七
「今日は何を?」
私は、出社してすぐに、あちこち忙しそうに動き回っている三住さんに声をかけた。
三住さんのデスクの上には、まるでフリーマーケットのブースのように、いろんなモノが並んでいる。
まず、百メートル測れるメジャー、デジカメ、ネットから入手したと思しきどこかの航空写真、赤ボールペン、トラロープ数十メートル、太さ五センチ長さ一メートルくらいのプラスチック製の杭が四本。
「すぐに出かけるからね。用意して」
三住さんは、私に指示すると、事務所階段下にある物置に入って、ガチャガチャと何やら掻き回すような音を立てる。
「あった、あった」
と言って、持ってきたのは、長さが一メートルくらいの剣先ショベルだった。
「よし。これで準備オーケー。あ、雨森さんも準備は良いかな?」
「はい……」
私の準備なんて、貴重品が入ったポーチ一つだけだ。
「ちょっと運ぶの手伝って」
三住さんは言うと、ショベルを持ったまま、社用車の方へ向かった。
私は、杭を四本、運んだ。
残ったアイテムは、三住さんが、もう一往復して持ってきた。
メジャー、ショベル、杭、トラロープは、車後部のトランクへ。
他の小さなアイテムは、全て三住さんのバッグの中に収まっていた。
「どこに行くんですか」
私は、助手席でシートベルトをはめながら訊ねた。
「駐車場」
三住さんからの回答は、それだけだった。
車で十五分くらいのところに、その『駐車場』があった。
格子状に道路が通い、一ヘクタール程度の正方形を作り上げているところで、さらに六等分している区画の角地ではなく、真ん中の部分である。
周辺は、水田に囲まれ、民家がパラパラと見える田舎っぽい風景。
周りを休耕中の農地に包まれた一角に、砂利を敷かれた区画があり、その部分だけが茶色に映っている。
車は、敷地内にそのまま入り、隅の方に駐車する。
隣地との境目は、特に周りをフェンスなどが建設されているわけではなく、コンクリート・ブロックを低く積み上げ、枡のように囲んでいるだけの簡素なものだった。
三住さんは、車のハッチバックを開き、工具類、杭とトラロープの横に、バッグの中に収まっていた小物を並べる。
いくつかのアイテムの中から、三住さんが手に取ったのは、百メートル測れるメジャーと赤ボールペン、航空写真だった。
メジャーを数メートル引き出し、私に先端部分の金具を持つように指示すると、
「まず前面道路の幅員を測るから」
と言って、さっさと歩いていった。
私も、メジャーの先端を持ったまま、三住さんに動きを合わせた。
「前面道路というのは、敷地に面してる道路のことね」
と、三住さんは説明を始める。
「雨森さんは、道路の向こう側に渡って、一番縁でメジャーの先端を押さえてて」
言われたとおりに、道路を渡ろうとすると、ゆるゆると走ってくる軽トラックが見えたので、それが通りすぎるのを待ってから、向こう側へ渡った。
ここへ到着してから、この道路を通ったのは、今の軽トラだけで、交通量はかなり少ない。
道路には車線が無く、両端から一メートル弱のところに、それぞれ路側帯が設けてある。
「歩道も含めた幅員だからね」
と、三住さんは補足する。
私は、雑草地と道路の境界線に先端を合わせる。
「六メートル……」
メジャーを伸ばした三住さんがつぶやき、航空写真に赤ボールペンで書きこむ。
「次は、土地の面積を測るよ。雨森さんは、そっちの縁に行って」
三住さんの指差す道路面の縁に私は移動し、三住さんは、反対側の縁に移動する。
「三十二.五三……っと。ちょっと、そのままでいてね」
と言って、三住さんの足が敷地の対角線を進む。
奥側の角に到着するのに合わせて、私は九十度向きを変えて、三住さんと向き合う。
敷地の側線に沿って、メジャーがまっすぐに伸びている。
つまり、奥行の測定ができる。
「五十.四五……雨森さん、対角線上に歩いて、私の反対側まで行って」
三住さんの軌跡と交差するように歩き、反対側の角地まで行く。
これで測れるのは、奥側の幅である。
「三十四.一九……」
再び、三住さんがさっき移動した対角線を戻る。
これで、もう一方の奥行が測定できる。
「四十八.八七……雨森さん、横に移動して、さっき私が立ってた角に移動して」
私は、奥側の縁を真横に移動する。
これで、私と三住さんは、敷地に対角線を描いている。
「五十九.八四……これで、よし……雨森さん、ありがとう」
三住さんは、メジャーを巻き取ると、車の方に移動する。
私も、駆け足で車まで戻る。
「次は、杭打ち」
と言って、三住さんは、持っていたメジャーと小物を置いて、ショベルを手に取る。
「雨森さんは、杭を一本持って、ついてきて」
今度は、道路側の縁に行って、ショベルで穴を掘り始める。
砂利混じりの土は固そうだが、三住さんは根気よく、直径で三十センチくらい、深さは四十センチくらいまで掘りこんだ。
そして、私に杭を穴の真ん中に立てるように指示し、掘り起こした土を元の穴に戻した。
これで杭打ちが一本完了……と言いたいが、このままだと上にするすると抜けてしまいそうだ。
「固定はしなくても良いんですか?」
と、私は訊ねてみた。
「良いよ」
三住さんは、飄々と返答した。
「コンクリートとか流し込むと、現状回復が難しくなるからね。借地なんで、いつでも戻せるくらいが良い」
今度は、反対側の角に移動し、同じように杭を立てる。
道路面の両端に杭が立った。
「雨森さん、そのまま、そこにいて」
私は、今、二回目に杭を立てた角にいる。
三住さんは車に戻り、先ほど使用したメジャーと、残りの杭二本を持って、戻ってきた。
またもや、メジャーの先端を私に握らせて、道路に沿って、メジャーを伸ばしていく。
「十三メートル……」
と、つぶやいた地点に杭の尖った先端を向けて、一本地面に置く。
さらに、メジャーを伸ばして、「二十一メートル……」とつぶやいた地点にも、同じように杭を置く。
つまり、その位置に、杭を立てるということだ。
私たちは、淡々と杭立てのプロセスをこなし、ついに四本の杭を立て終えた。
三住さんの手際が良いのは、建築会社で働いた経験があったからだろう。
ショベルとメジャーを車に戻すと、三住さんは、次にトラロープを取った。
四本杭のそれぞれの角から一区間部分のみにロープを張り、真ん中の部分は開けたままにする。
要するに、ここが出入口になる。
「とりあえず、出入口の幅は八メートル」
と、三住さんが説明を始める。
「これ以上広くすると、車両の旋回軌跡図とかの追加書類の提出を求められて面倒なんでね」
「次は、何をするんですか?」
と、私が訊ねると、
「写真撮影」
と、返答があった。
三住さんは、デジカメを持って、道路の向かい側に立つ。
トラロープで作った入口付近を右方向、左方向とアングルを変えてシャッターを押し、さらに敷地内に入って、四隅に背を向ける位置に立って、四枚撮影する。
「これで終わり」
三住さんは言うと、車の方へ向かう。
フェンスとなった杭とトラロープを残し、使用したアイテムを撤収する。
そして、もう一つの成果物である赤ボールペンで寸法が記入された航空写真を広げてみる。
微妙に台形じゃない、いびつな四角形を斜めに切った二つの三角形が、そこに描かれている。
「あれ?」と、私は違和感を感じて、声に出す。
「これから、面積を計算するための図面を作るんですよね?」
「求積図って言うんだ。その根拠になる測量を、今したんだよ」
と、三住さんは説明する。
「三角形の面積は、底辺と高さを掛け算して、二で割るんですよね。でも、ここに描かれた三角形は、微妙に直角三角形じゃないから、土地の奥行が正確な高さになっていないです。高さを測らなくては、いけないのでは?」
「ヘロンの公式」
三住さんは、そう言った。
「ヘロン?」
最初、私は、三住さんが何を言ったのか、わからなかった。
「三角形の三辺の長さがわかれば、その公式で計算できるんだ」
「はあ……」
三住さんは、航空写真を印刷した紙の余白に、赤ボールペンで計算式を書き始める。
「三辺の長さを、それぞれa、b、cとして、まず定数として、abcの合計の二分の一の値をSとしておく」
三住さんの赤ボールペンが動く。
S=(a+b+c)/2
「それから、Sに、Sからそれぞれabcを差し引いた値を掛け算して、その平方根を求めると面積が計算できるんだ」
面積=√(S×(S-a)×(S-b)×(S-c))
「この公式に、測量した数値を代入すると、二つの三角形の面積が出る」
三角形1=820.55平米
三角形2=835.41平米
「合計1655.96平米になるというわけね」
三住さんの説明を聞き、私の目はすっかり遠くなってしまった。
三住さんは、いったいどこでこの知識を得たのだろうか?
……ネット…………
真っ先に私の頭に浮かんだのは、それだった。
帰りの車の中、私はスマホで『ヘロンの公式』について検索した。
なるほど。
三住さんがしたのと同じ内容のことが出てきた。
まあ、当然か。
でも、もう少し調べてみると、『ブラーマグプタの公式』というのもあるのがわかった。
こっちは四角形の四辺の長さから計算できる公式だ。
これだったら、対角線を測量する手間が省けたのに……
そのことを三住さんに伝えたら、こんな返答があった。
「求積は、三角形の組み合わせで計算する『三斜法』が主流だったんで、三角形に割ってるんだよ。逆に、四角形での求積方法は、支局の受付担当が知らない場合があったりするんでね」
「あまり正確な測量じゃないですよね。大丈夫なんですか?」
さらに、こんな質問をしてみると……
「我々は測量士じゃないから、座標面積計算を仕掛けるための高度な情報を得る技術そのモノが無い。それに、運輸支局の認可申請は、正確な測量を求めてないんで、少々いい加減な図面でも通るんだ。まあ、この場合で重要視されるのは、測量の精度よりも、契約との整合性かな」
何だか、三住さんが空の彼方に飛んでいってしまったように思えた。
私も一緒に飛んでいけるかなぁ……
曲名:Move On
アーティスト名:David Bowie
発表年:1979年
時々、思うんだ。
ボクは、旅に出なくちゃいけないんじゃないかって。
荷物を鞄に詰めて、ボクは旅に出よう。