二話目 百鬼先輩の表 前編
まず、本当に広かった。
1年から3年までの教室のある校舎は四階建てで一階の玄関から始まり、
2階から4階はそれぞれの学年で割り当てられてはいた。
多目的教室などは外廊下を渡った別校舎にまとめられており、一見分かりやすいようにみえる。
だが、目的のよく分からない教室がちらほらとみられ、
どの教室か指し示すプレートは百鬼先輩の説明が嘘でないならデタラメもいいところだ。
百鬼先輩は自分の教室と玄関までの道を覚えれば問題ないと
変わらず涼しげな笑みで言ってのけたが、
昇降口すら教室の裏手に曲がって降りるなど訳の分からない造りをしており
いよいよ何でこんなおかしな造りをしているのかと憤りすら感じていた。
そんな俺と数名の生徒を除いて目の前では百鬼先輩が生徒たちに囲まれ質問攻めにあっていた。
「あのぉー、百鬼先輩って彼女いるんですかー?」
ありきたりで何でもない質問。案内される間に女子生徒はどんな些細な質問であろうと
にこやかに優しく答えてくれる百鬼先輩にすっかり夢中になっていた。
男子生徒もまた明らかに種類の違う同性に興味津々なようだ。
そんな中でもマスク姿の幽先輩は黙って百鬼先輩に付き従う。
「彼女…ふふ。いませんよ。今はこれが楽しいので。」
「……?」
今、という言葉に引っかかる。だが誰もそれに気付いていない様子だった。
じゃあ、前は?
「さて、ここが最後ですね。あなた方の教室になります。
席についているなり、親交を深めるなりしておくとよいでしょう。
そろそろ狐上先生も戻ってこられるでしょうから。」
「あ、ありがとうございました!」
「いえいえ。それでは、これからよき学園生活を。」
名残惜しそうに百鬼先輩たちを見送る生徒たちはもうすっかり彼の虜になっていた。
……俺以外は。また。
また俺だけなのだろうか。また、置いていかれるのか。
背筋に暗く冷たいナニカが這い上がってくる感覚にぎゅっと唇を噛みしめつつ振り払うように教室へ入った。
◇ ◇ ◇ ◇
「……シロ。」
今まで沈黙を貫いてきたマスク姿の少年が彼の名を呼ぶ。
「ふふ、アレがわざわざ呼んだだけあったようだね。」
それを何ごともなく可笑しそうに、だが明らかにさっきと違い仄かに暗い雰囲気をたたえて。
「……おれ、あいつキライ。」
眉間に皺を寄せ、そっぽを向いた少年を少し困った顔で彼は見上げた。
「まあまあ、いいじゃない。……ほら、噂をすれば。」
狐上と呼ばれていた教師がまるで頃合いを見計らったように足早に彼の元へ駆け寄る。
さっきと違い、明らかに畏怖の眼差しで彼を見つめた。
そんな様子を変わらず、彼はにこにこと微笑み迎える。
「お、御白様。」
「ここでそう呼ばないよう言った筈だよ。
ちゃんと先生しなきゃ、ね?狐上先生。」
「は、はい…!そ、それでどうだった?」
畏怖、恐れ。
彼もまた、怯える様を面白がるように。加速させるように、得体の知れない雰囲気を身に纏う。
「上々だね。前回の失態は無しにしてあげてもいい。」
「えっ……いや、ありがとうございます!」
クスリ、と嗤う姿に狐上はビクリと身体を震わせる。
彼の機嫌が上がるにつれ、狐上の額には汗が滲んでいく。
「シロ、甘い。」
「ふふ、幽。気づかなかった?久しぶりの上玉が混ざってる。」
「…業憑き?」
業憑き、という言葉に狐上の顔はサッと青ざめていく。
それを知ってか知らずか彼は今までの重たい威圧を完全に消し去り、
穏やかな笑みをたたえる。
「ふふ。狐上先生、名簿。あとで見せてもらえますか?」
「わ、わかった。いつもの時間でいいです……いいかな」。
「ええ。…一年経っても慣れませんね。お前は。
それでは、失礼しますね。」
彼は困ったように苦笑しつつ、狐上を置いて少年を引き連れその場をあとにする。
残された教師は緊張の糸が切れたようにズルズルと壁にもたれ、崩れ落ちた。
「……慣れるわけない……。」
◇ ◇ ◇ ◇
「シロ、帰ろ。」
少年は授業が終わり、早々と彼の元へ駆け寄った。
彼は少し考えたあと、ふ、と微笑む。
「そうだね。その前に少しだけ様子見しに行こうか。」
「行く!」
「久しぶりの業憑きだ。慎重に、大事に。……壊さないよう育てなきゃね。」
そう呟いた彼の目は傾きかけてきた陽に照らされ一際紅く輝いていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「はぁ……。どーしよ。」
HRも終わり皆各々、部活見学等でぞろぞろと教室から居なくなり、後には私一人だけが残っていた。
他のクラスもそうなんだろう。廊下から聞こえる声はどれも小さく、静けさが際立つ。
元々人見知りで誰一人として打ち解けることなく、喋ったのは自己紹介だけ。
でも今はそんなことはどうでもいい。どうにかしなければ…。
「おや、どうしました?」
突然ー教室の扉付近、廊下のほうから声が飛んでくる。びくりと肩が震えるのが分かった。
だが、聞き覚えのある声に思わず勢いよく振り向いてしまう。
「!!!あ…えっと……百鬼、先輩……?」
「覚えて頂けたようで何よりです。それで、どうしたんですか?お一人で。」
「え、えっと……。」
全くの想定外の出来事に口籠ってしまう。
今朝、学園内を案内してくれた、彼を取り囲む輪に入れず離れて見ていただけだったが
まさかこうして話しかけられるなんて…!
「ふふ、学園のことでお困りならでき得る限りお手伝いしますよ。
一応生徒会長ではありますので。」
返す言葉を必死に探すもただ俯くことしか出来なかった私を
見かねた先輩はそっと優しく微笑むと助け船を出してくれた。
「あ……、ただ、その……落とし、物を……。」
「おや、落とし物?どういったものでしょう。」
「御守り…を。母の形見で……。」
「それは大変だ。お手伝いしましょう。」
思ってもみない言葉が返ってきて思わず顔をあげる。
赤い瞳と目が合い、恥ずかしさで少し逸らしてしまった。
「えっ?」
「幽、職員室で落とし物の保管庫確認してきてもらえる?」
「……。」(こくり)
扉の影でみえなかったけど、あの無口な先輩もいたんだ。
こちらに見向きもせず、パタパタと廊下を走り去る音だけが残る。
「とりあえず、お名前を教えてもらっても?」
「あっ…み、水城…水城奏といいます。」
「水城さんですね。一緒に探しに行きましょうか。」
「えっ!?あ…ま、待ってください!」
返事も待たず背を向けて歩きだす先輩を慌てて呼び止める。
「ふふ。ただでさえも迷子になりやすい所です。
探し物しながらだと余計迷子になってしまいますよ。
安心してください。こう見えて「失せ物探しは得意なんです。」
「あ、ありがとうございます…。」
先輩の優しげな笑顔につい、了承してしまった。
反則だ……。自分にだけ向けられた微笑みは今朝のそれとは全く違う。
心臓の音が耳に届くくらい早鐘をうっている。
ぎゅっと唇を噛みしめ、百鬼先輩に誘われるがまま教室を出る。
いつの間にか押し潰されそうだった焦りは消えていた。
次話まで人のいい百鬼先輩が続きます。