痺れる頬
「あー!気持ちのいい風!!」
私は自分の屋敷のある街へ戻ってきていた。ずっと森の中に居たから、すごく久しぶりに感じる。
「姫さんは、前も思ったけど、本当に急に令嬢感なくなるよね。外の空気吸うと、途端に何処かの村娘みたいに無邪気になる。」
「そんな私も悪くないでしょ。」
「はは。確かに。」
乾いた笑いと共にカイトと私は屋敷への道を進んでいた。
カルミア様は…というと、王宮への道と屋敷への道で別れる場所でお別れしたのだが、実は、本当に別れるのが大変だった。というのも、私の行った事を報告する為に王宮へ出向かなければならないらしいからだ。
確かに、私のしたことは国政に関わることだし、報告せねばならない大切なことではあるが、別に何も今すぐでなくても良いだろう。恐らく王宮からの呼び出しはいずれかかるし、すぐに直行しなければならないことは無いではない。
少なくとも王宮へ向かうのなら、この格好をなんとかさせてくれ。ろくに風呂も入れず泥だらけ傷だらけ汚い私が王宮へなど恥ずかしすぎる。カルミア様はそんな事ない、構わないって言うけど、一応私もうら若き乙女なのであって……。
私が必死にそれを主張すると、カルミア様は渋々手を離してくれた。なんだか、すごく今までとは違う感じに感じるけど、それもまたカルミア様の一面だと思うと愛しく感じる。
その間もカイトはゲラゲラ笑ってくるし、ハクはクスクス優しげに見つめるからなんだか、痒くて仕方がない。
まさか、本当に予想外の出会いだったけど、何もかもとりあえずは上手くいってよかった。
そして今、私はお父様への敗北感で一杯でそれどころではないのだ。
いきなりに感じるかもしれないが、カイトからリーブルス教に暗部の知り合いがいたといわれ、それがお父様直属の部下だと聞いた時は変な汗をかいた。
結局、私も誰も彼もお父様の予想通りで、思惑通りだったというわけだ。カルミア様もやられたと、ため息をついていた。
本当にあの人の頭の中は私達の想像を超えるのだ。なにを考えているのかわからない。
この国を本気で落とそうと思うのならまずはお父様を排除せねば無理なのではと思うほどに。
いや、お父様を排除なんて出来るわけがないな。あの隙の無い人をどうやっても排除などできるはずがない。
「セレナ!!」
馬車の外から急に聞き覚えのある声がきこえる。
「うわぁ!なんでここに!……まじかよ。」
カイトの動揺の声がここまで聞こえる。
私が思わず馬車の窓から顔を覗かせると、そこには、華麗に馬を乗りこなす我が父親の姿があった。
「やぁ!セレナ!元気そうで……な…に。」
ニコニコと馬を走らせながら私に話しかけてきたと思えば、私の顔を見た瞬間に笑顔がスッと消える。馬車に並走しながら、お父様はかなり怖い顔でカイトを睨みつけた。
「お前……なにをしていたんだ。」
カイトは天を見上げ、フーッと息をついた後、馬を乗りこなしながらお父様に向かった。
「護衛を仰せつかっておきながら、申し訳ありませんでした。」
「馬鹿か、お前は。謝罪を聞いているのではなく理由を聞いているのだ。」
「ちょ!ちょっと待って下さいお父様!」
私は頬の傷を思わず抑えた。バンに治療はしてもらったが、傷痕まで消えるわけではない。護衛として付いてきたカイトにとってはこの傷は任務失敗ということでもある。私としては、こんな傷くらい跡も残らず治ると、軽く考えていた節があった。しかし、それこそが本当に自覚が足りなかった証拠だ。
私を命をかけて守ろうとしてくれる人たちがいる。それは、私も肝に銘じて行動しなければならなかったということ。もし、今私の立場が王妃だったら。この傷の失敗を咎められ、カイトの首が飛んでいたかもしれない。
少し大げさにも聞こえるかもしれないが、矢尻に毒でも塗って有れば、それは容易にあり得る。
私は自分の命を軽くみすぎていた。私の為に命を賭してくれるものがいる限り、それはしっかりと自覚すべきだったのに。
「いや待てないね。僕はカイトに傷一つつけるなと言ったはずだ。それがどうなればこうなる。」
「お父様。私はその話をしているのではありません。」
多少強引だけど、ここは譲れない。
「カイトは私の直属です。お父様が私にくれたのです。叱責をするかは私の判断を通していただかないと困ります。」
無理矢理だろうか。だが、カイトへの叱責は全て私のものだ。カイトはなに一つ悪くない。私のわがままに命を賭して付き合ってくれたのだ。
「まだ、私はカイトの忠誠をお返ししてはいませんよ。」
あの気休めをここまで振り回すことになるとは思わなかった。でも、今は絶対押し通す。
「セレナ……」
ポツリと呟いたお父様は馬に乗ったまま動かなくなった。私は少し身体が震えていた。
それもそうだ。私は本当にこの人が怖いのだから。
しかし、お父様は急に眉を八の字に曲げて、馬車を指差した。な、なに。何よ。どう出てくる。
「馬…疲れた。僕も中に入れてくれる?」
「は?」
――――――――――――――――――――
「あの!!あの様な普通に言えば済むことを、さも重要な衝撃的な事を言うかのように、言葉を溜めるのやめて頂けますか!?」
馬車にカイトとお父様の三人で向かい合いながら私は叫んだ。
コイツはいつも私の事を馬鹿にして、反応を楽しんでいる節がある。その証拠に、私が怒っている姿をニヤニヤと肩肘付きながら眺めている。一方カイトはというと、馬車の窓から外を眺め現実逃避しているように見えた。
別に疲れてないから良いと断っていたのに、無理矢理馬車に乗せられたからだな。きっとカイトもお父様が苦手なのではと感じる。
同士ね!嬉しい!
「いやいや。久しぶりのセレナだからな。思わず、はしゃいでしまった。」
くぁーー。めっちゃイラつくぅー。
「へーへー。左様ですか。」
私はドサリと腰を下ろして、お父様を睨みつける。というか、今回コイツが出てくれば私やカルミア様が頑張る必要無かったんじゃないの?全部わかってたんでしょ?
その癖に、泥臭い仕事は私たちに任せて、サラリと跳ね馬の如く私達の上を駆けていく。
「ずいぶんお綺麗な格好ですが、目的のお話し合いは良い条件で進められてご機嫌ですか?」
「はは。そうだね。ほぼ全て僕の思い通りにことが進んで愉快で仕方ないよ。」
くっ。コイツ。
「セレナ以外はね。」
睨みついていたがその言葉にハッと息を飲む。
そんな私を見つめながらお父様は淡々と話し出す。
「今回、僕が嗾けたのは、カルミア王子とアーサー王子、あと、諸々僕の直属の手足のみ。その中で、一人だけイレギュラーに動いたのが君だ。」
「いやぁ。本当に森林国境へ行きたいって言った時は驚いたなぁ。まるで未来でも読んでるかのようだった。」
思いがけない、核心を突く言葉にザラリと心臓が脈を打つ。やけに周囲が静かに聞こえるのに、お父様の声だけは耳に大きく響く。
「ねぇ。もしかして…セレナは……」
「あのっ。」
私は、その先を言われるのが怖かったのか、嫌だったのか、思わず言葉を遮っていた。下げた頭をゆっくりと挙げると、お父様だけでなくカイトも私を真剣な目で見ていた。
そっか。カイトもちょっと不思議に思ってたんだね。でも、そりゃそうだよね。
私は少しカルミア様との婚約のために周囲への影響を気にしなさすぎた節がある。全ては勘だとまとめて、これからうまく行くはずもない。
未来がわかるんだと言ったとしても、それも確実な未来ではない。実際ストーリーは変調をきたし、全てがもう今までとは違う。
「今回……森林国境に行こうと思ったのは、私の恩人であるアイシュの存在が大きいんです。アイシュは森林国境の警備隊をしていた旦那さんを病で無くしていて…それも数年前ですけど、病の噂から関係がある様な気がしたんです。」
嘘ではない。森林国境にたどり着くきっかけはアイシュだった。
「これは本当に不確実な私の勘で、だからその……」
私は話さないことを決めたの。
カルミア様は確実にストーリーに抗うように自分の感情と戦っていた。それは、私以外でも争うことが出来るという証拠。
人は変われるのだと、彼が教えてくれた。
決定されていない未来を、不確実な未来を伝えることで、それありきになってはダメなのだと思う。カルミア様はカルミア様自身で考えて抗っているからこその今回の結果であると私は考えたのだ。
私が長い沈黙を落とすと、お父様は思いがけない行動に出た。それは、私とカイトが目を丸くするような、お父様らしからぬ人を思いやる行動。
「セレナ。別にお前に全て話してもらおうとは思わないよ。今すぐ吐かせようとはしない。でも…」
お父様は私の手を両手で掴み、真っ直ぐな瞳で私に訴える。
「でも、僕も他の誰かも君の力になれる人は沢山いる。だから、抱え込むな。」
お父様………。うそ……だよ。
本当にこの人お父様?
「もし心の底から抱えきれなくなったその時は、いつでも良い。すぐに話せ。」
私は思わず、お父様に握られる手を離し、お父様の額に手を当てた。
「ね……熱?」
額は全く熱を示さない。その事実にまた私は驚いてしまう。えっ、これもしかして本気で言ってるのかしら。
私が困惑していると、お父様の顔がみるみる不機嫌になっていく。
「おっ。お父様?」
「お前…そんなに僕が父親面するのが珍しいか。」
パッと額に当てる手を取られ、いつものお父様の顔で私を睨む。
「珍しい…というより、初めて…では?」
瞬く間に眉間に深い溝が刻まれる。あー。怖い。怖いのに、こっちの方が安心するのなんでなの?
しかし、お父様はすぐに私の手を離し、ふっと笑った。
「いや……そうだな。柄でもないことをした。まあ、たまにはこういうのも良いだろう?」
え、えー。ちょっと怖いなぁ。
私は少し考えてみた。でも、やっぱり想像はつかない。
「いやぁ。少し恐ろしいというか、ちょっと、違和感がありすぎますね。」
「…ふ。そうか、じゃあもうやらな……」
「ただ!」
そう。ただ…
「嬉し……かった…です。」
そうか。私、嬉しかったんだ。言葉に出たあと、急に自分の気持ちに名前がついたようでスッと心の響めきが静まる。
お父様の驚いた顔が私に突き刺さり、そして、途端にニヤニヤと私を小馬鹿顔に戻っていく。
あぁ。これだから、この人は嫌なのだ。少し隙を見せるとすぐに私をネタにする。
ちょっとカイトもクスクス笑ってるんじゃないわよ。
私は数億年ぶりに素直になれた親子関係に一筋の光を感じながら、素直に一瞬でもなってしまった自分を殴り飛ばす。
あぁ、もう、二度と素直になんかならない!
カラカラと馬車が止まる。屋敷に着いたのか。
あームカつくそのにやけずら。ビンタしてやろうか!
私がそう心の中で毒を吐くと、馬車の扉がバンと、やや乱暴に開いた。
敵襲かと身を構えたが、そこにはあろう事がお母様がすごい形相で立っていた。私もカイトもお父様ですら度肝を抜かれ、静寂に包まれる。
そして、お母様はいきなりその静寂をやぶった。
パァン!
響く、乾いた音。目の前であの薄ら笑ったお父様の頬が打たれる音が響き渡る。
い、いぇーい…私の代わりにビンタしてくれた。
けど、どういうこと!?!?
久々の登場、お母様ですね!
新章の前に少しだけ幕間を挟みます。
感想、ブックマーク評価ありがとうございます!
すごく嬉しいです!




