第五十三話:どうしようもない彼は闇の中上昇気流を掴み取る
真空、大気のない世界。
例えるならば、宇宙空間。
しかし、その空間にはまたたく星は存在しない場所で。
あるいは、光すら飲み込むブラックホールの如き場所であったとして。
果たしてものは見えるのか。
絶命に向かうのかもしれないその声は聞こえるのか。
触れて掴んでいたはずの、のっちゃんの感触はそこにあるのか。
全ては仮定の話であり、スクリーンを超えたと思ったら五感を支配される程の目前の暗闇が、例えたような場所である事はその一瞬ではわかりようがなかったわけですが。
『ぎぃっ!? な、なんだこれっ。か、体がねじ切れそうだっ!』
切羽詰まった事による偶然か、同じご主人様から生まれた一心同体であるからなのか。
なのに肝心ののっちゃんは、心の声どころか悲鳴や感触すらあやふやなのは疑問ではありますが。
今現在マインとルプレは。
何も見えない中で、落下しているような浮遊感と、ルプレが苦しげに伝えてくる『念話』の通りに。
体をバラバラにされてしまいそうな、包み込む大気の暴力を身に受けていました。
体験したことはないですが、それはまさに空気のない場所……宇宙空間にでも放り出されたかのような感覚です。
戦う術はもちろんのこと、自分の身を守る術すら正直に言えばまったくもって持ち合わせていない私達。
このままでは上も下もわからない闇の中、光もしない塵となって儚くなってしまうことでしょう。
人形サイズの私達ですらそうなのですから、マナやよっし~さんはもちろん、のっちゃんもただではすまないはずで。
あの、喜望ビルの秘密の11階にいた、青いロボット達のように。
紅のロボットさんも、ただただのっちゃん達を罠に嵌める存在であったのか。
だとするなら、このまま何もしなくても私達……のっちゃんのギフトにより死に戻りする事である意味全て解決するわけですが。
そのためには第一に、私達がギフトを発動出来る状態にいなければなりません。
のっちゃんのギフトは、手前味噌ながら死に戻りを体感できないものにとってはある意味無敵にも思える能力ではありますが。
こうなって初めて実感する、思いもよらない対処法というか、弱点があるという事実。
死に戻りを発動する前に、連動する二つのギフトそのものである私達をどうにかしてしまえばいい。
思えば、アバター化せず、できれば表に出たくないと思っていたのは。
その弱点を理解していたが故なのかもしれなくて。
『ルプレっ! ご主人様のもとへ戻りますよっ、急いでっ』
『……うぇっ? 戻るって、ああ、そっか。アバターの解除だなっ』
こうやって顕在化してから、のっちゃんの元へ戻るのは初めてであったので。
勢い込んでせかしたマインですら、言われてみればちゃんと戻れるのか不安なところがあったのは確かですが。
ほとんど泣きそうなくらいの痛みから逃れようと、ルプレはその方法を本能で理解していたようで。
それっきりすっぱり途絶えるルプレとの通信。
どうやら、こちらのことなど気にしていられないくらい痛かったようです。
確かに、こうした直接的なダメージも、顕在化したばかりのマインにとっても初めての経験で。
自身の能力を表すように、その体が崩れていくのは気分がいいものとはいえませんでした。
死に戻りのための力は、ルプレの方が重要な役割を負っているとはいえ、それでもマインの【スターダスター・マイン】によるきっかけがなければままなりません。
いい加減意識が飛びそうになっていたので、マインも慌ててアバターを解除し、ルプレの後を追って……。
『……ぐうぉおおおおおっ!』
久方ぶりの、終の棲家へと帰って来た感覚。
しかしその感慨も、内から響いて聞こえるのっちゃんの叫び声により吹き散らされます。
『おい、大丈夫か主さまっ。って、そんなわけねーか。……くそっ、また罠かよっ。肝心な時に選択肢がでやしねぇっ。これじゃあ何のために顕在化したんだってんだっ』
『……選択肢が出ていない? 逆に考えればご主人様に死に戻りの危機が迫っていないって事になるのでしょうか』
『この状況でよくそんなこと……って、そういやさっきの空気に切り裂かれるような感覚なくなってんな。かわりにこれは……落ちてる?』
案の定、のっちゃんの元へ戻ることでアバターが負ったダメージをシャットアウト出来たからこそのやりとりかと思いきや。
のっちゃんの中から感じるのは、終わりの見えない高さから落ちていっているような、しかしそれでも最初から感じていた浮遊感でした。
『……もしかして、当初ご主人様に触れている感触がなかったのは、わたくし達が別の場所に飛ばされたからなのでしょうか』
『あ? どういうことだよ』
『恐らくですが、あのスクリーンに吸い込まれた先が、同じ場所とは限らないのではないのでしょう。本来なら入ったものをばらばらに転移させる罠だったのかも』
『……つまり、まんまと罠にはまったあたしたちだけど、主さまの一部なあたしたちの緊急帰還がきいてるっつーことか』
状況が状況で軽い混乱が続いているのか。
ルプレ自身自分で何を言っているかよくわかっていない状況のようですが。
転移の罠と言えばパーティーを分断するのが目的の一つだろうことを考えると、マインの推理というか予想はそう外れていないように思えます。
不幸中の幸いにも、召喚獣やテイムモンスターにありがちな、主とはぐれても安心なシステムは大いに役に立ったようです。
先ほどの、真空に生身で飛び込んでいってしまったような感覚は今はなく。
そろそろ暗視のスキルでも覚えそうなのっちゃんの視線の先には、かなりのスピードで上へと遠ざかる赤黒い壁のようなものが微かに見え始めました。
どうやら巨大ロボットの中身は、がらんどうの落とし穴だったようです。
とはいえ、その全長が何千メートルとかあるわけでもないとのことなので。
そのうちに地面に叩きつけられてもおかしくないのですが、中々その衝撃は訪れません。
ただただ、のっちゃんの叫び声だけが聞こえています。
はっきりとはしませんが、近くにマナやよっし~さんの姿はないようです。
これはもしかすると、のっちゃんだけ資格がなくて本来行けるはずであった場所へ行けないパターンでしょうか。
……なんて思っていると。
いきなりの怒涛展開に、その下手人のくせしてすっかり存在を忘れかけていた、紅のロボットさんの『声』が聞こえてきました。
『―――緊急事態発生! 緊急事態発生! 陣ノ向コウノ本来ノ目的地ヲロストシテイマスッ! 要救助願イマスッ!要救助願イマスッ!』
皮肉にも、マインがのっちゃんを星のように細かくして、ルプレがその存在を見失う事で発動する死に戻りコンボを彷彿させるような叫びをあげている紅のロボットさん。
その言葉を鵜呑みにするならば、紅のロボットさんにとっても今の状況はイレギュラーという事になってしまいます。
本当は罠でもなんでもなかったのか。
この状況に陥ることを、紅のロボットさんは知らなかったのか。
マインとしては何が本当で何が嘘か、考え込んでしまうところですが。
「主さまぁっ、このままじゃ地面にぶつかっちまうぞ! 【飛翔】でも【跳躍】でもなんでもいいから、たすけてくれぇっ」
『―――救助願イマスッ! 救助願イマスッ!』
疑う事を知らないわけではないのでしょうが。
小悪魔でピュアで天使な担当のルプレは、できることなら死に戻りはない方がいいと言わんばかりに、紅のロボットさんと一緒になって懇願していました。
「【飛翔】をお願いしますっ。【跳躍】は足場が必要で、【空間転移】は転移先が目視できないと使えませんからっ」
故に、冷静沈着で外からものを見る担当のマインとしては、そんな的確はアドバイスをするのみで。
「……あああぁぁっ、こなくそぉぉっ! 風、 力を貸せっ! 【飛翔】っ!」
どうしようもないとみせかけて真面目でやさしいのっちゃんは。
何だか男臭い呼気を吐いて、偶然にも近くに浮いていたらしい紅のロボットさんをむんずと掴むと。
随分と乱暴な、だけどそれが意外と覿面に効果がありそうな力のある言葉でスキルを発動しました。
その瞬間。
闇の中でも風の奔流がわかるほどに。
一度目よりも明らかに効果が上がっている、擬似スカイダイビングにはもってこいな上昇気流が発生して……。
(第54話につづく)