表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/47

第五話~陰謀の佐和山城~

近江国・佐和山城―――琵琶湖の東岸、佐和山に築かれたこの城砦は、かつて織田信長と浅井長政の激戦の地の一つであった。

現在は秀吉の側近にして、先日の襲撃騒動で失脚した石田治部少輔三成が十九万石の所領を与えられて居城としていた。

その城下を一騎の騎馬武者が闊歩していた。細い目をしたどことなく猫のような雰囲気を持つ女性武将―――『三成に過ぎたる者』と称される石田家侍大将・島左近清興である。

元は大和国の大名である筒井氏に侍大将として仕え、松倉右近重信とともに『右近左近』と称され、筒井氏を盛り立てたが、故あって筒井氏のもとを去り、三成に仕えることになった。左近は軍事に不得手な三成をよく補佐し、数々の武功を挙げた。

三成は失脚して佐和山城で蟄居をしている身分だが、左近はこれでよかったと思っていた。

(我が殿は大谷殿に唆されて、徳川殿に対抗しようと少々背伸びをしておられた。残念だが殿は、徳川殿には遠く及ばぬ)

佐和山にそびえ立つ城を見上げ、穏やかにほほ笑んだ。

(今はそれでよい。将来殿は豊臣家の重責を担うお方。今は学びの時。徳川殿の背を追いかけ、いずれは追い越せばよいのだ)

左近は馬に一鞭くれ、佐和山城に向かって駆けだした。






三成が大坂城で出仕している間、城の留守は父の石田隠岐入道正継(いしだおきにゅうどうまさつぐ)が預かっていた。傷心の息子三成を温かく迎えた正継は、自らの入道頭をつるりと撫でながら笑った。

「はっはっは。みずからと内府殿の力の差を実感したか」

「御意。みずからの未熟ぶりを実感し、さらなる精進が必要と感じた次第にございます」

「うむうむ。しばらくは大坂の事を忘れ、再び召喚される時が来るまで静養に努めるべし。お前ほどのものをいつまでも殿下や内府殿が放っておくわけがあるまい」

父の言葉に三成の胸はチクリと痛んだ。父は三成が秀吉を幽閉している『本当の理由』を知らない。諸大名と同じく、病のために引っ込んでいると信じ切っている。

「・・・しかと、承りました」






蟄居後の三成は領内の巡察に亡母の菩提寺建立の手配など、実に精力的に働いた。元々三成は領内では善政を敷き、名君の誉れ高い。領民の人気も高かった。

巡察を追えて佐和山城に戻ったこの日も、父の正継や家臣の左近とともに領民から献上された野菜を使った鍋料理をつついていた。

「出る杭は打たれるという諺があります。大坂への復帰がかなえば、もう少し今までの姿勢を改めるとよいでしょう。」

「ふふふ、左近の諫言は耳が痛いの」

「『良薬口に苦し』と申すぞ。左近の諫言は三成にとって得難き良薬じゃ、大切にするべし」

三人が談笑していると、正継はふと左近を見て口を開いた。

「―――そういえば、左近もそろそろ婿を取ってはどうか?」

「婿・・・にございますか?」

よほど正継の発言が意外だったのか、左近はキョトンとした顔を向ける。正継は深く首肯してつづけた。

「そなたも近江佐和山十九万石の石田家で二万石を食む重臣ぞ。太閤殿下の御世のもと、天下平穏なれば、そなたも婿を取って跡継ぎを設けてもよいのではないかと思うてな」

実際、三成のもとにも容姿優れ、武名高い左近を嫁に迎えたい、また婿入りしたいという打診は数多くあった。三成も年頃の娘である彼女にそれとなく縁談を持ちかけていたが、左近が首を縦に振る事はなかった。

「―――なるほど。仰せの儀、真に御尤も。されども、今少し独り身のままでようございます」

「意中の男でもおるのか?ならばこちらから縁談を持ちかけよう程に―――」

「そうじゃありませんよ、御隠居様」

左近は笑って手を振って否定すると、横目で隣の男に視線を送った。

「夫よりも、子供よりも手がかかる難儀な御仁がすでにおりますゆえ」

『・・・・・・』

石田父子はしばしキョトンと目を合わせ―――そして城中に響き渡るような大声で爆笑した。






父のもとを辞した三成のもとに、大坂の大谷吉継から密書が届いた。徳川家康が伏見城の留守居役である長束正家と前田玄以を解任して自らが城に入ったという情報であった。

「伏見城は豊臣家の城ぞ!それを臣下である内府が我がものとするは言語道断ではないか!」

三成は憤りのあまり、密書を握りつぶして地団太を踏まん限り。控えていた左近は握りつぶされ、放り投げられた密書を拾って目を通した。

「内府殿は大老の首座として国政を担う御仁でしょう。その御仁が伏見城を居城とするに何か問題がおありでしょうか?」

「大有りじゃ!左近、伏見城の留守居は長束と前田の両名であると、これは太閤殿下がお定めになった事じゃ!内府はその御命令を無視し、伏見城に入ったのだぞ!これまさに豊臣家への謀反の意思ありという明らかな証拠ではないか」

怒鳴り散らして疲れた様子の三成に白湯を渡した左近は、どこまでも落ち着いていた。

「必ずしもそうとは限りませんよ」

「―――どういうことだ?」

白湯を呑んで落ち着きを取り戻したらしい三成が、腰を落として左近の言葉に耳を傾ける。

「いかに内府殿とはいえ、伏見城を事実上自らの手中にするというような大事を単独でお決めになるはずがありません。恐らくはほかの大老の同意もあり、諸大名の支持も得ていると考えていいでしょう。大名衆の中には、殿を始め奉行の方々が太閤殿下を幽閉していると考えている者も多いと聞きます」

「つまり我ら奉行衆への諸大名の不信が、諸大名の内府への支持に動いているということか・・・」

左近は深く首肯した。

「後醍醐帝の建武の新政の失敗は、武士たちの新政への失望と不信から始まったもの。今はそれと同じことが起こっております―――殿、この左近に教えてくださりませ。何故太閤殿下の信頼厚い内府殿を目の敵にされまする」

彼女の目は真剣だった。それこそ主君であるはずの三成が息をのむほどの。左近が自分に仕え始めてそれなりの時間が経つが、ここまで真剣な彼女は初めて見るかもしれない。

「恐れながらこの島左近清興。石田治部少輔殿を生涯の主君と心得ております。殿が左近に死ねと仰せならば喜んで死にましょう。股を開けと仰せならば喜んで抱かれましょう。そして」

「―――徳川家康を討てと仰せならば、知恵を絞り、全身全霊を以て家康を討つ策を練り、彼の者を貫く矛となりましょう」

左近のかつてないほどの真剣な眼差しに、三成は決意した。

重い、重い口を開くことを。

「左近。今から申す事は他言無用。無間地獄に落ちようとも胸に秘す事と心得よ」

三成は静かに語りだした。病床に伏す秀吉の真相、徳川家が豊臣家を滅ぼすという大谷吉継の予言、消えた前田利家の謎、そしていずれ豊臣家を滅ぼし天下を簒奪するという家康を止める為、自分は動いているという事―――すべてを語った。

「―――信じがたい事ですが、大谷殿は敦賀城主となられるまで殿の知恵袋として数々の献策を成されていたお方。竹中殿や黒田殿のような近隣に知れ渡った知恵者ならともかく、全くの無名である大谷殿があれほどの知略をお持ちであることを不思議に思ってはおったのですが、彼の御仁の予言通りに事態が推移しているとなれば、大谷殿の予言を信じざるを得ません。太閤殿下を幽閉するとは不敬・不忠の極みですが、殿下の内府殿への傾倒を考えれば致し方なし。この問題については後日考えるほかありません」

左近は続けて口を開いた。

「それで、殿はどのように内府殿を倒そうとお考えですか?まさか石田家と大谷家のみで倒せるとは考えてはおりますまい」

吉継の所領は越前国敦賀に五万石、三成は十九万石である。江戸二百五十六万石、豊臣家臣団一の大名である家康には遠く及ばない。

「大名衆の中にも、内府殿の行いを自分が天下を取らんとする専横と考える者も多いはず。殿はそのような方々をお味方に付け、徳川打倒の連合軍を作り上げる事こそ肝要と心得ます」

「連合軍か」

「しかしながら殿は大名衆からの覚えめでたからず。傲慢だ、横柄だと憎む方も多い。殿は大谷殿のようにあくまでも陰に徹し、徳川打倒の総大将には別の方をお立てになるのがよろしいでしょう。例えば歴戦の雄で人望があり、諸大名が安心してお家を託せるような方―――」

「それならば、すでにもう確保しておる」

秀吉の親友にして、五大老のひとり。槍を手に戦場で勇名を馳せ、飾らぬ人柄で人望の厚い人物―――

「加賀大納言様ならば、家康打倒の総大将として不足はあるまい」






三成は大坂の大谷吉継と密かに連絡を取りながら動き出した。家康の独走を警戒しているであろう宇喜多・上杉と前田に密使を飛ばし、毛利と同じく家康に与しないという確約を手に入れた。

後は多数派工作だ。五大老のうち四大老が味方に付いた。しかし家康を倒すにはまだまだ多くの味方が必要である。三成はせっせと書状に筆を走らせるのであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ