第九十二話:どうしようもない彼は、勇ましいが似合わない
「うきゃうっ」
「ぐへっ」
地に足をつけてなかったのもあったのでしょう。
ほとんど同じタイミングで吹き飛ばされるルプレとマイン。
結構な勢いであるからして、見た目よろしく紙のような私たちは、赤く黒い壁にでもぶつかればそのまま儚くなってしまいそうでしたが。
ルプレはマナに首根っこをひっつかまれて。
マインは恐れ多くものっちゃんにかき抱かれるような形で事なきを得ました。
「くぅっ、この扱いの違いったらないぜ」
「結構ぎりぎりだったんだから、文句言わないっ」
「す、すいませんご主人様、助かりました」
「いや、咄嗟に反応できたよかったよ」
「……おいらだけスルーとはひどいでやんすよ~」
そう言いつつ壁にぶつかって弾かれてもピンピンした様子のシャーさんが、やれやれとばかりにため息吐きつつ戻ってきます。
すぐにお礼を言った事で、体よくのっちゃんの胸元に収まった事に内心で幸運を感じていますと。
恐らくは完膚なきまでに破壊され砂埃が舞って見えなくなっていた視界が捌けた所に、仕出かした本人が一番驚いたとでも言わんばかりに呆然としているよっし~さんと、何だかオーバーヒートしている感じで煙を上げているトゥェルさんのふりしたオーヴェがそこにいました。
「……ぐふっ、久しぶりのいちげき、しんど」
「ごめん、みんな。トゥェルもっ。しばらく力を使ってなかったから、制御が効かなくて」
それでも皆がその余波を受けても何とか無事だったこともあり、照れ隠しで誤魔化すように笑ってみせます。
土砂埃が完全に晴れたのはまさにそのタイミングで。
見た目で言えばあの黒い太陽によるカタストロフィを彷彿させるような破壊の跡がそこにありました。
というか、封印的なアイテムや扉はもうあったことすら分からなくなっていて。
のっちゃんが思わずひいてしまうくらいには、かえってその笑顔がおっかないものとなったわけですが。
「これだけやらかしても反応は……いや、感じるでやんすよ。『完なるもの』の闇めいた気配を。結構ぎりぎりっぽいでやんすね、とりあえず急ぐでやんす」
シャーさんの言う闇の気配とやらは、例えるなら負の感情をため息のような生暖かい風で吹き付けられるような感覚でしょうか。
どうやら、いろいろな意味で時間がないのは確かなようです。
頷きあって、皆で連れ立って破壊し尽くされた扉の向こうへと歩みを勧めていって……。
「……理事長、どうしてこんなっ」
こんな風になるまで放置していたのか。
あるいは周りに隠し通し、我慢し続けていたのか。
よっし~さんが思わず絶句してしまうほどに、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていました。
ドロドロとして、重そうな闇の靄が中空を覆い。
足元には、黒とも赤ともつかない大量の水たまりがあって、ちぎられ引き裂かれたかのような白黒の羽が散らばりくるくると水面を回っています。
そして、その中心。
その、亜麻色の髪だけがかろうじてわかる位、その闇だまりにほとんど飲み込まれている女性……
彼女こそがまさに待望していた天使であり、よっし~さんの言う、この学園を経営していた人物なのでしょう。
「……っ、だっ……こっ」
今にも闇に喰らわれ、その羽だけを残して消えようとしている女性。
しかし、よっし~さんの声が届いたのか、確かにそれに対しての反応がありました。
誰が、どうしてここに。
とはいえ、彼女はそれを知る余裕もないのかもしれません。
しかしそのことでギリギリで耐えていた何かが緩んでしまったのか、辺りを揺蕩う闇が、取り込んでいる彼女だけに留まらず周りにまで猛威を振るおうとします。
「……っ!」
「わわっ、って! これって触れちゃったらまずいんじゃないのっ!?」
「気をつけるでやんすよっ。引きずり込まれて取り込まれたら『パーフェクト・クライム』の下僕と化すでやんすよっ」
思わず駆け寄ろうとしたよっし~さんを止めたのは。
切羽詰ってルプレを抱き上げ下がるマナと、旋回して離れながら注意喚起するシャーさんの言葉でした。
どうやらそれで、シャーさんは闇の靄を引き付ける事に成功したらしく、闇の靄は竜巻状に伸び上がり、
捕らえられていた天使さん……鳥海理事長の姿が僅かばかり露になりました。
その背中。
千切れ舞い、血を撒き散らしながら震え羽ばたいているのは、黒い黒い翼です。
直感的に分かったのは。
それが、それこそが完なるもの……『パーフェクト・クライム』と呼ばれるものであり、黒い太陽を生み出す根源であると言う事で。
「今のうちでやんすよっ、これをっ……これで、あの翼を刈り取るで……うどわぁっ!?」
そこまでを狙ってのシャーさんの突然な旋回だったのでしょうが。
黒い靄も、シャーさんがどこから取り出したかも分からないそれ……正しく天使の輪を真っ黒に染めたものが、都合の悪い危険なものだとわかったのでしょう。
刹那靄が尖り、突撃槍のようになってシャーさんを貫かんと伸びていきます。
それをかろうじてかわしたシャーさんでしたが。
勢い余って一回転したことで、その虎の子の黒い輪を落としてしまって。
「うんしょっ!」
咄嗟の条件反射で。
背伸びすれば届きそうな所に落ちてきた事もあって、泣く泣くのっちゃんから飛び上がり、それを掴み受け取ったのは、マインでした。
「わわっ、意外と重いっ!?」
しかし、それを掴んでからの行動を考えていなくて。
色違いの蛍光灯程度に思っていた重さは予想以上で。
もれなく墜落していってしまうマイン。
「……くっ、乗りかかった舟だっ。やってやらあ!」
そして。
背中越しに聞こえてきたのは、のっちゃんらしいようでそうでないような、格好つけて威勢のいい声。
あれほど触れる事に慣れるまで時間がかかったけれど、しっかり受け止めてくださる覚悟を持ったのか。
……なんて思っていると、無造作に腰あたりを掴まれて、あっさり黒い輪を持って行って。
大分優しい感じに、放られていく感覚。
「えっ、ま、またですかぁっ」
やっぱり軽すぎて、あっという間に遠ざかっていくのっちゃんと景色。
それでもなんとな私がか垣間見たのは。
気づけば急に行動的になる、だけど勇ましいという言葉が何故だかあまり似合わない気がしなくもないのっちゃんが。
相手すらまさかとでも言わんばかりに、その黒い輪をもって。
背中の黒い翼を一挙動で刈り取る、そんな光景で……。
(第93話につづく)