現実感
始業式が終わり、生徒たちが一斉に体育館から出ていく。
「由依…」
由依のもとへ行こうとしたが、他の女子たちと楽しそうに話しているのを見て、話しかけるのを辞めた。
そうした瞬間、ほんの少しだけ、漠然とした不安を感じた。
「どうしたの?由依ちゃんのところに行かないの?」
「いや、なんか楽しそうだし、割り込む気にはなれなくて」
「わかる〜。向こうからしてみれば、割り込んでもらって全然いいんだろうけどね」
桜井さんは、僕の陰の気持ちを良く分かってくれるようだった。しかし、桜井さんは陰というよりは静といったような感じがする。
そんな話をしながら教室に戻ると由依が席についていた。
当たり前だけど、ほんの少しの時間だったけど、友達という感覚を久しぶりに味わった僕は、どうも由依を奪われたように感じたらしく、不安になっていたようだ。
流石に耐久性無さすぎだろ…
「いや〜教室は暖かいのぉ」
「あっでも私のところは太陽光が当たって割と暖かかったよ」
「えーずるいよ私は影で寒い思いしてたのに、よっと」
「んあっ!」
いきなり由依に首を触られて、ビックリして変な声が出てしまった。恥ずかしい…
「ちょっとぉ〜。なに可愛い声出しちゃってんのぉ?」
「だって、いきなりそんな冷たい手で触らないでよ」
「これは寒さの不平等を埋める為のものだから仕方ないんだよ」
「冷たいよ〜」
自分が発した声ながら、少しドキッとしてしまった。
由依はニヤニヤしながらこちらを見ているけど、本当にニヤニヤしたいのはこっちなんだよ!えへへー可愛いなぁ。
そうだ、お返ししてやろう。こっちだって手は冷たくなってるんだよ。
「えいっ!」
「にゃっ?!」
「あっ」
えっ。
予想外の反応。
普通に「うわっ」とか言うと思っていたが、マジで「にゃっ」ていう人がいるのかよ…
「あらあら、由依こそ可愛い声出しちゃって。よしよし」
「いや…ちょっと今のはなしで…」
明らかに由依の顔が赤くなっている。薄ら笑っているようにも見えるが…
よし、この状況なら我慢していたニヤケ顔を発動しても問題ないな。
それにしてもやはり首は温かい。手が冷たくなった時は自分でもたまにやってたけど、自分以外の首の方が体温をしっかりと感じとれる気がする。
「ねぇ未佳ちゃん…ん?何してるの?由依ちゃんも」
「ほら、首でさ、手を温めてるの」
「そうなんだ。いやなんか、2人で首締めあって、何やってるのかと思ったよ」
「確かに」
確かに。客観的に見れば1人はニヤケながら、もう1人は恥ずかしがりながら互いに首を締めあっている図だ。とんだ変態にしか見えないかもしれないな。
「はい、着席してー」
先生がこれまた勢いよく入ってきた。
「では始業式が終わったところで、えー春休みの課題を集めたいと思います」
終わった。
「ねぇ由依ー。課題って持ってきた?」
「え、うん普通に。もしかして忘れてきたの?」
「うん…全部忘れちゃった」
「全部?みーちゃん本当に忘れ物多いよね。昨日もLINEしたのに」
「いやぁ、朝急いでたから、ね」
「一応先生に言っときな」
宿題を忘れないようにLINEするとは。これは由依のお姉ちゃん属性という認識にママも少し追加するか…
「じゃあこの机の上に教科別に重ねて置いて
って」
「先生、忘れました!」
ん?あれは、確か五十嵐さん。
クラスメイトたちの前でこんなに堂々と言うとは。
乗るしかない。この波に。
「あの、私も忘れました」
よし、言えた。
「で、何忘れたの?」
「全部です」
「あの、私も全部忘れました」
「まあ私に言っても仕方ないから、各教科の先生に直接言うように」
「はーい」
じゃあなんで聞いたんだよ。
てか忘れたの2人だけってマジか。いや、他に黙ってる奴はいるはずだ。特にあそこの陰のオーラ出してる子とか!
ん?なにあれ。敬礼?
何故かその子に小さく敬礼されたのが見えたので、よく分からないが、ピースで返した。なんだったんだろう。
「五十嵐さん、どうする?」
「どうするって?」
「いや、各教科の先生に言ってってやつ」
「そんなのいちいち言うわけ無いじゃん。取りに帰れなんて言われたら面倒だし、明日持ってけばいいよ。なんなら一緒にいこうか?」
「うん。そうする。ありがと」
だよねー。わざわざ言いに行くわけないじゃん。面倒くさい。
「えー、座席は1週間はこのままです。時間割はここに置いてあるから取ってね。じゃあ課題出した人から、帰っていいよー。あ、それと自己紹介カードってのを書かなきゃ行けないからそのプリントも取って、明日提出だから。じゃ、解散」
え、もう帰っていいの?
さっぱりしすぎててなんか微妙な感じ。
解散と同時にだんだんと放課後の喧騒が生まれはじめている。
「じゃあ一緒に帰ろっか」
「あれ、部活はないの?」
「うん、今日はないんだ」
「そっか。じゃあ桜井さん、また明日ね」
「うん。また明日」
教室を出て2人で廊下を歩き出すと、空いている窓から典型的な効果音を鳴らしながら風が舞い込んできた。
うぅ、やっぱり暖房ないと寒いなぁ。
「ねぇねぇ、今日どうする?」
「どうって?」
「せっかく午後空いてるんだし何かしないかなーって」
「そうだな…」
ん、まてよ。そういえば朝に妹と出かける約束をしてたっけ。
「ごめん、今日は妹と約束してるから行けないんだ」
「相変わらず姉妹で仲良いよね〜。羨ましいわ」
「うん、まあね。あ、これ返してこなきゃ」
「いっといで〜」
うーん。僕は一人っ子だから兄弟とか姉妹とか、どんな感じなのかあんまり分からないな。けど妹とは仲良く出来そうだな。兄の方は情報不足だけど。
コンコン
「失礼しまーす」
へんじがない。だれもいないようだ。
「あのー、ここにスリッパ返しておきますね。失礼します」
少し大きめの声で言い残した。
「おまたせ」
「電車まで少し時間あるし、駄菓子屋よってかない?」
「うん」
校門を出ると、人気は殆ど感じられない。他のクラスはまだホームルームをしているようだ。
風が体を冷やし、太陽がそれを温める。
遠目には農作業をしている人が見え、山の木々が揺れているのが分かる。
なんて穏やかなんだ。無性に懐かしい。
「ところでさ」
「うん」
「いや〜どう言ったらいいんだろ」
「どうしたの?」
「あなた誰ですかって、聞いていいのかな」