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第四話~七将事件~

『前田加賀大納言殿は殿下の御意向により、しばらく大坂城詰めを申し付けられる』

肥後国隈本城主・加藤清正は五奉行から送られた諸大名への通知書を握り潰し、『かねてよりの計画』を実行に移すべく、同志に招集をかけた。





大坂の加藤邸には、手勢を率いた清正の同志たちが集結してきていた。

すなわち豊前国中津城主・黒田甲斐守長政(くろだかいのかみながまさ)

尾張国清州城主・福島左衛門大夫正則(ふくしまさえもんのだいふまさのり)

丹後国宮津城主・細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)

三河国吉田城主・池田三左衛門輝政(いけださんざえもんてるまさ)

甲斐国府中城主・浅野左京大夫幸長(あさのさきょうだいふよしなが)

伊予国松前城主・加藤左馬助嘉明(かとうさまのすけよしあき)

これに清正を加えた七名の武将たちが、こうして加藤邸に集まるのは初めてではない。彼らはある使命を秘めて会合を重ねていたのである。

「各々方。起つべき時が参りましたぞ」

清正が口を開くと、一同は一斉に肯いた。

「奉行衆の増長ここに極まれり。我らは豊臣家をあるべき姿に戻すべく、行動を開始する、という事だな」

「ようやくあの小賢しい治部めを縊り殺す時が来たというわけか!」

凛とした佇まいの黒髪の女性大名・黒田長政が続ければ、厳めしい顔つきの福島正則も拳を鳴らして吠える。

「治部は今宵はいずこに?」

「前田殿の邸宅にてご嫡男の肥前守殿に上意を伝えた後、大坂の自邸に戻っておるはず」

「それでは・・・」

一同は上座の清正に視線を送る。視線を受けた清正はひとつ頷いた。

「治部めの屋敷を襲撃し、一気に首級を挙げるべし!」

七人の武将たちは数手に分かれた。ある者は三成を討つべく大坂石田屋敷に向かい、ある者は討ち漏らして大坂城に逃げ込まれるのを防ぐために各城門を固めるべく兵を差し向け、またある者は街道筋を遮断するべく動き出した。





上使として前田邸に上意を伝えた三成は、大坂城の自身の詰所ではなく大坂の自身の屋敷に戻ってきていた。彼は上機嫌であった。大大名前田家の当主にして諸大名からも人望があった利家を実質人質に取って味方に付け、徳川打倒の準備は着々と整いつつある。

(あとは伊達を味方に引き入れれば、関東の徳川への包囲網は完成する。今度は殿下と前田殿の名のもと諸大名を招集し、家康を討つ。奴さえ討てば、江戸の留守居の秀忠や忠吉など物の数ではない)

全ては豊臣家の為、秀吉の為。『豊臣家を滅ぼす』徳川家康さえ討てれば、豊臣の世は安泰となる。秀吉はなぜか家康に対して全幅の信頼を寄せ、今もなお自分に家康を討つのを思い留まるように言うが、家康を討ち、徳川を滅ぼせば必ずや目を覚ましてくれることだろう。

三成が守りが強固な大坂城ではなく、防御が薄い自邸に戻ったのは前田家を屈服させたという自信と余裕からであった。吉継の進言から始めた毛利家への切り崩しは順調に進んでおり、すでに当主毛利輝元から有事の際も家康に与しないという誓約を受け取っている。

後は時が来るのを待つだけ―――三成が遅い夕餉を自室で取っていると、ドタバタと騒がしい音が近づいてきた。何事かと顔を顰めていると、障子の外から叫ぶような小姓の声が響いてきた。

「殿!一大事にございます!」

「騒がしいぞ、何事じゃ」

冷静沈着な三成だが、告げられた報告には思わず持っていた茶碗を取り落しそうになってしまった。

「佐竹様・宇喜多様より伝令!加藤主計頭様、福島左衛門大夫様ら七人の武将の手勢が当屋敷に押し寄せて来つつあり!殿の御命を狙わんとしておる模様にて、直ちにお逃げくださりませ!」

「なんじゃと!ええい、あの無頼者どもめ・・・!」

慌ただしく出立準備を整えた彼は、ただちに屋敷を飛び出した。お供は二名の小姓だけである。大坂の街を見渡せる高台までたどり着き、ふと屋敷のある方向を見てみると、数百名の人間が集まっているのであろう篝火が見えた。恐らく自分を殺そうとした武断派の大名が石田屋敷にたどり着いたのであろう。

(この様子では刑部の屋敷や宇喜多殿、小西殿の屋敷に逃げ込む事は出来まい。やつらも監視の手は伸ばしていよう。そうなると伏見方面に逃げるのが得策。しかし―――)

いちばんいいのが伏見城だ。城代は盟友の前田玄以と長束正家。しかし武断派の大名らも考えないはずはない。ここにも手は伸ばすはずだ。城に逃げ込む前に捕捉されて討たれる可能性は捨てきれない。他の大名の屋敷はどうだろうかと考えたが、すぐに捨てた。佐竹や宇喜多などの『真に信頼できる』大名でない限りは大政に参与するこの身を軽々と預けるべきではない。

更に間の悪いことに宇喜多秀家も佐竹義宣も大坂にいた。大坂屋敷の留守居では武断は諸将を抑えきれまい。そうなると―――

(武断派諸将を抑えられ、なおかつこの三成を確実に守りきる事の出来る大名。いや、そんな都合のいい者は―――)

思考の海に沈んでいた三成は、ハッとある考えが浮かんだ。






「ああ・・・いい気持ち・・・至福ですね・・・」

「我が主にお慶び頂き、恐悦にございます」

聖一は蕩けた表情で湯に浸かる家康の腕や肩、手を三介よろしく揉み解していた。夫の按摩に蕩けきったその表情は江戸二百五十六万石の大大名にして大老首座の威厳などどこにもなく、本多忠勝や鳥居元忠ら古くからの重臣たちからは『とても家臣たちには見せられない顔』であると言われている。

「ところで・・・」

揉み解されて蕩けながらも、家康ははっきりとした口調で口を開いた。

「大納言殿の大坂詰めの件、聖一さんはどう思います?」

「十中八九、偽りでしょう。大納言様を監禁し、前田殿を自派に引き入れんとする謀略だと思います」

風呂場は日々多忙な二人が二人きりで行う謀議の空間でもあった。聖一は家康が重臣たちにも話せない日々の愚痴や政務に関する相談をこの風呂場で受けていた。

「それでは、どうすればいいでしょうか」

「難問ですね」

当主が人質に取られ、北陸最大の大名である加賀前田家が敵に回る事は必定であるはずなのだが、聖一は大して深刻そうな顔をしていない。家康も一言「そうですか」と呟いて夫の按摩に再び身を委ねた。三成が何らかの理由で徳川家を目の敵にしており、陰で彼に入れ知恵している人物がいるという情報も保護した女密偵の初芽より手にしていた。

その人物の名は大谷吉継。史実では、敗北を悟りながらも友情を選んで三成に殉じた義の武将であった。






戸の外から若い男性の声が聞こえてきたのは、浴室の二人が『熱い夫婦の時間』を送り、二人で湯船に浸かっている頃の事であった。声の主は鷹村上野介正純(たかむらこうずけのすけまさずみ)。聖一の養子で、若年ながら家康のもとで辣腕を振るう将来の有望株である。

「申し上げます。只今御門前に石田治部少輔様がお越しになられ、福島殿や加藤殿らの襲撃を受けたれば、殿よりご周旋を賜りたいとの仰せにございまするが、如何いたしましょうか?」

「・・・お通しして。私も用意を整えてお会いいたします」

正純が用意のために足早にその場を去ると、家康は湯船の中で背を預けている夫に顔を向けた。

「聖一さん」

「はい。『七将事件』です。殿は石田殿を奉行より解任し、所領佐和山へ蟄居を仰せ付けられます」

聖一は家康に対して様々な献策を行ってきた。その多くは現代高校生の知識を生かしてのものであったが、彼はあまりその知識を出そうとはしなかった。

―――この世界は、自分が知っている過去の時代とは違う。まったく同じものだと考えてかかれば、痛い目を見る―――

姉川の戦いでの朝倉軍総大将・朝倉景健による徳川本陣奇襲攻撃や、三方ヶ原の戦いでの武田軍の布陣、小牧・長久手の戦いでの池田恒興らが率いた羽柴軍別働隊による岡崎城奇襲成功を始め、長篠の戦いでの降雨、甲州征伐での穴山梅雪の偽りの内通など等、枚挙に暇がない。

風呂から上がって身形を整えた家康は、早速三成の待つ一室に向かった。






―――久しぶりに身近で見た家康という女は自らの敵である、という事を踏まえてもやはり美しい女性であった。

凛とした佇まいに力強い意志を持つ眼差しを持つこの美女は、例えるならば月のよう。三成の主君である秀吉とは対照的な人物であると改めて感じた。

「この度は、御迷惑をお掛け致します」

「お気になさることはございません。治部殿は私達大老衆とともに国政にかかわる御仁、無頼者から御身を守るのは当然の事でしょう」

三成が伏見徳川屋敷に逃げ込んだのにはいくつか理由がある。徳川邸は他の大名に比べて兵が多く、また変事があった場合でも徳川家に心を寄せる大名衆が直ちに兵を率いて家康を守りに駆けつける為、いかに武断派大名といえども手出しは不可能と踏んだというのがひとつ。もうひとつはもし仮に家康が七名の大名を扇動して三成襲撃を目論んだとしても、彼女は大老首座という肩書上、逃げ込んできた奉行を殺害することなどできない。そうなれば、家康は秀吉の命によって任ぜられた者を理由もなく殺害したとして諸大名の信頼は地に落ちる。

「申し上げます!ただ今御門前に、福島様、加藤様らの大名衆がお見えになり、石田様を引き渡せと仰せにございます!」

(来たか)

駆け込んできた小姓の報告に、三成は知らず身を強張らせた。家康はこの報告にどんな対応をするのか。正則らに自分の身柄を引き渡すのか、それとも―――

報告を受けた上座の麗人は、しばらく瞑目して脇息をコツコツと叩き、そして口を開いた。

「―――福島殿らをこれにお召なさい。無論、兵を当屋敷に入れることは罷りなりません」

三成は息をのんだ。それは、彼の予想範囲にある中で最悪の答であった。






若干引き攣った顔で現れた小姓の後ろからついてきたのは、殺気立った武断派の七名の大名。彼らは憎々しげに三成を睨みながらも家康の前に座し、一斉に頭を垂れた。

「内府殿にはご機嫌麗しゅう。此度騒ぎを起こし、御迷惑をお掛け致しましたが、これは我らの本心に非ず」

武断派一同を代表して加藤清正が口を開いた。

「小田原での戦役以降、殿下は我ら家臣の前に御出でにならず、御言葉はすべて治部ら奉行衆を介してのみ。我ら一同はこれを奉行らによる殿下の押し込みと疑い申した」

三成はギクリと身を強張らせたが、家康は見ていないふりをした。

「疑いが確信に変わったのは、先日の豊禅閤(ほうぜんこう)殿下一族の処刑と内府殿の討伐命令にござる。殿下は常々内府殿を頼みとしている旨を我らに漏らしておりました。その殿下がなんで内府殿を討つ御命令を下しましょうや。我らは君側の奸たる治部を除かんが為、此度の騒動を起こしたまでにございます」

「黙れ虎之助!我ら奉行は殿下の御意志を尊重して政を行っておる!そのような言い様、無礼ではないか!」

「黙らっしゃい、佐吉!ならば我らを殿下に拝謁させるべし!」

「殿下は病にて表に御出でにならぬ!」

睨みあう三成と清正、そして武断派諸将。特に血気盛んな福島正則は刀に手をかけ、今にも三成を斬り捨てんとする構えだ。

まさに一触即発。部屋に控える小姓たちも覚悟を決め、来る惨劇に備えて主君を守らんと脇差に手をかけ―――






「控えなさい!」





雷のような家康の一喝が、緊迫した空気を一瞬にして霧散させた。

家康はギロリと清正らを睨みつける。「加藤殿?」と呼びかけられた清正は身を強張らせた。

「あなたや福島殿たちは幼少の砌より殿下にお仕えした、いわば殿下のお子ともいうべき方々。それが殿下の御志を無駄にしようとするは何事ですか」

「な、内府殿・・・?」

何か言おうと口籠った清正たちだが、家康は厳しい口調で続けた。

「御病床に伏せられた殿下に代わって天下を預かるこの家康が、騒乱の肩入れなどすると御思いですか!よくお考えなさい!」

『ははーっ!』

雷を落とされた武断派諸将は、まるで母親に叱られた子供のように平伏した。続けてあっけにとられている様子の三成に水を向けた。

「治部少殿。加藤殿らの主張にもまったく見当違いとは家康は思えません。奉行衆らが頑なに諸大名と殿下との謁見を拒むは、押し込めとも疑われても仕方がないと思います。加えて此度の騒動の一因には奉行衆にもありと心得ます。また殿下との謁見を妨げるは国政への著しい妨害であり、言語道断でありましょう」

三成は沈黙を守り、家康の言葉に聞き入っていた。

「よって沙汰を下します。石田治部は此度の騒動の責任を取って奉行職を辞し、所領佐和山へ蟄居なさい」

「佐和山へ・・・」

三成は呆然とした様子で宙を見上げて呟いた。

「加藤殿。貴殿も所領熊本にて蟄居いたしなさい。他の六名は加藤殿の蟄居を以て御咎め無しといたしましょう」

「・・・畏まってござる」

清正も覚悟していたように頭を下げた。沙汰を言い渡した家康は表情を和らげて続けた。

「ただし、先日の豊禅閤(ほうぜんこう)殿下に連座した者たちの便宜と名誉回復、そして実態捜査を行うことを約束いたしましょう」

「おお、真にございまするか!」

正則は表情を輝かせた。家康は最後に釘を刺すのを忘れなかった。

「その代り!各々方は治部少殿に対して手出しは無用にすること。これで手打ちといたします。よろしいですな!」






その日の夕方に提出された三成の辞表は後日他の大老の同意を得て、正式に受理された。三成は家康の猶子である結城秀康に護衛されて居城の近江国佐和山城へ送られ、蟄居生活に入った。一方の清正も居城の熊本に下り、喧嘩両成敗の形をとって事件に終止符が打たれた。

三成の後任には甲斐国府中城主・浅野弾正長政(あさのだんじょうながまさ)が就任。次いで伏見城留守居の前田玄以と長束正家に『三成に与し、国政を妨害した』として留守居の任を解く処分を下した。二人は抵抗しようとしたが、城受け取りの使者として送られた聖一に『国政を邪魔立てしないと言われるのなら、我が殿と殿下を謁見させるべし』と突きつけられ、すこずこと伏見城を家康に明け渡した。

こうして家康は騒動を仲裁したことで諸大名より高い評価を得、加えて伏見城を手にしたことで大いに威信が高まる事となり、秀吉不在の今、天下第一の実力者として認められる事となったのである。


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