ただいま
「お….お母様…?」
私は恐る恐る両親を見つめる。私の母親は基本的にお父様に口を出したりはしない。なんというか、どちらかと言えばお淑やかで男を立てるそんな様な方に分類される人だ。
男を産めなかった事への重責をかなり感じている事から、私とはあまり関わる事は少ないし、お父様もずっと家を空ける人だから、ラブラブとは言い難い。まぁ、鳥肌の立ちそうな上辺だけの会話ならよくしているけれど。そして私は、前世の記憶を思い出した8歳の時から、お母様とはほとんど関わっていないのだ。
なのに、それがどうした。
お父様は打たれた自分の頬に手を添えて、信じられないって顔で立ち尽くしている。
なるほど。これは、お父様すら予想していなかった非常事態。こんなお父様、見たことないから少し良いきみである。
「イ…イレーナ。急になんだい?」
お父様はお母様の顔色を伺うようにそっと顔を覗き込んだ。私はカイトと共にゴクリと唾を飲み込みお母様の言葉を待つ。
しかしお母様は言葉を発さなかった。
その代わりに、大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。
なに!?本当に何事!?
「ど…どうされたのですか…?」
仲が良くなくても、母親は母親。そして、子供というのは親の涙に弱いものだと思い出す。私は初めて見る母親の泣く姿から目が離せなかった。なぜそんなに、苦しそうに、辛そうに、そして何かに怒るように、涙を流しているのか。
そして、お母様は、そのまま驚愕している私達を置いて屋敷の中へ消えていく。
頬を抑えながら呆然と立ち尽くすお父様。本当にこんな間抜けな姿は初めてだ。
「ちょっと…。お父様。追いかけなくてよろしいのですか?」
私が尋ねると、ギギギッと首をコチラに向けて、驚いた顔のまま、答える。
「この場合は……追い…かけるのか?」
……追いかけるのではないだろうか?それとも少女漫画の世界だけなのか?追いかけるのは。
「まぁ…その方がよいのかなぁ?と。」
私が恐る恐る答えると、お父様はまだ頬に手を当てて眉間にシワを寄せている。お…怒った?
「僕は、人の感情に疎いけれど、ここまでわからない事は初めてだ。」
ぶっと吹き出す音がして振り返るとカイトが口を押さえて顔を真っ赤にしてプルプルしている。よくもまぁこの空気で笑えたもんだよ。後で一発やられるわね。
案の定冷たいお父様の目がカイトを捉えて冷ややかな空気が流れる。全く勘弁してくれ。
「追いかけて、僕はどうすればいいんだ。」
私は怒り出すのかと思っていたから少し拍子抜けする。なんだ、人間らしい所もあるではないか。
「そんなの私に聞かれても…。今まで家庭を顧みなかった罰では?」
ちょっと冷たかったかな。いや、この人にはこのくらいが丁度いい。私の言葉にお父様は心底不思議な顔をする。
「そんなかな?」
はぁぁぁあぁあ!?
この人……何を言っているの。ほぼ家には帰らず、たまに帰ったと思えば、お母様には薄っぺらなカスカス上辺の会話を繰り広げ、そしてまた何事もなく去っていく。その生活のどこが家庭を重じていると思ったんだよ。
「お父様!いきますよ!!」
私はお父様の手を思わず引いてお母様を追いかける。全く、森林国境から帰ってきたばっかりだというのに、クタクタだと言うのに、手間がかかるかかる。
この人は本当にちゃんと面と向かって話さないと分かり合えない人だ。面と向かうってことは、仮面を外して、心の内を見せ合うって事だ。
勿論、すべての関係が仮面を外す必要があるとは思っていない。心の内を見せ合う関係が全て善だとは言い切れない。よくベタな友情物で見かける、「貴方って、あんまり本音で話していない気がするの。」という流れには私も反吐が出る。心の中は誰にも見えないし、それを相手に伝える事は、いくら仲が良くても、義務なんかじゃない。大切な相手にも、隠し事の一つや二つあったっていい。この人たちも、自らの本音を隠し、仮初の平和を保ってそのまま生きてきた。
別にいいんだ。それでも。そのままの関係のまま生きて死ぬ事だって、悪じゃない。
でも、その幸せをお母様は自らぶち壊した。
これは、関係を変えたいという合図では?お母様なりの、不器用ながらの精一杯の合図だ!
いくら私をよく思っていないからと言って、お父様もお母様も血を分けた家族。散々文句を言っておきながらだけれども、離縁などはやはり寂しい。そんなことぜっったいに言わないけどね!
「セレナ様!?」
「セレナ!?」
私が屋敷に飛び込むと、ロイとアイリーンの驚く声が私の耳に届く。ああ。久しぶり。私、ちゃんとやったよ。頑張ってやり遂げたよ。でもごめん!
「皆、話は後で!お母様どこへ行きました!?」
わたしが二人に叫ぶとびっくりした顔のまま真っ直ぐ同じ方向を指差す。
その方向に向かって走ると、お母様が何処に居るのか検討がつく。きっとお母様の寝室ね。
私が思い切りドアを開ける。「きゃ」と小さい声がして、そっと中を見ると、布団を頭まで持ってきてシクシク愚図る母の姿。
「お母様……その…」
やはり、泣いている姿は見たくない。そっと顔を背けると、手を引いていたお父様が前に出た。
「イレーナ。一体どうしたんだい?綺麗な顔が台無しだ。このまま涙が止まらなければ、君の美しさが流れ出てしまうよ?」
えっっっ。ちょ、ま。くっっさ。クサすぎる。
私は今までに聞いた事の無いほどのクサイセリフにクラクラめまいがしていた。今までで一番パンチ強いなぁ。過去最強かも。
本当にあの人私のお父様で合ってる?間違いとかじゃない?間違いじゃ……ないんだよなぁ。これが。
いやだー。あんなtheナルシストみたいな歯の浮くような台詞を軽々しく吐くような男が父親なんて、やだよーー。
私以外の意見も大体同じそうで、付いてきていた、ロイ、カイト、アイリーンもそれぞれ同じ青い顔で固まり動かなかった。うんうん。わかるよ。その気持ち。
このタイプの流れであれば、いつものお母様なら、「ありがとう」と優しく笑って受け流すシーンである。
しかし、やはり今日のお母様はいつもと違った。
涙を拭うお父様の手を大きく振り払う。スパンと大きな音をたてた後は、お父様を強く睨んだ。
「スヴェン様っ。なぜっ。なぜセレナが怪我をおっているのです!!」
「………へ?私?」
思わぬ急激な私の登場に驚きが隠せず心の声はそのまま口から再生された。
ポロポロと流れる涙を必死で拭いながら、お父様の手を掴む。
「貴方は、いつも勝手に何でもしますね。でもそれは、国の為、とても必要な事で、私も理解しようと努力してきました。貴方の為に私に何かできることは無いかと考えてきました。」
お父様の顔に仮面はもうついていない。無機質な、無表情な顔でお母様を見つめている。お母様の心の叫びを私が聞くと、私はとても心が震えるが、果たしてこの言葉の何%がお父様に伝わっているのかと思うと不安で怖くなる。
彼に人の気持ちを理解する心は果たしてあるのかと…
「でも………セレナが傷つくのは話が別です。ましてや森林国境などっ……。こうして無事に帰ってきたことが奇跡なんて…。」
「お…お母様…。森林国境へは私のわがままで…」
「セレナは黙ってなさい!」
私は生まれて初めて受ける母親からの叱責にびくりと肩を震わした。怖い。怖いのに。
何故だろう。心が……。心がこんなにも…。
「頬に傷まで作って……っ。いくらスヴェン様が頭が良かろうと、間違ってなかろうと、娘の危険な行動を止めないなんて、そんなもの。誰が言っても私が間違っているといいます…。」
実は森林国境へ行くことは…お母様には伝えなかった。そもそも私に興味がないと思っていたし、特に伝える必要もないと…思っていた。思っていたのに。
「あの…お母様。私が…」
「セレナ。」
私の謝罪を遮るように、お父様が私を呼んだ。無表情で無機質なのに、何故かどこか真っ直ぐな光を感じる目で、私にサラリと告げる。
「二人にしてもらえるかな。」
お父様と…お母様が二人!?
私は返事もせず、そのままその場にいた三人を連れてすぐさま部屋の外に出る。
あの二人が、話したいって。二人で、しっかり、目を見て。冷ややかな関係が少しでも変わるのなら、それはとても嬉しい。
そして、すぐに部屋を出たもう一つの理由。母と父を2人きりにする以外のもう一つの訳。
バタンと扉を閉めて、扉に寄りかかる。森林国境での長い道のりと、今の精神的衝撃からか、少しよろける。
ほっとしたのかな。色々緩む。
でも、違うな。この涙は。
愛されていないと……そう、思ってたのに。
胸が痛い。今更母親の愛など求めていなかったというのに。そんなもの、望んでなどいなかったのに。
どうしてこんなにも涙が止まらないのだろう。
こんなにも胸が暖かいのだろう。
……お父様に見られないで済んでよかった。こんなところ見られたらからかわれてしまうわ。
心配そうに私を見つめる三人に私は無理やり笑顔を作った。
「ただいま。」
私がそういうと、ロイとアイリーンは優しく私に微笑む。
「おかえりなさい。」
とめどなく流れる涙から、私がずっと我慢していた何かがはち切れるように溢れ出し、しばらく止まることはなかった。
変動はあると思いますが、300ブクマ嬉しいです!
ありがとうございます!




