九
『市役所』の建設部道路課に『証明願』を届けた後、最上階にあるレストランにて、ランチタイムの惣菜ブッフェをいただいた。
私は、またもや肉味噌うどん。三住さんは、やっぱり野菜たっぷりラーメンにした。
そして、惣菜ブッフェだが、この間、欲張りすぎたのを反省して、少し控えめに……のつもりだったが、結局、最初は控えめにしても、おかわりを取りに行ったので、超満腹状態は、この間以上になってしまった。
三住さんと仕事をするようになって、私、少し体重が増えたと思う。
三住さんは、食後のドーナツを幸せそうに頬張っていた。
「『市役所』への届出が終わりましたが」
私も、デザートのコーヒーゼリーをスプーンですくいながら、三住さんに話しかける。
「次は『運輸支局』ですよね」
「うん」
と、三住さんは返事して、ズルッとホットコーヒーをすする。
「『市役所』から『証明願』が届くのに二週間くらいかかるから、『運輸支局』に行くのは、その後だね」
「それまでは待ち時間ですか?」
「それまでに『運輸支局』に届出する『一般貨物自動車運送事業の事業計画変更認可申請書』を作っておく。午後は、新営業所の方に行くよ」
曲名:Don't Look Back
アーティスト名:Boston
発表年:1978年
夜が明けて、視界が晴れてきた。
ボクの行き先を示す道筋が見えてきたよ。
もう、後悔しないよ。
新営業所となる建物は、『市役所』から二十分、『駐車場』からは五分程度の場所にある。
三階建ての鉄筋コンクリートの建物で、その二階にある一室である。
階段を上って、暗めの廊下を突き当たりまで歩いたところにある部屋で、三住さんが持っていた鍵で中に入った。
部屋の広さは二十畳くらいで、床はビニール貼り。
部屋の角二ヶ所を建物の柱が通っており、狭そうな壁にブラインドで締め切られた二つの窓が寄り添っている。
部屋にあるのは、角の柱の出っ張りを避けて置いた丸テーブルと折り畳み椅子が四脚、それと入口付近にカウンター代わりにしているスチール棚、壁に向かって座る事務机だけ。
ドア付近にあった電灯のスイッチを入れると、天井に埋めこんである蛍光灯が、ぼんやりと光る。
「電気は、もう通ってるな」
と、三住さんはつぶやくと、電灯スイッチの隣にあるエアコンのONボタンも押す。
天井に埋めこんであるエアコンがブーンと唸り、ヤニ臭い風が室内を漂い始めた。
ここでやることは、やはり同じ。測量と撮影であった。
部屋の寸法を測り、四つ角を背にして写真撮影。
部屋から外に出て、ドア付近も撮影する。
事務所に戻って、今度は『営業所』の作図を開始。
ここで大事なのは、丸テーブルのあった区画を『休憩室』として設定すること。
三メートル四方として区切られてることを、図面にて明確に示さなくてはならない。
「『営業所』自体は、法律要件を満たしている場所を登録するんだけど、『休憩室』は面積を登録するんだ。この場合だと、『休憩室』として九平米の面積を認可申請することになる」
三住さんは、そう説明する。
四時から来客予定。
作図はそれまでに終われず、三住さんと応接室へ。
待っていたのは、当社の制服を着た男性社員。
短く刈った髪をやや茶色に染めて、若作りしているように見えるが、年齢は四十代半ばくらいな感じ。
シャツの袖にピン留めされている社員であることを示す名札には、『松岸』とあった。
三住さんと目が合うと、被っていた帽子を外し、
「三住さん、聞いて下さいよ」
と、いきなり泣きつくように話しかけてきた。
「もう、アイツら、あかんですわ」
「アイツらって?」
三住さんは、テーブルを挟んで、松岸さんの前に座り、冷静に話を受け止めた。
私は、三住さんの隣に座った。
「青島、姉崎、それに新山センター長ですわ」
出てきた三人の名前を聞いて、『食品DC』所属の社員だどわかった。
新人研修の時に、その三人に指導してもらったことがある。
『食品DC』に三ヶ月間、現場入りする研修で、改善活動に関する成果発表のプレゼンテーションの時に、親切にアドバイスしてくれた先輩社員たちだ。
「この間ね、不整脈で体調が悪いから休ませてくれって電話したら、運行に穴を空けてもらったら困るって言われて、問答になりまして、結局どうにもできなくて、休ませてもらいましてな。そりゃ、急に休む言われたら困るのはわかってますけどな。こっちも老体にムチ打ってやってますんで、体調の悪い時だってありますがね」
「まあね」
と、三住さんは、うんうん頷きながら、話に耳を傾けていた。老体にムチって……たぶん、三住さんの方が年上なんじゃ……
「それで、その休んだ日が欠勤扱いにされてて、皆勤手当も付いてなかったんで、有休に振り替えてほしいと頼んだら断られました」
「ふむ」
三住さんは、頷くだけ。
「前はね、病欠した時も有休振替は自動的にしてくれてたんだけど、最近は届出を書けとか、うるさくなりましてね。特に新山センター長になってから、厳しいです」
「年次有給休暇申請は事前の届出が原則。それが当然です」
と、三住さんは言い放つと、パンッと目の前で手を打たれたような感じで、松岸さんの口が止まった。
「給与事務スタッフが届出無しで、勝手に処理することはありません。今まで松岸さんも、届出されてたはずですが」
「あ……ああ……確かに……そのとおり……」
松岸さんは、言葉を失った様子で、唸り声か、呻き声かを何度か繰り返し、ラジオのチューニングが合せられたような、明快な声で、こう言った。
「まぁ、有休の件で相談に来たわけじゃないんですけどね」
三住さんは、ニッコリと笑う。私も、それに合わせて、笑顔にした。
「前のセンター長の時にね」
松岸さんが言おうとしている前のセンター長って……私が新人研修を受けた時のセンター長……臼田さんだ。今は、部長に昇進されてる。時々、本社で見かけるたびに、ニッチなギャグを残して去っていく。
「体調が悪い時が定期的にあって、そういう時は遠い配送はキツイから、近場にして下さいってお願いしたんです。臼田さんは了解してくれて、助かってたんですけどな。青島と姉崎には、そういうのが伝わってなくて、配車も全然変わってしまって、体調が悪い日にムリヤリ遠方を組まれましてな。キツイから勘弁してくれって言ったら、有休で三人休んでるから、やれるヒトがいないって言われて、しょうがないから、無理して走ってきましたけどな」
有休か……
確かに『食品DC』は、有休の取得率が高いセンターだ。毎月の給与計算の時に、ものすごい束になった届出書が送られてくる。
休暇取得が集中した日などは、人手が足りなくなって、他のセンターに応援を要請したりしてる。
残されたヒトたちに業務が集中するのも当然である。
「最近は有休を取らせないと法違反だなんて言ってますな。ボクは、病気の時ぐらいしか取りませんが、何かおかしなことになってますな。ウチのセンターは365日稼働なんで、みんなが休みたいって言ってくる日って、だいたい正月か盆休みに集中するんで、それで管理者たちは大勢が一度に休まれたら仕事が回らないからって、くじ引きで決めたりしてるんですわ。もう、見てて、アホらしくて」
「一度に休まれたら仕事が回らないというのは、正直な話」
と、三住さんが言う。
「会社側には『時季変更』を行使できる権利がありますから。くじ引きという方法に対してはいろんな意見が出てきそうですが、公平性という点では悪い方法じゃないですね」
「ああいうのって、法的にどうなんですかね?」
「まあ、行政が口を挟んでくるなら、意見として伺う程度ですね。別に違法じゃない」
「有休の自由利用を阻害してるということになりませんか?」
「会社は、仕事を回さなければなりませんから、最低人員の確保は必須です。でも、有休を取るなって言ってるわけではありません。時季を変えてくれって言ってるだけです」
「まあ、会社に仕事しに来てるんで、有休うんぬんは興味ないんですがね」
有休がらみの愚痴が多い割に、今は興味ないって……何だか相談内容に掴み所が無い感じ。
結局、私たちは松岸さんの相談なのか、愚痴なのか、何だかわからない話に一時間程度を付き合わされて、それでも松岸さんは、何か腑に落ちないような、物足りないような顔をして、帰っていった。
私の方は……もう食傷気味……
オジサマのお話は、もうたくさんって感じ……