月夜の願い
月の光が部屋に入り込み、私の机を照らす。今日は満月で、ロウソクの火と共に手元を明るくしてくれていた。
眠い目を擦りながら、私は資料と睨め合っていた。自然と揺れてしまうこの首が悩ましい。
でも、やらないと。私にはもう2年しかない。いや、婚約者として確定するには、2年もないかもしれない。この短い期間で結果を出すということは、この研究を完成させ、少しでもこの研究に意味があったと国や貴族らに示すということ。
少なくとも1年はこの職業の起用後に欲しい。起用してそれが良いものであったと証明する為に。それだと、もう1年も無い。一刻も早くやり遂げねば。
私はペンを再びしっかりと持つと、ロウソクの火がゆらゆらと揺れた。今日は風がないから窓を開けていたのに。不思議に思いながら私は顔をあげる。大きな月の光が何かに隠れ、少しばかり、目の前が暗くなると、その時初めて、目の前に誰かが居るのがわかった。
「………!」
ちょうど窓から手が届く距離にある木の枝がギシギシと音を立て、その影はいとも容易く私の部屋にスタンと降り立った。
「えぇ!え!うそ!え!?」
私が思わず椅子から立つと、その拍子に椅子の足に躓き、姿勢が崩れる。動揺でなにが起こっているか、自分でもよくわからない。
その男性は、滑らかに私の腰に手を回す。これから起こるであろう痛みが来なかった事に、抱き抱えられて初めて気づく。
キラキラと透けるブロンドの髪が月の光に照らされて、とても美しい。透き通った肌がこの世の人ではないみたい。私は、こんなにも胸がときめく事があっただろうか。もちろん、今までもドキドキして大変だったけれど、今日はなんだかとてもおかしい。
以前は数年会えないなんてザラだったのに。一月程会えなかっただけで、こんなにも愛おしく感じるなんて。
「驚かせてすまない。噂になる訳にもいかなくてな。」
「か…カイトみたいな入り方を…するんですね。」
「ああ、少し真似た。……というか、アイツはセレナの部屋にも窓から入ってるのか?全く…。ロクでもないな。」
片眉を上げ、黒いマントの隙間から楽しそうに笑う彼が、愛おしい。優しく触れてくれる彼の手も、全てが、何もかも愛おしい。
「痛むところは無いか?」
そっと立たせてくれる。触れる場所全てが緊張で、真っ赤に染まる。
「だい…じょうぶです。あの、お久しぶりです。」
「そうだな。せっかく王宮に引っ越したのに、なかなか会えずすまなかった。隣国と色々あってな。」
「い、いえ!来ていただけただけで!私は!」
私が顔を上げると、カルミア様は優しく笑った。私を支えながら、そばにあるソファに二人で腰掛ける。
「根詰めすぎじゃないのか?」
「えっ……」
カルミア様は私の手を優しく握った。
「こんな時間だ。部屋にいるだろうと思ったら居なかった。ここまで眠らずにやるほど時間がないのか?」
「ない!…………です。時間がないんです。」
だって、これをやり遂げないと、貴方は手の届かない所に行くのでしょう?もう私とこうして笑い合えないんでしょう?
ルルージュはとても優秀な方だった。ルルージュと私以外の可愛らしい二人の婚約者もルルージュの事をお姉様と慕っていた。それはつまり、ルルージュへの支持と同義で、社交界では圧倒的に私は不利なのだ。新聞などの影響で世間では私への票が多くても、結局決めるのは国王や貴族達。社交界がルルージュ派というだけで、私からしたら絶望的なのだ。
私が、認められねば。そうでなければ。
「俺は……。」
ポツポツと空中を見つめカルミア様は話始める。
私は、焦りとか、妬みとか、嫌な気持ちで彼の目の前にいることがとても嫌だった。
今こんなにも必死なのは、カルミア様を失いたくないから。こんなにも必死で汚くて、打算だらけの自分を見て欲しくない。
「俺は、国王を親だと認識したことは数少ない。幼い頃の、あの時だけで、ある日を境に俺は父に父として接することをやめた。」
ある日……?
急に何の話だろうと、私はパシパシと瞬きをした。すると不意に彼は衣服に手をかける。
上着をパサリと脱いだ。いつもだったら、赤面し、直視できなかったかもしれない。だが、今日は不思議と背中の大きな傷に目を奪われた。
「これは、王が子供の俺につけた傷だ。この傷を王から受けたとき、俺は、父を諦めた。」
背中を切り裂く切り傷。今はきれいに治っているが、傷をつけられたときは相当深いものだっただろう。幼い頃に付けられているのにもかかわらず、こんなにも大きく大きく痕が残っている。
「触れても?」
コクリと頷くのを見てから、私はそっと傷に触れる。傷痕をなぞるとカルミア様は優しく笑った。
「俺はずっと誰かから、親のような対等な愛情が欲しかった。立場で俺を見ていない、ただ唯一の人が欲しかった。」
私を握る手が、スルリと上に移動し、私の頬で止まる。くすぐったくて、もどかしくて、私は少し体を震わせた。
「どこかで本気で俺を見てくれる人など居ないと思っていた。俺の周りにはそんな人は居ないと、思っていた。だが、セレナ。君は、僕の前に現れた。」
私の頬をなぞる手がやけに優しい。真っ直ぐに私を見つめる目はひどく真剣で、その瞳の中に吸い込まれそう。月明かりに照らされて、私はどうにかなってしまいそうだった。
「君が教えてくれたんだ。俺に、愛を。君に出会えて、今まで見えていなかった周りが初めて見えた。俺をちゃんと見てくれていた存在がいるって知れたんだ。」
私は何故だか、涙が溢れた。伝う温い涙をカルミア様はそっと拭う。
「俺は、君が……セレナがとても好きだ。君が居なければ、どうにかなりそうなほどに、君が。」
それは、ずっと望んでいたセリフ。彼の口から聞きたかった、一番に望んでいた、あの言葉。
止まらない涙に私は思わず顔を隠した。嬉しくて嬉しくて身体が震える。どうにかなってしまいそう。でも、私も伝えようと、震える声を振り絞り、息も絶え絶えに、声を出す。
「私も……私も、カルミア様が……大好きです。」
「ああ。知っている。」
私の言葉に意地悪な顔でニヤリと微笑むカルミア様はこの世の物とは思えない程美しかった。そして、そのまま、ソファにさらに深く身を沈めると大きく息を吐き小声で何かを呟く。
「俺が、人の愛を『知っている』なんて言える日がくるとはな。」
その声はとても小さくて小さくて、私の耳には届かない。
「え?」
「いや、なんでもない。緊張していただけだ。」
カルミア様の言葉に私は大きく声を上げた。
「きっ…。緊張〜?うそだ!うそですよね!?」
「嘘じゃない。」
ギッとソファのスプリングが鳴り、カルミア様は私の手を自分の胸に添えた。ドクドクとなる鼓動がやけに早くて、それが自分の所為でそうなっていると思うと、顔に熱が集まる。
私の手を慈しむように触れながらポツポツとカルミア様は再び語り出す。
「俺の持つ、王子の称号は君を苦しめたり、悩ませるだけかもしれない。実際、今、こんなにも無理をさせている。」
「そんな!これは……私が勝手に!」
「でも、無理なのだ。それで君を手放せる程、心が広くない。…それに、俺はきっと、君が居ないと自分を見失う。何が正しいのか、見えなくなってしまう。だから、ずっとそばにいてくれ。」
私は、貴方の背中を支えたくて、ここまで来たの。ここまで頑張ってきたの。そんなの。そんなもの。
「私、何度も言ってます。答えなんて決まっているんです。ずっと前から。」
私は涙を拭った。
「はい。もちろんです。」
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しばらくの間私たちの距離は無かった。お互いに心臓の音がドクドクと聞こえる距離で背中に手を回し存在を確かめ合う。私がその心地よさに、ゆっくりと目を閉じるとカルミア様は耳元で囁いた。
「もう、寝てくれ。どんなことになっても、俺はセレナしか妃には望まない。」
その甘い声と誘惑に絆されそうになりながらも私は自分を取り戻す。
「ちょっと待って下さい。それとこれとは話が別です。私はお飾りの妃にはなりたくないんです。今、カルミア様が言ったように、支えになる人になりたい!」
「もう、なってる。君の存在ひとつでもう俺の支えなんだ。何をそんなに焦る…?」
「それはっ……。」
私は反論の口を開けたところで思わず手で口を塞いだ。
「なんだ。何故口を閉ざす。」
こんな醜い気持ち、知られたくない。ただ、ルルージュに嫉妬しているだけなんて…。彼女の存在に、焦っていただけなんて。
しかし、私の手をカルミア様は無理やり剥がした。
「こういうのはちゃんとしておいた方が良い。なにやら誤解をされてすれ違っても仕方がない。命令だ。言え。」
くっ………。こう言うところだけはちゃんと王族なんだなと思い知る。私は震える唇で名を口にした。
「今日………ルルージュ様にお会いしました。」
「ルルージュ?……ああ。………ふっ。なんだ。あいつがどうかしたか?」
私はルルージュの名前が出たのときの緩んだ表情を見逃せなかった。
「な……なんで今、笑ったんですか…。」
「いや………アイツ。面白いよな。全て顔に出る。」
な!!!なにそれ!!なんなの!?
それ、どういうこと!?
私は顔に熱が集まるのがわかる。もう嫌だ。こうなるから言うのは嫌だったのに。私が顔を見られたくなくて、顔を逸らすとカルミア様は不思議そうに、私の顔を覗き込む?
「なんだ?何故そっちを向く?」
「別に。カルミア様には関係ないですから。」
可愛くない。本当に私は可愛くないのだ。何もかもが。ルルージュにあったときから、私より相応しい人が居るのではと、ずっと考えていた。実際彼女は優秀で素晴らしい。私が必死で努力してきた物も、彼女の前では勝てる気がしない。
一言、カルミア様に、やきもちを妬いていると、言えたらよかったのに。そのくらいの可愛げが私にあれば、よかったのに。嫉妬でどろどろの心も、卑屈になる卑しい心も全てが自分の汚い所で嫌になる。
「もしかして………妬いている…のか?」
図星のその言葉に、私は思わず肩が震えた。恐る恐る後ろを見ると、そこには口元を押さえたカルミア様がいた。
そして、ぶっと吹き出して、笑い出したのだ。
「んな!!!何で笑うんですか!私は!本当に真剣に悩んでて!」
「いや!悪い。しかしっ。今俺の気持ちを伝えたばかりだろう?」
「それでも!です。」
酷い!私、すごい悩んでたのに。腹を抱えて笑うほど、馬鹿にされるなんて…。
カルミア様は、一頻り笑った後、「あー。笑った笑った。」とぼやきながら、私を優しく見つめた。その目に、私はまたときめいてしまう。本当にこの人はずるいのだ。何もかも。私の心は全て彼に握られていて、私ではどうしようも無い。
「ルルージュが何を言ったり、やったのか、俺は知らないけどな。あいつが見ているのは、俺じゃない。もっと違う所だ。それに関しては本当に安心していい。」
違う…所?少なくとも今日話した限りでは、婚約者として…というような雰囲気がすごくあったけど。
「それに、俺の心は全て…セレナ。君の物だ。」
「っ………!」
この人、本当に。本当にっ!
思わず顔を覆い、俯く。本当にひどいわ。何でこんなにも甘いセリフを平然と言いのけられるのかしら。
「あ…あり…がとうございます。」
息も絶え絶えに、私はお礼を伝えた。今日が命日なんだろうか。こんなにも、幸せで、本当に大丈夫?
私は息を整えて、カルミア様を見た。それにしても本当に今日は急だった。噂になる可能性だってあるのに、何で急いで?
「ところで…何故急にここへ?何か大事な用があったんですか?」
私は顔を覆ったまま、カルミア様に聞いた。私はまだ未婚。いくら世間で、私との婚約が優勢と囁かれていたとしても、未婚の女性の部屋に入るのはかなりのリスクだ。
だからこそのこの装備。彼はまるで暗殺者のように黒いマントに身を隠し、私の元にやってきた。何か、重要な用事が………?
「いや…その用事はもう終わった。」
「へ?」
「君に逢えたからな。」
ど、どういう…こと?
私はカルミア様の言葉の意図が読めなかった。そのまま、隠していた手を下げ、顔を上げると、カルミア様の顔がやけに近かった。
「ある……友人に嗾けられてな。まぁ、ケジメだ。気持ちはしっかり伝えねばな。」
「気持ち?」
聞き返す為に私が更に顔を上げると、カルミア様が本当に本当に近くて、私は息が止まった。頬に添えられた手がやけに自然でなにも違和感なんてなくて、迫る綺麗な顔を、不思議にぼうっと見つめていた。伏し目がちな彼の瞳を、私はただただ、真っ直ぐ見つめていると、不意に唇に彼が触れた。
その事実に気づくのに、私は数秒かかり、離れた後も、しばらく茫然とカルミア様を見つめることしかできなかった。
「……っ。……。」
えっ………。な…に?
「俺の気持ちだ。何があっても俺の気持ちは変わらない。それだけは覚えておいてくれ。」
「ええぇ!?ええ!えっ……ええ!!うそぉ!」
急に動き出した時間に、私は叫ばずにはいられなかった。だって!うそだよ!こんなの!
「ははっ!うそじゃない。本当だ。」
溢れ出す涙。顔は恥ずかしいことにきっと耳まで真っ赤に染まってる。
「私もっ。私も変わらないです!何があっても!絶対に…!」
「はいはい。わかった。もう、今は泣いとけ。」
泣きじゃくる私をカルミア様は抱きしめた。しばらく抱きしめたまま、背中をさする。
せめてこの夜だけは、どんな未来になっても、この夜だけは私のもの。私の為だけに泣き止むまで優しく背中をさすってくれた彼だけは私だけの物。
切なく光る月夜を浴びながら、私は静かに、そう願った。
100話〜!ちょっと長めに、、、この話が記念すべき話に書けて良かった笑
こんなに書き続けられるとは思わなかったです!
どれもこれも皆様のおかげです。ありがとうございます。
今後もセレナとカルミア達を見守ってくださると嬉しいです。
そして、400ブクマありがとうございます!!
とっても嬉しいです!
これからもよろしくお願いします!




