①
温度や痛みといった感覚を得て、一夜が明けた。吹雪が止み、町の人々は雪かきに追われている。これから、残りのカガミか、師の手がかりを探すつもりだ。
初めて寒さに触れるユッポは、思ったより元気だった。相変わらず、慣れるのが早い。外に出ると、くるりと一回転してはしゃぐ。
「ヒヤッとするんだね。パパが言ってたとおりだ」
自分自身と比較して、周囲の空気や触れるものの温度が高いか低いかによって、感じ方が変わる。構造の大半を占める木が外気の温度に馴染むと、特に寒くはないらしかった。
「さてと。コーダのカガミ、見つけなきゃ」
探すカガミは最後の一枚、師の足取りは掴めるか。僕達は二手に分かれて町を回り、宿の前で落ち合うことにした。いくつかの町を巡るうちに、こうして情報を集めるのがお約束になってきた。
効率を重視して、というのは建前で、最初は、二手に分かれるのは僕の気晴らしだった。一緒に旅をしていても、ユッポという存在を半分疑っていたから、たまには離れたかったんだ。僕は誰もいない隣に向かって話しかけているんじゃないか。そんな不安は、ひとりでいれば消えてなくなる。今は建前が本音になっていた。おまけに、自ら人に話しかけることが苦でなくなった。下手でも話せるんだから、以前より随分とましだ。
「この絵を持ってきた人のことを、覚えていますか?」
コーダのカガミは、初老の夫婦が営む雑貨屋の片隅にあった。
荷物が減るにつれて、カガミを道標に残す男の影は薄くなっていたから、手がかりはここで絶えてしまうかもしれない。なんとか望みをつなぎたかった。
「そうさねえ……」
幸い、他の客が帰ったところだったので、店主が一生懸命に頭を捻ってくれている。僕は根気よく待った。
「うちは質屋じゃないって言ったんだが、置くだけ置いてくれって押し付けて、さっさと行っちまったからね。行き先も聞けなんだ」
「噂は? 他に絵を預けようとした所とか、その人は何かの職人だとか。どんな些細なことでもいいんです」
少しは印象に残っているようだから、無理矢理に絵を預けた他にも、何かあったんだろう。
「あんた、相変わらず忘れっぽいねえ! アレ、隣で直してもらったって聞いたじゃないの」
棚いっぱいの商品で見えない方から、雑貨屋の奥さんの声だけが飛んできた。
「なにぃ? アレじゃわかんねえって!」
定位置である椅子に座ったまま、店主も声だけ奥に飛ばす。
「ほら、アレ、食堂のさぁ」
大声で交わされる話の中に、度々アレが登場する。忘れっぽいのはお互い様、似た者夫婦らしい。
「あ、勝手口だ!」
夫婦がぴたり同時に思い出したのがおかしくて、僕は顔を背けてこっそり笑った。
何があったか思い出し、絵を置いて行った人が家具職人を名乗っていたことも明らかになった。カガミを譲ってもらえたので、その足で食堂に向かった。
しかし、通りすがりの家具職人について、食堂の人達はよく覚えておらず、高名な職人の割には若く見えた、とあやふやな感想だけで終わってしまった。建具の仕立てや修理を、家具職人が請け負うことは珍しくない。その時はたまたま、町の職人が手一杯だったようだ。
抱えるカガミに嬉しさはあるものの、ユッポを待って宿の前に立つ気分は暗い。
「セコ! カガミを見つけてくれたんだ!」
あとから現れたユッポは、僕の姿をみとめて、急に駆け出した。
「わっ、えっ、あれっ?」
かき取られた新雪の下には、古い雪が固まって氷のようになっている。一歩滑り、三歩走って、次で滑る。前進の勢いが止まらず、むしろ加速して向かってくる。
僕はカガミ右手に持って、左を伸ばす。
「むむぅ」
「ふう、僕が滑らなくてよかった」
荷物をばら撒きそうな突進を、どうにか受け止めた。ユッポの背は僕の肘までだから、腰を落として肩をつかんだんだ。腕に鼻が当たったが、痛いのは僕だけだったらしい。
「びっくりしたあ。セコ、カガミも、わたしも、ありがとう」
「どういたしまして。これで、みんなの分だね」
「うん。……みんな、元気かなあ」
あれ? 合流した第一声とはうって変わって、ユッポが沈んだ調子になった。カガミが見つかる度に、フィッテルで待つ弟妹を気にかけていたけれど、今は強い不安が感じられた。何か、フィッテルの不穏な噂でも拾ったのかな。
「わあぁーん」
聞いてみようと口を開いたら、子どもの泣き声に遮られ、喉から先に声が行かない。僕もユッポも泣き声の方を向いた。
どうやら、幼い男の子が転んだようだ。やっと、安定して歩けるようになった頃だろうか。近くに家族らしき人の姿はなく、通行人も手を貸さずにいる。男の子はふっくらと大きな帽子を被っていて、鈴が付いた色とりどりの細い布を、手首や足首に結わえた、独特の衣装を身に着けていた。しゃくりあげる度に鈴が鳴る。
「ユッポ、手を貸しちゃいけないよ」
駆け寄ってしまう前に耳打ちした。あの衣装は地域の風習で、彫刻のモチーフにも使われるものだから知っている。
「どうして? あの子、泣いてるのに」
足は踏み出さずにいるけれど、ユッポは前のめりになって男の子を見ている。大声で泣き続けているのが聞こえるから、気が気じゃないんだ。地面から起き上がっても、まだ立てずにいる。白い服は、腹のあたりまで濡れている。ひざは……すりむいてはいないな。転ぶ原因でもあるだろうが、雪のおかげか。
「町の皆も、我慢して見ているんだよ。儀式の最中なのさ。ひとりで、歩いていかなきゃならない」
自分の家から歩いていって、所定の場所でパンを受け取って帰る。たったそれだけのことが、子どもにとっては大冒険だ。この地域では、古くから行われてきた儀式だった。健やかな心身の成長を願うもの。
ひととおり説明すると、ユッポは前のめりを少し引っ込め、直立に近付いた。
「はじめて、ひとりで、お出かけするんだ」
「そう。誰も手を貸さないのは、自分の力で行ってきたという、経験をさせるためなんだ。いつか、辛いことがあったときに、頑張れば何とかなると、自分を信じられるように」
この儀式は、助けられての達成ではなく、自力でやり遂げるのが大事なんだ。「できた」記憶は、将来の自分を強くする。
「じぶんで行ってきたという、けいけん……」
僕の言葉を繰り返して、ユッポはしばらく考えていた。
やがて、きゅっと手を握り、姿勢を直立に正した。僕の方を向いて深く頷く。
「わかった。助けないのが、あの子のためなんだよね」
「うん。皆が見てるから、大丈夫だ」
町の外へと歩き出す。もうここに手がかりはないし、陽の高い今は、町を出たほうがこれからの話をしやすかった。




