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第三話~消えた大納言~

五大老五奉行からなる『十人衆』制度を発足させた豊臣政権。政務の場には伏見城が選ばれ、大名たちは続々と伏見に集結した。豊臣家の居城たる大坂城は引き続き奉行衆が詰めて秀吉と城を守る体制は維持されたものの、政の主導権は徳川や前田ら大大名に移ることになった。

「クックック・・・治部よ、少し焦りすぎたな」

「確かにわしの失策であることは否めん。刑部よ、お前の言う通り、やはり内府は危険な女だ」

所領の越前国敦賀城から上坂してきた大谷刑部少輔吉継(おおたにぎょうぶしょうゆうよしつぐ)は、大坂城西の丸で石田三成と密談を行っていた。

「しかし此度の失態は敦賀から動かなかった俺にも一因がある。少々工作に専念しなければならなかったからな」

「工作?」

訝しげな表情の三成を覆面の奥から嘲笑(わら)うと、吉継は口を開いた。

「『好奇心は猫を殺す』という諺を知っているか?」






この日、徳川家康の伏見屋敷で会談を終えた前田利家は伏見屋敷ではなく大坂屋敷に戻っていた。我が娘のように目をかけている秀吉側近の中川清六郎光重(なかがわせいろくろうみつしげ)より密書が届いたのである。彼女は元は前田家臣であったが、秀吉に望まれて側近となっていた。

光重の密書には、彼女は内々にほかの側近たちと語らって病床に臥せっているという秀吉の秘密を探り出すことに成功。対策を練りたいが、自分達は大坂城に詰めている奉行衆に監視されているため身動きがままならない。

そこで利家自身に秘かに登城してもらい、光重たちが用意した秘密の会談場所で会談を行いたいというような事が記してあった。

利家の子である利長や利政は危険であるとして利家単身の大坂登城に反対していたが、少しでも消えた親友の謎を追いたい利家は、指示通り単身で大坂城へ向かった。




日が暮れ、地上に闇が降り始める頃、大坂前田邸の裏門が静かに開かれた。

目立たないよう質素な服装で出かける準備を整えた母を、利長は心配そうな表情で見つめる。

「やはり行きなさいますか」

「アタシも罠である可能性は高いと思っている。だがそれ以上に、今は一つでもアイツの手掛かりが欲しいんだ」

加賀金沢百万石の大名が取るべき行動ではないだろう。奉行衆らの手にかかり、命を落とすかもしれない。辱めを受けるかもしれない。だが、今の異常な状況を突破する一石を投じることにはなるはずだ。

「利長。もしアタシが戻らなければ、城中で死んだものとして扱え」

万が一の時の為の遺言だ。自らの遺志を継ぐのは嫡男である彼にしかできない事。

「詳しい事は横山長知(よこやまながとも)長連龍(ちょうつらたつ)らにすでに伝えてある。変事があってしばらくの事はアイツらの言うことに従えばいい」

名前を挙げた横山山城守長知(よこやまやましろのかみながとも)長九郎左衛門連龍(ちょうくろうざえもんつらたつ)は前田家の重臣で、利家が頼みとする家臣たちである。

「判断を誤るなよ。『槍の又左』の名を汚すべからず・・・頼むぞ」

「・・・御無事で」

玄関を出て行った利家の背を、利長は見えなくなるまで見送った。






大坂城内に入る手筈はすでに光重からの書状で指示されており、利家はそれに従って城内を歩く。途中、何度か城中の武士とすれ違ったが、彼らはこちらを前田利家と気づくこともなく会釈をして通り過ぎて行った。

そのようなことを繰り返しながら、利家は光重に指定された場所までやってきた。それは本丸真下に築かれた山里曲輪の櫓の一つである。

周囲を警戒しながら入り、暗闇が支配する櫓の中で利家はひとり、光重を待った。どれくらい時間が経っただろうか、こちらに近づいてくる足跡が耳に届いた。待ち人か、それとも。警戒して刀に手をかけた利家の耳に聞きなれた声が届いた。

「―――大納言様。光重にございます」

待ち人のようだ。利家は息を吐き、入室するよう囁いた。

「大納言様。わざわざの御足労、かたじけのうございます」

「久しいな光重。最後にあった時よりも少し大人びたようではないか」

中川光重という娘は年頃になっても子供っぽさが抜けないような、いささか頼りがいのない少女であった。しかししばらく自分のもとから離れ、天下人の周りで仕えているうちに少しは大人びたような―――そんな印象を受けた。

久しぶりに会ったのだから、少しは込み入った話もしたいところであったが、今はそれよりも大事な要件がある。逸る気持ちを抑えながら、利家は口を開いた。

「単刀直入に聞こう。太閤殿下の病臥の秘密、それはなんだ?」

―――それからの事は歴戦の勇者である前田又左衛門利家にとって、生涯最大の汚点であり、痛恨の失態であった。

すなわち、向かい合った光重に自然な仕草で一歩前まで詰め寄られると同時に、後頭部と腰に手を回され―――そして唇を押し当てられたのである。

「て、てめぇ!何を―――!?」

反射的に光重を突き飛ばし、刀に手を伸ばしかけたところで、急激に脱力感に襲われた利家はガクリと崩れ落ちた。

「あははっ!大成功大成功!又左様も、本当にこの娘には弱いんですねぇ!」

「貴様・・・お清じゃ、ないな・・・!」

「そうでーす!私は大谷刑部様一の奴隷、辰ちゃんでーすっ!」

崩れ落ちた利家を見下ろして嘲笑った『辰』と名乗った少女は、中川光重に化けていた衣装を脱ぎ捨てると、二度ほど柏手を叩いた。少しすると、武装した数名の兵を引き連れた白覆面の男が姿を現した。

「よくやったぞ辰―――いい様だな、前田利家。秀吉の情報に釣られてノコノコと御足労頂き、感謝するぜ。餌になってくれたあの世の中川光重にも感謝しなきゃならんな」

「大谷、刑部・・・!」

利家は睨みつけるが、痺れ薬を盛られた体は全く言う事を聞かず、吉継と辰の嘲笑を買うだけだ。

兵に後ろ手に縛りあげられた利家は、吉継の前に改めて引き据えられた。何かの壺に腰を下ろした吉継は辰を膝の上に乗せ、彼女の懐に手を突っ込んでその膨らみをいじり始めた。喜悦の声をあげる辰の肩越しに吉継は利家を見下ろし、口を開いた。

「どうだ利家。俺と駆け引きをしないか」

無言で睨みつける利家をニヤニヤ笑いながら、吉継は構わず続けた。

「お前も俺の奴隷になれ。徳川を滅ぼし、豊臣を牛耳り、天下にまだまだ戦乱の炎を撒いてやろうじゃないか」






朦朧とする頭の中で、利家の思考は懸命に回転した。恐らく秀吉を幽閉している一派の首領はこの男だ。理由は分からないが、再び戦火をこの国にまき散らし、激しく燃やそうとしている。その為の鍵は徳川家のようだ。自分がこの男に屈し、徳川討伐の総大将として起てば、先日の騒動とは比べ物にならないほどの乱がおきる。

―――それは、利家の望むところではなかった。

「―――こと、わる・・・」

「なんだと?」

痺れで口が回らない。だが、はっきりと彼女は告げた。

「亡き、う、ふ様と、と、うき、ちろ、う、が、つ、くって、きた、た、い、へいの、よ、を、き、さま、ご、ときに、こわ、さ、れ、て・・・たま、るか・・・!」

体は屈しても心は屈しまいと、息も絶え絶えながらも彼女は吉継を睨みつけた。

「いい度胸じゃねぇか・・・!人形の、分際で!」

吉継は辰を突き飛ばすと、利家の胸倉を掴みあげて数回平手打ちを食らわせ、倒れて身動きのできない彼女を数回蹴りつけた。

「このクソアマ!おい貴様ら!利家を『あの牢』に繋いでおけ!手段は問わん、身も心も俺に屈服させてやれ!」

「先日の中川光重のようにしても?」

利家を無理やり起こした兵がニヤニヤと笑いながら質問を口にすると、吉継は冷静さを取り戻したのか、少し考えるそぶりをした。

「殺すのはまずい―――が、女として生まれたことを後悔させるのは構わん」

「『悦び』を教えるんじゃないんですかい?」

「・・・はっ、この低能どもめ!好きにしろ」






前田利家がいずこかに連行され、主人に攻められた奴隷が嬌声をあげている頃、櫓の入り口の死角で法体の男が小さくなって震えていた。幸いなことに、利家を連行した兵士たちも、事を終えた主人と奴隷も彼に気が付くことはなかった。

「何という事じゃ・・・」

法体の男―――顔面蒼白になった前田徳善院玄以は、吉継らが出て行った後も、しばらく立ち尽くして震えていた。


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