割と前向き
「ふぅ。1枚増やして正解だったよ。日陰なら余裕で寒いし」
「どうする?寒いなら手でも繋ぐ?」
冬華は微笑みながらこちらを見ている。
これって、普段は手なんか繋がないのにってパターンかもしれないけど、ありのままの自分の対応をするって決めたんだから…いいよね。少しくらい甘えても。
「うん。繋ご」
僕は少し冬華の方に寄り、迷いなくその手を握った。暖かい。やはり人は暖かい。これは自分1人では実現できない。
「えぇっ!?どうしたのお姉ちゃん、本当に手を繋ぐなんて、やっぱり頭の調子悪いんじゃないの?」
「なんだよそれ、悪口にしか聞こえないよ。手繋いじゃダメだった?」
「いやいや、そんな事ない、そんな事ないです。いや本当に」
いやなんか、こんな反応されると僕が本当の蒼井未佳じゃないってことが申し訳なくなってくる。すまん!後で絶対言うから!もう少しだけ、楽しませてくれ!
満足そうに隣で歩く由依の姿を見ては、今すぐに言うのは少し残酷な気がした。
「お姉ちゃん学校どうだった?」
「うーん、まあぼちぼち。あ、由依と一緒のクラスになったからそれは良かったかな」
「へぇ〜良かったじゃん」
「そっちはどう?」
「んー、ぼちぼちかな。同じ中学の子も結構いたし‥‥」
なーんかなぁ…
いや、こうして話すのは普通に良いんだけどさ、なんか…そう。
女の子と歩きながら話してるのに、異性としての認識がない。
冬華に女の子としての魅力がない?いやそうじゃくて。由依といる時もそうだったし、桜井さんも可愛かったけど、異性として意識しない…ぶっちゃけて言えば性的な対象に見えないといいますか。
これは、今は女の子の体になってるからなのか、それともまさか…っ!
そういえば、息子がいなくて胸もあるのに鏡を見てそっちの興奮はしなかったしまさか。
あぁ…彼女いない歴=年齢のこの僕が、まさか彼女がいないまま、まさか…っ!!
ふぅ…
ま、学校ではそんなこと思わなかったし、別に大丈夫だろ。
もしかしたら、究極の賢者になってるだけかもしれないし。深く考えないでおこう…
と、駅に着いた。そろそろ手を離すか。
「えー、なんで離しちゃうの?」
「いや、もう駅つくし、手もそろそろ暑いし」
冬華は少ししゅんとしてしまった。
よしよし可愛い妹め〜。後で沢山甘えてやろう。
ん?甘えてやろうってなんか文章としておかしくない?これもう姉妹逆転してるじゃん。まあ身長差もあるし、もはやそれでいいんだけども。
僕は駅構内に入り、券売機の上にある路線図を見て、ここが宇都宮駅に近い、つまり宇都宮市内であることを知った。
…そういえば、今までここが何処かなんて気にしてなかったっけ。現実と同じ地名だ。それに、路線図には聞いたことのある駅名がいくつかある。本当にここはいったい…
「お姉ちゃん、定期持ってきてないの?」
「うん。でもこっち方向は範囲外でしょ?」
「普通に定期にチャージした方が楽じゃん。私は、まあこっちが範囲内なんだけどね」
「なるほどね」
いや、そういうことは詳しくは後で調べよう。もう少し、元の世界に戻るのかどうかにもよる。
一応財布の中調べるか。
うん、やっばりどう見ても無いよな。
…いや、うそあったわ。
なんだよ普通にカード入れるとこに入れとけばいいのに、なんでこんな裏の隠しポケットみたいなとこに入れてんだよ。
確かに、僕とこの子、似てるよな…はは。
「定期あったー。これ使うよ」
「なんだ、結局持ってるじゃん」
さてと、改札を通ろう。
一ピンポーン
改札機の扉が勢いよく閉まった。
あれ?おかしいな、もう一度。
一ピンポーン
やはり間違いではない…
あれ?なんで通れないんだろ。
「ちょっとお姉ちゃんなにやってんの。これ定期じゃないじゃん。残高も入ってないし」
「あ、ほんとだ」
言われてみれば、定期券特有の利用区間の表示がない。
僕は改めて財布の中、カバンの中を調べた。
しかし、他に定期らしきものは見当たらなかった。
というか、残高ないと入れないのか。知らなかった。
「やっぱり定期、持ってなかったよ。まあ結局はお金かかるんだし、これにチャージしようかな」
「最終的には持ってないんかい」
僕はその水色のカードにとりあえず1000円をチャージし、改札を通った。
ホームへ着くと、人はほとんど居ない。反対側のホームに2,3人といったところ。
その過疎具合を見ると僕はこの駅の時刻表が気になったので、それを見た。
そして次の電車は12分後であることが分かり、少し安心した。
僕と冬華は暖房の効いた待合室に入り2人で暖まり始めた。他に人はいない。
「あ〜あったかい」
「そだねー」
ああ。また眠くなってきた。この温度の変化、少しの肌寒さから心地よい温度への変化。
まただ。眠い…眠い…
落ちてしまいそうな眠気。現時点で全てに勝る圧倒的な眠気。全てを放り投げて、少し寝てから、それから考えようという怠慢。
いやいや、ダメだ。電車が来るまでのほんの10分。ここで寝てどうする。ここで言ってしまわないと…
僕はひとまず待合室から出て、外のやや冷たい空気を吸い、それから左手の甲の皮を薄くつまみ、力を入れた。すると、とりあえずの眠気はどこかへ飛んでいった。
よし、この時間内に言ってしまおう。自分が記憶喪失であると。素直に。何気なく。