花
金木犀の香りが鼻腔を優しく触れるのに次いで秋の少し冷えてきた空気が少し刺々しく触れていく。
花は、晴れの日が一番美しいのである。しかしそれは当たり前のことであるのだ。雨は、鳥も動かないし虫も動かん。美しくいる必要がないのだ。
ならば雨の日が一番美しい花はどうか。目につかないのに、美しい花はどうか。それがまるでサファイアのように青く、ダイアモンドのように光を失わないものは。それは宝石が何の苦労もせずに採掘できる訳ではないよう「苦」を備えた物である。目につく時は、花はどれでも美しいが目につかぬときは、花が美しいとは断じていえぬであろう。それは、みてもいないからいえるかもしれぬ。虫は雨のなかとばぬし、虫もでてこないから鳥も飛ばぬ。その中で花の「苦」をみてみるのだ。誰もみておらぬ瞬間をみてみるのだ。
秋は「楽」である。色は深緑から焦げ茶にかわり、目より食が優先されてしまう。何しろ空気が一番澄んであるから気持ちが良い。
空気が澄むであると匂いが輝くのである。だから金木犀は甘美な香りを発するのである。金木犀は匂いが無類の美貌なのである。しかし匂いだけを重視してしまった金木犀は、容姿において桜のような華やかさや、竜胆のような凛とした強さもない。
そんな中「苦」をみてみたらどうだ。雨の匂いに消された金木犀をみたらどうだ。
オレンジの色が雨粒のレンズでズームインされ、雨の険しさに耐え凛とした金木犀をみてみたらどうか。
今度みてみるがよい、容姿も無類に美しいのである。




