはユッポだった。
「ユッポ!」
「あ、セコ! よかった、みつかった」
心底、ほっとした声が出た。カガミは分けて持っているから、ふたりが一緒でなきゃフィッテルに帰れないんだ。
しかし、この子はどうしたんだろう。
「もしかして、迷子なのかい?」
「うん。わたしも迷子だったけど、この子、泣いてたから。ほうっておけなくて」
僕が怒っていると思ったのか、ユッポは申し訳なさそうにしている。荷物とカガミ三枚の重さに加え、子どもを背負って歩いた疲れも見えた。
「交代しようか、肩車」
こんな言葉が出た。怒っていないとわざわざ言うのは、違う気がしたんだ。迷子の子どもが不安になるだろうから。
ユッポは少しきょとんとして、すぐには意図を汲めないようだった。
「僕の方が背が高いだろ。周りも、よく見えるんじゃないかな」
泣いた跡の残る、子どもの赤い顔に目を向ける。それからユッポの後ろに立って、子どもの両脇を抱えて高く持ち上げ、自分の肩に乗せる。
「ありがと、でっかいおにいちゃん」
子どもは、まだちょっと鼻をすすりながらお礼を言った。
身軽になったユッポが背伸びして「ありがとう」と言う。僕は小さく「どういたしまして」と返し、今度は三人で人ごみに目を凝らした。もう、はぐれないように気をつける。
しばらくうろうろしていたら、明らかに人探しをしている女性を見かけた。上下左右をきょろきょろして、ひどく焦った様子だ。
「ママだ!」
我が子の声で僕達に気付き、女性は跳び上がった。
「ああ、見つけた!」
大通りは、人の流れを妨げると迷惑になる。子どもに路地を指差してもらって、人ごみの外で合流しようと思った。
「わたし、言って来る。この子のママと、あっちの道に行けばいいんだよね!」
「それがいい。頼んだよ」
ユッポは、人の隙間を器用に縫って行った。確かに、指差しただけじゃメッセージとして不十分だったか。
無事に母子は再会を果たして、迷子の件は落着となった。母親に抱かれてほっとすると、子どもはまた泣き出した。その様子から、ふとユッポに目を移すと、羨ましそうに母子を見ていた。
「そういえば、ユッポの母親って?」
普通に考えて、いるわけがない。顔立ちがどことなく師に似ているので、師の娘として作ったんだと解釈していた。でも、こうして見ていると、他の誰かの面影もある気がしてきた。モデルがいるのかもしれない。
「わかんない」
母子を見たまま答える一言は淡白で、無機質にも、痛々しくも聞こえた。乾いた感じ、とでもいうのかな。
それきり、僕達の話は途切れて、母子のお礼に対応することとなった。人の喜ぶ顔を見て、最後にはユッポも笑顔を取り戻した。
「太陽の色を映して その瞳は輝いた
虹を見つけて七色の笑顔 素敵だね
鈍色も銀色に変えて その瞳は空を見た
明日は恵みの晴天か 雨か どっちかな
雨空に少しうつむいて その瞳が落としたのは……」
曇り空の道中、しばらくしぶりに聞く歌は、またいつもの所で止まった。
「どうした?」
こうまで何回も、この歌を同じ所でやめるのは、偶然じゃないだろう。
「涙……」
ぽつぽつ雨が降り出した。ゆっくり僕を向いたユッポの頬には、雨粒が筋を作っていた。
「この歌のひと、いいなあ。キレイな目なの。キラキラ、喜んで、笑って……泣けるの」
歌の人物への、憧れ? 涙を流すことが、羨ましいのか。
「わたし、泣けないってことのほかは、自分の目が大好き。パパが……ほめてくれるから」
そういえば、ユッポが人間になろうとする理由を聞いたことはなかった。強い想いだけはわかっていたけど、どうせ師の話になるからと、問いかけなかったんだ。
「泣くために、人間になりたかったんだね」
雨粒が大きくなってきた。濡れないように、僕達はカガミを抱え込む。
「うん。パパは、パパがしんでも涙をながしてくれる人はいないって、言ってたの。しんでもって、よくわからないけど。パパの周りには、わたしたちだけでしょう? だから、そのときまでに、わたしたちが人間にならなくちゃ、きっと、すごくすごく、サミしいの」
歌を途中でやめる理由に迫るより早く、雨は土砂降りに向かってどんどん強くなった。ひとまず、しのげる所へと走る。
七色の瞳の歌詞は、有名だから僕も知っている。途切れた続きは、こうだ。
雨空に少しうつむいて その瞳が落としたのは涙
何があったか知りたいけれど 聞かないよ
涙を歌わずに、口をつぐむ理由。改めて聞くことじゃない気がした。自分は歌の人物とは違うから、詰まるんだと思う。
適当な洞で雨止みを待つ間、僕は迷子を見つけたときのユッポの気持ちを考えていた。
きっと、ユッポは「大丈夫だよ」と子どもをあやして、羨ましい涙を止めた。
悲しくて、苦しくて、腹立たしくて、どうしようもない感情は、涙になって流れれば少し収まる。根本的な解決にならなくても、泣けば心を洗えるんだ。ユッポの感情の行き先は、どこなんだろう。
「セコは、わたしに、ママがいると思う?」
洞の出口に伸びている、植物の蔦から雨垂れが落ちる。それを見つめて、ユッポが言った。事実として聞いているのか、心当たりを聞いているのか。僕は答えにしばし迷った。
「……師に、妻はなかった。どうして、そんなことを?」
「町で、わたしのハハオヤはって聞いたでしょ。……ハハオヤってママのことだよね……今、どうしてるか知らなくても、いるかどうかは知ってるのかなって」
実の娘として人形を作ったなんて、行動自体は寒気がするものだ。でも、ユッポにしてみれば気になるよな。そこらで見かける子どもには、父親と母親、およそ両方がいる。
誰に似ているんだっけ。師の他に見える面影を、記憶の中に探す。共に過ごした弟子の中に、女性はいなかった。町外れの工房を訪ねる人は、家具を買い付ける商人が多かった。彼らは、特別に師と親しかったわけじゃない。頻繁に訪れる人ならば、僕も顔を覚えているはずだよな。
「地下におりる階段の……」
ユッポの声に導かれて、ぱっと浮かんだ場所。最後は、ふたりで一緒に言っていた。
「踊り場!」
フィッテルの工房には地下室があって、室温や湿気の変化が小さいから、十分に乾燥させた木材の保管庫にしていた。そこへ降りる階段の踊り場に、一枚の肖像画が掛けてあったんだ。誰かわからないが女性の絵だ。僕がいたころは、あの美しい姿見と並ぶような位置だった。
「わたし、あの絵のひとが、ママならいいなって思った。やさしく笑ってるけど、少し、悲しそうなの。人間をかいた絵なんだって、わかる」
カガミを抱いてうつむくのは、そこに描かれた自分達を思ってのことか。踊り場の肖像画とカガミは、どちらも師が描いたものらしい。ユッポの目を通すと、僕にわからない違いがあるみたいだ。
「帰ったら、よく見てみよう。ユッポは、あの絵の人に少し……似ている気がする」
記憶が曖昧だから、ややこしい言い回しになった。たぶん口元と輪郭は師に似て、目元や鼻筋が絵の女性に似ている。
「にてる、かあ。パパは、あのひとの涙がほしいのかな。とっても、たいせつにしてた」
絵の人を探そうと言いだすかな。手がかりは無し、本当に存在する人物かもわからないのだから、探しようがない。
心配は、瞬間で終わった。ユッポは、あの人が母親なら、自分の涙でも師は喜ぶかもしれないと頷いていた。
「……それにしても、ずいぶん降るな」
どんどん強くなる雨音が、洞の中で反響する。
「うん、今日の空は迷子なのかな」
恐らく、死が何なのかも知らないで涙を欲しているのに、雨空を仰ぐユッポの気持ちは、僕の心も締め付ける。ユッポの痛々しい声も、ユッポにかけたい言葉も、音に呑まれて消えていった。
泣けなくても、悲しむことはできる。師は、悲しんでほしいのだろう。慰めは励ましにならないから、全て溜息になってしまった。せめて、ユッポの痛みに、一緒に耐えてあげられるといい。




