二十一
『国立病院』に着いた。
これで、三回目の面会だ。
三住さんは、毎月のように来ているみたいだから、もう十回くらいになるのかな。
いつもは静かな病室が、今は何だか騒々しい。
医師や看護師が忙しく動き回っているのに加えて、田河さんの奥さんも寝たきりの田河さんに向かって、盛んに話しかけている。
それに、若い女性が二人。
初めて見る顔のヒトたちだ。
奥さんが呼び捨てで名前を呼んでいるところを見ると、どうやら話に聞いていた二人の娘さんたちのようだ。
お姉さんは、私と同じ年齢の25歳。
ダークブラウンに染めたロングヘアーは肩甲骨の真ん中辺りまで伸ばしていて、この辺は私と同じかな。
私の場合は、もう少し茶色にしてるけど。
額の右上で6:4くらいに分けて、毛先は肩の前後に、前が3で後ろが7くらいの割合で流した感じ。
私は、左寄りにまとめて、ドレスに合わせた青色のリボンで括って、左肩より全部前に出してるけどね。
目は細くて切れ長で、眉毛もそれに合わせて逆三角形に尖らせてて……
私は、まるっこい目と成りゆきに任せたふんわりした眉毛の組み合わせで、言葉で表すなら「ポヤン」ってした感じかな。
あと、鼻筋は直線的で三角形になってて、薄い唇にダークなブドウ色の口紅で決めてる。
全体に鋭いなって印象のヒトだね。
私は……これでもかってくらいのまるっこい鼻と、アヒルの唇にローズピンクの口紅……
鋭さどころか、ゆるゆるな感じだよね。
ああ……いつのまにか、秘密にしていた自分の容姿をもらしちゃってるよ……
あんまり秘密が守れる方じゃなくて……口が軽いというか……そういうところも、ゆるゆるだよね……私……
まあ……私とお姉さんは年は同じでも、タイプは全然違うってこと、わかってくれたかな?
そして、妹さんの方は、丸顔に私のようなまるっこい目と鼻が付いて、髪は前髪と襟足をキレイに切りそろえてる可愛い系の子。
三住さんが、こっそり『ど根性ガエル』って漫画に出てくるヨシコ先生みたいって教えてくれたけど……私には、その例えはわからなかったな。
後からウェブで確認したけど……まあ……そのまんまかな……
年齢は、大学受験を控えてる18歳。
若者を現役でやってる私が言うのもなんだけど、やっぱり18歳って若いよね。
まあ……田河さんの娘さんたちの特徴は、こんな感じなんだけど、以前に来たときに、呼吸器の手術をやるかやらないかでもめて、取っ組みあいになったって聞いたけど、今の二人はとても仲良しに見える。
お姉さんが妹さんのことをすごく気づかってる感じがして、優しいお姉さんぶりを見せてるなあって思えるんだけど。
私は姉妹がいないから……まあ……二十代にしてすでにオッサンな雰囲気の兄キならいるけどね。
さて、姉妹は私たちの来訪に気づかってか、静かに病室から出ていってしまった。
三住さんは、奥さんから今の状況について聞いている。
最初に騒々しいと感じたのは、人々の往来や話し声によるものだけではなく、寝たきりの田河さんから発せられる呼吸音もあった。
今の田河さんは、波紋一つ起たない静かな水面じゃなく、沖から規則的に磯に打ちつける荒波のように、包帯だらけの上半身を激しく上下させている。
初めて田河さんの声らしき音を聞いたことになるのかな。
「呼吸器の手術をした後、しばらくは安定してたんだけど、今朝になって、急に今のような状態になったらしい」
と、三住さんは奥さんから聞いた情報を伝えてくれた。
私は、ハッと息を飲んだ。
手術の検討……
意見の食い違い……
取っ組み合いのケンカ……
命がけの手術の決行……
これらのプロセスは、すでに終わっていたのだ。
それで、さっきの姉妹の状態を当てはめてみる。
……仲良しに見えたよね……
田河さんの容態が悪くなる危険性を承知の上で……
きっと覚悟を決めての決断だったんだと思う……
姉妹で……争って……泣いて……理解しあって……
そして……今の田河さんのこの状態……
悔しさと悲しみを導く結果になってしまったけど……
お互いが納得して決めたことだから……
間違った判断じゃないと思う……
誰の責任でもないと思う……
「お父さん!」
奥さんの張り裂けるような声が、私の全ての思考を掻き消した。
「お父さん!」
田河さんの起こす波は、より荒く、より激しくなっていき、だんだんと速さを増していく。
「お父さん!」
三住さんは、両目を閉じて、両手を胸の前で合わせて、奥さんの声と田河さんの呼吸音を正面から受けて、ひたすら堪えているように見えた。
「お父さん!」
私も祈ろう……
両手を合わせて……
何を祈れば良いんだろうか?
田河さんの無事……で良いのかな?
「お父さん!」
娘さんたちも、いつの間にか戻ってきていた。
看護師さんが呼びに行ったのだろう。
二人とも田河さんのそばに行き、二人並んで寄り添って、一緒に声を上げていた。
「お父さん!』
……あんなに苦しそうにしている田河さんに……頑張ってって言って良いんだろうか……
祈るのは……田河さんの無事か……それとも……田河さんが楽になるようにって……
でも……楽になる……それって……
「お父さん!」
一際大きく響く奥さんの声。
田河さんの心拍数を計測していたベッドサイドモニターから、ピーと高い警告音が鳴り響く。
荒波のような田河さんの呼吸音が、急ブレーキがかかったように、たちまち静まっていこうとしている。
「お父さん、これが最後よ……何か……娘たちに……」
奥さんの悲痛な願いが、不協和音となって、私の耳の中を共鳴する。
田河さんは、それに応えるように大きく息を吸って……
でも……その吸い込んだ空気は……結局……吐き出されることはなく……そのまま……波紋の立たない静かな水面のように……田河さんは眠りに着いた……
曲名:Down to You
アーティスト名:Joni Mitchell
発表年:1974年
ほんの少しの鎮静剤が、あなたを後戻りできなくしてしまったわね。
あなたは職を失い、その功績も消えてしまったけど、きっと新しい生き甲斐を見つけるわ。
無花果の葉に包まれるように闇が訪れる前に、あなたは急ぎ足で暖を求めてる……
「主人は……息を引き取りました……」
田河さんが静まってから10分ほどして、奥さんが私たちに報告に来てくれた。
赤く目を腫らして、髪や肌に乱れた様子はあるものの、幾分か落ち着いた調子の声だった。
三住さんは両肩を微かに震わせながら、奥さんの方をじっと見つめていた。
私は、いつの間にか三住さんの右腕に掴まっていた。
「……申し訳ない……」
三住さんから出たのは、その言葉だった。
そして……腰を屈め……床に両手をついて……つまり……土下座を……した……
「……一生懸命……会社に貢献していただいた田河さんに対して……取り返しのつかないことを……」
三住さんの言葉を耳にして、私の両目から……塞き止めていた涙が一気に外に流れ出して……気がつけば……私も三住さんの横に並んで、同じ姿勢になっていた。
「……何とお詫びをして良いのか……」
三住さんのふらついた声を耳にし、私はたくさんの涙を流しながら、床に額を着けた。
その時、私が考えていたのは……労災って……何なのだろうか……だった。
三住さんは、以前に『保険制度』と教えてくれた。
それも一つの答え。
そして、責任区分であること。
仕事中に起きたケガや病気は、その責任が会社にある。
だから、三住さんと私は、田河さんに対して、謝罪してるんだよね。
この場では、三住さんと私が会社の代表なんだから……
責任は会社……
私は会社の人間……
責任は私……
……どうすれば……田河さんに償えるんだろうか……
私が反省して……同じことが二度と起きないように……とにかく反省する……
何を反省すれば……
私の何がいけなかったんだろう……
「……顔を上げて下さい……三住さん……雨森さん……お二人のせいではありませんよ」
奥さんの優しさに満ちた声が耳に入り、私は遠のきかけていた意識を呼び戻された。
「……あのヒトは……ちょっとオッチョコチョイなところがあって……不注意でトラックから落ちてしまったんです」
……私のせいじゃない……
そう言ってくれた奥さんの言葉は、大袈裟かもしれないけど、崖っぷちで落ちそうになっていた私を引っ張り上げてくれたようなふうに聞こえた。
三住さんも、奥さんのその言葉と、実際に差しのべられた手の支援もあって、生まれたばかりの子鹿が立ち上がるときのぎこちなさを見せながら、ゆっくりと立ち上がった。
二人の娘さんたちも、三住さんを心配そうに見つめていた。
田河さんが亡くなられた直後の、神妙としていなきゃいけない雰囲気の中で……不謹慎だと怒られそうなんだけど……私は何だかホッとした気分になった。




