第二話~和睦~
加賀国金沢城主・前田加賀大納言利家は、天下人・豊臣秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた小者の頃よりの付き合いである。二人は家が隣であったこともあり、すぐに親しくなった。彼女たちは数多の死線を潜って、いつしか一軍を率いる大名となった。そして賤ヶ岳の戦いを経て利家は秀吉を支える家臣となったが、他の家臣がいないところでは、二人は『藤吉郎』と『又左衛門』の親友同士として何でも話せる気の置けない間柄に戻っていた。
しかし、そんな親友である秀吉が謎の隠棲。まったく姿を見せなくなった事を訝しむ間もなく、秀吉の意向と称した奉行衆らが出した『秀次一族殲滅』及び『徳川討伐令』。豊臣家の内部分裂を防ぐべく、利家は行動を開始した。
「母上。奉行衆らから母上のご出馬を要請する書状がまた届いておりまするが、如何いたしましょうか」
嫡男の肥前守利長が届けられた書状をおずおずと取り出せば、同席している次男の能登守利政も口を開いた。
「宇喜多殿からも再三再四、某のもとに母上に大坂へ御出仕あるべしと、矢の催促にございます」
大坂方に参上している宇喜多秀家は利家の娘婿であった。
なおも口を開かない母に焦れた利政は、ずいと膝を寄せた。
「母上、何を悩むことがございましょう。母上が殿下の御下命に従い、徳川討伐軍の総大将として起てば、諸大名もこれに従う事でしょう。徳川を討ち、天下を安寧に導く事こそが、殿下の御意志ではございますまいか!」
「確かにそうかもしれねぇな」
利家は肩まで伸ばした栗色の髪を面倒そうに掻き上げ、煙管に手を伸ばす。煙を燻らせながら彼女は口を開いた。
「天下に安寧をもたらすことはアイツの―――殿下の意志だろう。だが徳川を除いてそれが成るかと言えば、アタシは否だと思う」
大坂と伏見の対峙が長引くにつれて、状況は徐々に変化しつつあった。徳川方は奉行衆の理不尽を声高に叫び、非は彼らにあると諸大名に訴え、大坂方大名の切り崩し工作を開始したのである。それに従い、福島正則や加藤清正といった元から三成とそりが合わなかった大名や、奉行衆、特にこれも三成の横柄さに嫌気がさした大名らが次々と徳川方に奔ったり、理由をつけて国許に帰ったりする者が出てきた。
「アタシがやるべきことはどちらかに肩入れするのではなく、この騒動を仲裁することだ」
利家はある人物に使者を遣わし、この騒動を取り鎮めることとした。
「申し上げます。細川越中守様、御越しにございます」
前田利家が騒動の鎮定の為に呼び寄せた人物とは、丹後国宮津城主・細川越中守忠興。武勇に優れるだけではなく、優れた教養人である父の細川幽斎同様様々な教養に優れた人物で、大坂・伏見に属する諸大名に広い伝手を持つ男であり、また彼の子は利家の養女の婿でもある。
前田邸に呼ばれた忠興が案内されたのは、利家の私室であった。
「越中殿、これを見てくれるか」
挨拶もそこそこに、利家は忠興に書いていた物を渡した。それに目を通した忠興は、驚きに目を丸くして利家を見つめた。
「大納言殿、これは・・・」
「そろそろいい加減、天下万民のためにも両派の仲違いを治めなきゃならんだろう。この案なら徳川の顔も立つし、大坂方にも悪い話ではないはずだ」
奉行共からしたら面白くない話かもしれんがな、と利家は苦笑する。
「今回の騒動の大本は奉行衆にござる。彼らに多少の罰則はあってしかるべきかと存じまするが、はたして彼らは納得いたしましょうや」
「大坂に参集した大名たちの中にも、内府を恐れているものは多い。殿下の命として大坂方に参じたはいいが、正面切って内府と戦うとなると大半の者は腰が引けるだろう。万が一大坂と伏見が正面衝突した際に内府と戦うのは奉行共と宇喜多・上杉くらいだろうな」
「京・大坂は灰燼に帰しましょう」
「両派ともそれは望んじゃいないだろう。だからこそ、これを呑まざるを得ないはずだ」
利家が忠興に渡した書状の最初にはこのように記されていた。豊臣家の制度改革、側近政治に一石を投じる一文が―――
『五大老制度』
「五大老・五奉行制度・・・ですか」
「御意。大納言殿は内府殿はじめ五名の大名を奉行衆の上に置き、殿下の復帰まで十人衆の合議を以て政を運営しようとのお考えにござる」
細川忠興が前田利家の使者として伏見の徳川邸を訪問したのは前田邸を訪問した翌日。利家と話を詰めた後、戦乱を避けるべくただちに徳川邸に参上したというわけであった。
「大老衆は徳川内府殿、前田大納言殿、備前宰相(宇喜多秀家)殿、安芸中納言(毛利輝元)殿、会津中納言(上杉景勝)殿・・・」
十人衆のうち徳川と毛利は伏見に、宇喜多と上杉は大坂に参じている。五奉行はそろって反徳川派。ここに利家が中立として両派ににらみを利かして政局バランスを保つのがねらいであった。
「治部らはいかにしておりますか」
「治部はいまだに意気軒昂、内府殿の打倒に息巻いておりますが、国許に戻っている大谷以外の奉行衆はここにきて及び腰になっております」
内々に利家の使者が奉行衆と面会して今回の和解案を兼ねた改革案を提示したところ、奉行らは一にも二にもなく飛びついたという。大坂に参じた大名たちが高飛車な三成に愛想を尽かし、また家康と戦うことに及び腰になって屋敷に籠ってしまい、彼らも気弱になっていたのである。
「御役目大儀でした。この議、熟慮して御返答させていただきます」
「ははっ。してその期日は」
「まずは奉行衆からこの家康に対して誓詞を頂きたいですね。御話はそれからとお心得頂きたい」
忠興は困惑の表情を浮かべた。今回の騒動の一件を奉行らから家康に謝罪するよう、彼女は暗に要求してきているのである。
家康の要求に三成は公然と反発したものの、前田や増田、長束といった面々は講和に賛成の意を示した。彼らは元々家康を脅威とは思っていたが、正面切って敵対するほどの度胸はなく、また自分たちの地位が安泰ならば反対する理由はどこにもなかったのである。
奉行衆から誓詞を取った利家は、続いて家康からも誓詞を取り、『五大老・五奉行』制度を発足させた。五大老の首座には徳川家康、続いて前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、上杉景勝が名を連ねる事となり、政務の主導権を確保。秀吉病臥の間の政務を執る事となる。大坂・伏見に集っていた大名たちとその軍勢は国許に帰り、上洛中の徳川軍も江戸に引き返すこととなり、京・大坂には平穏が戻った。
―――しかしこの平穏が、来る大嵐の前触れだという事をそう遠くない未来に人々は知ることになる。




