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古い世界の持つ意味  作者: 守山みかん
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『第二冷凍センター』は、昼食を取った『市役所』から、自動車で三十分程度の場所。

少し離れた駐車場に車を停め、事務所がある棟まで、さらに五分歩いて、階段を上がったところにある。

入社して二年半、ここに来たのは初めてである。

ここのセンター長である立石(たていし)さんとは、採用の打ち合わせで、何度か話をしたことがあるが、場所は、いつも本社だった。

「三住さん、雨ちゃんも一緒なんだ……変わったコンビですね」

立石さんは、満面にシワを作って、ニコニコ笑顔で、私たちを迎えてくれた。

年は、四十代半ば。

物流現場での勤続十年以上の大ベテランだ。

私が求人広告原稿を作成する時に、いつも相談に乗ってくれた優しい立石センター長が、もしかしたら逮捕されるかもしれない事態になってる。

立石センター長の顔をまっすぐに見つめていると、何だか、またもや涙がにじみ出てきた。

「今日は、何だかしおらしいね。どうしたの?」

「『監督署』に連れていったんです」

と、三住さんは答える。

「ずいぶんと感動的だったみたいで」

立石センター長は、苦笑する。

「八月は、物量がキツかったからね。どうにも、できなかった」

「それは、監督官も承知してました。繁忙期が過ぎてからの報告で良いと言ってましたよ」

「それは助かる」

「それでは是正と言えないから、がんばります、と答えておきました」

「それは厳しい」

「監督官の期待を超えないと、こちらの負けです」

「負けると、どうなるの?」

立石センター長は、にやけ顔で、そう訊ねる。

「次は『運輸支局』」

立石センター長と三住さんは、声を上げて、笑う。

「やっばり、つながってるんだろうな」

立石センター長は、短く刈りこんだ頭の後ろを掻きながら、事務室奥にあるミーティングルームに私たちを案内する。

その後を追うように、女性事務員がペットボトル入りの冷えたお茶を持って、着席した私たちの前に置いてくれた。

「まだ暑いですね」と、立石センター長。

「ここは寒い所ですが」

「後で、雨森さんに見せてあげても良いですか?」

「雨ちゃんは初めてだよね。マイナス三十度」

立石センター長に訊かれ、私はうなずいた。

「防寒着とか、いりますね」

「こちらで用意するよ」

「あのエスキモーみたいのですか?」

私は、事務室手前にある休憩室に出入りしている作業者たちの重厚な風貌を見て、訊ねる。

「あれ、割と高いんだよ」

「上下で、十万円くらいでしたっけ?」

と、三住さんは訊ねながら、ビジネスバッグから、先ほどの書類をテーブルに置く。

続いて、『第二冷凍センター』に所属する全従業員の八月の勤務実績一覧を広げる。

この書類は、『監督署』やレストランでは広げていない。

今、初めて見る書類だ。

自動車運転手(ドライバー)の労働時間には、問題ありません」

と、三住さんが説明を始める。

「フォークリフトの三名が百時間を超過してます。協定での残業時間の限度は八十時間。これでは、言い逃れできませんよ」

「リフトマンの不足は、往年の悩みのタネだからね。困ったな。九月は、荷量が減るから、多少は時間も減ってくるだろうけど」

「八十時間以下には?」

三住さんが訊ねると、立石センター長は、うーんとうなり声を上げながら、

「厳しいなぁ」

と、答える。

「立石センター長!」

私は、両手でテーブルを叩き、立石センター長をにらみつけた。

センター長の笑顔が、ほんの少しひきつった。

「笑い事じゃないんです。このままだと、センター長が逮捕されちゃうんです。そうならないように、早く解決しないと、いけません!」

「……」

センター長は、言葉を失っている。

三住さんは、にんまりと笑う。

「そ……そうだね……」

と、立石センター長は、言葉を詰まらせながら、体勢を建て直す。

「三住さんの代わりに、雨ちゃんが来るようになったら、より厳しくなりそうだね」

三住さんの両肩が上がる。

「さっきも言いましたが、監督官の想定は、十月是正です。それを九月にできれば、良い意味で相手の期待を裏切り、好印象を与えられます」

「まあね」

立石センター長は、両手を擦り合わせながらうなずく。

「パフォーマンスを気にしてる余裕は無いんで、どんな風でも、『監督署』に許してもらえたら良いよ」

「うーむ」

三住さんは、口をとがらせながら、うなり声を上げる。

「改善する姿勢が伴わなければ、是正とは言えませんよ。成り行き任せで今をしのいでも、いずれ同じことを繰り返すだけです」

「人手不足は、社会的な問題だよ。監督官だって、容認してる」

「人手不足の問題は、当社の法令違反状況に、直接的に起因しているとは言えませんよ。閑散期には、解決してるわけですからね。繁忙期における体制の問題です」

「うーむ」

今度は、立石センター長がうなり声を上げる。

「本気で是正するつもりなら、繁忙期の応援体制を真剣に考えなくてはいけませんよ」

三住さんは、さらに容赦なく責め立てる。

「三住さんは、厳しいなあ」

立石センター長が、ボソっとつぶやいて、頭の後ろを掻く。

「いや、そのとおりなのは、わかってますよ。まったく、三住さんの言うとおり、なのはね……部長に相談して、他部署からの応援体制を考えてもらうよ」

「ぜひ、お願いします!」

私が、さらに迫ると、立石センター長は、

「わかった……」

と、首を縦に振る。

三住さんは、横でクックッと笑っている。

その後、私と三住さんは、分厚い生地の防寒ジャンパーを着て、マイナス三十度の冷凍庫の中にある作業場を見せてもらった。

吐いた息が瞬時に凍って、粉になって、床の上にパラパラと落ちていくような温度帯である。

その粉が床の上に散らばって、滑り止めの着いていない靴などでは、つるりと滑って、転んでしまいそうだ、

実際、靴底がのっぺらぼうのオフィスシューズを履いていた私は、何度も足を滑らせた。

「床掃除が大事なんだよ」

と、立石センター長が説明を始める。

「滑り止めがある靴でも、滑るときは滑る。だから、滑らないように、頻繁に床掃除をさせてるんだ」

「安全管理って大変なんですね」

私が言うと、立石センター長は、にっこりと笑った。

庫内には、エスキモーのような格好をした作業者たちが二十名くらいいて、その過半数が女子たちだ。

立石センター長によると、特に女子ばかりを選定してるわけではなく、離脱と補充を繰り返していく内に、女子の方が残ってくれるらしい。

そういえば、隣町にある『第一冷凍センター』の作業者も、女子の割合が高い。

「高めの時給設定が効いてると思うけど、やっぱり女子の方が根性があるね」

と、立石センター長は、作業者たちの動きを見つめながら言う。

お父さんが飼い犬の『みたらし』を見るときのような、または、おじいちゃんが私を見るときのような、優しい眼をしていた。


曲名:Doctor Wu

アーティスト名:Steely Dan

発表年:1975年

そこにいるのはドクター・ウーなんでしょ?

それとも、ボクの勘違いなのかな?

あなたが、偉いヒトなのか、それともバカなのか知らないけど、ボクの話を聴くくらいのことはできるでしょう?


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