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閂鬼  作者: 赤月カイコ
2/6

2.妖怪屋敷

「洸、歓迎するぞ」

 門杜洸(かどとこう)は大妖怪・神野悪五郎(しんのあくごろう)閂鬼(かんぬき)の導き灯である黒い人魂・ゴクの歓迎のみを受け、この日をもって閂鬼となった。

 洸の緋色に染まった瞳はまっすぐに悪五郎を見据える。悪五郎が洸へ向かって一歩足を踏み出していく様を見て、ようやく気押されていた祓い屋の人間たちが我に返る。

「少年を保護しろ!」「止まれ、神野悪五郎!」

「ここは騒がしいな」

 悪五郎の緑色の瞳が鈍く光ると彼を中心に黒い霧が周囲に溢れ出る。悪五郎が発する黒い霧は魔界の瘴気そのもの、生身の人間にとっては害悪でしかない。祓い屋たちは慌てて呼吸を止める。だがわずかに吸った瘴気が、目の粘液から侵入した瘴気が祓い屋たちの体を蝕み、それぞれ咳、吐血、鼻血、耳や目からの出血、肌の一部に黒い痣ができるなどの症状に襲われる。

 黒い瘴気は数秒で晴れたが、その時には神野悪五郎はもちろん、洸、黒猫、トイプードルの姿は消えていた。


 洸たちを連れた悪五郎が降り立ったのは、猫の小路と呼ばれる坂道。尾道で最も有名な千光寺へと続く小路としては一番端にある人通りの少ない道である。家々に挟まれた小路と違い、山沿いにある猫の小路は木々が日の光を遮り、石段には苔が生している。

 悪五郎はその小路の無数にある亀裂の一つに触れる。途端に亀裂から黒い靄が発生し、苔むした石垣を黒く蝕む。黒に染まった空間は人間の大人一人が通れる大きさになる。

「ここの入り口は狭ぇから刀を収めていけ」

 洸は言われた通り、断獄を鞘へ戻す。キンっと音が響くと同時に洸の肩甲骨のあたりまで伸びた髪は首筋のあたりの長さに縮み、緋色の瞳も元の茶色に戻った。

「よ、よかった~元に戻った~!!!」

「いいからはよ行け!」

 自分の体を確認して歓喜する洸をゴクは問答無用で突き飛ばし、洸は黒い穴に消えていった。その後ろをゴクは続く。

「あとは任せた」

「悪五郎様は?」

「俺は祓い屋連中と遊ぶ」

「…あんまり騒ぎにしないでくださいね。逆にマスコミが集まることのないように頼みます」

 悪五郎は軽く手を振り「分かっている」と答え、町の暗がりへと消えた。悪五郎を見送り、黒猫姿の竹上高之(たかゆき)もトイプードルのグミについてくるように促した。グミは迷子になった時、乱暴な地域猫に引っかかれそうになっていた自分を助けてくれた高之にすっかりなついていた。しっぽを振って高之について行く。悪五郎を除く全員が黒い穴の奥に消えた後、穴は徐々に小さくなり、元の硬い苔むした石垣に戻った。


 ゴクに押されて倒れこむように黒い穴の中に入っていった洸は何とかバランスを取ろうとしたが、その足元には何もなかった。

「え?」

 洸の身は中空へ投げ出されており、はるか下降に貴族の屋敷のような和風建築を中心に活気づく街が見える。色とりどりの提灯が並び、竜の形となって空を駆ける人魂の群れが街を照らしている。

怪しくも美しい街並みに見惚れる間も無く、突然のスカイダイビングに洸の目から涙がこぼれる。持っていた刀・断獄を抱きしめ死を覚悟した洸の体をゴクは追い越し、その体の炎を大きく広げる。体の形を人魂からサイのように大きい黒い獅子に変え、ゴクは洸を背中に乗せる。ずれ落ちそうになる洸の体をゴクは自在に動く体毛で捕まえた。ゴクはゆっくりと旋回しながら高度を下げていく。ふかふかのゴクの背中で体勢を立て直した洸は改めて辺りを見渡す。

飛んでいる雀、カラス、トンビ。荷車を牽いた馬や牛が空を駆けている。牛車の妖怪・朧車が通りがかりに挨拶をし、洸もうろたえながら挨拶を返した。

「何このファンタジー…」

「『根の国』妖怪たちの棲む世界のうちの一つ。ここは神野悪五郎様の街・日影(にちえい)だ」

黒猫から甚平を着た人の姿になった高之はグミを抱えてゴクの背中に危なげなく着地した。

「竹上くん!?」

 洸の後ろに乗る高之の姿に、洸は今まで押さえつけられていた疑問が洪水となってあふれ出る。

「なんでここに! いったい何者なの!? なんでそんなにグミになつかれてんの!? これから僕どうなるの!? 僕家に帰れるんだよね!?」

「落ち着け。用事が終われば帰すさ。別に悪五郎様はお前を私物にしない。そういうお方だ」

 高之は洸をなだめると自分の正体に関して言葉を選びながら説明していく。

「俺は人間と次第高という妖怪のハーフ・半妖ってやつだ。猫にも化けられる。このグミって子とは他の猫と喧嘩になりそうだったのを止めたらなつかれた。ほら、着地するぞ!」

 ゴクの柔らかい肉球が地面への着地の衝撃を和らげる。だがゴクはすぐに人魂の姿に戻り、結局洸は盛大に尻もちをついてしまった。

「痛~降りてから戻ってよ…」

「知るか、どんくさ男」

 きちんと着地した高之は洸とゴクのやり取りに二人のこの先の関係に一抹の不安を抱いた。高之は不安をいったん振り払い、目も前の大きな屋敷に洸を案内する。

「ここが神野悪五郎様のお屋敷だ。さっさと用事を終わらせて帰ろうぜ」

「用事って?」

「着物をやる。こっちに来なきゃいけないときもあるからな。地上の服だと目立つから。ほら、行くぞ!」 

 高之に背中を押され、洸は悪五郎の妖怪屋敷に足を踏み入れた。屋敷の提灯のいくつかは化け提灯でぎょろりと一つ目で洸を見送る。急に動く提灯に洸は一瞬一瞬体を固めながらも、高之に促しとゴクの嫌味で何とか玄関までたどり着いた。

玄関の戸の大きさは3mほど、曇りガラスが昭和時代を思わせる。重たい引き戸を高之は慣れた様子で開ける。

「ただいま」

 広い玄関に履物は一つも置かれていない。飾られた豪華絢爛な花瓶と月夜を描いた墨絵の掛け直からこの玄関が来客用だとわかる。

 どこからかドタバタとてたたと複数の足音が近づいてくる。

「高之、おかえり!」「なんで今日は玄関からなん?」「高之、もう怒ってない?」「今日はもう危ないけぇ、ここにおらんとあかんよ」「何そのわんこ?」「かわいい~」「だっこ~」

 広々とした玄関はあっという間に20人ほど集まった子供の群れに埋め尽くされた。人間と変わらない見た目の子もいれば、角の生えた小鬼、一つ目の子、一本足の子、姿は様々だった。その中の一人、赤髪の4,5歳ほどの少年がゴクと玄関の戸に半分身を隠しながら様子をうかがっていた洸に気付いた。洸の手に断獄が握られていることに赤髪の少年の目が輝いた。

「新しい閂鬼だ!」

 赤髪の少年の一言に子供たちの興味はあっという間に高之から洸へと移る。

「まだ子供だ!」「弱そう!」「ひょろい!」「ねぇねぇ悪五郎様になんて脅されたの?」「ぼくらのことはどう? 怖い?」「ゴク、よかったね!」

 容赦のない感想と怒涛の質問攻めに洸が答えあぐねていると高之が助け舟を出した。

「ほらさっさと上がらせろ。行くぞ、洸」

 グミを抱っこした高之を先頭に、ゴク、洸、子供たちと大行列が薄暗い廊下を進む。洸の姿を一目見ようと襖の隙間から、梁の上からぎょろりとした目が時折覗いてくる。洸の精神はすでに限界間近だ。

「あの、ほんとに閂鬼って辞められないの…」

「無理だって言っただろ。閂鬼は死ぬまで閂鬼だ」

「クーリングオフ制度は…」

「それは人間の決まりだ。神や妖怪に通じるか」

 ゴクの無慈悲な答えに洸はますます打ちのめされた。一瞬でも日影という街の美しさと子供の妖怪が愛らしいと思った自分でさえ洸は恨めしくなった。

「まぁまぁ兄ちゃん、その内いいこともあるって!」

 赤髪の少年は笑い飛ばすと、洸の前に回り込んだ。

「おれの名は赤頭(あかあたま)! よろしくな! 兄ちゃんの名前は?」

「門杜洸、だよ」

「いくつだ? いや待って、当てる! 13歳!」

「これでも竹上くんと同級生だよ!?」

 元気に満ち溢れる赤頭との会話で洸は自分でも思った以上の大きな声を出した。洸の声に高之に注意され大人しくしていた子供の妖怪たちが一斉に騒ぎ出す。

「たけがみ?」「高之と明日奈の名字だよ。忘れたの?」「にしてもちびっこいな~」

「ちびっこいって、竹上くん大きすぎるんだよ! 190㎝って!」

 洸の心からの叫びに子供たちが笑う。洸が少し気持ちを持ち直したことに高之は内心安心した。

 話しているうちに目的の部屋までたどり着き、高之はヒノキの一枚板で作られた引き戸を開いた。


「あら、どうしたの? て、もしかして後ろの子…閂鬼?」

 部屋の中で年季の入った足踏み式ミシンを動かしていたのはもみじの髪飾りを付けた女だった。紅葉したもみじの髪飾りの女は洸や高之とそう変わらない年頃に見える。若葉色のもみじが描かれた丈の短い着物と白いステテコを合わせている。彼女の目は若葉のもみじの如く美しい色で、赤い髪飾りのみがその身なりで浮いて見える。

 ミシン台から立ち上がり、洸の元へ歩いてきたもみじの髪飾りの女性は優しい笑みとともに洸に挨拶をした。

「木ノ本いろはと言います。初めまして」

「は、初めまして…門杜洸です…」

 身内以外女性と話す機会のない洸は緊張でまともにいろはの顔を見ることができない。恥ずかしさを隠すかのように洸は高之に話を振った。

「な、なんでここに…?」

「着物もらうため」

 高之の言葉に洸は改めて部屋を見回した。男物女物関係なしに並べられた極彩色の空間。ちょっとした街中の服屋並みの品ぞろえがある。靴を飾っている棚には会社にはいて行けそうな革靴から蛇柄模様のピンヒール、高下駄、草履まで多数の履物をおいていた。

「すご…!」

 呆気にとられる洸の姿に、いろはは誇らしげに胸を張った。

「ここは趣味部屋みたいなもので、ほぼ毎日ここで針仕事をしているんです!」

「えっじゃあこれ全部手作り!? 靴も!?」

「私たちたいていの妖怪に時間の縛りはありませんから! いろいろ凝っちゃってます」

「いくら時間があるって言っても、一人でこれはすごすぎます」

「あ、いえ、わたしだけじゃなく…今日は私だけですけど」

「いろは…とりあえず門杜に服を見繕ってほしいんだが…」

 このままだと洸といろはの会話が終わらないと判断した高之が割って入った。

「あ、うん、わかった! ちょっと待ってて」

 夢中になって話をしてしまっていたことにいろはは気付き我に返った。急に気恥ずかしくなり、いろはは頬をほんのり赤く染め着物の物色を始める。


 同時刻。

 地上の世界ではすっかり日が沈んでいた。人々は商店街附近の飲み屋、小料理店に集まり、明りの少ない尾道特有の坂道に人の気配は少ない。

 明りは道沿いにある民家と小さな宿から洩れる明りのみ。その暗がりに紛れ、神野悪五郎は悠々と道を下って行く。

 悪五郎は立ち止まることなく、物陰に隠れる藍色の着物姿の女に声をかける。

「倒れている連中連れてとっとと帰れ」

 鼻歌交じりに上機嫌に街へ降りて行く悪五郎の後姿を女は見送ることしかできず、悪五郎の足音が聞こえなくなるまで女は動けなかった。ようやく物陰から出てきた女は震える手で何度もスマートフォンの操作を間違えながら、祓い屋の総本山に連絡を入れることができた。

「…断獄の奪取に失敗しました。神野悪五郎により新しい閂鬼が選ばれました。まだ学生らしく、名前は『かどとこう』保護は失敗。25名が神野悪五郎の瘴気に当てられました。一度撤退します」


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