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古い世界の持つ意味  作者: 守山みかん
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とりあえず、歯と歯の間の隙間が無くなるくらいに、強く噛み締めてみる。

顎の力で、頬骨を持ち上げる勢いで。

フォークリフトで、パレットに積まれた荷物を持ち上げる場面に例えるなら、リフトのフォークが下顎、パレットが上下の歯、荷物が頬骨である。

グググっと頬肉を巻き込んで持ち上げながら、さらに、その上に乗っかっている二つの目玉をも、押し上げようとしている。

「ねえ、雨ちゃん、はなし聴いてる?」

と、上司の谷口が、私の顔を覗きこむように問いかけてくる。

上底の方が長い台形の銀縁眼鏡をした、細長い顔の谷口の眉が、緩いハの字を描いている。

私は、大きく両目を開いて、谷口を見つめ、喉の奥から上がってこようとしていた言葉を、食いしばった歯で阻止し、喉の奥に押し戻す。

「まったく聴いてませんでした!」

というのが、この時、押し戻した言葉だった。

ここで、谷口の機嫌を損ねる言葉を出したところで、何の意味もないと考え、思い止まったのだ。

エラいな、私。

ただ、谷口の話をまったく聴いていなかったのは、事実だった。

「新卒採用プロジェクトは、この八月で終了。来年一月に、新たなメンバーでチーム結成するんだけど、雨ちゃんには、外れてもらうことになってる。部長指示で、ジョブローテーションするんだ」

「ジョブロ……」

と、私は小さな声でつぶやいてみる。

「私は、どこに配属されるんですか?」

「まだ決まってないよ。新卒採用以外のどこか」

そりゃ、そうだ。

ジョブローテーションするというなら、今やってる仕事じゃない、どこかに決まってる。

谷口は、私が戸惑いを見せたことに満足したのか、ちょっぴり笑顔を見せた。

「月末に、来月以降の人事が決定する。その時に、伝えるよ」

「それまで、私は何を……」

「残務を片付けてしまって。次の仕事に、スムーズに移れるようにしておいてね」

谷口は、それだけ言うと、私に背を向けて、去っていった。

市村輸送株式会社。

本州に二十程度の営業拠点を持つ、中規模の物流会社。

主にビートゥビー配送を中心として、短期間で事業規模を拡大し、この十年間で、売上は三倍以上になった。

現在の年商は百五十億。

保有車両台数は六百二十台。

雇用社員数は二千人超。

私は、二年半前に、新卒の総合職として採用された。

当時、私と一緒に採用された新入社員は五名。

私以外は、全員が男子であった。

新人研修を終えて、配属された先は、本社管理部の人事総務課だ。

他の四名の男子は、現場の管理者候補として、散り散りに配属され、内二名は、数ヵ月の後に脱落し、退職していった。

管理者候補と言えど、業務オペレーションを理解するために、現場作業に当たらなければならない場面は、少なからずあると思われるのだが、去っていった二名の言い分は、

「作業があるなんて聞いていない」

「管理者なのに、作業に入れと言うのは、契約違反だ」

等であった。

あと、物流現場というのは、パートタイマーの中高齢者が多く、自分の親ほども年齢の離れているオジサマ、オバサマたちに指示命令を出さなきゃいけない場面とかで、やりにくさを感じ、精神面で負担になる、というのも理由にあった。

でも、どうかな、と、私は思う。

物流現場の雰囲気なんて、職場見学やインターンシップで見せてもらってるはず。

それに、入社式の時の決意表明だって、早く仕事を覚えて、会社に貢献します、なんて声高々に言っておいて。

辞めていった男子たちが、その後に幸せになったのか、悔やんでるのかなんて、もう、どうでもいいこと。

私は、自分のことで精一杯。

全社員二千人の内、正社員は、八百人。

内、総合職は、百二十人。

内、女子は、私一人。

正社員女子について、私以外は、事務職か作業職、または配送員といった一般職の身分になっている。

当社の女子総合職の起用は、かなり昔に実績があったが、短命であったことから、しばらくの間、見合せられていた。

私が、幹部候補の総合職として採用されたのは、当時、女性活躍推進法が施行された勢いに乗れたことが大きい。

試しに一名だけ、採用してみよう。

社長のその一言で、はまったのが、この私というわけだ。

だが、その後に、再び、女子総合職の採用は、途絶えてしまった。

私が入社した翌年以降の新卒採用者は、全て男子だ。

選考には、多くの女子が入っていたはずだが、全員が不採用にされた。

これが、何を意味しているのだろうか、と考えると、何だか切ない気持ちになってしまう。

私に失望したから?

私に失望したから?

私を見て、女子の採用に嫌気が差してしまったのではなかろうか。

これでも、一生懸命にやってきたつもりなんだけど……

何がいけなかったのか……

たくさんの提案をして。

たくさん却下されて。

反抗的な態度を取ったりしたことも。

谷口さんに、ウザいと思われていたに違いない。

新卒採用チームからは外されてしまったから、密かに企んでいた『女子総合職大漁採用計画』は、未遂に終わった。

次に、私が担当する職務って、何だろうか?

私は、パソコンの電源を入れ、谷口に話しかけられる前に用意していた紅茶のカップに口を着ける。

熱湯を入れた紅茶は、すでに冷たくなっていた。

パソコン画面が、ログインを要求する。

私の西暦生年月日八桁を、右手で一秒で入力する。

グループウェアが起動し、私の今日の業務予定が表示される。

採用サイト営業担当の来訪予定が二件入っている。

採用チームから外されるんだから、これに立ち会う必要はないだろう。

この先、二ヶ月程度まで、採用サイト関係の予定が登録されていたので、これらからも、全部、私の名前を外していく。

すると、月間スケジュールが、クリーニング仕立てのブラウスのように、白くなった。

何だか、スッキリした。

いつも閉めきっていた、左側のブラインドを少しだけ開けて、陽光を採り入れてみた。

青く澄んだ空。

暑い夏は、新卒採用者の内定承諾を何とか得ようと、手紙を書いたり、電話を入れたりの作業に終われ、てんてこ舞いになっていたら、いつの間にか過ぎ去っていた。

鰯雲がダイナミックに広がり、すっかり秋の様相だ。

来年入社予定の内定承諾者は、三名。

全て男子。

目標値としていた十名には、ほど遠く、未達成に終わった。

これが、私が関わった採用活動の最後の成果。

気が付けば、来月に誕生日を迎える。

二十五歳。

何だか、目尻が熱くなるのを感じる。

机の引き出しを開け、名刺ホルダーを取り出してみる。

採用サイト関係者の名刺がほとんどだ。

全部、処分してやろう。

採用関係の統計資料。

これらも、処分する。

必要ない。

必要ない。

捨てられるモノが、次から次へと、引き出しの中から溢れてくる。

ちょっと待って。

私から、採用業務を取り上げたら、いったい何が残るんだろう。

残せるモノ。

それを、逆に探してみる。

見あたらない。

残せるモノ。

見あたらない。

残せるモノ。

見あたらない。

結局、引き出しの中は、空っぽになった。


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