イレーナの独白【イレーナside】
セレナの母イレーナ視点です。
セレナはきっと、私の事を恨んでいるのでしょうね。私は貴方に許されない態度と言葉をぶつけた。まだ幼い子供だったと言うのに。
貴方はいつも優しい子でした。私が酷い事を言ってしまっても、その場では決して泣かず、私に気づかれないように、影でひっそりと泣く。そんな、ダメな親に気を使うとてもとても優しい子。
貴方は変わりましたね。この数年でとても、とても変わりました。
今でもよく覚えています。あの、誕生日パーティーの日。いつもと変わらないそんな様子だったけれど、その日から私やスヴェン様への態度が変わりました。
愛を諦めている。まだ幼い8歳の女の子が親からの愛を諦めている。それに気づいた時、私は絶望的な気持ちになりました。
分かっています。そうさせたのは私。私なのです。
私は、誰にでもいいから愛されてみたかった。
親は私を出来損ないと言いました。何でもない下級貴族の、何の取り柄もないただの女。たくさん姉妹は居たけれど、一向に生まれぬ男のせいで、女はいらぬと頬を叩かれたこともありました。もう最後だと、決死の思いで生んだ末っ子が女だったんですもの。叩きたくもなりますよね。
だから、スヴェン様に身染められた時、私は心が震えるほど嬉しかった。
こんなにも素敵な男性が私を迎えにきてくれるなんて想像もしていなかった。何の取り柄も無いけれど、私を好いてくれる男性がいるのだと、心の底から嬉しかった。
スヴェン様は、昔から沢山の女性の憧れの的でした。目を引く綺麗な素敵な容姿、聡明でとても優秀だと囁かれ、どこのパーティーでも、可愛い可憐な女性が彼を追いかけていた。
だから、誰も踊ってなどくれない、壁でひっそりと皆を見ているだけの私をダンスに誘ってくれたときは、こんな幸せな事があるのかと思いました。
実際に彼は優しかった。聞いたこともないような恥ずかしくて耳が溶けてしまいそうな口説き文句を囁かれ、私はまるで夢でも見ているのでは無いかと思ったほどに。
出会って3回目のデートで私はプロポーズを受けました。正直、とても早過ぎるとも思ったけれど、この人を絶対に逃す訳にはいかないと私はすぐに了承し、結婚しました。
かなり壮絶なイジメを、姉妹や他の令嬢から受けていたけれど、それは決して口にはしませんでした。彼に嫌われたくない。そんな事をされて、反撃もできない私を見て欲しくないから。絶対に私は誰にも言いませんでした。
辛くても、苦しくても、彼との結婚があれば、私は幸せだったからです。
でも、結婚式当日。
彼は、式を終えた後の披露宴。
仕事があると、私一人残して、王宮へ行ってしまいました。幸せな結婚式が一転、一人で行う披露宴ほど、辛いものはありませんでした。
好奇、同情、哀れみ。
私を取り囲むすべての目が私をおかしくしました。
私は、愛されてなどいなかった。
優しい彼も、私に甘い言葉を囁く彼も、全て仮面で、中には触れられない。
せめて、彼の興味を引きたくて、子供を産んだけど、名前を継げない、女の子。
また、産めばいいと思ったけれど、彼は私よりも仕事へ行ってしまう。
スヴェン様は、とても優秀な方です。国にとって必要で、大切な方。私とは命や人生の重みが違う。分かっています。わかっているけれど、それなのに、彼の愛を求めてしまう。縋ってしまう。
決して返してなどもらえない愛なのに、望んでしまう。
私はその歪みで、セレナに対して、最低な態度をとってしまっていました。
男の世継ぎをと望む私の母と同じ事を、されて傷ついた、同じ事を、私は自分の娘にしてしまっていたのです。
幼い子供が、親の愛を諦める。
そんな悲しい事が、あっていいはずがない。私の苦しみなど、セレナには一つも関係ない事だったのに。それを私は押し付けた。
せめてもの償いとして、セレナに近づかず、もうこれ以上傷つけないようにと思ったのに。
昨日の朝、私はセレナが森林国境に居ると聞きました。なんでもスヴェン様が絡んでいるとの話。
あの人はとても冷たい人。人の温もりや優しさを知らない、とてもとても怖い人。国の為にセレナを利用しているのかもしれないと思うと、気が気でなかった。
分かっています。私がいうことではない。散々彼女を傷つけておいて、今更心配など、反吐が出ます。
でも、これ以上セレナが傷ついて欲しくないと、そう願う気持ちは、本当です。本当…なのです。
そうならば、刺し違えてでも、スヴェン様を止めると、そう決心したのです。
母親らしい事など一つも出来なかった。
貴方を傷つける事しかできなかったけれど、もう誰からも傷つけられないよう、私が、私が守るから。
「どうか……セレナには手を出さないで下さいませ。」
手も足も声も震えて、目の前のスヴェンさまが怖くて怖くて仕方ない。いつものヘラヘラと笑う上辺の顔ではなく、触れた事のない無機質な無表情な顔。私は顔もあげられない。
二人きりになった部屋で、私は彼に頭を下げる。
「何かをするならば、どうか私に。私に。」
長い沈黙に、鳥肌が立つ。こんなにも勇気を出したことは人生で一度もない。怖い。
この人は、人の弱さを知らない、怖い人。
「初めて出会った時も…君は震えていたな。」
はっと顔を上げると、相変わらず無機質な顔で私を見つめる。何年経っても変わらない綺麗な整った顔。
「僕は、人の気持ちがよくわからない。………残念ながら、それを悲しいとも辛いとも思ったことが無いし、今までもこれからもそう生きて行くんだと思っていた。」
急にベットに座り、スプリングでギシギシと音がする。私の髪をそっと触れるから、思わずビクリと肩が揺れる。
すると、自嘲気味に彼は笑った。
「最近、僕は、とても楽しいんだ。」
彼の瞳に光があることに気づく。
「何故だろうな。ずっと寂しかったのだと自覚したからなのかもしれないな。」
一体いつからこの人はこんな目をする様になったのだろう。
「セレナと出会って、僕は人生が変わった。セレナと過ごす度に、新しい感情や人の気持ちを覚えていくようで、とても楽しいんだ。おかしいだろう。もういい歳だというのに。」
こんなにも優しく、楽しそうに笑う人だっただろうか。
「今君が、なぜ震えているのか、残念ながらまだ、僕にはわからない。きっと知らず知らずに君のことを傷つけてきたのだろう。」
私の震える手にスヴェン様の手が重なる。
「君が先程僕を殴った時、どうして怒ったのかわからなかった。今君がどんな事を考えているのかも、今僕はわからないんだ。」
優しく包まれる手がとても暖かい。冷たく冷酷で人の気持ちを知らない人だと思っていたのに。こんなにも、手は暖かい。
「教えてほしい。僕はこれから、いろんな気持ちを知りたいと、そう思うから。」
溢れる涙が止まらなかった。結婚して、十数年経つというのに、初めて目があった気がする。
何故こんなにも涙が溢れるのだろう。今までの彼の怖さを忘れた訳ではないのに。全ての記憶が無くなったわけではないのに。どうしてこんなにも心が暖かいのだろう。
見つけて、くれたから、だろうか。
知りたいって、私の中を知りたいと言ってくれたからだろうか。
いつでもずっと隠してきた私の気持ち。どんな時でも絶対に見せたりしなかった硬い殻に篭った私の気持ち。
もう、破ってもいいだろうか。何十年も押し殺してきたけれど。もう、壊してもいいですか?
「わ……私は…ずっと寂しいと思って………いました。貴方が大切な仕事で帰れないのはわかっていましたが…逢えないことをとても寂しいと…思っていました。」
震える。こんな事初めて言ったから。怖い。なんて返されるか。心臓の音がここまで聞こえる。
スヴェン様はそんな私をまん丸な目で、見つめ、うーんと一考する。
「そばに居ないと、寂しいのか。人は。いやでも、セレナはそんなことなさそうだがなぁ。」
ふふっと思わず笑ってしまう。そして、笑ってしまった自分にまたびっくりしてしまう。
「ん?今は、何故笑ったのだ。」
この人、なんか…赤ちゃんみたい。どうして?なんで?と聞く子供のように。
ずっと怖いと思ってきたけれど、この人やっぱりちょっと可笑しいわ。
そう思うと、笑いが止まらなくなってしまう。どうしてこんなにもこの人は何もわからないのかしら。
私の笑い声にますます顔がクエスチョンマークで埋め尽くされる。ムスリと不服そうに口を尖らせ、私の頬をムギュッと挟む。
「もう笑うな。わからなくて、モヤモヤする。」
「…ふふ。ご…ごめんなさい。でもあの、一つだけ聞いてもいいですか?」
今なら聞いてもいい気がした。それは、聞く勇気がなくて、ずっと聞けなかった禁断の質問。
「なぜ…私と結婚しようと思ったのですか?色んな素晴らしい方がいらっしゃると思ったのですが。」
スヴェン様は、ゆっくりと考えるように一点を見つめポツポツと話し出す。
「似ている…と思ったのだ。」
「似ている?ですか。」
「その。君が壁に佇む姿が、僕に。」
似ているのかしら。私達。あまり容姿は似ていないように思えるのだけれど。
私が思わず怪訝な顔をすると、「いや。」と再び考え込んでしまう。
「自分の行動の理由を言語化するというのは難しいものだな。容姿の事などではなく、その。」
スヴェン様は私の顔をじっと見つめる。
綺麗な瞳に私が映っている。
「君はあの日。あの舞踏会の日、先程僕に『寂しい。』と言った時と同じ様な顔をしていた。ずっとその顔で、そうだな、『寂しそう』に見えたのだ。」
そんな顔…していたのかしら。
スヴェン様がガシガシと頭を掻く。
「あの時はまだ、君の表情から、どんな感情を持っているなどわからなかったが、きっと、そうだったと思う。」
「僕も、ある人に『貴方はずっと寂しいと思っている。』と言われて、気づいた。きっと僕はあの時、君が僕と同じ感情を持っているのだと感じ取ったのかもしれないな。」
沢山の人に囲まれても人が理解できなくて、寂しかった貴方、誰にも愛されずに人が恋しくて寂しいと思った私。
そう…なのね。私と貴方は、ある意味似たもの同士で、ずっとずっとお互いに寂しくて寂しくてしょうがなかったのね。
「だが、結婚してもなお君を寂しいと思わせていたとは。僕は本当に気づかないのだ。そういう事に。世界の情勢などには嫌でも気づいてしまうというのに、何故なのか。」
「ああ。もう、それは、忘れてくださいませ。私はお話を聞いていただけただけで…」
「いいや、ダメだ。そんなの。ダメだ。」
ブツブツ言いながらいきなりガタリとベットから立ち上がる。再びベットのスプリングは私を揺らす。
「少し考えさせてくれ。私に考えがある。きっと喜ぶ。」
スヴェン様はハッとなにかを思いついたように私の手を握り一息でそういうと、すぐに部屋から出て行った。
嵐のようだった。怖くて怖くてたまらなかったというのに、ここまで心を打ち明けて話せるとは思わなかった。
あっ……。セレナの怪我の事…聞くのを忘れていた。何のために勇気を出したのよ。
……でも、大丈夫かしら。
今のスヴェン様ならセレナに手を出すようなことはしないと、そう、思う。何回か会話で出てきていたセレナに対してのあの表情。
きっとセレナがスヴェン様を良い方向へ変えてくれていたのね。
でなければあんなに素直に人のことを聞いたり、自分のことを話さない。きっと私を冷たい目で蔑んで終わっていた事だろう。
こんな風に勇気を出せば、またセレナと話せる日が来るのだろうか。
まさか、私のしたことが許してもらえるなどとは思っていない。幼い彼女にしたことは決して許されるべき行為ではないと思っているし、もし万が一億が一許されたとしても、私は絶対に自分を許さない。許せない。
でも、彼女と少しだけでも話すことができたのなら。
そんなことを望んでもいいのだろうか。
強く握りしめていた布団をさらにグッと強く握る。私も変わりたい。スヴェン様の様に。
初めて考えた未来への展望に少しの戸惑いを感じながらも、今まで生きてきた中で一番幸せな日だったと、そう、深く思った。
はじめての、イレーナサイドの掘り下げでした。
個人的に、何故親の背景をここまで深く掘ったのか、甚だ疑問ではあるのですが、セレナの人格形成において今後の展開的にもかなり重要になる気がしていたのだと思います。
スヴェン、イレーナは、攻略対象では無いですが、今後も成長や、変化を見ていただけるととても嬉しいです。




