四
次の訪問先は、監督署で話題にされた『第二冷凍センター』と思いきや、
「ちょっと早いけど、ランチにしよう」
という三住さんの提案により、足がそっちの方に向くことになった。
時計を見れば、十一時十五分。
確かに、昼時には、少し早い。
三住さんか連れていってくれたのは、『市役所』の最上階にあるレストラン。
惣菜ブッフェが評判らしく、まともにランチタイムに来ると、市内の主婦や高齢者たちの行列がスゴいらしいのだが、早い時間帯なので、まだ混雑は無く、惣菜は出来立てで、悠々と食事が楽しめる。
何か食事メニューを一つ注文すると、惣菜ブッフェが三百円でプラスできる料金制で、三住さんは、野菜たっぷりラーメン、私は肉味噌うどんにブッフェを付けた。
専用の大皿に惣菜を盛り付けていくのだが、私は、蓮根のキンピラ、卵焼き、里芋の煮付け、切り干し大根の煮付け、塩焼き鯖、和風あんかけの肉団子、フライドポテト、茹でたソーセージ、焼売を目一杯に載せて、テーブルに戻った。
すでに、肉味噌うどんが運ばれており、それを注文していたことを忘れていたので、量が多かったかもと、食べきれるか、心配になってきた。
三住さんも、惣菜がストーンヘンジ状に盛られていて、
「ラーメンがあったんだった。こりゃ、取り過ぎたな」
と嘆いていた。
惣菜の味は、評判通りで、割りと食べられたどころか、うどんを完食した後に、さらにフルーツを取りに行った。
三住さんは、別腹と思しきドーナツを持ってきて、コーヒーと共に、食後のデザートを楽しんでいた。
「『監督署』は、初めてでした」
と、私が話を切り出した。
「監督官って、コワいヒトのイメージでしたけど、今日のヒトは優しい感じで、意外でした」
「労働基準監督官は、司法警察員としての権限を持ってるからね」
「やっぱり……コワいヒトなんですね……」
私が唾を飲みこみつつ言うと、三住さんは、ドーナツを頬張りながら、快活に笑う。
「監督官の主な職務は、行政指導だよ。悪いヤツらを捕まえることじゃない」
「労働基準法第三十二条違反って、何ですか?」
「労働時間は、一日八時間、一週間四十時間が基本で、それを違反していたってことだよ」
「残業は、違法なんですか?」
「残業をさせる場合は、事前に、会社と従業員が選んだ代表者との間で、限度時間を定めた労使協定を締結しておかなければならない。三十六条に、そのことが定められているから、『三六協定』なんて呼ばれてる」
「その協定をしていなかったんですか?」
「いや、協定はあるんだけど、限度時間を超過してた」
「協定違反……」
「協定によって、三十二条に対して導けるのは、免罰効果だよ。その協定を守れていないから、三十二条違反」
「じゃあ、当社は、悪いヤツの一歩手前なんですね」
私の意見に、三住さんは、大きく頷いた。
「そうだね。雨森さんの言うとおりだね」
「このまま、是正できなかったら、きっと逮捕されてしまうんですよね」
「まあね」
と、三住さんは、またもや頷いた。
「このまま、是正できなかったらね。ちなみに、三十二条違反には、六ヶ月以下の懲役または三十万円以下の罰金刑があるよ」
「じゃあ……」
「だから、計画的に是正することを報告したんだよ。それが経過報告書」
三住さんは、ビジネスバッグから、先ほど、監督官に受付印をもらった経過報告書をテーブルの上に出し、私の方に向けた。
「長時間労働となっている原因は、人手不足であり、その問題を解決するために、
①業務の平準化を行い、特定社員への負担軽減を図ること
②求人活動を積極的に行うこと
③他事業場からの応援体制を整えること
これらは、さっき私が監督官に説明したことなんだけど、この紙面にあるとおり、ウチの社長が、労働基準監督署長に対して、報告する形になってる。
そして、監督官が、ウチの事情を理解してくれて、期限の延長を承諾した、というのが、今日のやり取りだね。
もちろん、是正に、あまりにも時間がかかりすぎて、何回も同じような経過報告書を出すような状況が続くと、さすがに痺れを切らして、書類送検されてしまうかもしれないけどね」
「書類送検……」
と、私は息を飲む。
「誰が逮捕されるんですか?」
「まずは、センター長かな」
と、三住さんは答え、ドーナツをもぐもぐする。
「それに、物流本部長と社長にも罰金刑が行くだろうな」
「……」
私は、今度は、二回続けて、息を飲む。
「すると、業界だって、黙ってないだろうから、『運輸支局』による監査の対象にもなって、いろんな指導が入るだろうね」
「……」
「国交省側には、刑罰はないけど、事業停止処分とかがあるからね。軽くても、車両の使用停止処分は、免れないかな」
「……」
「センターは、配送をギリギリの車両数でこなしてるから、十日でも配送に制限がかかると、得意先からペナルティか、取引停止を言い渡されるかもしれない」
「……」
何だか、涙がにじみ出てきた。
何とかしないと。
何とかしないと。
私の会社が、ブラック企業になってしまう。
「雨森さんって、何か良いね」
と、三住さんは、ニッコリと微笑む。
「会社のために、涙が流せるヒトなんて、なかなかいないと思うよ」
「私は……」
私のノドの奥から、言葉よりも勢いよく迫り上がってこようとする熱い何かのせいで、うまく口が動かせない。
「その想いをね、これから現場に行って、伝えてやると良いよ」
そうか……
この後に行くんだった。
私たちは、市役所を後にして、『第二冷凍センター』に向かう。
自動車のスピーカーから、リズミカルな電子サウンドが流れる。
曲名:Johnny and Mary
アーティスト名:Robert Palmer
発表年:1980年
ジョニーは、自分のことを認めてもらえる何かを探して、いつもあちこちを走り回ってる。
マリーは、彼が飽きっぽい性格で、今まで何度も挫折したことを覚えてる。